なんらかの変化? (北Q戦レビュウ 終わり)

日頃、公式サイトの、ゲームフォトをみるように努めている。

僕にとっては、興味ある題材だ。

今節は、ちょっとしたコペルニクス的転回があった。

そこには、

永井 龍に、ヘディングで叩き込まれた失点シーンを織り込んであったからだ。

従来、得点シーンだけ掲載していたのは不自然、と思っていたから、こういう方針転換は、大歓迎。(方針転換だったとしたら)

元所属プレイヤーを讃えるための、今回のみの特例にしてもらいたくはない、というのが、僕の切なる希望。

あのヘディングは、ゾーンディフェンスを採って守る相手に対して、お手本のプレイで、

あの時、山雅側には、180㎝を超えるのは常田のみ。

そして、永井は、その常田の後方から斜め前に出て来て、より高い打点でボールをとらえている。

ポイントは、そういうプレイを予測していたかどうか?、でしょうね、山雅側が。

さらに、コーナーキックに対し、ゾーンディフェンスを採用するならば、そのデメリット(危うい部分)をすべて挙げておいて、その対策を漏れなくチームに落とし込んでいるのか?

攻撃は、個による創造性が関与することもあって、そのぶん、気持ちもノルだろうけれど、

守備という仕事は、ある意味、退屈な決め事の実践。

けれど、地味な分野でこそ、ひとつひとつの突き詰め作業をどのくらいやっているのか?

ま、サッカーに限らず、仕事のクオリティーを増すには、必要なことなんでしょうし、

〈意識〉とは、方法論の徹底について用いる言葉である。(by 萬年)

では。

もっと果敢に,丁寧に (北Q戦レビュウ その❷)

いまや。

J3でも、これくらいのゲームをやってる、という見本みたいな対戦だった、と思います。

それなりに巧い。だって、1部、2部の経験者も多い。

けれども、チーム総体として〈考えるプレイ〉といった深みがない分だけ、

各個の技量が活かし切れない、といった不足感がある。

たとえば。

無駄にボールが行ったり戻ったり、ラインを割ったり、

そんな粗(あら)さのために、好機の流れが寸断されて、努力が徒労となる。

チーム山雅として、乗り越えたいのは、そこら辺ではないか?

プレイヤーは、決して手を抜いてるわけじゃあないけれど、ようやくボールを入手して、

さぁ、前方には広大、かつ、人手少ないスペースが拓けているのに、

淡泊に、シュートを撃つ。

視野を広くすれば、横に走る味方がいるのに、息切れするかのように、ボールを渡せない。

北Q戦でも、カウンター気味な好チャンスはけっこう在って、

シュートは枠内をとらえるものの、力感に不足。

最後の詰めを、もっと丁寧に、自分たちを信頼することを願う。(精神論でなく)

勝ち点1、に終ったのは、2点目、3点目を積めなかったことに尽きます。

負けてるチームのスタッツが良くなるのは、同点にしようと力を込めるから、ある意味、当たり前のことで、

たとえ、リードしている、または、同点であっても、勢いを倍加できるチームは、僕が観た限り、このリーグでは、ヴァンラーレくらいですが、

山雅も、逃げる気持ちは一切棄てて、そうならなければ。

もちろん。

あのゲームには、美点も多々あって、

❶(チノ氏の評価によれば)、両山本(龍平、康裕) が良く、したがって、彼らが連携する左サイドでは、多く攻め込めたし、

そのぶん、ギラバンツの左サイドを封じ込められた。

❷後半、右サイドも面白いことをやっていて、
藤谷が中央に入ると、外から(たしか)佐相がオーヴァーラップをかけて、クロスを狙う、なんて場面。

(ボールを持つことで相手ディフェンスを引き寄せてから、フリーなプレイヤーとスペースを創り出して、次には、彼を使う)

❸浅川による先制ゴール。

あれは、安藤が、クロスを入れた山本のほうに走り、北Qのディフェンダーを引きつけることで、浅川が、クロスに飛び込むスペースを生みだした(by チノ氏)。

詫びと訂正☞山本方向に動いたのは、野々村、安藤は逆サイドに突っ込んで、やはりディフェンダーをひとり引きつけた。

こういった、味方を活かす連携は、

ゲーム以前の、繰り返しによる、信頼感を含んだ定式化が在ってこそでありましょう。(プロに向かって、それを言うのは失礼かも知れないが)

❹常田(左)から、藤谷(右)へのビッグスイッチは、3回くらいだったか。

パスの連続によって、相手を揺り動かすこと、と同時に、ピッチ(エリア) を大胆に変えること。

それを巧みに組み合わないと、堅く守りたい相手守備網には、やすやすと穴は開きません。

ただでさえ、(その真偽はともかく)山雅の技量はチト厄介、と思って守備を締めてくるんですから、相手は。

この視座に立てば、

細かいパスか?、ロングボール?か、といった単純な択一論は無意味であって、

確実なゴールから逆算すると、

いまの状況では、こういうプレイの組み合わせでやる。
☜ そこのところで、いかにチームの意思統一をするのか?

……以上、愚痴から入り、けれど、出来てきた点も喜びたかったわけですが、

気がつけば。

負傷(不調)によるゲーム離脱が、指折りでめだつようになってしまった。

リーグ前半の折り返しの 6月(残り 5節) を前に、辛い感がありますが、

いくつもある正念場の、これもまた、ひとつなのか……。

では。

駄々っ子も,いい加減にせよ (2024.5.18 北Q戦レビュウ❶) 

幸先よく、先制すれども。

追いつかれて 1 – 1 のドロー。

こうなると、むしろ、

もっと終盤近くに先制しておいて、それでもって逃げ切ったら?、などと、

おおよそ荒唐無稽なことを、言ってみたくもなります。

まぁ、そこまでプランニングできるほどに成熟してたら、悩みはしないか。

同点にされた時間帯(アディショナルタイム)は、たまたまであって、議論したところで無意味。
(心情的には、いろいろあろうが)

要は、90分プラスアルファを堪え切れなければ、どこで失点しようが、同じこと。

ゲームは、ほぼ、予想した展開。

相手を、押し戻し、追い返し、ミスを誘発させている限りは、山雅の時間帯でしたが、

北九州が、鋭くややロングなパスを、中盤で多用するようになってからは、テクニックテクニカルな連携において上まわる強みを出して、

優位にゲームを進めるようになった。

チノ氏(北ゴール裏同志)の指摘ではじめて気づきましたが、後半、風向きが北Qに追い風となったことも、相手を利したんですね。

ゆえに、欲目と結果論で言えば、勝ち点3を取りこぼした、となりますが、

実相では、

現状、(力量と使える戦力からすると) 精いっぱいのゲームでしたから、

勝ち点1 を積めた、または、負け数を増やさずに済んだ、が正確な評価でしょう。

……で。

ゲーム終了後の挨拶周りでは、お決まりの光景。

いまや、勝った時以外の風物詩となった、南ゴール裏によるBOOの大合唱です。

基本、山雅の現在地に関する、完全なる思い違いがベースになっているのでしょうけれども、

きのうの場合、みづからは、スカスカのゴール裏しか形成できないのに、

君たちだけは、ゲームに勝て、とは、いかがなものか?

勝利、勝利をほしがる、まるで駄々っ子のようなもんですが、

自分らは、ルーティンの応援に浸り切っておいて、

プレイヤーだけには、One Sou1を、求める虫の良さ。

それで、寄り添っている、とでも? (侵食されつつある、One Sou1)

これを言うのは、二度目ですが、

かくなるうえは、ホームでは引分け以上、アウェイで勝利、の図式でも、一向に構やしませんよ。

では。

やりやすいが,捕まえられるか? (北Q戦プレビュウ)

……余談をひとつ。

昨季をもって、ギラヴァンツを去った小林 伸二氏が、
この度は、2部リーグで、不振に悩む栃木SCの監督に就任した。

優秀なる指導者は、救済者として引く手あまた、ってことの証明でしょうか。

さて、と。

❶北Qについて。

最近のゲーム(対岐阜戦 5/6) をチラ見した限りだと、

〈テクニカルなサッカー〉

特に、ボールを手に入れた際の、ゴールへと迫る速さ、ペナルティーエリア内外で、ボールを動かすことの洗練。

ロングボールも使えば、セットプレイ(含むコーナーキック)にも、強みあり。

万遍なく、手堅く、オーソドックスにゴールを狙う、そんな印象。

このゲームでは、およそ7割方を、

岐阜の、パスワーク素晴らしきサッカーに押し込まれていたものの、
無失点で凌ぎ切り、PKによる 1点で、勝ち切った。

思うに。

こういうバランスのとれたサッカーには、けっこう、山雅は、相性がいい。

逆に、先鋭的な特長を持つチームに対しては、手を焼く。

大宮戦の出来が良かったのは、前へ前へと休みなくボールを動かしたことが大きかったけれど、

おっとりと、工夫に乏しい大宮の流儀に助けられたことも大きかった。

ゴールキーパー笠原のロングフィードは必ず杉本 健勇を狙っていて、

そこには、3部のチームだと、わかっちゃあいるけど、杉本は止められないはず、というような根拠もない矜持と自信があるんだろう、と思う。

まさか、ギラヴァンツが、大宮ほどに、のほほんとアルウィンに来はしまいが、それでも、組しやすい匂いはします。

❷山雅に望むこと。
前から指摘している攻撃面における停滞を、克服すること。

いまや、リーグ公式で、
シュート数では、リーグ第1位、コーナーキック数は、同2位の山雅だから、攻撃サッカーを実践していることは確かなんだけれど、

やはり、より最適なスペースとタイミング、より最適な体勢で、撃ちたい、撃たせたい。

そのためには、相手守備が予測不能な、あるいは、その予測を上まわる仕掛けを、ふんだんに挿し込もう。

たとえば。

センターバックから、逆サイドのプレイヤーへのビッグスイッチ、

あるいは、同サイドの前方で構えるプレイヤーへの縦パス。

そういったサイドチェンジ、前方へのくさびパスは、もちろん、ボランチによるチャレンジが、あっていい。

足もとへ手堅く一周、といったパスワークは、

どこかで変速(スピードアップ)、コース変化を噛まさないと、なかなか突破は困難。

菊井 悠介の真骨頂は、瞬時にしてボールの軌道を変え、フィニッシャーに供給できるプレイですよ。

その意味で、ゲーム終盤に魅せる、山本 康裕のサイドバックのような駆け上がりなどは、相手にとって意表を衝く攻撃であって、効果的。

守備面ですか。

前線からプレスしまくることで、出来る限り、自ゴールから遠くでプレイをする、といってしまえば、身も蓋もありませんが、

よしんば、特に、サイドから侵入された時は、

ディフェンスラインを、しっかりと縦方向に、2~3列そろえることによって、

人とスペースの両方を手当てし、北Qの攻撃を捕まえる、または、後方へ押し戻す。

放つシュートも多いが、被シュートも多い(リーグ5番目)、をいい加減に断ち切りましょうや。

(ちなみに、ギラヴァンツは、リーグで、下から3番目に被シュートが少ない)

では。

公理は、反証をゆるさない。

〈公理〉とは、簡単にいうと、

純粋数学(幾何学など)にあって、大、大、大前提となる決まり事のこと。

例えば、次のようなもの。

異なる 2点を結ぶ直線は、ひとつ(1本) しか存在しない。

これが、数学という学問の理論的な出発点(のひとつ)、なわけです。

……こう書いてくると、

昔、学校で、数学が苦痛だった方々、あるいは、いま苦しんでいる方々は、

これ以上、この投稿を読む気が失せるかも知れませんが、これからが、面白いところなので、どうかおつき合いを。

で、この〈公理〉が宣言され、成立する根拠とは、何か?

それは、経験的、直感的に、(ほとんどすべての人間に) それが真実、つまり、そうに違いない、と感得されるから

ですから、〈公理〉は、その性質上、決して反証をゆるさず、拒絶する。

エマニュエル カント(1724~1804年、独の哲学者)は、

こういう純粋直感、つまり、〈決めつけ〉を土台とする数学は、学問として、もっとも成功している、とまで言っておりますな。

さて、ここまで来て、僕が、ふと、思うには、

我が愛するクラブの周囲にも、公理のようなものが、見え隠れすることがある。

過去の経験による直感にもとづいて、

いまだ、5代前の、偉大なる指揮官(とそのサッカー) を待望してやまない未練、がそれ。

決めつけ、反証を拒絶する、なんてところは、まさに公理、と言えましょう。

……18世紀の哲学者を引用すると、ファン&サポーターの生態も、説得力がありますね。

では。