希望の花、淡い追憶。

1890年の2月。

サン レミに在った精神病療養所で生活を送っていた、フィンセント ファン ゴッホ (1853~1890年)に、弟から一通の手紙が届く。

生れた長男には兄と同じ名をつける、という文面。

ゴッホはすぐに、新しい画の制作に取りかかる。

画家自身が、快作と認めたこの画は、弟家族に贈られ、

現在は、ゴッホ美術館(@オランダ)が所蔵する。(サイズ73.3㎝×92.4㎝)

蒼空を背景に、アーモンドの樹と、その枝に咲く薄紅色の花。

ヘブライの伝統では、アーモンドは、春一番に咲くことから、〈先駆け〉の表象を与えられている。

療養所から眺める風景の中に、たまたま花を咲かせたアーモンドの樹が在って、ゴッホが、それを題材に選んだに過ぎない、とは思うが、

通俗な評論はきっと、甥っ子の誕生と命名に、

希望と喜びを感じたゴッホが、春の誕生のシンボルであるアーモンドを選んだ……とでも、こじつけるだろう。

実は。

拙宅の庭にも、アーモンドが植わっていて、この7日に開花。

花より団子好みの僕のことゆえ、種子、すなわち、アーモンドの実がなったら食してみるじゃん?、と家人に提案した。

すると、

― 日本で売られている苗は皆、ビター(苦い)種で、その実は有毒、と聞いたよ、とのご返事。

猛毒らしいから、さすがの僕も、ただただ、樹と花を眺めるだけの日々を送っているのです。

こんな曲でも聴いて……。

ユタ ヒップ(1925~2003年)は、ドイツ出身の女性ピアニスト。

なかなかの味わいですよ。

曲は〈Dear Old Stockholm〉(1956年のライブ収録)

では。

ジャズで聴くのも、またよろし『The Weight』

『The Weight』は、The Band (バンド名)が、1968年に発表した曲。

人生、ってやつは、重荷を背負っていくようなもの、といった内容を、

バイブル(新約聖書) を想起させる場所や人物が登場する歌詞に乗せて、歌う。

西欧人にとっては、ごくお馴染みな光景が浮かぶシカケ。

もちろん、そこらに疎い東洋人が味わえないはずもないから、堂々賞味すればよい。

でなけりゃ、あたしゃ無神論者、とシャアシャア言ってのける日本人のメンツが立ちませぬ。

今回は

モリ― ミラー トリオが、ジャズとして演っているインストルメンタルのカヴァーで。

ドラマーとベーシストが、やおら後方から加わるのが、お洒落な演出。

こういうのは、好きです。

では。

四月になると。

……僕は王子ではないけれど、アイスクリームを召し上がる……、

そんな歌の詩が、なぜか、頭の中でくりかえし再生される日。

いくら考えたって、知ることはできない

知らないことに関しては、問うことはできない

……こんな真理が、わかってきたような気がしているが、それとて錯覚かも知れない。

アレサ フランクリン(1942~2018 )の歌唱には、いまさら舌を巻かされるけれども、こんな曲に、ほっとするこの頃だ。

四月、恋人が……

四月。
恋人が 現れる
川の流れが増して  雨でうねる頃に

五月。
恋人は とどまっている
僕の腕を枕にして

六月。
恋人は 変調をきたす
たえまなく 夜にさまよって

七月。
恋人は  飛び立つ
なんの前触れもなしに

八月。
恋は 尽きてしまう
秋風が 冷たく 寒く吹く中で

九月。
僕は  思い至る
新鮮だった愛が いまは 老いてしまったのを……

〈April Come She Will〉は、ポール サイモンの作詞作曲による(1966年発表)。

では。

週末が,またやって来る 『Another Saturday Night』 

サム クックが、1964年に発表した曲。

今から、60年前に作られた作品を、

クラシックなポップス、として聴いている僕は、もはや、古色蒼然、クラシカルな人間だ。

他愛もない歌詞、軽妙な旋律と、テンポの良いリズム。

それらの絶妙なマッチングに、自在な歌唱を乗せる。

天才を感じさせます。

(サム クックに、ハズレはないんですけどね。)

……土曜日がまた、やって来ても、

僕には、誰もいやしない

給料出たばかりで、金なら自由になるんだけれど

話し相手がほしいのに、なんともヒドイ過ごし方。

ひと月前にここへ来て、たくさん女をみたけれど

ひとりもモノにできないのが、いまの僕の境遇なのさ。

ともダチのひとりが 俺には美形な妹があってな、と

会ってみたら 僕には無理だ その妹、

フランケンシュタインという名の猫にそっくりなんでね。

自分のまわりが見えない奴には タフな世だが

カネを使いたくなるような女に 逢えないのなら

この街を吹っ飛ばしてやるさ。……

と言う訳で、今日は、もう週末。

では。

『焦がれる心』。

きのう、帰宅するなり、家人が、

― 京子さん(仮名)からのライン、
いつも唐突で、こっちが(情報を)知っていて当たり前、と思っているんだから、と少々おかんむり。

許可を得て、メール文面をのぞくと……、

☞ 反さん 心のかたすみでちょっと期待していた、寂しい

☞ 清水出身だもんね 仕方ないか 反さんバイバイ

☞ 清水GM

……ほお。

でも、これだけでも、事情はだいたい察せられた。

京子さんは古参サポーターのおひとりであるから、仲間内のネットワークで想いも共有しているはず。

恩義の有る人々をいつまでも大切にする気持ちは、山雅ファン&サポーターの徳性だろう。

でも、僕には、いささか未練がましくて、鼻につく。

まるで、(Jサポーターとして) 幼いころに罹った水ぼうそうのウイルスが、また活発になる帯状疱疹みたいなもの、と思う。

聞くところだと、このウイルスは、ふだんは神経節に潜んでいて、宿主の免疫力が衰えると、元気になるらしい。

(註☞ 反町氏にとっては、過去にないほどに資金力が潤沢なクラブ、けれど曲がり角に来たチームでの仕事で、チャレンジ豊富だろうし、純情なエスパルスファン&サポーターのことゆえに、歓迎されるだろう)

で、免疫力の落ちた?山雅ファン&サポーターには、この曲をプレゼントします。

『Hungry Heart』(焦がれる心、1980年発表、ブルース スプリングスティーン作詞作曲、歌唱)

……ボルチモアでは、女房や子どもと暮らしてたよ、ジャック。
僕は ふと車で出かけると、戻ることもしなかった
どこに流れていくかも知らない河のように
間違った道だった けれど 僕は 進むだけ。

誰もが 焦がれる心で 暮らしてる
金をためて 自分の役割を果たしはするが
誰もが 飢え乾いた心で暮らしている。

女とは キングストンの とあるバーで遭った
恋仲にはなったが かならず終わる とわかってた
持ち物を そっくり分けて さようなら
で、いま キングストンに舞い戻ったってわけ

誰にも ホッとできる場所が 必要
誰もが ホーム ってやつを求めてる
誰が なんと言おうと違いない
ひとりぼっちが好きな奴など いやしない……

けっこう重い歌詞を、底抜けに明るい曲調に乗せて、一気に放つ。
スプリングスティーンが、愛される理由が、ここに在る。

では。