9月の雨、といえば。

年に二度ある雨季。

春のを梅雨と言い、今のを、秋の長雨、と日本では呼ぶ。

一日の中に、陽光があったかと思うと、雲がやってきて、サッと雨滴が降り注ぐのも、またいいものだ。

おまけに昨日は、無花果(いちじく)の熟したやつを樹からむしり取って、そのまま食す贅沢もできたことだし。

あと少し経って、キッパリと天が高くなる頃までは、一日の中に、夏のもえさしと雨と遠い野分が混じった日々を楽しもう。

9月の雨、といったら、ルノワール氏ならば、太田 裕美に決まっているんだろうけれど、僕の場合は〈September In The Rain〉なんだな、これが。

以前にもご紹介した憶えがあるやつを、再度。

実を言えば、由紀 さおりは、役者としてのほうが推しの萬年。

映画『家族ゲーム』(1983年公開、森田 芳光監督、松田 優作主演)で魅せた、母親(と妻) 役の演技、あれは秀逸だった!!

こんなことも、やっぱり書いたっけ?

では。

80年代も まんざらでない?

僕にあって。

1980年代は、J.D.サウザーの『You’re Only Lonely』(1979年8月リリース)で始まった。

このディケイド(10年間)については、その前の70年代に比べると、どうしても、停滞と保守化の年月のように思われて、あまり見るべきものもないような印象を持っていた。

この感じはこれからも変わらないだろうな、とは思うが、

『Just the Two of Us』(1981年2月リリース)といった曲を聴くと、80年代をあんまり悪くも言えないかなぁ?、という気持ちも湧いてくる。

曲が生み出されるのには時流の影響があるにせよ、出来た作品が良すぎた、ってことだけのことかも知れませんが。

では。

すべては 過ぎ去る〈All Things Must Pass〉

……、と言いながらも、次の世が在る、と思っている人がかなりの割合を占めるのが世界の民族のおおかた。

だから、彼等は、現世でおしまい、を信奉する極東アジアの某民族ほどには、この世の命に汲々としない、ように見える。

いや、もっぱら生物的な命に執着しているようなこのお国であっても、実際のところ……、

いまだ、検査によって判明した! 感染者数、死者数を、ルーチンでマジメに報道はしているが、保健所等のマンパワーも追いつかなくなっているらしくて、接触者の追究の範囲は、同居の家族まで、となっているらしい。

クラスター?、だから、どうしたの?、って話。

要は、言ってることは、仰々しく立派に見えて、その実、やってることは、いままでのインフルエンザと大して変わりないように、対応がだんだんと骨抜きになる。

なに、僕はそれを責めているのでは決してなくて、そうであって当たり前、いや、むしろ、どんどんそうすべき、と思っている派。

政治リーダーにしても、立場があるから深刻ぶって語っているだけで、およそ迫力もあったもんじゃあない。

処置できる医療機関を限定したままで、高波が来るたんびに、現場は大変だ、疲弊している、をいつまで繰り返すんだろう?

職場の同僚がふたり感染した、と聞いた。(で、ここ数日は離職)

発熱以外の詳細な症状は不明だが、結局は自宅療養であるならば、風邪や季節性インフルエンザと、対応のどこが違うんだろう?

あと何年後、生き残ったら、こっちを振り返って僕たちは、この3年越しの騒ぎを、どのように語っているんだろうか?

この曲だって、ジョージ ハリソン (1943 ~ 2001) が発表してから、51年。

半世紀なんて、過ぎてみれば、束の間さ。

では。

それでも 図書館は使える。

この前、某公共放送だったか、
熱中症対策として、涼しい図書館で過ごすのもひとつの手、とか言っていた。

そういう発想は、否定しない。

けれど、個人個人の都合を知らないでおいて、軽々に電波に乗せて、こういうアイデアを推奨するのは、マヅイでしょう。

僕が、個人的に友人に話すのとは、わけが違う。

誰もが、図書館の近くに住んでいたり、気軽に自動車などで移動できるわけでもないし。

炎暑の中、ライブラリーにたどり着くまでに体調に異変をきたしたりしたら、どうするの?

また、COVID-19感染防止のため、図書館によっては、滞館時間を、例えば 1時間程度に制限している場合もあるのだから、ダラダラと涼まれても困るだろう。

……ところで、このように他人の冷房の恩恵にあずかる場合は多く、開架図書、つまり、書棚に並んでいる書物を抜いて来て、どこかに座って見て時を過ごすことになろう。

けれど、僕のようにこの先短い年齢になると、ただ漫然と目についた本を手許に取って楽しむ、という時間が惜しい。

したがって、図書館には、あらかじめ読みたい書籍を確保するために出向くことがもっぱらだ。

だから、むしろ書庫に仕舞われてある本を調べ、それをオーダーすることが多い。

さらに、図書館の利便はもっと他にあります。

❶地元の図書館に所蔵していない書物であっても、それを所蔵する他の図書館から、〈現物〉を取り寄せてもらうことができる。

これを、図書館間貸し出し、という。

特に、郷土資料、特定地方の歴史を読みたい、なんてのには使える。

そのような書物は、館外貸出をしていないものが多いけれど、この制度を使えば、取り寄せてもらった図書館内での閲覧はできるし、(ルールに従った)複写が可能。

❷さらに、多くの(中央レベル)図書館は、国立国会図書館デジタルコレクションにへのアクセス権を持っているから、申請さえすれば、館内のパソコンに案内され、画面から簡単に、稀少な書物を閲覧、複写できるというわけ。(註:個人的にアクセス登録も可能)

上記❶❷については、相談窓口へ行って、その旨を尋ねてご覧なさい。

ほとんどの場合、親身になって対応してくれる(というのが僕の経験)。

これを、総じて、レファレンスサーヴィス、と呼ぶ。

以前、メールでもって、ある資料の所在有無などを尋ねたら、それに関し、丁寧な返事を手紙でもらった。

それくらい、少なくとも!!、長野県における司書の方々は、仕事熱心で礼深く、有能でいらっしゃる。

たとえ一時であってもですよ、職業的な専門家に、まるで、自分専用の秘書のごとくに働いていただく、ってのは、かなりの贅沢ではありませんか?

もちろん、そこには秘訣がありまして、当方も丁寧、かつ、平明に要件をご説明申し上げるのがコツ。

鐘は、叩き方次第で、美しい音も出すし、不快な音で鳴ることもある、ってことです。

……、しかしです。

マイルスデイビスのトランペットは、いつ何時聴いても、陶然となりますね。

これ、1952年あたりの録音。

いまから 70年前ですぞ。

だから、それがどうした?(So What ?)、でいいんですけどね、これも、図書館から借りているんです。

では。

夏の 往来。

居残らない者、なんて題名が、そもそもいけなかった……。

記事を投稿したその日に、#5 前 貴之 が、レノファに完全移籍とは。

3年ぶりに、山口に復帰。
レノファは今季、決して楽なリーグ戦を戦っているわけでもない。

だから、かなりのチャレンジを引き受けたね、前よ。

来季、2部リーグで再会したいプレイヤーが、またひとり増えた。

で、昨日は、熟年のご婦人3人から相次いで、その移籍に絡んで、落胆の声を聞くはめに。

あぁ夏に来て、また夏に去る、年増ゴロシの 良い男。

ふざけた都々逸で、喪失感をイナてみても、歌われることのなかったチャントが切ない切ない。

夏の移籍期間で、実質的なアウトが、これで 5名。

このくらいの員数を出して、所帯を整えるかな?、と思っていた。

ただ、加入が、たとえ、ひとりくらいあってもいいか?、と。

でなけりゃ、〈往来〉(行ったり来たり) の二文字が成立しなくなる。

指揮官が、誰かに声掛けしている、とか、勝手の妄想を、許してもらいたいものだ。

けれど、本日12日で、ウインドウは閉じる。

さてさて。

ついでに、すこし早いけれど、逝く8月を惜しみながら。

では。