アベちゃんと衝突する。

彼が、ハウルの動く城(2004年)、をえらい高く評価する。

なので、

宮崎作品は、新しい〈神話化〉を追求しているように思える。

だとすれば、風の谷のナウシカ(1984年発表)で、既にその最高点に達しているから、

それ以降は、同工異曲の焼き直しに過ぎず、

いまさら、採りあげるものがないよ、とか感想を述べると、

いやいや、あのカテゴリーは、

その作画(美術的な)が、重要な要素を占めるし、その点、ハウルの~は素晴らしい、という。

そうかなぁ。

もともと日本のアニメーション動画は、安価な制作方式(それ自体は否定しない)で作られていて、

発信(制作者)、受信(観客)の双方が、そういう技法的な枠組みを了解した中での、画仕事。

人物の動きを、解剖学的に捉えて再現してみせるディズニー作品群には及ばないのでは?

……親子ほどに年齢の隔たったふたりに、こんな会話が成立すること自体、

この80年間、日本のアニメーション界隈には、制作システムにおける断絶がないのだろうか。

では。

たんたんとやれ チャント (竹原ピストル再論)

アベちゃん(職場の同僚) が、ぞっこん(らしい)の、サカナクション。

有能で、上手いバンド。

だとは思うが、僕からすると、曲、作り込み過ぎかなぁ、チョッと。

……年齢を加えるにつれて、より〈坦々〉かつ〈淡々〉とした音づくりを好むようになった気がする。

そういう僕の偏愛からすると、

歌作りにあって、歌詞が先か、旋律が先なのかは知らんが、

昨今の、耳に入ってくる(邦楽の)メロディラインは、急激な音の高低を繰り返し、そこに裏声も多用されるから、

歌詞が、この爺の耳では、日本語として追いきれず、

さらに、英語が混ざったりすると、それこそお手上げ。

さらにさらに、変にしゃくりあげるような舌の巻き方、と来た日には、

そこでもう、つき合うのをやめてしまう。

こういうの、流行りなのかねぇ。

バッハの、G線上のアリアが、現代人にあれだけ人気があるのは、

原曲を、使う楽器を少なくし、G線だけの使用へと、シンプルにしたためではないか。

そんな中、竹原 ピストルは、

高齢者に優しく、しかも、価値観の押し付けがましさのない洒落た歌詞で、走る。

その発声は、あえて言うと、北島 三郎にも似て聴きやすく、クラシカル音楽寄り。

どうも、彼、ギター1本で歌っている感じがするけれど、

おおかたの批判を覚悟で言うと、

この歌唱、レッドホットチリペッパーズなんか遙か足下におくほどの出来であるのだから、

ジャズのトリオ編成をバックにして、演ったら?、とますます誘惑が湧いてくる。

……なんだよ。

高齢者(おもにファースト及びセカンドベビーブーマー世代)は、竹原 ピストルを聴け、といった今回の結論で。

念のため、『お前、もういい大人だろ?』はオリジナルで、

〈いい加減、諦めんなよ〉」と、応援している。

では。

竹原ピストルとは,チャントである 『なごり雪』

 

森田 童子(1952~2018)と、鮫島 有美子(1952~ )は、

1950年代初頭生まれ世代の歌手の、双璧に違いない !! (もちろん、ただ僕の中で)。

その森田の、『たとえばぼくが死んだら』(1980年発表)を、

竹原 ピストルがカヴァーしているのを聴いて、えらく感心してしまった。

実直に、美しくのびやかに、情に流されず、かといって、情を棄てもせず、品の良い日本語で歌っている。

で、次に。

『なごり雪』(1974年発表、by かぐや姫)もカヴァーしているので、これも聴いてみて、いやぁ、大したものです。

歴代カヴァーのなかで、出色でしょうね。

そこには、あの名残り雪を歌う(姿勢)、ではなく、竹原自身の名残り雪が厳として在るからだ。

つまり、歌詞中の、

電車が行ってしまって、踵を返してホームから去る主人公の、

新たな出発が、深い決意で感ぜられる、そこが良い。

竹原 ピストルについては、近々にでも、また。

では。

なぜ,映画『Let It Be』(1970年公開)を評価しないのか?

その理由(わけ)を、ふたつ。

❶映画『A Hard Day’s Night』(1964年公開)は、
多忙な日々(Hard Days)を送るビートルズが、実録風に、彼ら自身を演じて魅せた、洒落たコメディだった。

当時の売れっ子アイドルがドタバタと画面を動き回る、とは言え、

白黒ということもあって、

『Saturday Night And Sunday Morning』(土曜の夜と日曜の朝、1960年英映画)に一脈通ずるような、シニカルな風刺が効いている良品。

僕の中では、これとの比較がどうしても頭をもたげる。

いくら、スタジオセッション(曲の作り込み)や、手短に演ってみせた公開演奏を描くにしてもですよ、

この後、名作アルバム『Abbey Road』(1969年秋発表)を創る力がある彼らなのだから、

見え透いたヤラセ、たわいもない会話やギャグ、そういったもので、音楽制作の仕事ぶりをうすめて見せるのは悪手だろう。

❷セッションに参加したビリー プレストン(1946~2006年) の、作品中における扱いが、あまりにも軽い。

ビリーのキーボード演奏の素晴らしさが、どれほど楽曲に寄与していることかは、一聴瞭然なのに、

映画を観るのは、ビートルズマニアだ、といった決めつけがあるから、こうなってしまうんだろうが、

なんとも敬意に欠ける、とはこのこと。

その腹いせにと、

ビリーの作った『You Are So Beautiful』(1974発表)を、ケニー ランキンがカヴァーでしているやつを聴いている。

では。

葬送の バレンタインデイ。

ショートメールと電話のためだけに、ガラケーを使っている、

かつては、Yahooの画面だったけれど、

(ニュースの)薄っぺらい見出しが目に入ることが、煩わしくなって、

パソコンは、Googleの検索画面にしてある、

新聞紙、週刊誌、月刊誌の類いは、定期購読しておらず、

どうしても新聞(特定の記事)を読みたいときは、コンビニエンスストアで買っている、

そして、TV画面は、出勤前に、朝食のテーブルから眺めるだけ。

……こういう生活だと、当然、世事に疎くなる。

すこし前、フジテレビが糾弾されていたり、芸人が引退したりした騒動の中身を知らずにいて、

助手席の家人から、その件につき、 5分間のレクチヤアを受けて、

あぁ、そうだったのね、と概要を掴んだりした。

こういう僕であるから、

ある訃報を、逝去後3週間で知る、ということは、かなり迅速な情報入手に違いない。

ガ―ス ハドソン (ザ バンドのメンバー、担当楽器は、主にキーボード) が、

1月21日に亡くなった。

1937年生れの、享年 87歳。

毎冬。

僕の車中には、ザ バンドのアルバム『Northern Light – Southern Cross』(1975年発表)が流れるのがならわしで、(もう半世紀前に創られた作品 !!)

その音楽づくりが、自由自在にしてほぼ完璧であることに舌を巻く。

重厚にしてリリカルな、ガースのシンセサイザーが、ほとんどの曲で、縦横無尽に奏でられる― なんという豊饒さ!!

今頃、ガースはなにしてんだろうなぁ、と思っていた矢先の訃報。

当人はすでにお墓の下に居るんだろうが、僕は、今日、彼を葬送する……。

では。