素晴らしき洋菓子屋の 巻。

年老いた僕の中で、

もはや、クリスマスとケーキは、セットでもなんでもない。

まるで、大掃除と年末がセットでないように。

(だれが、この寒風の中、精出すものか、そんなのは暖かい時にやるさ)

けれど。

― あぁ、ケーキ食べたくなっちゃったぁ、あたし、モンブランが好きなのよ。

と訴えられて、

― なにも、今日でなくとも、と返したくなるのを、グッと抑えると、

― スーパーかコンビニので、よろしいかと。
いやいや、コンビニもなかなか精進していて、クオリティが高いよ。

うーん、シャト〇ーゼは、ケーキはあまり自慢できないしねぇ、

などと、鶴首相談の結果、

某スーパーの横にかまえる洋菓子屋に行ってみることにした。

それが、クリスマス当日の、午後4時過ぎのお話。(僕は運転手)

で、訪ねてみると。

お店は閉じていて、それこそ真っ暗。

僕には、すがしすがしい笑いと感動がこみ上げてきて、しかたがない。

クリスマスに閉店してですよ、

しんみりと、ひそやかに過ごすケーキ屋さんが、あるなんて。

これこそは、

前投稿で僕が論じたところの、

世界的に稀有な、奇々怪々のクリスマスを過ごす日本文化への、孤立無援とも言える挑戦でありましょう。

結局。

家人は、お隣のスーパーで、ロールケーキをひとつお買い上げ。

僕も、とどこおりなくお相伴にあづかったのであります。

今日、職場で。

その話を、ジョー氏にすると、

彼は、前日のイヴまで、死に物狂いで働いたであろう従業員を休ませた説、を主張するのです。

さて、読者諸氏のご説は、いかがでありましょう?

では。

神の子なしのクリスマス。

クリスマスとは、もともとなにを祝う時季か?

……などと、今更、野暮な話はする気はありませんが、

これほどキッパリと、自分たち、要は、人のためだけに過ごすのは、我ら日本人だけだろうな、といままで、気恥ずかしく思ってきた。

1900年頃、いまから 120年以上前のこと。

東京府下、京橋にあった(今もある)某商店の、歳末(に近い)売り出しに利用されて以来、ずっとそのままの性格でやって来た日本を。

リバプールFCでプレイする、サラー(エジプト出身)が、いつだったか、この時季に自宅で過ごす家族の様子を、SNSで公開したことがある。

その時、居間にクリスマスツリー(らしきもの)が飾ってあるのが、映し込まれていて、それを観た人々の反応のひとつは、

おいおい、それ、まづいんでは?、だったと記憶する。

出身地からして、ムスリムとの信仰的な兼ね合いは、どうなの?、という心配なんだろう。

まぁ、これが世界標準の反応、感想なんだと思う。

しかし、最近。

僕は、日本人独特の、〈神の子のいない祝祭〉は、

実は、世界に対して、表明、刻印しておくべき重要な年中行事に思えてきた。

日本および日本人が、この島国にあって、地球で安全に生き延びるためには、

……普段は、だいぶ不可解で奇妙なところが多いけれど、平和を愛好する人々である。
ところが、ひとたび、かれらを圧迫、侵害したら、それはそれは狂信的で、徹底的な反攻と攻撃を受ける……。

そういう民族と民衆であること(と思ってもらうこと)が、極めて大切だ。

日本に手だしをすると、こっちがヤラレル、そういう定評が。

であるから、世界一般には理解できないような、クリスマスの過ごし方は、

我々の〈不可解さ〉〈ユニークさ〉を際立たすため、

今後も続けるべきならわしのひとつ、でありましょう。

では。

冬のゲーフラ (後楽園ホール行 2024.12.16)

サッカーの旗は、既にたたんだ。

けれど。

先日は、別のゲームでゲーフラを掲げた、というお話。

場所は、約5年ぶりの後楽園ホール。

同じ夜。お隣りの東京ドームでは、

スノーマンのコンサートがあって、水道橋駅から行きも帰りも群衆の中を辿る。

実は、〈スノーマン〉とは何であるのか、数週間前に知ったばかり。

どおりでこういう客層が多数押し寄せているのか……。

僕のお目当ては、メインイベントの、

東洋/太平洋女子ライトフライ級王座決定戦(タイトルマッチ)

それがトリで、

その前に、8つ試合が催され、18:00の開始。

この夜。

全プログラム終了が、21:00を少し回ってまわっていたので、

みっちり3時間を、休憩もなく、リングを観続けていたことになる。

ゲーム前、僕のお隣に、女性のお二人連れが、着席した。

近いほうの御方、かなりのご高齢にみえる。

軽く、よろしく願います、と挨拶。

一見すると、汗と血しぶきが飛んできそうな、リングサイド近くで観戦したら、具合悪くなるのでは?

……といった要らぬ興味が湧いて、二言三言、会話する。

そしたら、連れの方について来る、とはおっしゃるものの、

なんのことはない、けっこう頻繁にここに足を運んでいいるとか。(川崎市ご在住)

僕など足元にも及ばない、ボクシング通なのだ。

で、僕の斜め右前には、楽しいヤジを飛ばす、中年男性。
(元プロボクサーで、一次は、ヤジが過ぎて、ホール出禁の身分だったとか)

観客を引き込んで、選手に声援を仕立てたりで、気が利いていて、

しかも、応援する選手へのアドヴァイスが、テクニカル的に、本当にそうだよなぁ、と納得させる。(昔はボクサーだもんね)

つまりは。

1,400人が座れるホールが、そこそこ一杯になって、

いろいろと役者がそろった、リング間近の指定席で、プロボクシングに浸った夜でした。

僕のお目当ての選手は、

後で聞いたら、自身の引退試合の位置づけだったらしいけれど、

8ラウンドフルにやって、惜しくも、判定で敗戦、の結果。

まことに残念でしたが、それはそれは、観ていて、緊張しまくりのグッドファイト!!

彼女はファイター型のボクサーなので、もっと飛び込んで左パンチで勝負したかったんだろうけれど、相手の軽快なフットワークと、手数の多さに苦しんだ感があった。

身長差(相手が低い)も裏目に作用したかも知れない。

パンチは、やはり、水平に繰り出すのが、体力の消耗がもっとも少ないのでは? (もちろんすべて素人の感想)

きつい減量(6㎏の)をして、階級を下げて闘うのは、こっちの想像以上の苦しさだったでしょう。

でも、いいものを魅せてもらいました。

若者が、(セコンドと声援はあるけれど) 孤立無援のリングで、あれほど、実は、

自分と格闘している姿は、そうそうみられません。

帰途。

水道橋駅前で、信号待ちをしていると、

たまたま、当夜の第6ゲームで、TKO勝ちをした選手がすぐ前にいた。

― おめでとう、いいボクシングでした (冷静な)。
これからを、期待してます。

人垣をかき分けるような握手になってしまったんですが、

振り返って、ありがとうございます、と応えてくれた彼には、

あのリング上の勇姿然は、まったく感じられず、

どこにでもいるような、好青年がひとり、優しく微笑んでいた……。

では。

まどろみと,ちあき なおみと。

土曜日の午後(夕方)。

自室のソファーでまどろんでいたら、

― 父さん、ちおあ きなおみが TVに出てますよ、と知らせてくれる。

― 観たら、きっと泣いちゃうから、止めとくよ。

気を効かせて呼んでくれたんだが、

なに、ほんとは、もうすこし、ウトウトしたかっただけ……。

その後で、居間を通る際に、画面をみたら、

どうも、かつての年末定番歌番組を流しているらしかった。

それも半世紀ぐらい前のやつか。ドリフターズがコントをやっている。

当日、娘や息子の家族が来ていて、総勢10人近くが集うなか、

当時生きていたのは、たったのふたり。

そう遠くない将来、次の世に向かうであろう者への、

これは年末プレゼントなのだと思うと、そのご厚情に泣けてきた。

 

極上のまどろみ、と日本語に訳すのがよいのか、

〈Golden Slumbers〉は、ビートルズが、1969年に発表したアルバムの、最後のほうに置かれた小曲。

だから、この曲も、もう半世紀前に作られた。

タイトルは、マザーグースの童謡の一節から採られているから、

彼らなりの昔語りをしている風な趣きなのかも知れない。

今回は、ブラド メルド―のソロピアノで。

では。

昭和100年,と言うのなら❷(案外マジメ)

1945年8月15日を境に

平和を志向する国と民に生まれ変わった、という幻想に基づいて、

太平洋戦争の惨禍、が被害者の態度で語られている。

現在90歳の御方でも、大戦終結当時は、たったの10歳くらいだったから、

拙い子どもの記憶と印象しか持ち得ていないはず。(彼らは、戦争にも加担していない、加担などできなかった)

であるにもかかわらず、

おそらくは、その後の 80年を通して身につけたもろもろの思想をまじえて戦争悲惨論を語る。

家族や友人が突然に肉の塊になったり、遠方の島に消えたり、たしかに、それはむごいこと。

だが、もしも、〈平和〉を口にするなら、

ひとっ跳びに、殺害と悲惨な風景を持ち出してきて、

だから、平和でないと、と締めくくるのはいかがなものか?

ではなくて。

僕らが見すえるべきは、イジメ、虐待(時に殺害)、差別がすぐそこにある、

平和と呼ばれるようでいて、けっこう危うい日常生活を、どれだけ安穏で、過ごしやすくするのか? に在る、と思っている。

正直に言えばいいのだ。

戦争なんてのは、自分の手の届かないところで始まったし、是非の話もなく生活していたと。

生粋の軍国少年だったと。

……83年前のいまごろは。

数日前のパールハーバー攻撃による戦果でもって、

日本中のほとんどは、ある種の高揚感に浮かれていた。

その中で、これはヤバい!!、と真剣に悩んでいた者がどれだけあったか?

その時代を背景にしたN〇Kのドラマでは、主人公はほとんどそんな人間に描かれているが、あれは、後世の価値観におもねった〈ウソ〉。

まさか、好戦的な人間に描くわけにもいくまいけれど、

そこなんですよ、

この80年間、現実から目を背けた平和論に逃げ込んでいる、というのは。

東条内閣が戦争を継続できたいちばんのエネルギーは、

国民大衆の、あの高揚と戦争支持であったのは、ほぼたしか。

だから、まづ、平和を持ち出すなら、あの感情や気持ち、なにもできなかった自分(追加しました)を、まづさらけ出さないことには始まりませんが、

そこは、口をつぐむ人が多いし、

戦争をあおり、どんな格好であれ加担した者は、たいていが幕の向こうに逝ってしまった。

誤解なきように付け加えますが、ここから昔をみて、あの戦争に協力した者を責めることなど、僕にはできない。

だから、戦場画を描いて戦争に協力したと、藤田 嗣治(画家、フランスに帰化)を追い出したことを、気は確か?、日本よ、と思っています。

……ブツブツ言いながら(稀ですけど)、101年目に向かうんでしょうね。

では。