カフェは,必要だった、

先日ご紹介した、職場でご一緒している彼氏にとっては、切実に。

最近の、非番の日における行動の一端を話してくれて、

……材木屋さんの不要物置き場の中から、

欄間などを見つけたので、貰い受けると、

それを、なじみのカフェ(どうやら、オーナーが、大工仕事との兼業らしい)に持ち込んだ。

欄間は、さらに彫りと表面磨きを施す必要があるらしいのだが、

1,500円也、で買い取ってもらえた。

そのお金を握りしめると、

次に、これまたなじみの寿司屋に出向き、(おそらくランチタイム)

それを代金にして、から揚げをこさえてもらう。(その店のから揚げは絶品!!)

贅沢な食事の後は、某公園へと足が向く。

そこで、いつの間にやら寝入ってしまい、寒さで目が醒めた……。

― お金を倹約して、かつ、美味しいものを食するには、それなりの努力が必要なのよ、と彼。

こういった話は、妙に筋の通った説得力があって、

僕は、感心しきりであります。

では。

プロテストソングそのもの『Blackbird』(1968年)

この曲は、ビートルズのアルバム『The Beatles』(168年発表)に収められた、

2分あまりの小曲。

実は。

この曲が、リトルロックハイスクール事件(1957年) と呼ばれる、

米国の高校における、人種差別と隔離策に触発されて、ポール マッカートニーが創った、という裏話をつい最近になって知った次第。

学校から排除されたアフリカンアメリカンの女性を擁護し、その解放を願う、

純然たる、人種的な差別を問うたメッセージソングなのだ。

けっして激烈ではなく、美しく穏やかな旋律と曲調が、

かえって、事の重要さをこころに届ける、そんな趣き。

ゆえに、美なるメロディを楽しむのはかまわないとしても、

漠然とした〈援歌〉とみなしてはいけない。

これは、同じ作者による『Let It Be』(1970年)が、

亡き母への追想と思慕を綴ったものであって、

宗教心や人々の苦悩への共感を、漠然と歌うものではないと同じ……。

では。

なぜ,カフェに居るのか?

職場の同僚に、カフェまわりをしている(らしい) 御仁がいて、

先日は、きのうは、どこどこに行って、誰々と話し込んでね、とご報告してくれる。

そもそも、僕の辞書には、〈喫茶店〉〈茶店〉しかない。

それが、カフェになると何が違うのやら、皆目わからん。

で、その使途とは、待ち合わせの場所にする、友人知人との談義、あるいは、次の仕事までの時間つぶし、それくらいしか思い浮かばない。

同僚によれば、そこでは他人との出会いがある、とのことだが、

かつての栄華(のように聞こえる)に関する昔ばなし、羽振りの良さなどを聞いてなにが面白い?、と訊くと、

そうやってご高齢者の話を聞いて差し上げる、ということ。

でもさぁ、松本あたりの政財界の(☜加筆)、裏事情を入手したところで、今のあんたには、どうなるものでもないだろう、と突き放しつつも、

ますます、出かけていく気が知れない。

僕の偏見によれば、上に記した目的以外で喫茶店に出向くのは、時間の使い方をほかに知らないがゆえの、時間浪費に過ぎず、

それならば、室温15℃を確保した自室で、

読んだり描いたり(書いたり)していたほうが、よっぽど楽しく、息抜きになる。

ただひとつ。

そこのオーナー(マダム)や、そこに集う誰かさんの気を惹きたい、というのであれば、

それはそれで、至極健全な目的だ、と共感できる。

では。

急に思い立って。

と言うより、直感が、今やっておかないと、と湧いて来て、

善光寺にごく近い、なじみの古書店へと出かけた。

僕が職業人として始めた時の先輩の弟さんが、その先輩(物故)の跡を継ぐ格好で、やっているお店なんです。

たしか、午後のみ営業だったはずだから、勤務を終えると、高速を使って。

駐車場に車をおいて2分ほど歩き、

店をのぞいたら電気が点いていて、入り口のドアも開けられたので、

奥に進むと、数年前とほとんどかわらないご様子で、

椅子に深く座る店主の姿が、そこにあった。

― 善光寺に参って来たの?、と問われ、

― いや、僕にはそういう信心もないし、本日は、こちら一択の長野行です。

……から始まって、

あとは、お決まりの取りとめもない話を、

こちらは、店内に積まれた本を見回しては引っ張り出しながら、やりとりする。

 

― 悪役ができる役者で、生きてるのは、石橋 蓮司、柄本 明くらいかな。蟹江 敬三は死んじゃったし。
生きていても、みんな年寄りになっちゃったね。

― 拠り所なくボーっとしているようで、巧い味わいの役者がいませんね。

……と悪役論に流れると、小沢 栄太郎とか佐分利 信に及んで、原田 芳雄にたどり着く。

― 彼、〈さすらい〉、小林 旭の持ち歌ね。
あれを、唄ってるんだけど、なんだか頑張り過ぎていて、ちょっとね。

あとは、だらだらと、ジェームス コバーンとか、ロバート デュパルとか……。

結局。

パブロ カザルスが、バッハの無伴奏チェロ組曲(6曲)を演っているCDと、

〈ポップス三人娘 ゴールデンアルバム〉の2枚を購入して、計1,000円也。

アルバム(LPレコード)のほうは、全12曲。

弘田 三枝子、千賀 かほる、ちあき なおみが4曲つづ歌っている。

これはもう、ジャケットの、ちあき なおみの良さに一目惚れして入手。

で、お店に再来する口実の意味を込めて、

望月 三起也の作品を注文しておく。

店主からは、半端で揃っていないから(オマケ)と、山上 たつひこの〈光る風(上)〉(ちくま文庫)をもらう。

帰途は、国道19号を。

もちろん、無伴奏チェロを大きい音量で聴きながら……。

☞ 若い読者諸氏には、さぞかしチンプンカンプンの名前ばかりで、まことに恐縮な記事でありましたが、

お詫びに、1曲あげておきます。

では。

我らが朝の,贅沢と至福と。

恵方、すなわち、縁起の良い方角に向かって、

太巻き寿司をほうばったならば、

福が訪れる、とか。

大阪あたりで、子どもの頃からならわしとしてずっとやっている御仁ならばともかく、

近年になって、それを信奉するようになったなどとは、

なんとまぁ、お手軽な、招福行動であることか。

そんなでもって、ハピネスが手に入る、と思っていること自体、

ハピネスの本質と、自己努力をナメた浅はかさであるから、

それを商売の手段にしようとする根性ともども、笑い飛ばしたくなる。

それよりかは。

せっかくこの地に生きるのだから、

朝。

午前7時前のわづか数分間の、

自然による、朝焼け三昧。

冠雪した北アルプス連峰を、燃えるように染め上げる〈モルゲンロット〉(朝のローズ色) を、

ポカンとして眺めているほうが、よっぽど心が救われ、清められる。

では。