子どもは?、といえば、畑の中さ。
トマトの添え木の先端。
そこでトンボを捕まえようと、補虫網持ち、さかんに行ったり来たり。
おいおい、すこしは上を見あげてごらんな。
気がつけば、蒼空に、大群のアキアカネの乱舞よ。
秋は人を詩人にする?
いや。
流れる時は、一体どこに向かっていくのか?、そんなことを一瞬思うだけ。
では。
子どもは?、といえば、畑の中さ。
トマトの添え木の先端。
そこでトンボを捕まえようと、補虫網持ち、さかんに行ったり来たり。
おいおい、すこしは上を見あげてごらんな。
気がつけば、蒼空に、大群のアキアカネの乱舞よ。
秋は人を詩人にする?
いや。
流れる時は、一体どこに向かっていくのか?、そんなことを一瞬思うだけ。
では。
土曜日の朝6時前、某公共放送は、亡き人(往年の有名人)を偲ぶ番組を流している。
萬年、そろそろご出勤となる時間。
食事などしながら、時計代わりに画面を見つめていることが多い。
先週は、たまたま、小林 亜星(作曲家、1932~2021年5月30日) の番であった。
けっして達者でなく、むしろ下手と思うけれど、テレビドラマにも役者(主演級)として出ていたっけ。
そのドラマ、当時の僕は、娘役の梶 芽衣子 観たさにチャンネルを合わせていた、遠い記憶が蘇える。
番組では、対談などにおける亜星氏の発言が、時々、挟み込まれる。
その中の、この言葉。
― 曲 というのはね、作ろう作ろうとしてはダメなんだ。ふと湧いてくるのが良いんです。
おぉ!、これ、僕にとっては、まさに天啓でありました。
ためしに〈曲〉のところを、たとえば、〈笑顔〉に置き換えてご覧なさい。
― 笑顔というのはね、作ろうとしてもダメ。自然に湧いてきてこそ価値がある。(by 萬年)
家人には、数十年来、何かにつけて、あなたのはね、とってつけた云々、と言われ続けてきた僕。
要は、誠実さに欠ける、ってわけ。
ゆえに、笑顔に限らず、残された人生を活かすためにも、おおいに有り難いお言葉なんでありました。
ところで、北へ向かう、帰る、の言葉には、なぜ、こうも悲しい響きを感じるんだろうか……。
亜星氏の名作『北の宿から』から連想されたことですけどね。
では。
北Q戦の翌日、ひとりの山雅サポーターに、
― 勝利した後の、こういう天気を〈山雅晴れ〉と呼ぶのよ、と教えてもらう。
― へぇー、知りませんでした、と返したが、素直にココロに入って来る、良い造語ではありませんか。
同じ日、バネ指で悩む家人は、某整形外科(老舗) を受診。
面談の中、ご高齢のドクターに、趣味はなに?、と訊かれたので、
サッカー観戦、と答えると、自然、山雅の話題になったそうな。
― 前に1部にいたのに、3部に落ちるかも知れないんだって?
先生、よくご存じですね、と返すと、
― それぁ、知ってるよ、松本市民だもの。
― じゃぁ、長崎へも(応援に)行ったんだ。
……、などなど、そのドクター、Vファーレンの親会社が、ジャパネット タ〇タであることもご存知だった、という。
熱心なファン&サポーターの存在がこのクラブの特長のひとつ、というのは否定しないが、ふつうの市民の、こういったなにげない関心も大切にすべきだろう。
― 先生、機会があればアルウィンにご一緒しませんか?、安価ですけど、ゴール裏観戦がもっとも臨場感がありますから、とでもお誘いすれば?、と家人には伝えたが、なかなか切り出せないでしょうね。
ところで、あのゲームで、敢闘賞は、榎本 樹だった。
伊藤 翔の逆転弾へのアシストがめだつけれど、
橋内 優也による同点弾のシーンでは、前方で相手ディフェンスと共につぶれることでシュートコースを創り出していたし、なによりも、前方へと向かうチームの意識を活性化することに一役買ったこと。
そこを、いちばんに評価したい。スタジアムの雰囲気をも変えました。
特に、若手の場合、何をしたいか?、よりも、自分を使って何ができるようになりたいか?、を考えるべき。
そうすることで、(チームへの)貢献、使命感という、自分を突き動かしてくれる理念が浮かび上がってくるだろう。
実はこれ、ドラッカー先生の受け売りで、目の前にいくつもの選択肢を持つ若者すべてに、ためになる言葉でありましょう。
榎本、さらに村越 凱旋の仕事の中に、その典型を観ることができたのが、このゲームの最大収穫であったとも言えて、
さぁ、山田、横山らも、これに続かなきゃあな、となるわけであります。
もう11試合しか残っていない、と考えるのか、あるいは、まだ11試合チャンスがあると思うのかで、かなり違ってくる覚悟。
でも、まぁ、秋をできるだけ穏やかに楽しみたいのが、ホンネではございます。
では。
眠りから醒めて、やおら時計をみると、なんと、もう11時をまわっているではないか。
そうだ、昨日ワクチン接種をしたんだっけ、それでこんなに倦怠感がひどいのか。
遅くなったけれど、とにかく、会社に休みの連絡だけはしなくちゃあな。
さて、誰を指名して事情を話すのがいいんだろう……、と思案していると、部屋の窓ガラスがギシギシと鳴りだした。
起きて窓のところまでいくと、にゅっと、上からさかさまに見知らぬ男の顔が降りてくるではないか。
― あんた、ここで、なにやってるんだ?、と訊ねると、
― いや、趣味で他人の窓ガラスを磨いてまわってるんでね。
― それはありがたいが、お代は払えないよ。
― もちろん、サーヴィス、無料に決まってる。
……、とここで目が醒めた。
久しぶりの面白い夢、と思いながら時計をみると、夜中の2時。
カーテンから明かりが射しているので、外に出て見あげると、
夜の頂点からすこし西に傾いた満月が、暈の中にボウっ、と輝いていた。
すこしの頭重感と腕の痛みはあるけれど、この調子だと仕事には行かれそうだ、もうひと眠りしよう、とベッドに入った。
では。
三日前くらいから、庭に周ると、金木犀の香りが感じられる。
それにしても、9月中旬にその香が漂い始めるとはチト驚く。
僕の感覚では、ここ松本ならば10日ほどは早過ぎるんですね。
もっと秋がひんやりしてから楽しみたい、という身勝手なんです。
それだけ、今年は寒暖の差がくっきりとしているのかも知れません。
そして、毎年のこと、この曲を思い出します。
では。