岳都よ。

ある筋から……、

上高地は、老舗山小屋の、嘉門次小屋。

ここで、いままで所有していた、嘉門次が愛用した猟銃一丁、ウエストンから贈られたピッケル等を、

新装なった松本市博物館に、その寄贈を申し出た。

が、しかし、お断りされたので、

大町市山岳博物館に贈った……との話を聞いた。

僕らは、昨年小屋に立ち寄った折に、手に取らせていただいた。

ただ、それだけのこと。

でも、ただそれだけのこととして、書き留めておきたい。

あぁ、そして、しみじみと。

Autumn In New York を聴こう。

あぁ、チェット ベイカー。

では。

松茸なんて,よその世界、

と思って、数十年を生きてきた。

けれど、今年に入り、友人が、マツタケ山の所有者となってしまったのをきっかけに、

(ただ同然で) 収穫のチャンスを手にしたから、

指折り、秋の到来を楽しみにしてきたが、

夏から初秋にかけての少雨による不作、それと、その地で、クマ出没騒動もあったため、
今年は、ついに諦めるにいたった次第。(来年、生きていればの楽しみ)

そうこうしていた、先日。

(松茸狩りを)ご一緒に、とお誘いしていた家人の友人(山菜とキノコ採りの達人)が、それは、立派な雑キノコを分けて下さった。

その晩、さっそく、肉厚のアミタケ(多分ね)を、煮込みうどんで美味しくいただいたんだが、

翌日、ほんのお口汚しにと、藤むらの、れーずんクッキーを(僕ひとりで)持参。

すると、すぐに家人にメールが来て、かなり、お気に召されたご様子。

今度の、亡夫の七回忌には、これをお供えにします、とあった。

れーずんクッキーのファンがふえて、まことに喜ばしい。

もちろん、僕は、お店からマージンなど、もらってはいませんとも。

では。

信じるから,語る。

対象とする作品を、

ほめようが、けなそうが、

およそ詩を評する、ってのは、詩を信じているからに違いない。

詩の可能性を信じている、と言い直してもいい。

……、こんな当たり前のことが、このところ腑に落ちて、

それに気づかないできた、自分の迂闊さを感じている。

ただし。

作品を論じているようにみせかけて、なんのことない自分をのみ語るやり方に、食傷することも多い。

先日、宮沢 賢治を読み返していたら、次の2行からなる作物が、目を惹いた。

報 告

さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張って居ります

生前に発表された詩集『心象スケッチ 春と修羅』(1924年4月発表) に収まっているから、賢治お墨付きの、〈詩作品〉だ。

僕が或る詩人について考えていたから、

ふと、賢治が啓発をくれた、そんなふうにひとり決めしている。

では。

曝されて 白くなる。

一年ほど前のこと。

小学一年生に、

― 最近、調子どう?、と、(学校生活を念頭において)尋ねたら、

― ボーっと、過ごしている、と、笑いながら答える。

……なかなか洒落たことをいう、と感心した。

人間、考えることをやめると、〈時代〉に逃げ込みたくなり、

物事を見つめようとすれば、〈個人〉に迫らざるをえない。

ふと、そんな言葉が、口をつく。

年月に曝され、ものが漂白されると、

そこでは、個性が、押しつけがましくもなく、ただ静かにたたずんでいる。

果たして、そうなれるかな?

では。

嘘でも,かまわない。

人間の記憶を、もっともよく喚起する感覚は、嗅覚である

……いつか、家人が言っていた。

その出典は知らないが、

匂いや香りが、ひとの記憶を、呼び覚ます契機になることが多い、とか。

そのご説の真偽など、どうでもいいんだが、

クズ(葛)、ラベンダー、キンモクセイ(金木犀)の、それぞれの花の香りを知っていることを、大切にしよう、とは思う。

その金木犀が、9月30日に匂い出した (=開花した)。

涼しくなったことでもあるから、これから 1週間は、楽しめるかも知れない。

秋冷の頃の、ならわし……。

では。