モグラ戦記 2023。


(タチアオイ 6/24開花)

『ガリア戦記』は、

ユリアス カエサル(B.C.100~B.C.44)その人が、
ガリア戦争(B.C58から7年間) について記述した書物。

指揮官として、(現在のフランス) 遠征における戦況を、元老院に報告する体裁と目的だったらしい。

ところで、6月の、10日間ほど。

萬年は、我が庭へのモグラの侵攻(遠征?) に苦しみ、楽しまない日々でありました。

そう、哺乳綱、真無盲腸目(しんむもうちょうもく)、モグラ科の、あのモグラのこと。

相手はおおよそ地中に住んでいるから、実物を見たことはいままでの人生に、一、二度くらい。

今回だって、姿を現さない相手との、2週間弱のバトルであった。

夜昼かまわずに、庭のあちこちを、縦横無尽にトンネル(モグラ塚)を掘りまくり、途中、地上をうかがったのだろう、ところどころに穴を残す。

坑道にそって、植栽の根元が浮き上がってしまったり、庭土がボコボコと見苦しい。

さて、どうしよう?、となって、

モグラは駆除(=殺害)してはいけない生物であることをはじめて知る始末。(駆除には、行政の許可がいるらしい)

ゆえに、日本では公けには、モグラを殺生する商品は売っていないのです。

― なに、自分の庭の中でやることなんだからさ、黙っていればいいのよ、

と家人に励まされ、無い知恵を絞り、殺害までを視野に入れ、拙宅から退散してもらうべく、いろいろとやった、その試行記録は、ざっと、

●地中への振動策 ☞ ホームセンターにて、単一電池4つで、間欠的にブルルンと振動する筒状のものを購い、2箇所に埋め込む。(案外高価なので、2つのみ)

●火攻め ☞ 車載用の発煙筒を買ってきて、これに着火、トンネル出口の穴から突っ込んでみる(2回× 5分間燃焼)

●水攻め ☞ トンネル出口の穴へ、水撒きホースから、大量の水を放射する (出口が水で満たされるまでひたすら注入)

●音攻め ☞ ペットボトルを利用した風車を8本、トンネルの上から突き通すように設置、風が吹くとカサカサと回る、ファーマーズガーデンで、ひとつ 100350円也。

●同じく音攻め ☞ 盛んに威嚇し合う猫の鳴き声、または、ネズミが嫌う周波数の音を、YouTubeから録音し、それを、機会あらば、坑道に向け再生した。

●ヤス攻め ☞ モリとも。フィッシング用の魚突き(四又)を、盛り上がったトンネルの真上から、端から端までを間隔狭く、突き刺して歩いた。
(ただし、手応えや、切っ先への血液の付着は、認めず)

……、以上を、我ながら熱心、かつ、残酷に繰り返したのですが、人件費、交通費は別として、投下費用は、おおよそ、13,000 16,000円前後。

で、なにが奏功したのかは、モグラに訊けないために不明なるも、

昨日まで5日連続で、新旧トンネルの掘り返しの痕跡が、まったく認められなくなって経過中。

まさか、モグラ殿、庭のどこかで天寿をまっとうしたとも思われませんけれど、

この防衛と反攻戦から、私が得た教訓とは、

対モグラ戦においては、彼のメンタルヘルスを損なうこと、その一点に集中特化すべき、これであります。

今後、庭の修復は、コマめにやっていくとして、8本のカラフルな風車は、しばらくの間、そのまま立てておくつもり、悪趣味ですが。

以上、ささやかな戦記ひとつでした。

では。

ベリーで,もめる。


ミヤマウスユキ草 (エーデルワイス) の花。

ブログを読んだ家人から、クレームがついたんである。

曰く、熟したジューンベリーの実は、酸いこともなく、甘い、とのご指摘。

で、さっそく庭に出て、紫いろに熟れたやつを選んで、ほうばってみたら、

たしかに!、甘い甘い。

どうやら、がさつな僕であるから、急いて、いまだ熟さないような実を食べたんでしょうね、きっと、と、この一件を落着させた。

過ちを改めるに、ためらってはなりません。

したがって、読者諸氏よ、食べごろのジューンベリーの実は甘い、

と、ここにお詫びして訂正いたします。

さて。

息子宅の敷地には、他人の背丈以上のジューンベリーが、ひとつ植わっていて、

数日前、その実から作った、自家製ジューンベリーのジャムをいただいているのです。

ブレッドに塗り挿むなどして、これから、ゆっくりと楽しもう。

では。

読み終わりが 始まり。

探し物をしていた二階で、たまたま見つけたのが、黒田 三郎 (1919~1980年) の詩集。

我が身には、購った記憶がなかったので、後で息子に訊くと、

僕のやつだよ、確か、父に勧められたんじゃあないかな?

ほほぉ、そうでしたか。

 

たわむれに、並んでいる詩のタイトルをすこし、書き出してみたら……、

美しい日没

月給取り奴

しずかな朝

夕方の三十分

九月の風

顔のなかのひとつ

夕焼け

僕を責めるものは

洗濯

秋の日の午後三時

夕暮れの町が

小さなあまりに小さな  ※詩集〈小さなユリと〉(全篇)

 

これだけでも、この詩人の在り様があらわになるけれど、

その詩風は、後世にけっこう影響してるんだ、と気づかされた。

黒田 三郎は、詩論(『詩人とことば』) の中で、

……北原白秋の詩からはことばの感覚的な美しさを除くと、何にも残らないような気がする。……

と書いている。

詩中で使う言葉に、過重な陰影を与えることをとことん嫌う黒田らしいなぁ、と思う。

けれど、言語表現に手が込んでいようと、あるいは、平明であろうと、

詩を読み終わったところから、読み手の中で何かが生まれ、行動が新たになること、そんな変化を起こさない作物は、

いまの僕にとっては、〈詩〉とは呼べない。

だから、黒田 三郎の詩は、いつしか僕を満たさなくなった。

同じように、洒落た表現には出合えるものの、小さな感覚世界に閉じこもりたい、短歌という作物、もそう。

馬鈴薯の花咲き穂麦あからみぬあひびきのごと岡をのぼれば     (白秋)

これぞプロフェッショナル、と呼びたいくらいに、たしかに巧いんですけどね。

では。

桑ズミ フォーエバー。

六月は、

いろんな berry (ベリイ) の熟れる頃。

梅雨の晴れ間、照り返しの庭で。

ジューンベリイの実をひとつ、ふたつ、もいでは口に含んでみる。

ごくたまには、しっかり甘いのもあるけれど、

だいたいは、甘味よりかは、飾らない酸味が、口内でまさる。

でも、戯れに楽しむ自然の甘さなら、あくまで、酸味と一体でなくちゃあ、いけません。

松本あたりでは、桑ズミ、と(方言で) 呼ぶ、桑の実もまた、

なんとかベリイ、という英語名らしい。

廃れた養蚕の名残りで、田畑のあぜ道には、桑が、いまも点々と残る地域に住んでいるのに、

実をつけている樹が、なかなか見つけられずにいた。

が、最近、ふとしたことで、拙宅から 1kmくらいの場所で、見つけたんですね。

樹高が 6~7mで、見あげると葉の陰には、何千という実をつけている。

枝を引き寄せて、すこし触れただけで、実がスッと落ちてしまう。

熟し切っている証拠なんだ、きっと。

柔らかい実を手に捕ったとたん、実がこわれて、指先が、出血したかのような鮮やかな赤で染まった。

この色素はアルカリ性だから、酸性の、レモン汁か梅干しで揉めば、中和され、たやすく消える。

それを識っていると、口の周りや手をむらさきにしたままで叱られることもなし。

小さい児が、酸、アルカリ、中和を学べる好機。

でも、今では、やはり廃れた遊びなのかな……。

では。

肩に天使が 舞い降りた。

Engel On Our Shoulder……

映画『セイヴィング プライヴェイト ライアン 』(ライアン二等兵を救え、1998年公開、米映画) の終末。

プライヴェイトとは、米軍における、新兵の次くらい、つまりは、最下位の階級名。

ひとりの母から息子4人すべてを戦争で奪ってはならない、といった米国式信念による作戦とはいえ、

優秀な猛者ぞろいの小隊をまるまる、ライアン二等兵ひとりの発見と救出に投入することに対する、兵士間に漂う、わだかまりみたいな空気感が、

巧く伏線として描き込まれているので、それだけ最後に、カタルシスが用意されている、といったシカケ。

スピルバーグ作品ほとんどが持つ、こういうサーヴィスは、いいですよね。

さて、そのラストシーン。

ドイツのティガー戦車を前にして、壊滅寸前に追い込まれた分遣隊の頭上に、

突如、友軍のマスタングP-51 が飛来して、ティガー戦車を撃破すると、

負傷したミラー大尉(トム ハンクス) が、その機影をやっとこさ見上げて絞り出すのが、冒頭の言葉でした。

ネイティブスピーカーに確かめたわけではありませんが、

天使がそばにいてくれる、という定番的な表現なんでありましょうか、あれ。

で、萬年の場合。

去年に比べて、ニジュウボシテントウ虫による、ジャガイモの葉の侵食が極端に少なくて、まことに助かっているんですけれども、

これ、ナナツボシテントウ虫が多く発生して、それら食害虫を捕食してくれているからなんです。

葉の上、梅雨の陽光の中、くっきり鮮やかに輝く深いオレンジと、漆黒の斑点よ。

あぁ、まるで、天使のようだ……。

註 ☞ ニジュウボシは植物食、ナナツボシは動物(昆虫)食。

では。