昭和100年,と言うのなら❶(時にはマジメ)

誰の言葉だったか、

― 歴史を学ぶと、人が、いかに歴史から学んでいないかが知れる。

学校で習う〈歴史〉は、

なぜ?学ぶのか、の説明もなければ、

まして。

おおくは、テストや受験のための知識の暗記に過ぎないから、

少年が、歴史からなんらかの将来的な指針など探せなくて、当たり前な日本。

大人になればなったで、歴史上のスキャンダルを安直に楽しませるよう、メディアが誘導してくれる世だ。

さて、その歴史。

昭和は、その元年が、大正天皇が亡くなった1926年12月25日から1週間のみ、という変則的なスタートを切ったが、

来年は、昭和100年でくくられる時季にあたる。

1世紀、と言われると、あぁ、長大な時間、と思われる。

けれど、

今40歳の人なら、これまでの人生の 2.5倍、50歳ならば、2倍。

自分の人生が、今日まで長すぎてしまい飽いてしまった人なら別だけれど、

要は、束の間のことに過ぎないのです。

で。

昭和時代を、最初の20年と、その後の80年を区分、区別して観方が、特に、〈戦後生まれ〉の僕らにとっては親しい。

たしかに、敗戦による武力放棄(その後修正された)と、絶対天皇制(の国家秩序)の廃棄は、相当大きな変化を、この国に与えた。

けれど、僕は、むしろ、変化しなかったことが大きくて、しかも、そこにキチンと目を向けないことが ここ80年間続いていて、

そのことが、僕らの歴史認識をオカシくしていると思っている。

 降る雪や 明治は遠くなりにけり

これは中村 草田男が、昭和6 (1931年)に作った句。

時間的にいえば、明治が終わってから、20年ばかり経った頃だ。

その20年間が、どれほど中身の詰まったものかは知らないが、

たったの20年前を、遠くなった、と感慨するのは、チト早過ぎないか。

そのヒントは、当時草田男が、30歳そこそこだったことにあろうかと思います。

青春晩期は、老いた感傷が押し寄せもするもの……。

まぁ、それは置くとして、

たかが20~30年前を懐古するほど、日本人は忙しいのか?、我慢ができないのか?

どうなんでしょうね、いまや、多くが80歳まで生きてしまうのに。

では。

市職員は有能であるか?

少なくとも。

先日、僕が、電話で話した市役所(たしか保健課) の担当者は、

かなり優秀で、信に足りる御方でありました。

マイナンバーカードの、電子証明書の更新案内(封書)が、市民課から届いた。

その件は、窓口へ出向いて手続きをすればいいとして、

これを機に、医院の窓口でもらった、厚生労働省のペラなチラシ、

〈本年12月2日から現行の健康保険証は発行されなくなります〉の内容が、

僕のアタマでは、なんとも理解しがたいので、市役所に訊ねてみることにした。

要は、来月以降、医療機関に行って、僕がやること、って何なんだ?、を。

電話口に出て下さったご担当の回答は、次のとおり。

そういう問い合わせはずいぶんある、と前置きして、

……マイナンバーカードを持参して、窓口に置かれたカードリーダーにカードを読ませ、

自分で〈暗唱番号〉(4ケタ)を画面に打つと、

カードを通じて、当人の健康保険加入の情報が閲覧できます。

受診した医療機関は、その情報で、診療報酬を、 保険者と、当人(被保険者)に請求します……。

なーるほど。

僕にとっては、平明かつ、実に、わかりやすい説明であったのだが、

これこそ、

他の人に、小学生でもわかる用語でシンプルに伝えられるのが、

教える者が、案件をホントに理解している証拠、という好見本。

ものごとを簡単にさらりと伝えられる、

そんな聡明さを身につけたいものです、年齢を問わずに。

では。

来るべきシーズン。

2024年は、

11月の 19日になって。

モルゲンロート(日の出光線が、山肌を赤く染めること) が、北アルプス連峰に。
(もちろん、冠雪していないと、ピンクは映えない)

同日。

高ボッチには、樹氷が観られた、

と、憶えに記しておきましょう。

やっと、本来の季節の足どりが戻りつつある、って?

……すると、周囲の風景も、色彩がシンプルに落ち着いてきて、

葉を落とした樹々の庭は、いやに明るく。

これこそ、冬のお楽しみ。

まるで。

たった3つの楽器だけで、これほどに芳醇な音を紡ぐ、ボブ ジェイムス トリオのように……。

では。

大きいことは,いいことか?

こういった、詐欺めいた質問は、

もちろん、耳目を集めるために提出しているわけですが、

思うに、この問いへの正当な解答は、ひとつしかない。

すべて場合場合による……、がそれ。

舌切り雀の婆さんが、もし善良な者であったならば、

たとえ、お土産に大きなほうのつづらを所望したとしても、

中身は、金銀の宝物であったはず。

神ならば、それを人々と分かち合うであろう、と予見することはたやすい。

近年であれば。

大きくなって、下品になったものは、

自動車メーカー多くの、フロントグリルに置かれる社名エンブレム、

あるいは、ラ〇フローレンの、胸のワンポイントに違いない。

ベ〇ツなど、グリルばかりか、その上のエンジンフードにもエンブレムを配してあって、もはや救いようもない。

さて。

メジャーリーグベースボール(MLB)にあって、2024季、

シカゴ ホワイトソックスは、

年間162ゲームをやって、41勝、121敗。

勝率0.253の戦績を残した、いや、残してしまった!!

最低勝率は、(2リーグ制になってからだと) 1916年のアスレティックスの、

0.235 (2割3分5厘)なので、からくも、そこは回避したものの、

不名誉で、惨憺たるシーズンだった。
(121敗は、20世紀以降の、最多敗戦記録)

これほど極端な記録を打ち立ててしまう裏には、経営的な戦略が働いているに違いなく、

おそらくは、ドラフト指名の優先順位を活用しつつ、まったく刷新されたチーム編成へ移行したいのではないか。

降格や消滅があり得ない老舗なので、きっと息を吹き返すことは間違いない。

で。

あえて屈辱の道を選び、率先して変化しようとするホワイトソックスの姿勢に胸を打たれた僕は、

今しかないタイミングで(記念に)、公式ベースボールキャップを購うことに決めた。

もちろん。

品格と奥ゆかしさを重んずる僕であるから、

S,O,Xを組み合わせた球団エンブレムを、ごく小さくあしらった、それも、クラシカルなシルエットを選んだのでありました。

では。

いまさらポストモダンでもない,が。

それがなんでもかまわないが、ひとつの思想に世の全体が貫かれるような時代、

または。

ひとつの理論で世界を解釈できる時代は、

1990年近辺で終ってしまった、というのが僕の感想。

日本にあって、決定的だったのはおそらく、

中学生がやるような政権樹立ごっこを、やがては、社会を揺り動かしかねない毒ガステロ(1995年)にまで持っていけることが、リアルになってしまったこと。

それは同時に、マルクス主義の終わりも意味していて、

いまやその思想的展開など、地球上のどこにもなく、~主義と自己主張する国家が在るだけ。

日本共産党にしても、看板だけが〈共産〉であるに過ぎない。

そんなのは、綱領をさらりと読んだだけでわかる。

〈反戦〉〈平和〉、こんなのも形骸化して、もうじき死語だ。

……と威勢よくはじめてしまったけれど、

僕たちの日常生活だと、

ほとんどは、メディアとSNSから、

こっちの本当らしいものをチョコチョコ、

次に、あっちの快適らしいものをチョコチョコ拾い集めてきては、

それを周囲に配しては過ごしている。

小学3年生の口癖を借りると、〈都市伝説〉の収集とでもいおうか。

ただ。

他人を屈服させるような支配的な思想的見地を、誰れも持ち得ない世の中、というのは、僕には歓迎すべきこと。

乱暴にいえば、

ポストモダン(超近代)は、いつの間にか終わってしまい、早30年なのだ。

音楽にしたって、

当時は、過去への抵抗と反発だったはずのクラシカルな70年、80年代の曲を、

今、どう料理して(変奏して) 演ってみたところで、

〈今日の音楽〉そのものであって、僕の世代感からだと、

一種、幻聴みたいに耳にやって来る。

もちろん、それを楽しんではいますがね。

では。