君が乗り遅れても 私は この汽車で行こう
何百マイルも離れたところに 君は 汽笛を聞く
100マイルを ひとつ ふたつ みっつ よっつ
そして いつつもたどったところへ
遠く 故郷から離れてしまった この私
着替えのシャツも持たず お金もなくて
どうして 家路をたどれよう
500マイルも離れてしまったいまは……
では。
君が乗り遅れても 私は この汽車で行こう
何百マイルも離れたところに 君は 汽笛を聞く
100マイルを ひとつ ふたつ みっつ よっつ
そして いつつもたどったところへ
遠く 故郷から離れてしまった この私
着替えのシャツも持たず お金もなくて
どうして 家路をたどれよう
500マイルも離れてしまったいまは……
では。
まさに、昨日のこと。
これ、もう物置にしまわないと、と思っていたのは。
一夜明けたら、それを使って、愛車のフロントガラスの雪を払っているとは。
明日のゲームが、もしもホーム戦だったら、今頃は大騒ぎしているんだろうなぁ。
今年は降雪が週末にかかることが多いから、雪の朝はよけい静かでいいや。
と、そうそうに家の中に入るのでありました。
おんなじ白でも、今は、こっちのほうに憧れます、ずっと。
では。
原題は『The Accidental Tourist』。
1988年の米国映画。
邦題は『偶然の旅行者』で、見事なほど工夫がないんです、これ。
この作品が、この国であまり注目されない理由のひとつでなないか、と勘繰りたくもなるんですね。
で、勝手にタイトルのように訳出して見た次第。
旅行ガイドブックのライター役で主演した、ウイリアム ハートが、3月13日に亡くなった。(1950~2022年)
誕生日の7日前、との訃報。
享年 71歳だった。
凶悪犯に息子を殺害された痛手から立ち直れないでいる主人公、という設定がまづあって、
その日常に、ふとして入り込んで来た、かなり奇妙な行動をとる子持ちの独身女性(ジーナ デイビスが演ずる)に、戸惑いながら惹かれて行く進行。
― となれば、ハートの持つ〈受け〉の演技の巧さが、存分に発揮されること、これはもう観ていて、一番のお楽しみなんです。
冒頭のシーン。
たしか、ベッドに置かれた空の旅行鞄に、パサッと、畳んだボタンダウンシャツが抛られる。
で、それが、ブルックス ブラザーズ。
最初に、主人公の趣味や素養をあらかたを示してしまおう、という脚本だ。
こういうところが、アメリカ映画らしい。
乗ってるクルマや服装でさりげなく、主人公の人となりを描写できるというのは、社会の成熟というものでしょうか?
1980代がだんだんと押し迫っていく憂鬱、そんな感じの映画を想い出しながら、一瞬の安逸に沈みたいものです。
ご冥福をお祈りしながら。
では。
海の向こうの騒乱をみながらも、さて、自分の足許を見つめないわけにもいかぬ。
Global Firepower というところが、毎年、核兵器をのぞいた軍事力ランキングを発表している。
その国の、人口、軍事費、兵力、陸海空の保有兵器、戦略視点からの地理など、50項目を数値化して、順位づけしているらしい。
最新のそれによれば、我が日本は、第5位なんである。
だから、上には、第1位の米国からはじまって、露、シナ、インド、の4つの国しかない。
ちなみに、ウクライナは、22位。
武力はこれを持たない、と内外に宣言したものの、その後、冷戦下の集団的な安全保障体制に組み込まれる過程で、あくまで防衛力とかいいながら、再軍備。
結果、堂々たる軍事力を持っているのですよ、僕らの祖国は。
もちろん、持っていることと、これをどう使うべきか、ということがセットではっきりしていないといけないけれど、
どうしようもなかった、とはいえ、やっぱり国を挙げての不正直だったわけで、これからは、この事実をキチンと受け止めて進まなければと、特に、有為の世代に向かっては、期待を込めて言いたいものだ。
核アレルギーを含め、臭い物に蓋をするような態度でウダウダとやってきたベビーブーマーの世代(1946~1964年生れ) の思想を、葬り去ってしまう迫力でもって。
穏やかな平和愛好者がすむ列島、けれど、ひとたびこれに攻撃を加えた日には、激烈なる反撃を覚悟しなければならない国。
だから、アンタッチャブルな日本として、国際社会では生きて行く。
これからの道はこれしかないだろう、とは前にも書きましたけれどね。
では。
― ほんの一握りの人間が決めた賞になど興味はない、私が欲するのは、大衆の喝采だ。
とは、チャールズ チャップリン(1889~1977) の言葉。
確かにな、とは思う。
思うものの、人間にはどうしても優劣をつけたい要求があるようで、それが他意の無いお楽しみであるならば、師チャーリーには、大目にみてもらいたい。
米国の音楽誌Rolling Stone は、ベストソング歴代500曲、というランキングを、17年ぶりに更新して公開した。
昨2021年の、9月15日朝のこと。
500曲のうちおよそ半分、上位100曲のうち3分の1に、前回(2004年)には選ばれなかった曲が、入選している。
時代はとめどなく流れているんだから、当たり前といえばそれまで。
その第1位は、『Respect』(1967年)by アレサ フランクリン(1942~2018)
作者は、オーティス レディング(1941~1967)。
アレサはこれを、もっと、この私を大切に取り扱ってよ、という女性からの恋歌として、仕立て直した。
第3位は、『A Change Is Gonna Come』(1964年) by サム クック(1931~1964)
ボブ ディラン(1941~ ) の『風に吹かれて』にインスパイアされてサムが作ったが、ディランの曲を聴いた彼が、― これを、白人の若僧が作ったのか……、と感慨深そうにもらしたらしい。
そこには、プロテストは、俺たちのやることだろうに、という矜持と義務感が読み取れるような気がする。
そのディランは、第4位に『Like A Rolling Stone』(1965年)によって、ランクイン。
アコースティックギター一本で時代を評して歌う自分、との訣別を宣言した曲、というのが僕の持論。
ローリングストーン誌のランク付けの姿勢は、単なる愛唱歌、秀歌の収集という視線ではない。
時代や音楽に対して、どれだけ革新的なアンセムであるか、あったか?、という目線が際立つ。
その立場をリスペクトしながらも、このランキングは、けっこう楽しめる。
そんなこんなで、第1位のアレサが、第3位に入ったサムの曲をカヴァーしているのを、ただただ聴いているのです。
では。