僕らは 誰なのか?

昔、中学生の頃、

(当時、セザンヌとゴーギャンがもっとも好きな作家だった)

ゴーギャンの画のひとつ(1898年頃の完成)に、

〈我々はどこから来たのか  我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉

とタイトルがあるのを知った。

横長の画面の中央には、半裸の女性が立つ姿が描かれ、

その両手を頭上に伸ばして樹から果実をもぎろうとしている。

……さて。

バイブル(旧約聖書)の記述には、

人間(の始祖)が、神と共に、エデンの園に住めなくなったのは、

善悪を知る木の実(食するのを神が禁じてあった)を、食べたことで、

智恵を獲たため、とある。

この箇所だけでも、聖書はたいそう洞察力に富むが、

これがまこと、とすれば、

全人類は、せいぜい小学校に入るころを境に、

神と一緒に暮らす特権を失う。

この年齢あたりから、

悪いこと、良いことの判断を身につけて生きるからだ。

動物以上、けれど、神(絶対的な全能者)未満(になれない)の、人間には、

けれど、智恵、すなわち、考える力(悟性とも判断力とも) が与えられていて、

この能力を、武器として、意識的に最大限使うしかないべぇ、と作りあげてきたのが、

ここ数世紀の西欧の学問と文明であって、

日本も、江戸時代を終わりにして150年このかた、この潮流に乗っかっている。

夏目 漱石は、どこかで、

西洋が100年かかってやってきたことを、明治は 40年で繰り返している、と書いた。

漱石の感想(の中身)を、それからの100年の中で、

日本人は、トコトン吟味してこなかった、というのが、僕の感想……。

では。

行き当たりばったりの悦楽。

古道具屋、古書店、中古家具屋を、たまに観てまわるのが好きでして。

といっても、地方の街には、わずかな軒数ゆえ、

それも、年々減っているから、いつまでそんな楽しみが残るのやら、と思う。

新品を扱う店舗と違い、

中古を商うお店をひやかす愉しみは、なんといっても、

或る時、其処に行ってはじめて、おっ、これは、というブツにお目にかかれること。

こんなの喜ぶの、俺以外にいやしないだろう、という気分でする買い物こそ嬉しけれ、だ。

先日、中古CD屋さんで、

フィル スペクターが制作にかかわった(プロデュース)作品を集めた 2枚組を見つけた。

1958~1963年の、キャリア初期のやつを集める。

ノート(解説)も無し、そっけない装幀の輸入盤。

Be My Baby (ロネッツ)が見当たらないのが、玉にキズだが、

To Know Him Is To Love Him は、収まっているから、十分楽しめる。

で、萬年式ノートを添えておこう。

…… 2021年1月16日、カリフォルニア州の病院で、

第2級殺人罪(禁固19年)で収監されていた、ひとりの受刑者が、

COVID-19の合併症でこの世を去った。

享年 81。

かつて、ポピュラー音楽のプロデューサーとして、ひとつの時代を代表したこの老人の名は、ハーヴェイ フィル スペクター ……。

アルバム『Let It Be』(1970発表) の制作をフィルに頼んでおきながら、

自作『The Long And Winding Road』に施された編曲が気に食わないばかりに、

後年、ビートルズのメンバーに同意させて、

『Let It Be … Naked』(2003年)を発表したのが、ポール マッカートニー とか

 

……このCDでは、ルース ブラウン歌唱の Anyone But You が好きだ。

では。

ドリプラへ急げ (エスパルス ファン&サポーター 様)

いまだ、暑さ厳しき駿河の国なんでしょうか。

オレンジにはなかなか慣れ親しめずに、申し訳ないんですが、

犬飼や、滝君らをお貸しいただいたり(滝はその後完全移籍) の、

御恩は決して忘れない。

それもあって、既にご承知かも知れませんが、

今回、某筋より入手の、(おそらくは)とっておき情報をアップいたします。

対戦でもなけりゃ、

このブログには、ご訪問もありますまいが、それでも、ダメもとで。

……エスパルスドリームプラザ、2025秋のお菓子パンフェアに、

今回、井上百貨店(松本市) が初の出店。

9月15日(月祝)~ 17日(水)に、牛乳パン各種と、

藤むら れぇずんくっきい (シャインマスカット)を、それぞれ200個と100個の限定で販売。

…… れぇずんくっきいは、レギュラーがお奨めの萬年ですけれど、

またとない機会ゆえ、謹んでお知らせします。

惜しくも、

諸般のご都合で、ドリプラ蹴来がかなわざる方々も、いらっしゃるでしょうが。

では。

たまに誉められ。

このブログの読者諸氏には、ひょっとして、

萬年が、その同居人から、

責めばかりを受けている、と誤解される向きがあるかやも知れない。

たしかに。

助手席からは、そのドライビングテクニックを、

テーブル上では、その咀嚼音や、凛としない姿勢をば、

多々、ご指摘いただいてはいるものの、

この齢になれば、

袖を引っ張ってくれる者がいるだけで有難いと、それを甘受している。

若気の至りの、肩で風を切った態度との、

鮮やかな対照として、

老いによる狭隘な自己肯定ほどに、見苦しいものはないのだから。

ところが、先日。

帰宅した家人から、僕が活けた、

というより、適当に花瓶に放り込んだ切り花を、よくできました、とのお褒めをいただいてしまったのである。

たしかに、5種の草花の位置と高さについては、気を遣った。

ただし。

いつもとは違って、これ秀逸の出来映えね、とのご託宣ではありましたけれど。

では。