ジャズで聴くのも、またよろし『The Weight』

『The Weight』は、The Band (バンド名)が、1968年に発表した曲。

人生、ってやつは、重荷を背負っていくようなもの、といった内容を、

バイブル(新約聖書) を想起させる場所や人物が登場する歌詞に乗せて、歌う。

西欧人にとっては、ごくお馴染みな光景が浮かぶシカケ。

もちろん、そこらに疎い東洋人が味わえないはずもないから、堂々賞味すればよい。

でなけりゃ、あたしゃ無神論者、とシャアシャア言ってのける日本人のメンツが立ちませぬ。

今回は

モリ― ミラー トリオが、ジャズとして演っているインストルメンタルのカヴァーで。

ドラマーとベーシストが、やおら後方から加わるのが、お洒落な演出。

こういうのは、好きです。

では。

四月になると。

……僕は王子ではないけれど、アイスクリームを召し上がる……、

そんな歌の詩が、なぜか、頭の中でくりかえし再生される日。

いくら考えたって、知ることはできない

知らないことに関しては、問うことはできない

……こんな真理が、わかってきたような気がしているが、それとて錯覚かも知れない。

アレサ フランクリン(1942~2018 )の歌唱には、いまさら舌を巻かされるけれども、こんな曲に、ほっとするこの頃だ。

四月、恋人が……

四月。
恋人が 現れる
川の流れが増して  雨でうねる頃に

五月。
恋人は とどまっている
僕の腕を枕にして

六月。
恋人は 変調をきたす
たえまなく 夜にさまよって

七月。
恋人は  飛び立つ
なんの前触れもなしに

八月。
恋は 尽きてしまう
秋風が 冷たく 寒く吹く中で

九月。
僕は  思い至る
新鮮だった愛が いまは 老いてしまったのを……

〈April Come She Will〉は、ポール サイモンの作詞作曲による(1966年発表)。

では。

週末が,またやって来る 『Another Saturday Night』 

サム クックが、1964年に発表した曲。

今から、60年前に作られた作品を、

クラシックなポップス、として聴いている僕は、もはや、古色蒼然、クラシカルな人間だ。

他愛もない歌詞、軽妙な旋律と、テンポの良いリズム。

それらの絶妙なマッチングに、自在な歌唱を乗せる。

天才を感じさせます。

(サム クックに、ハズレはないんですけどね。)

……土曜日がまた、やって来ても、

僕には、誰もいやしない

給料出たばかりで、金なら自由になるんだけれど

話し相手がほしいのに、なんともヒドイ過ごし方。

ひと月前にここへ来て、たくさん女をみたけれど

ひとりもモノにできないのが、いまの僕の境遇なのさ。

ともダチのひとりが 俺には美形な妹があってな、と

会ってみたら 僕には無理だ その妹、

フランケンシュタインという名の猫にそっくりなんでね。

自分のまわりが見えない奴には タフな世だが

カネを使いたくなるような女に 逢えないのなら

この街を吹っ飛ばしてやるさ。……

と言う訳で、今日は、もう週末。

では。

『焦がれる心』。

きのう、帰宅するなり、家人が、

― 京子さん(仮名)からのライン、
いつも唐突で、こっちが(情報を)知っていて当たり前、と思っているんだから、と少々おかんむり。

許可を得て、メール文面をのぞくと……、

☞ 反さん 心のかたすみでちょっと期待していた、寂しい

☞ 清水出身だもんね 仕方ないか 反さんバイバイ

☞ 清水GM

……ほお。

でも、これだけでも、事情はだいたい察せられた。

京子さんは古参サポーターのおひとりであるから、仲間内のネットワークで想いも共有しているはず。

恩義の有る人々をいつまでも大切にする気持ちは、山雅ファン&サポーターの徳性だろう。

でも、僕には、いささか未練がましくて、鼻につく。

まるで、(Jサポーターとして) 幼いころに罹った水ぼうそうのウイルスが、また活発になる帯状疱疹みたいなもの、と思う。

聞くところだと、このウイルスは、ふだんは神経節に潜んでいて、宿主の免疫力が衰えると、元気になるらしい。

(註☞ 反町氏にとっては、過去にないほどに資金力が潤沢なクラブ、けれど曲がり角に来たチームでの仕事で、チャレンジ豊富だろうし、純情なエスパルスファン&サポーターのことゆえに、歓迎されるだろう)

で、免疫力の落ちた?山雅ファン&サポーターには、この曲をプレゼントします。

『Hungry Heart』(焦がれる心、1980年発表、ブルース スプリングスティーン作詞作曲、歌唱)

……ボルチモアでは、女房や子どもと暮らしてたよ、ジャック。
僕は ふと車で出かけると、戻ることもしなかった
どこに流れていくかも知らない河のように
間違った道だった けれど 僕は 進むだけ。

誰もが 焦がれる心で 暮らしてる
金をためて 自分の役割を果たしはするが
誰もが 飢え乾いた心で暮らしている。

女とは キングストンの とあるバーで遭った
恋仲にはなったが かならず終わる とわかってた
持ち物を そっくり分けて さようなら
で、いま キングストンに舞い戻ったってわけ

誰にも ホッとできる場所が 必要
誰もが ホーム ってやつを求めてる
誰が なんと言おうと違いない
ひとりぼっちが好きな奴など いやしない……

けっこう重い歌詞を、底抜けに明るい曲調に乗せて、一気に放つ。
スプリングスティーンが、愛される理由が、ここに在る。

では。

インターネット時代ゆえの孤立、

というか、蚊帳の外に身を置く、といった趣きのお話。

東京へ行って電車に乗ったりすると、車中の約9割くらいは、

思いつめたような顔で、じっとスマフォに見入っている、あの有り様。

僕にとっては、ほんと、ゾッとする光景で、

こういう景色に囲まれる日常ならば、すぐに、そこから降りてしまいたくなる。

といっても、ウェブでつながる世界からは、恩恵も得ているので、ますます逃げ出せなくもなる。

新聞は止めて久しく、週刊/月刊誌には、最近とんとご無沙汰。

給油待ちのガスステーションの待合で、手に取るばかり。

TV画面にしたって、出勤前の、時計代わりにぼうっと見るくらい。

他方。

日々起こる出来事を、丹念にインターネット上で捕捉しようともしない。

おかげで、小澤 征爾氏のご逝去を、一週間ほど経ってから、知った。

個人的なつき合いもない御方なので、訃報を逃がして日を重ねても、別にどうってこともないけれど、

小澤氏が、松本の街を本拠に、ずっと定期的な公演を持ってくれたおかげで、

ふさわしい会場としての、市民芸術館も成ったわけだから、

あれだけの、にぎにぎしい新体制発表会を観られることについては、

山雅ファン&サポーターとして、

氏に、深く感謝しなければならない、と思う。

享年88。

ご冥福をお祈りします。

なにか曲を、

で、ブルーベックとデズモンドによる演奏。(jazzです)

鳩が、青く見える、からの、タイトルなのかしら?

では。