― そりゃあ、岐阜にしてみたら、前節あれだけ大勝してますからね。
その勢いに水を差したくもないだろうから、ゲームは予定どおり催行したいでしょうね、とソネさん。
対し、山雅は、むしろ間を置きたいんでしょうか?
雨が降らないと、日照りだ、不作だ、と不満を言い、
降れば降ったで、冠水が心配だと、騒ぐ……。
ひとの身勝手さには、ウンザリもする。
ところで。
アサガオが、いま盛んに花をつけていて、
はて? 8月も終わろうとしているこの時季に、いちばん美しく咲く花だったっけ。
では。
― そりゃあ、岐阜にしてみたら、前節あれだけ大勝してますからね。
その勢いに水を差したくもないだろうから、ゲームは予定どおり催行したいでしょうね、とソネさん。
対し、山雅は、むしろ間を置きたいんでしょうか?
雨が降らないと、日照りだ、不作だ、と不満を言い、
降れば降ったで、冠水が心配だと、騒ぐ……。
ひとの身勝手さには、ウンザリもする。
ところで。
アサガオが、いま盛んに花をつけていて、
はて? 8月も終わろうとしているこの時季に、いちばん美しく咲く花だったっけ。
では。
カターレ富山。
そのチームで現役を引退したプレイヤー(小田切氏) が、ユース畑で指導歴を積んで十余年。
その後、トップチームの監督を、ここまで 足かけ 3年務めている……。
……僕が、いつかは山雅で観てみたい光景だから、
やはり富山さんは、そういう意味でも先輩格だろう。
このチーム、レンタル選手(有望な若手)を上手く出し入れしながら戦う、といった趣きがいままであったが、
今季は、活きの良い大卒ルーキーの活躍が、特に目立つ。
一芸に秀でた感はあまりない(地味)が、勤勉に前後動する、隙の無いサッカーという印象。
そう、〈勤勉で手を抜かない〉がピッタリくる。
言いかえると、総合点で優位を保つから、僕の世代用語で、国立進学コース系サッカーと呼んでしまえ。
キビキビしたパスワークを、相手を引きつけるように使い、
機をみると前線へロングなボールを投入して、一気にスペースを獲る、そんな感じを受けます。
こんな相手とやるには、高く保つ守備ラインの後方スペースを狙われることは必至でしょうが、 (ホーム戦でもそこやられましたから)
それに怖気づくこと無く、
ムラと隙を慎んで、ひたすら当方得意な方策を繰り出す、これでしょうね。
今季リーグ戦では、山雅は 3得点すれば負けはない。
だから、3点は獲ろうよ。(簡単に言いますが)
で、そろそろ滝 裕太のゴールを見たく、彼のゲーフラ持参しますが、
その滝は、2020季富山で(レンタル)戦ってもいて、気持ちが入るだろうから、期待します。
たとえ、清水で同僚だった河井 陽介が、今節は出場停止によってピッチで対峙することができなくとも。
せいぜい、息抜きながら、Across The Border、とまいりますか。
では。
ブルース スプリングスティーン(1949~ ) というロックンローラーの名が、
一躍、世に知れることになったは、
アルバム『Born to Run』(1975年) が契機だったのは間違いない。
が、ブルースは、それ以前に、2枚のアルバムを 1973年にたて続け発表していて、
リリカルな詩を、積もった感情を吐き出すようなヴォーカルで綴る、これら2作のほうに、より魅力を感じるのは、僕だけじゃあないだろう。
そういう御方は、おそらく、このシンガーソングライターとは、長いつきあいで、いつもじゃあないが、時に触れて聴く、みたいな感じではあるまいか。
僕の場合、彼の音楽と出逢った(友人から紹介された) のは、夏休みだったので、
この時季に、思い入れは深い。
さて、楽曲のこと。
57th street、とあるから、マンハッタン島の、セントラルパークの南を横切るように走る通り。
そこで、incident (出来事)が、スパニッシュ ジョニーと、プエルトリカン ジェインの カップル(恋人)を軸にして語られる。
……とくれば。
古い!! 映画ファンには、下流階級の白人と、プエルトリコ移民の、ふたつの不良グループが反目、抗争する『ウエストサイドストーリー』(1961年)が想い出されるわけでして。
これは、
〈ロミオとジュリエット〉 (by シェイクスピア,1597年初演)を、現代ニューヨークを舞台に、翻案した作品。
で、ブルースのこの曲にも、ロミオとジュリエットという名が登場する。
……てな、お題目はもういいや。
ブルースが、ピアノ独演で唄っている動画を聴きましょうか。
あぁ、シェイクスピアとは偉大なり。
400年を超えて、そのラブストーリーが、語り継がれる。
では。
ボブ ディランが、61年前に発表した曲。
日本発売では、タイトル(英語)を、〈くよくよするなよ〉と変えてある。
二度思案するな、それでいいさ、って感じか。
破局した恋人に向かい、未練、皮肉を込めて、けれど、まぁ、自分は自分で生きていくよ、と見栄を切るような内容の歌詞。
その曲を、
半世紀を超えて今、20代の才能が、飾り気もなく、素直に歌って魅せると、こうなる。
ビリー ストリングス(1992~ )というのは、ずいぶんと人を喰った芸名ですけどね。
では。
季節の憶え ☞ このところ、夏椿の落花を、朝夕で、100個は拾っている……。
柳 ジョージ&レイニーウッドが、
1980年に、シングル盤で発表した曲。
日本語の曲名は、『青い瞳のステラ、 1962年 夏……』。
それを、それらしく、英語にしたのが、当記事のタイトルであります。
(取り立てて、他意もない、お遊びで)
ところで。
僕は、いままでずっと、
青い瞳(め)のステラ、と当たり前のように読み、そして、発音してきた。
ところが!!
どうも、青い瞳(ひとみ)、と読ませるらしい(当たり前か) ことに、今更ながら、気づいた次第。
だが、しかし、待ってもらいたい。
すくなくとも、100年このかた、宮沢 賢治の詩作を持っている日本語と日本人であるならですよ、
やはり、〈あおいめ〉と読むのが、自然、かつ、歌詞における品格だと思うんですよね。
おそらくは。
クロスビー スティルス & ナッシュに、
名曲〈組曲; 青い眼のジュディ〉(1969年) があるから、これとの区別をはかりたいネーミングだったのかも知れず、僕の語感も、それを、そのまま踏襲したのかも知れず。
でも、もういいや。
この季節になれば、1962年の夏って、一体どんなだったんだろう?
……そう想いながら、これを聴いていることに、変わりもないのだから。
では。