【必見!!】見逃すな,この大盤振る舞ひ。

レアルスポーツ(石芝3丁目) で買い物をしてから、

木工団地の中を車を走らせ、

〈野溝木工1丁目〉の信号のある交差点まで来たら、そこを、

国道19号線方面へと左折する。

そうすると。

右手に、南信ヤクルトさんの本社(おそらく)ビルが見えてくるけれど、

今だと、その敷地内の、高さ20有余メートルはあろうかとも思われる、

大きなモミ?(自信なし)の樹に、それはそれは美しいイルミネーションが施されている。

満天の碧、という趣きで。

僕の診立てだと、

松本平にあって、規模(高さ)、光の緻密さ、上品さでトップクラスの作品に違いない。

よくわからん横文字が並んでいるせいもあって、大して興味も湧かないような松本城の〈厳冬の幻燈〉よりは、数段美しいと思う。

惜しむらくは、主要道路から奥まったロケーションのために、万人の眼には入りにくいことか。

僕が、通り過ぎながら楽しんだのは、一週間前の 24日夕方。

こんな贅沢で、気前の好いサーヴィスが、いまだ、続いていればいいんですがね。

では。

これで,半年生きのびる。

年賀状をいただいた返礼に、寒中の見舞い状を出したら、

それを読んだ K君(東京在住)から、ショートメールが入っていた。

― 速報です、本屋で「藝術新潮」を立ち読みしたところでは、パウル クレー展は、愛知県美術館(1/18~3/16)、その後、兵庫県立、静岡に巡回のようです。

僕が、今年はクレーが観られるから楽しみ、と書き送ったのだ。

なるほど。

静岡市では、6月から8月にかけての開催らしい(いまだ詳細不明)、

そこで、

― 静岡はかなり暑いですが、いまや日本中そうですから、今夏の予定にしましょう。駿河湾を眺めて、清水か沼津で会食といきましょうか?、と返すと。

― 8月ならいいですね、でも暑いか、もろに太平洋に面してるから。でも、寒いよりはいいか!?
了解です。詳細は追って決めましょう。当面の生き延びる目標が出来ましたね。

K君は、数年前に膵臓を摘出した身体だから、(現在は厳重なインスリン管理下)

生き延びるについては、僕などくらべものにならないほどに切実感があるだろうが、

長年の友人ゆえに、お互い、それには触れもせずに、

あと半年向こうに、ひとつの約束を作った日。

では。

AUTO(自動)も考えもの。

きょう日。

レギュレータハンドルを回してドアウインドウを開閉しているのは、

30年以上前の旧車をのぞけば、徹底して軽量化をはかったロータスエリーゼに乗るドライバーだけだろう。

そのくらいに、車の運転操作では、〈AUTO〉化がされていて、

僕も、ヘッドランプ(前照灯)のスイッチは常時、AUTOの位置にしておいて、その恩恵に浴している。

要は、楽なほうに流れている。

ところが、ジャガー氏(登山ガイド)は、違うのだそうだ。

― AUTOだと、トンネルに入ってから点灯するでしょ。
教習所では、安全と視認性確保のため、入る手前で点灯するように教えられましたからね。

たしかに。

高速道路上だと、トンネル突入後、かなりの距離を走ってからようやくヘッドランプが点くわけだ。

ひとつの見識でしょうね。

さらに。

ジャガー氏は、島々より向こうの158号線だと、トンネルが連続するから、ヘッドランプは常時点灯して走る、とか。

そういえば、僕も、かつては(一昔前まで) そうしていたよなぁ。

では。

未完の完成〈ロートレック展から〉

 

去る17日の夜になって。

あぁ、前売券を入手していなかった、と気づく始末。

それにしては、なぜか、柄にもなく、

展覧会の初日に、

会場の松本市美術展に出向くことになってしまうとは……。

実をいうと、

小学2年生と年中児の、ふたりと遊ぶ日であったので、

まぁ、いいか、

美術展なる〈場〉についてのトレーニングにもなるし、とコジツケしたわけ。

実際、会場内ではヒソヒソ声で話しかけてくるし、走り回って周囲を困惑させることもなかった。

これには、

並んでいる作品が、画用紙に鉛筆での素描がほとんど、

しかも、その題材が、人物の横顔、馬、などとわかりやすく、

年少の心にも、すんなり入りこんだ事情も大きかった。

僕が、ロートレック(1864~1901) の素描をまじかで観るのは初めてで、

かなり新鮮だったけれど、作品群を前にして感じたのは、

すべてを描き込もうとせず、一瞬の表情や対象の動きをとらえようとする技量のたしかさだった。

未完の完成、そんな言葉が、創作態度についてうかがわせる。

画用紙(あるいはスケッチブック)を、抱えながら、

瞬時のデッサン(クロッキー的)で対象をモノにする、そんなスケッチ手法を偲ばせた。

あくまで、リトグラフ(石版画)のための準備としての下書き、という動機が、細部まで精緻に描き込まないことをさせたか?

だから、本番とは、石版に向かって、リトペンシルで描くことだったのかも知れん。

(実は、どうやって石版に描いたかの、作製現場の実際については、解説も読んでいないので、確証がありません、お赦しを)

その石版に描かれた画を、転写することで、ポスターやパンフレットが作成、出版されたとなると、

ロートレックは、浮世絵でいうところの、絵師と彫師を兼任したアーティストの先駆者、ということになろう。

さらに、作品を前にすると、

ロートレックは (37歳で早死したせいもあろうが)、

そもそも、自分が〈画家〉という職業一本で生きようとは思っていなかったような、そんな直感に撃たれたが、これは、あくまで僕の個人的な決めつけ。

場内では、写真撮影(フラッシュ使用は不可)が許されていてありがたく、

しかも、小品が多いゆえに、くどい解説で邪魔されない展示会であることはには、おおいに好感が持てる。

敷居が低い。

だから、都合がつけば、明治34年にこの世を去った画家の世界に触れてみることをお奨めしたい、特に、テーンエイジャーには。(財布にもやさしい)

ところが。

帰宅して撮った写真を並べてみたら、ほとんどがボケた出来上がりで、落胆。

こうなったら、再度訪れて、すべてを撮影してしまえ。

では。

いつも そこに在る。

僕の知っているところで、または、知らないところで、

世界は さまざまの死でいっぱいだ。

それを、あたかも、自分が看取るの、支えるのと、どれほど傲慢なんだろう、人間は……。

 

勝利だの……敗北だの……これらの言葉には、意味がない。生命は、こうした表象を超越して、すでに早くも新しい表象を準備しつつあった。
(『夜間飛行』1931年刊、サン テグジュペリ著、堀口大學訳)

秀歌だと思う、しかも、これくらいの低さで歌ってもらうと、その良さが断然に引き立つ。

では。