光と影の共存を (千葉戦レビュウその❸)

ゲーム評もこれで4回目にもなれば、書く本人も食傷気味。
ならば、読者にしてみたら、さぞやうんざり、かと。

まぁ、今回で締めますので、御つき合いのほどを願います。

さて、〈月影〉といえば、月の光。
〈人影〉は、人間の姿。
ここで、かげとは、光の源や光線、物体そのものを指す。

他方、〈物影〉とは、光が遮られて暗く陰になったところ。

かように、同じ言葉〈かげ〉が、光明と陰影の双方に使われるのが、日本語の絶妙さ。

光陰矢の如し、ではないが、光と影は互いにかならず寄り添うことが、僕たちの祖先にはごく自明の悟りだったんですな。

で、山雅の攻撃においても、光と影を共存させよ、というのが、その❸末尾の論旨なのでした。

ボールホルダー、あるいは、それと密接に動くプレイヤーが脚光を浴びる〈光〉とするならば、もう一方にはかならず、黒子のように、相手の注意をそらす、惑わす役割の〈影〉を引き受けるプレイヤーが必要。

クロスとは、ディフェンダーの首振り角度を最大にすることで、視野のスキを衝くやり方。

これと同様、黒子が動くことで、相手ディフェンダーの注意を拡散させるか、デイフェンダーを誘き出すことでスペースを創り出すことをしないと、堅い守備網に穴は開きません。

皆が一斉にボールに集まってもダメ、皆が同じようにボールにアプローチしてもダメ。
密集における事故のような得点ばかりを狙うなら、別ですがね。

ここらへんの陰日向の役割をキチンと与えること、引き受けること、それが、チームとしてまだまだ詰められていないのを感じます。

光と影の役割分担を、あらゆる攻撃パターンの中に織り込む。

それも、あたかもオートマティカリーに、何人かが幾重にも連動して動かないと、寄って集って来る守備の傾向があるJ2では、突破がむずかしい。

まづは堅く守ってボール奪取即カウンター、を基軸とするならば、速さ鋭さをひたすら追求すればいい。

けれど、堅守はそのままで、最終ラインから組み立てていって、どこかでスイッチを入れる攻撃に着手している以上、効果的な攻撃発動の方式に、とことんチャレンジしましょうよ。

光と影といえば、思い出すこの曲『Both Sides Now』(1968年発表、邦題「青春の光と影」)。

ジョニ ミッチェル(1943~ )らしい、プライベートな歌詞。

…loveを、与えるともらうの両方から眺めていた私。人生を勝ち負けの両側から感じている私。でも、loveや人生など、なにも悟っちゃいない……

では。

新・ジェフの正体 (2021.3.21 千葉戦レビュウ❶)

※千葉戦レビュウは、何回かに分けて書きます。

孫子(兵法書)に、
〈彼を知り己を知れば百戦危うからず〉とある。

この言葉の説くがごとく、対戦では、相手のやり方への対処がかなり大きなウェイトを占める、が実感された千葉戦でありました。

ほとんど毎年対戦しているのに、相手メンバーがおよそ知らないメンツばかり。

#10船山 貴之が、終盤の10分程度に、時間稼ぎのカードとして投入されるなんてのは、前代未聞。

チーム状態もあるんでしょうが、新しい世代への転換が図られているのは確かなようだ。

それは、ゲームの進め方にも顕著。

20分に先制すると、それ以降は、自陣で堅く守ることを最優先。
時間を巧く使いながら、あわよくばロングカウンターで追加点、という戦術で一貫。

キャプテンのDF鈴木 大輔は、前半から既に、GK鈴木椋太に対し、ゴールキックは時間をかけるように指示していましたから。

まぁ、よっぽど勝ちたかったんでしょう。

なりふりかまわぬ姿勢は見上げたものですが、あぁ、これって、自分たちもいつか辿った道だったよなぁ、と感慨が深い。

まさか、ジェフ氏と立ち位置がこうも逆転してしまうとは、隔世の感がしきり。

でも、このリーグで戦う限りにおいて、山雅には、こういった単純な先祖返りは、もはや許されないでしょうね。

それにしても、
―#23、#24 、あれはなんなのよ、最低。
外山がボールを追わなかったから、失点したんでしょうに!!、と酷評は続く。

……入籍ハネムーンの外山は、とんだとばっちりで。

失点シーンは、3人が連続で剥がされたうえに、バーすれすれのシュートを叩き込まれたもの。相手をホメるしかありませんよ。

そんな落胆がすこしでも和らぐようにと、こんな曲を。

では。

昭和から 最後のプレゼント。


※本文とは、ほとんど関係ないかもしれません。

某公共放送でやっている連続ドラマの主人公は、女優 浪花 千栄子 (1907~1973 )がモデルなんだそうな。

ずいぶん渋い選択だなぁ。

思うに、浪花が活躍したのが、昭和初期から1970年代、というのがミソ。

昭和の残光を嬉しく想う世代へのプレゼント、というわけだな。

本名が、南口(なんこう) キクノだった縁で、大塚製薬『オロナイン軟膏』のCFに登場。

この女優について萬年が知っているのは、ホーロー看板の中、両手でその製品を掲げて優しく微笑んでいる姿が、ほとんどすべて。

ただし、映画『悪名』(1961年大映) の中で見せた、女親分の演技。
あれは、凄みがあった!

この作品では、山茶花 究(さざんか きゅう 1914~1971 )が演じる、落ち目の親分役の演技と、いわば双璧でありました。

となると、主演 勝 新太郎 (1931~ 1997) の歌なんかを聴きたくなるわけです。

では。

 

 

恋しき春の『Early Morning Rain』

齢を加えたためか、昔にくらべ症状がだいぶんと緩慢になった。

とは言え、この季節は、花粉症に悩まされるのがならわし。

十数年前のある医学論文を読んでいたら、日本人の10%に花粉症状が発現している、とあった。

アルウィンが超満員になっても、ホームタウン総人口の 4% にあたる人々が集うに過ぎない。
それからすると、10%というのはその2倍強だから、かなりの数字だ。
(変な比較で、申し訳ありません)

天気に注文をつけられるわけもないけれど、願わくば、2日にいっぺんの割合で雨が降ってくれると申し分ない。

雨で花粉が地面に叩き落とされる日、そして翌日はすがすがしくクリアな晴天、という具合に。

『Early Morning Rain』は、ゴードン ライトフット(1938~ ) が、1966年に発表した曲。

カナダ出身のゴードンは、1960年頃ロサンジェルスに逗留していたことがあったが、ちょくちょくホームシックに陥った。
で、それを癒すため、ロサンジェルス空港まで出かけて行って、旅客機を眺めたようだ。

早朝の雨に、酔い醒めの身体。
数時間もすれば故郷の空を飛んでいるだろうボーイング707の離陸を見送っている、ミュージシャンがひとり……。

ナターシャセブンの日本語での演奏は、気が利いた訳で、原曲の孤独な雰囲気を保っていて好きだ。

要は、こんな雨が一日おきに、しっとりと降ってもらいたいのだ。

では。

 

ラブソングが国歌となる 不思議。

サッカー北アイルランド代表のユニフォームは、伝統的にグリーン。

だから、山雅ファンのひとりは、自然と親しみを覚えてしまう。

さらに、1970年代のマンチェスターユナイテッドで鳴らしたジョージ ベスト(1946~2005)は、北アイルランドの首府ベルファスト出身。

と、くれば、僕の親近感は、ますます深い。

ところで、北アイルランドの(事実上の)国歌は、『Danny Boy』。

もともと在ったアイルランド民謡『Lomdondery Air』(ロンドンデリイの歌、起源は18世紀末まで遡るらしい) に、1913年、新しい詩を与えたもの。

歌詞は、女性が、愛する男性(恋人、夫、息子は不特定)との別れを告げる内容。

― たとえこの先、花が枯れるごとくこの私が地下に眠ってしまおうと、
帰還した貴方は、墓にひざまづき言葉をかけてくれるでしょう ― とある。

たかだか1世紀ちょっとの歴史だが、愛する者への惜別を、国歌として歌い込むなんてのは、趣きがあってよい。

まぁ、一体感の高揚は、悲壮感(悲劇)を必要とする、という見本であります。

で、今は、このダニーボーイを聴こう。

では。