因果のとりこ。

6月になると、我が庭で。

立葵(タチアオイ)が、日陰で開花する。

これはいつも通りだった。

それとほぼ同じ時季(6月20日頃) に、豆萩(マメハギ) が咲き出した。

草かんむりに〈秋〉と書くのだから、こっちは、チト早かないか?

6月末には、今度は、桔梗(キキョウ)が、紫の花をつけた。

他方。

夏椿(ナツツバキ)は、いつもより、十日ほど開花が遅かったので、

いまが、落花の真っ最中。

あることが先に起こり、その後に、その結果として、次のことが起こるのが、自然の法則であり、ならわし。

それを観馴れている僕らの感性は、

どうしても、ものごとの継起(現象)のなかに、因果の糸を見い出したくてたまらないらしい。

度重なる偶然の積み重ねがそこには在る、に過ぎないのに、

結果には、かならず、なんらかの原因がなければならない、という強迫観念で、そこに因果関係をさぐろう、と必死になる。

それを乱暴なアタマでやると、

勝てないのは、走れないから、といった〈もっともらしい〉、けれど、荒唐無稽な議論が臆面もなく出現する。

もっとひどくなると、

負けという結果で、心象が曇ってしまい、そのゲームが全否定される、とか。

先制することは素晴らしいのに、その功績も、見逃されてしまう。

しかし、菊井 悠介は。

ああやって、力みを棄てて、たとえば、インサイドで蹴り込むほうが、よほど精確なシュートを撃てるではありませんか。

あれは、良かった。

思うに。

他の局面でも、なにからなにまで自分でやろうとせずに、もっと、他者に任せる視点と姿勢を採ったら、

チームとして成長があるのでは?

では。

ごくごくたまにはマジメです。

昨日は、友人ふたりと静岡駅で落ち合って、

パウル クレー展 (@静岡市美術館)を観た。

こういう機会をつかって、旧い友誼に浸るのだ。
ふたりは、それぞれ東京都人、埼玉県人なので、こだま(新幹線) でやって来た次第。

さて、そのクレー。

実物をみてはじめて、思ったより小品が多い作家であることを知る。

1940年に、60歳とちょっとで亡くなっているので、(立派な現代人だが)

著作権が消滅していることもあり、作品の多くが、撮影可。

なので、気になるやつを、40枚ほどデジカメで撮った。

クレーの画に向かうと、いろいろと思うことがある。

本人がどう望んでいたのかは知らないが、今日では、

リズム感ある、色調が豊かな、かたわらに置いて、生活を楽しくさせる、そんな絵画として愛でられているのでは、あるまいか。

絵画が生活調度でしかなかった、近世の伝統にいまだ縛られる日本人の感性からすると、

クレーは、もっとも人気の高い、現代作家のひとりに違いない。

クレーに限らず、自分が好むか好まないか、それを評価基準として押しとおして、芸術作品を楽しむ。

その作品についての、専門的な、来歴や意義を聴いたところで、

結局は、自分の嗜好性(=趣味) に受け入れられるのかどうか?、でいいではないか、と思う自分が在る。

が、反面。

いやいや。

絵画が、注文に応じた肖像画や、風景の再現といった〈実用性〉から解放されて、すでに久しい時間が経つのだから、そこには、

個人的な志向性とは、キッパリと区別された、なんらかの、いわば普遍的な評価基準があるべき、との思いも湧く。

クレーは、そんなことを、格別に考えさせられる作家だよなぁ、と思った昨日。

ただ、それだけのことです。

なお。

画像は、(おそらく)若い頃に描かれた、具象的な人物画。(横向きの女性)

もともと作家が有しているタッチ(筆致)がわかって、僕には、ずいぶん価値がある。

では。

Forever Young ……。

自分の膝が痛くなってはじめて、

同じ辛さを持っている人々に、心からの同情心を抱く。

カント(哲学者) が言っているとおりで、

知らないことは、わからないのが、人間(の認識能力)なのだ。

ゆえに、誰もが持つ限界のひとつなんだから、なんら恥じることでもない……。

身近な者の経験をみて、そんなことを思っていたら、

家人から、

ねえねぇ、ちょっと観てもらいたいのよ、とお誘いがあった。

どうも録画したTV番組のことらしい。

その様子から、ははん、これは、(毎日観ていらっしゃる)韓流ドラマではないだろうな。

僕の予想が当たって、

それは、往年の有名人が入れ替わりで登場するトーク番組の、或る回(おそらくは当日分)。

その司会者が聡明で、品のある会話ができる元女優なので、だいぶん救われてはいるけれど、

どうみたって、そういえばあの人の今は?、といった人間の、捨てがたい好奇心やゴシップ心に訴える番組に違いないから、僕は遠慮したいなぁ。

― でもね、今回は、若づくりの痛々しさもないのよ、あぁ、幸代さん。

〈Forever Young〉は、

ボブ ディランのアルバム〚プラネット ウェイブズ〛(1974年)に収められている曲。

僕が持っているディランの唯一のアルバムで、

ザ バンドがバック演奏を担っている理由のみで、購入した。

そのスローなほうのヴァージョンを、カヴァーで。

では。

バスタブ禁止令。

今月の検針票の中身をみたら、

減免措置の期間が終わったことは知っていたけれど、

その時よりも、上下水道代(合計) が、3倍になっていて、チト驚く。

はて、ここ2か月で、特段の費消があったっけな?

……もともと夏季は、我が家は、シャワーで済ましてきたが、

これからはもっとシビアになって、

バスタブに浸かるのは、ホントの秋が来るまでは、差し止めにしようではないか、と家人と相談した。

すくなくとも、その我慢で、庭木や菜園の水やり代を吸収する魂胆なのです。

では。

おかしな順序。

先日、松本駅近くの、(老舗な)書店で買い物をした。

決して豊かな品揃えでもないが、ここら辺ではマシなほうなので、時々利用する。

少年向けに、岩波文庫をひとつ購って、会計カウンターへとおもむくと、

― お客様、本を入れる袋はどうなさいますか?

それって、有料なの?

― はい、〇円です。

じゃあ、やめとくわ。

― (続けて) お客様、本の表紙カヴァー(紙製)をおかけしますか?、こちらは無料です。

じゃぁ、お願いします。

……なんだ。訊く順序が逆だろうに、と言葉が出かかったけれど、

うるさいジジイ、と不興を買うのもなんだし、

日頃、家人からは、ひとを不快にする僕の性向を戒められているから、

ありがとう、とだけ言うと、お店をあとにした。

では。