国民的大歌手を,おとしめる?

僕の助手席に座った者は、否応なく、CDを聴き続けるハメになる。

マイルス デイビスの『’Round About Midnight』(アルバム,1956年発表)を流しておいたら、

隣の小学一年生が、曲のいわれを訊くので、

ジャズの美しさ、即興演奏の緊張感や、自在性、などについて話をすると、

その子、曲想から思いついたか、『お祭りマンボ』(1952年発表) の一節を、突然口ずさむ。

運動会の演目で、この曲に乗せてダンスをやって以来、お気に入りのご様子。

曲名の前には、必ず〈美空ひばりさんの〉とつけるところが、面白い。

この子にとっては、その存在がおぼろであるからこそ、さん付けで呼ぶんだろうか。

君と同じくらいで、歌手としてはじめて(9歳)、

子どもらしくない上手さだったこと、この曲は 15歳の時のもので、

30年くらい前に亡くなった、などと話す。

……たしか、死後、国民栄誉賞が授与されたんだった?

だから、史上、国民的な人気を誇っていたんだろうが、

僕は、世代的になのか、あまりこの人の歌唱に、こころを揺さぶられた記憶がない。

そもそも、一緒に時代を生きた、といった感覚がまるでない。

早熟な上手さは認めるが、年齢を重ねた〈深み〉は身につけないまま逝った歌い手のように思う。

僕の世代感だと、ココロに訴えるにおいては、藤 圭子が格別に良い。

で、日頃、その子が、けっこう助手席に居ることが多いから、

今は、心静逸にと願い、

ジャックジョンソンのアルバム『In Between Dreams』(2005年発表)をかけて、

オアフ島(ノースショア) に住んでいれば、こういう曲が生まれるのかなぁ?、と会話しています。

では。

ウインストン氏を偲び、ふたたび。

いままでも、当ブログで採り上げた、

ジョージ ウインストン(1949~2023.6.4)。

アルバム『December』(1982年発表) 中の曲、

〈カノン(パッヘルベル)、ひとつの変奏〉は、

原曲に、リズム&ブルースの、上品な味付け(アレンジ)を加えているため、

僕の耳には、かなり親しく好ましく入ってくる。

で、今回は、その原曲(通称 Canon in D) を、

作曲者ヨハン パッヘルベル(1653~1706) が活躍した、バロック中期に近いとおもわれる様式で。

3つのバイオリンによる追っかけ演奏と、繰り返される低音。

そんな形式が、とてもわかりやすい演奏。

彼が亡くなった年、それも、ディッセンバアにじっくり聴くのは、もってこい。

去年は、ジャズ畑のピアニスト、ビージー アデル (1937~2022.1.23) が逝き、

今年は、ウインストンが……。

時が経つ、というのは、訃報が、周りにどんどん降り積もることなんだな。

では。

そういえば,そうだった。

定年で退職となったが、

今だけ、繁忙期のアルバイトで勤めているカサイ氏。

彼と、雑談していたら、

― 昔は、傘のことを、こうもり、と言ってたよね。
小学校の頃、非常用として学校に備えてあったのは、番傘(唐傘)だったっけ。

古い古い記憶が、忽然と蘇えるような気がして、なんとも不思議な心持ち。

こうもり……、か。

そのカサイ氏の口から、

『けんかえれじい』(1966年公開、鈴木 清順監督、脚本新藤 兼人)が出た時には、もっと、驚愕してしまった。

― 高橋 英樹の出世作だよね、それまでは任侠物が多かったけど。

この作品、ロマンティックな青春物だが、強引でデタラメな筋(北 一輝が登場したりする)が破天荒で、

日本では、カルト(=熱狂的な支持を得ている)映画のひとつだろうが、

僕は、劇中、主人公(高橋)に、喧嘩の極意を伝授する役の、川津 祐介(1935~2022年)を推します。

その僕は、いたって軟派ではあるけれど、

直球勝負の、剛直で、痛快さの迫力、といったもの。

時には、そんな心情に身を置きたくなります。

歌唱でいえば、レイニーウッド(バンド名)の解散コンサート(1981.12.19)における、

柳ジョージのそれが、ピッタリくるだろうか。

歌詞にある、〈PX〉は、ご幼少の僕には、けっこう馴染み深い言葉だったこともあって……。

では。

広報まつもと,の話。

ルノワール氏が、

― 広報12月号のおかげで、知人から、SNSでたよりがずいぶん入ってね、

と、まんざらでもなさそうに言うので、

ははーん、松本マラソンのワンショットにでもお目見えか?、と思ったら、そのとおり。

出張所でもらって来て開いてみると、

隣にご婦人、ふたりで並んで、カメラに笑ってらっしゃっる。

聞けば、彼女は同い年。

年齢別(女性)のディビジョンでは、4位入賞の実力者。

― そうなの?、一見、娘さんと一緒で、と思ったよ。

と、あやうく口から出るのを、グッと押し込んだ次第。

平和なことでメディアに載ったのだから、まことにご慶賀の至り。

そこで。

ルノ氏お気に入りの、オフコースのベスト(萬年によれば)、

『眠れぬ夜』(by 山本 潤子 カヴァー)をプレゼントしよう。

原曲を、思いっきりスロウテンポに歌っていて、これも面白い。

では。

不変は,普遍。

ウディ ウー(Woody – Woo)

『今はもうだれも』(1969年7月発表、英題 Let Me Alone) の、

(レコード)ジャケット写真をみるにつけ、

男の服飾は、時代を経ても、そうそう変わっていないよなぁ、とつくづく思う。

まぁ、僕が見聞きするのは、ここ100年足らずの変遷に過ぎないんですがね。

このトリオ、

立命館大、同志社大の学生が結成した。

ゆえに、アイビーリーグ界隈のアメリカントラディショナルを着込むのは、

時代の流行りの中では、アタリ前だったんでしょうが、

いまだ、古風なアメリカのファッションが生き延びているのは、僕にはありがたいことです。

なぜなら。

装うことにおいて、そこには基本ルールが在るから、組み合わせに悩まずに済む、といったきわめて、消極的な理由。

では。