
塩尻図書館へ行ったら、ブックマークをもらった。
連れていた幼児にもおごってくれたから、ずいぶんと得をした気分。
久しぶりにキース ジャレットでも聴こうか、とCDを借りて、いま車中で流している。
今日の富山へは、これを聴きながら、ゆったりと静かに、安房峠を越えるとしよう。
熱くなるのは、スタジアムだけでいい。
とは言いながら、最近はもっぱら、ブラッド メルド― を聴いている。
ここでは、ビートルズのナンバーをカヴァーした『Golden Slumbers』を。
では。

塩尻図書館へ行ったら、ブックマークをもらった。
連れていた幼児にもおごってくれたから、ずいぶんと得をした気分。
久しぶりにキース ジャレットでも聴こうか、とCDを借りて、いま車中で流している。
今日の富山へは、これを聴きながら、ゆったりと静かに、安房峠を越えるとしよう。
熱くなるのは、スタジアムだけでいい。
とは言いながら、最近はもっぱら、ブラッド メルド― を聴いている。
ここでは、ビートルズのナンバーをカヴァーした『Golden Slumbers』を。
では。

ドリフターズ (The Drifters) とは、流れ者、漂流者、という意味。
けれど、あのグループには、そういった悲壮さ、吹きだまり人生の敗残感はなかった。
〈毒〉のない笑いだから、(小中学生に) オーっす、の挨拶で通用してた。
平凡な中年男を演ずる坂上 二郎を、ステージの端まで追いかけて行って足蹴りを入れる、不良青年役の萩本 欽一。
こっちのほうには、スネたような毒が満載で、僕の趣味には受けました。
息もつがずにあくせくと、忙しく生きる。
だからこそ、たまには、ホッとする生活。
ま、最近は、自分を追い込むことから逃げているから、おかげで、ホッとする瞬間に乏しいうらみもあったりで。
こんな曲を聴きたくなるほどに、熱心に生きなくては。
『Drift Away』(1972年発表) 。
漂いつづけて
だんだん こんがらがっちまった
降りしきる雨をとおして 灯りを見てるようさ
なんとかモノにしたいのに
このストレスを 一体どうしたものか
時間をムダに費やしているように思えてくる
やってることが わかっちゃいないんだ、と
外の世界が いやに辛く見えるんだ
なぁ、やり抜くために 力を貸しちゃあくれないか
そのビートだよ、僕のこころを解き放ってくれるのは
ロックンロールに浸って 漂いたいのさ (☜2行 繰り返し)
こころが自由を感じた時には
メロディーが 僕を突き動かすだろう
憂鬱になったら
ギターの音色が 慰めてくれるだろう
喜びをもらえて 感謝してるんだ
僕は 君の歌を 必要としていて
リズム、韻、ハーモニー
そのすべてが 僕を強めてくれる ってね
良曲ゆえに、多くカヴァーされていますが、今回は、リンゴ スター&錚々たるメンツで。洒落た編曲です。
では。

久しぶりにお店に並んでいたと言って、家人が買い求めた、山形村の、高崎 寛之さんが出荷しているシラヒラタケ。
一昨日は、それを煮込んだシチューを夕食にいただいた。
で、おなじ苗字の女性が、柳ジョージの『コインランドリー ブルース』(1985年発表) をカヴァーして、You Tube 動画に投稿しているのに気づく。
けっこうお若い御方と拝察するけれど、よくもまぁ、こんな(失礼!)歌をご存知のことで。
なかば埋もれた曲を、しかも、女声で聴けるとは、なんという望外なことか。
たまには、こういう事が起きてもいいよね。
では。

〈戦争〉の反対語として、〈平和〉が在る思考態度。
80年くらい前の4年間で、あれだけ徹底的に粉砕され、武装解除された記憶があれば、仕方がなかったかも知れないが、
要は、平和を語る際には、対極として戦争というものが必ず持ち出されてくる現象が、そろそろ不思議に思われてもいいんじゃあないか?
戦争が無ければ平和、というのも、ひどく乱暴な話でしてね。
戦争の反対語は、せいぜい、〈和平〉、すなわち、戦争を終わらせるための行動、に過ぎない、というのが今日の主張です。
『パリス、テキサス』(監督 ヴィム ヴェンダース)は、1984製作の 仏独合作映画。
題名は、テキサス州にある街パリス、に由来するので、パリス、と英語読みするのが適切。
ただし、日本では、もっぱら〈パリ、テキサス〉で通る。
或る家族の離散と、再会、そして……、を描く旅物語。
僕にとっては、作品そのもの、脚本(サム シェパード)、演出、撮影、音楽(ライ クーダー)、役者(ハリー ディーン スタントンら) のすべてが良く出来た映画。
こういう主題に触れてこそ、(あえて格好をつければ) 平和、なんてものを考えさせられる。
作品の冒頭、クレジットの文字が、鮮やかな赤であるところなんか、フランス映画の匂いがして、実に美しい。
では。

米映画『真夜中のカーボーイ』(監督:ジョン シュレジンジャー) は、日本では、1969年10月18日に公開された。
今頃の季節に。
僕は、かつて縄手に在った松本中劇で、この作品を観た憶えがある。
年齢的に、封切りではあり得ないはずから、おそらくはリバイバル上映だった。
街角の広告看板のデザイン(写真)から、てっきり西部劇と思って入った、というのは前にも書いた。
題名が、カウボーイでなく、カーボーイとなっているから、そこで気づけばよかったんだが、これ、現代のニューヨークで生きる青年ふたりの物語。(ただし、車絡みの内容でもない)
おかげで、このころ売り出し中の、ダスティン ホフマンの演技をはじめて、ティーンエイジャアの時季に観られたのは儲けもん、だったと思っている。
映画を観た後、三日は、劇中では足の悪い設定の、ダスティン ホフマン風の歩き方を真似ていたくらいでしたから。
リアルタイムで、その役者の旬につき合えるのは、キネマファンにとっては至福なこと。
ストーリーは、都会(ニューヨーク)の底辺で、売春夫とそのポン引き稼業をしてでも生きていこうとする二人組(ジョン ボイドとホフマン)の、なんともやるせない話。
そこへもって来て、実に軽妙で明るい曲調のカントリー『Everybody’s Talkin’』(by ハリーニルソン)をサウンドトラックで使う、っていうのが、実に洒落ていて、そういうところに〈ニューシネマ〉の皮肉な主張があった、と評論家風に言っておこうか。
では。