年の瀬の 書初め ……。

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新しい年(元旦)を迎えたら、時代はもちろん、人にも、齢がひとつ加わる。

……といったならわしが消えて久しい。

〈数え年〉の風習はもはや廃れ、〈満年齢〉がフツー。

しかし。

存在する者を、0(歳) とするのは、どうしたって(数学的に)不合理であって、

生まれたての彼は、 1歳(自然数を持つ者)でなければ、オカシイのだ。

たとえば。

或る年の、2月1日に生まれると、そこで、1歳。

翌年の元旦が来る、つまり、年越しをすると加齢して、2歳。

次に、(この場合1か月後に) 誕生日が来ると、3歳。

こういうのが数え年による年齢加算で、本来、七五三は、これでおこなう。

……ま、きょう日、どうでもいい、小うるさいこと。

それが証拠に、

昨日は、

小学三年生と一日一緒に過ごしたけれど、冬休みの課題として、

〈書初め〉に手をつけた。

本来。

新年を寿ぎ、新鮮なる決意の下に、筆を持つのが書初め(のココロ)なんだろうが、

そんなことたぁ、いまや関係ない。

つり正月、の字句ふたつを、お手本に従って、何枚か書く。

筆の入れ、止め、撥ね、抜き。

それを意識して、最後まで気持ちを込めるように言うと、

なかなか上手く書いているので、感心する。

僕もつきあって、筆を借りて、何枚か書いてみた。

そして、

新聞紙をひろげた上に、書き上げたものを並べて、墨が乾くのを待つ。

あとは、自宅で、(もっと細い筆で) 自分の名を入れるだけ。

さて。

作品をしまう段になって、

家人が、小学生に向かい、

― こっちのも、しまって家へ持っていかないとね。

― 待ってよ、それは、僕の書いたものです。

小学生に才能があることも確かだけれど、

萬年の筆才も同じレベル、なんでありますね。

では。

〈毒〉について。

夕方になって、急に、

前夜(比較的に早朝)に見ていた夢の断片を想い出すことがしばしばある。

あぁ、彼が登場してたよな、と脳裡に浮かんでくる……。

それとよく似た風にして、ふと、

萩本 欽一が思い出された、今日の午後なのであった。

なぜか?など、皆目、分かりません。

あぁ、

70年代に売り出していた頃の、コント55号は、面白かった。

そのコントの妙味は、

萩本が〈毒〉を発散することで、相方の坂上 二郎の、心胆をゆさぶり、なじり、愚弄し、ひきずり回すところにあった。

この事はこうやるんだよ、やってみな、と、萩本が坂上を試すことが続く。

で、巧くできないことを、責めに責めて、ついに〈バカモノ〉と決めつける。

この言葉は、相手に対し、敢然として上位に立つ者の宣言なんだが、

萩本の、〈バカモノ〉の口調とタイミングは、とても秀逸だった。

時として、坂上が、それなりの抵抗を示すことがあって、

観ていて、あぁ、これは舞台を降りた日常で、かなりな葛藤もあって、その中、コンビをやってるな、と思わせた。

観客は、コンビの絆におけるスリリングさをも、楽しんでいたように思う。

ふたりが、それを使って笑いを獲った、というのが精確か。

なぁなぁの仮面を剝ぎ取って、どうでもいいことに偏執すること。

僕は、それを〈毒〉と呼びたいのだけれど、

マジメにおかしく、しかも、暴力的にやったのが、コント55号の価値に違いない。

ゆえに、平和愛好者の家人は、その芸風にトコトン否定的なわけ。

やがて、

萩本は、司会業に転じたけれど、

そうなると、聴き役にまわり、相手をそれなりに立てなければならない。

だから。

〈毒〉の発散は禁じ手、とせざるを得なくなった。

いわば、無害化した、萩本 欽一というコメディアンを否定はしないが、

僕の興味はない。

では。

昔はよかったか。

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「昔が今よりもよかったのはなぜか」と言うな。
あなたがこれを問うのは智恵から出るのではない。

……上は、紀元前930年頃に亡くなった、ソロモン王の言葉として伝わるもの。

実際に、イスラエルの王が発した言葉なのかは、もちろんどうでもよくて、

今から 3,000年前も、

人間は同じようなことをつぶやきながら生きていた。

そのことが興味深い。

人間性は不変、普遍ということなんででしょうか……。

健康診断の問診票に、

同世代の人に比べ、あなたは歩くのが、早いか、同じか、遅いか、の項目がある。

家人と連れ立って歩くと、僕のほうが遅れ気味になるので、

遅い、と答えることにしているけれど、

あれ、正しくは、〈時と場合による〉だよな、といつも思う。

こと、楽曲においては、

最近は、このくらいゆっくり、しんみりと楽しみたいので、この人のピアノばかり聴いている。

ところで。

ジョー氏からは、ラインとインスタ(の設定)を検討してよ、と迫られていて、迷っている年の瀬。

では。

惜しまれてこそ……。

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先週のこと。

友人の〇子さんから、家人にメールが入った。

共通の友人が、先日亡くなった、寂しい、とある。

今月 9日に他界されたのか……。

その日、僕は、その方の面影を、眼鏡の奥のまなざしを、懐かしんでいて、

もちろん、たまたまのこと。

それを、因縁めいた話題にしたくはないが、

しかし。

その死が、周りの人々から心底惜しまれる、というのは、人生における勝利のひとつに違いない。

他方。

介護されるために施設に入所していて、

援け手(職員)に向かい、してもらっていることがことごとく気にくわずに毒舌を吐き続けている者がいる……。

どこも受け入れてくれる処がなくなるのが先か、

はたまた、彼女の最期が先にやって来るのか。

まったく感謝を知らない人格は、一体、どんなふうに出来上がるのだろう?

それを解明したいものだが、

家人から話に聞くだけで、僕が、面と向かってお遭いするわけでもなし……。

でも。

その死が、他の者にとって祝祭になるなんて、なんと悲しいことだろう。

 

……ところで。

ビートルズの曲の中で、

〈ペニー レイン(1967年発表)は、他と比較できない格別の曲だと、今更に思う。

彼らが生まれ育ったリヴァプールの街にある、実在の通り(道路)の名。

1ペンス通り、とでも訳せばいいのか。

歌に詠みこまれた場所をたどりながら、面白くカヴァしている動画を見つけたので、ご紹介。

生き続ける懐かしさ、そんな世界。

では。

僕の緑化作戦 (耕作篇)。

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晴耕雨読、といった洒落た生活を送りたいが、

それはかなわず。

勤務の合間をみては、自家製の農作物を得たくて、畑をつくっている。

いわば、アマチュアのにわか農家に過ぎない僕だけれど、

良い産物を手にするには、その土壌が豊かでないとならぬ、といった原理をここ数年でつくづく知った次第。

そこで。

この4年ばかりは、庭に落ちた枯れ葉を集めて、自給自足とばかりに、それを畑の土に埋め込んでいる。

今年は、さらに、耳学問に終わってはならじ、と、

掘り起こした畑土のうねの条ごと、

枯れ葉を敷き、その上からヌカを注ぎ、さらに石灰窒素を播いて、土を掘り戻しておいた。

さぁ。

あと4箇月はこのままで、

夏のために、今は、土を静かに休ませておこう……。

では。