アマチュア菜園作業者の 憂鬱。

野や畑に入る者にとって、

なにが、不快で、鬱陶しいか、と言えば。

植物の多くが、鋭いトゲや、茨(いばら)を持っているということ。

茄子、きゅうり、オクラ、南瓜……。

そのヘタに、実の表面に、つるや葉の周辺にと、挙げたらまったく切りもない。

迂闊に触れて、微小なトゲが手にささろうものなら、

抜くのに手間取り、実に、厄介。

たしか、庭か畑で刺して、おととしは、どうしようもなくて皮膚科に行った。

……ふたたび、バイブル(旧約聖書) を引き合いに出せば、

人間が、エデンの園を追放された際、

神は人に言われた、

地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ。……とある。

人は、智恵を授かった代償に、自分の周囲でたやすく、トゲといばらと出逢うようになった。

これが真相でよい、と僕は思う。

なぜに、植物にはトゲやイガがあるのか?

巷間、書物には。

なぜなら、外敵(動物)から身を守ったり、モノに引っ掛かって成長するため、と平気で書いてある。

しかし、考えても御覧なさい。

植物に、防衛とか、他への寄りかかりとかいう〈意思/意欲〉を認めること自体が、

科学では認めにくい霊魂論であって、(☜ この部分は、機会あれば追補します)

全能者(=神)が、地を変えたという聖書の主張と、そうは変わらず、

そこを、僕らは、よく考えもせず、素通りしているに過ぎない。

では。

天邪鬼は こう思ふ。

― あなたは、いっつも!、あたしの意見を否定するところから入るわね。

と、手厳しく言われ続けている。

僕としたら、

それって、アタリマエのようでも、ちょっと吟味してみないか?、の心算で立ち止まっているのだが、

相手がハローと言ったら、グッドバイ。グッドバイで、こっちは、ハロー。

☞ よって、アマノジャク、という烙印。

……さて。

伊豆半島の東海岸に住む方々は、よほど清廉潔白な人生を歩んできたためであろうか、

清廉潔白を、他の人にも求めて果てしない。

多くの者に、

咄嗟のウソや、誤判断にしがみついたあげく、窮地に立つか、

はたまた、生涯そのことを想いだしては、苦い思いの経験があるのでは?、

と、そんなことのきわめて多い僕は、決めつけている。

小学校の 4、5年のこと。

教室に落ちていた鉛筆を、自分のモノと名乗り出る者がなかったばかりに、

担任がクラスひとりひとりの筆箱を調べ、トコトン犯人捜しをしたことがある。

……結果、僕がその当人ということで、ずいぶん叱責を受けたのだが、

子供ごころに、変につまらんことに執着する奴だ、と教師を哀れに思った。

昔から、教師を敬わないために、彼等から敵視されることが多かったのは、

僕の弱点(例外的な教師もいる)。

本塁突入の決意をした者に対し、ホームベースの一角を開けられないような人格は、指導者になっちゃあいけません。(萬年語録より)

学歴を詐称することは、よろしくないこととは思うが、しかしそれを、

ああだこうだ言うのは、学歴を、よほど偏重する者だろうし、

僕なんか、大学なんか出ていなくたって、首長になれるというのは、

誇るべき希望のひとつではないか、と思っている。

こういうのはですね、誰かが、本人を舞台の袖にでも呼んで、

つい、口から出てしまったのだろうがさぁ……適当な詫びでも入れとけよ、

と諭して、事態を、周辺の皆で、ウヤムヤにしてしまって(収拾)、

早く、次に進んだらどうだろう?、時間と経済と労力のために。

世の中、もっと大切なことが、いたるところでウヤムヤにされてますぜ。

……以上、マジメな向きからは、決して是認されぬこと請け合い……ね。

では。

僕らは 誰なのか?

昔、中学生の頃、

(当時、セザンヌとゴーギャンがもっとも好きな作家だった)

ゴーギャンの画のひとつ(1898年頃の完成)に、

〈我々はどこから来たのか  我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉

とタイトルがあるのを知った。

横長の画面の中央には、半裸の女性が立つ姿が描かれ、

その両手を頭上に伸ばして樹から果実をもぎろうとしている。

……さて。

バイブル(旧約聖書)の記述には、

人間(の始祖)が、神と共に、エデンの園に住めなくなったのは、

善悪を知る木の実(食するのを神が禁じてあった)を、食べたことで、

智恵を獲たため、とある。

この箇所だけでも、聖書はたいそう洞察力に富むが、

これがまこと、とすれば、

全人類は、せいぜい小学校に入るころを境に、

神と一緒に暮らす特権を失う。

この年齢あたりから、

悪いこと、良いことの判断を身につけて生きるからだ。

動物以上、けれど、神(絶対的な全能者)未満(になれない)の、人間には、

けれど、智恵、すなわち、考える力(悟性とも判断力とも) が与えられていて、

この能力を、武器として、意識的に最大限使うしかないべぇ、と作りあげてきたのが、

ここ数世紀の西欧の学問と文明であって、

日本も、江戸時代を終わりにして150年このかた、この潮流に乗っかっている。

夏目 漱石は、どこかで、

西洋が100年かかってやってきたことを、明治は 40年で繰り返している、と書いた。

漱石の感想(の中身)を、それからの100年の中で、

日本人は、トコトン吟味してこなかった、というのが、僕の感想……。

では。

行き当たりばったりの悦楽。

古道具屋、古書店、中古家具屋を、たまに観てまわるのが好きでして。

といっても、地方の街には、わずかな軒数ゆえ、

それも、年々減っているから、いつまでそんな楽しみが残るのやら、と思う。

新品を扱う店舗と違い、

中古を商うお店をひやかす愉しみは、なんといっても、

或る時、其処に行ってはじめて、おっ、これは、というブツにお目にかかれること。

こんなの喜ぶの、俺以外にいやしないだろう、という気分でする買い物こそ嬉しけれ、だ。

先日、中古CD屋さんで、

フィル スペクターが制作にかかわった(プロデュース)作品を集めた 2枚組を見つけた。

1958~1963年の、キャリア初期のやつを集める。

ノート(解説)も無し、そっけない装幀の輸入盤。

Be My Baby (ロネッツ)が見当たらないのが、玉にキズだが、

To Know Him Is To Love Him は、収まっているから、十分楽しめる。

で、萬年式ノートを添えておこう。

…… 2021年1月16日、カリフォルニア州の病院で、

第2級殺人罪(禁固19年)で収監されていた、ひとりの受刑者が、

COVID-19の合併症でこの世を去った。

享年 81。

かつて、ポピュラー音楽のプロデューサーとして、ひとつの時代を代表したこの老人の名は、ハーヴェイ フィル スペクター ……。

アルバム『Let It Be』(1970発表) の制作をフィルに頼んでおきながら、

自作『The Long And Winding Road』に施された編曲が気に食わないばかりに、

後年、ビートルズのメンバーに同意させて、

『Let It Be … Naked』(2003年)を発表したのが、ポール マッカートニー とか

 

……このCDでは、ルース ブラウン歌唱の Anyone But You が好きだ。

では。