日頃、喫茶店めぐりをしているらしい(頻度は知らない) 同僚があって、
そこのマスターが……とか、そこで遭った常連の客が実は……、とかいろいろと教えてくれる。
そこで。
― でも、さあ。
あなたの話は、誰々は、どんな地位が在ったり、有名人に繋がっている、または、どれだけの資産を成した、そんなことだよね。
まぁ、そういう〈健全な〉上昇志向を否定はしないけど。
……健全、という言葉には、もちろん、多少の皮肉を込めているのですが、
要は。
名利(名声や名誉、利得)を求め、良しとする人生は、どうもなぁ?、と思っていて、
さりとて。
そういうところに走る向きが大半な世の中だからこそ、
そうでない生き方に感動をおぼえたり、いたく心情を揺さぶられるのかも知れない。
これは僕の偏見だが、
積極的に喫茶店に出向いてたむろするなんてのは、
(他に下心がない限りは)ロクな時間の使い方でない、と蔑んでいるからに過ぎない。
註;喫茶yamaga の場合は、すこし事情が違う。
『幕末太陽傳』は、1957年(昭和32年) 公開の映画。
この作品が、その年のキネマ旬報ベストテンでは、第4位(ベストスリー圏外)なんだから、
当時の邦画界には、当代トップクラスのクリエイターが集まっていて、かつ世間の鑑賞を獲ていた、ということか。
ちなみに、同年、外国映画部門の第1位は、フェリーニの『道』だった。
さて。
太陽傳のいちシーン。
遊女(左 幸子、南田 洋子)の乱闘を、
室内から、中庭へ降りて、そして次には、二階屋から見下ろして……と
一気に執拗に追いかけるカメラワーク。
これだけでも、演出の見事さと、応ずる役者の演技にやられてしまうけれど、
その後に。
男ふたり、湯船に浸かる静寂のシーンをそっと挿むところが、実にいいね。
では。