予想も,良し悪し (富山戦レビュウ❷)

3得点すれば勝てる、富山は総合点が高く、手を抜かないスキのないサッカーをする……。

などと、プレビュウに書いたら、

3得点はそのまま富山にいって、〈スキなく勤勉なサッカー〉をみせつけられてしまう……とは。

萬年式予測が、悪いほうへと当たる(トホホ) のは、

ひとつは、この僕がリアリストであるから。

ふたつめとして、

霜田さんは、対策および、対策への対策よりかは、自分式の規矩(基準)を貫いた攻撃的なサッカーを標榜しているから。

多分、根底は、そんなところです。

ゆえに、リーグ戦は勝ち負けが交互に現れて、できたら、勝ち数が、負けを数個上回れば、といった着地と診ます。(PO圏内滑り込み)

今の戦力(チーム人件費)だと、それが妥当な狙いでありましょう。

ですから、そうと決めたからには、それを完遂するのみ。

技量重視の、そこへ、プラス アイデァ(狡猾さと工夫)なので、

必然。

チームとしてのゴールは〈うまくなる〉(個の技術と連係)となる。

現実は、あと13ゲームで、まづは 6位以内に上がれるのか、いわば、時間との戦い。

(☞ 昨シーズンも、そんなことを言ってたような、トホホ)

そういうサッカーに対して、

覚悟とか、やる気とか、そういう責め方、評価のモノサシを当てたところで、なにも、課題が引き出せないのですよ、シンマイさん。

プレスの御方は、お金をもらって記事を売っているのですから、そこのところを、キチンと押さえるべき。

いや、記者は、もっとココロを入れろ、と言いたいのかも知れませんが、

そもそも霜田氏のいう〈意識〉とは、技量向上に資する姿勢のことを言っているのですから、議論はすれちがう。

……以上が、プレビュウ❶(精神論は無意味)の蒸し返し。

さて、富山戦に戻そう。

そのスキのなさと勤勉とは、たとえば……、

❶2得点目、ゴール前のゴチャゴチャから、常田がクリアしようとしたボールを、ムリな姿勢であっても、足を伸ばして味方へつないだ #10の、地味で諦めないプレイ。(おかげで常田は空振り)

❷ダブルボランチ(先発)を組んだ、#15、#16 が、常にお互いの距離を保ち、中盤で、ひたすらボール回収と転送に勤めたこと。

❸ロングボールを入れて、山雅の基底ラインで競る。

☞ 山雅は、長躯の常田が競り勝って、それをはね返すから、そのボールを回収して、サイドへ回して侵入。

☞ 対抗策として、山雅GKはロングフィードを多用するだろうから、高さのない山雅前線には、センターバックが優位となり、やはり、ボール回収の可能性が高い。

ハイボールは高身長が競り勝つ、という変哲もないことを、当たり前に丹念にやり続けること。

……こんな富山とやるについて、

さて、どうだっんだ山雅。

ロングボール対応は、そこそこできていて破綻はなかった(セカンド回収はてこずったにせよ)、と思います。

2失点は、サイドを侵されてのもので、ここは、常日頃、山雅の課題として指摘する部分。

(蛇足ですが、3失点目、あれはもうオマケ。得点するため、野々村をあげていて、実質、常田オンリーの守備でしたから)

山雅の流儀だと、サイドを守備に限定して云々するのは意味なくて、

それ以前として、こっちがどれだけサイドで優位を保てたのか、そうでなかったのかが肝心。

これは、センターバックが、どれだけサイドバックに自由に前進できる時間的余裕を持ってボールを供給できるか。

それと、サイドバックがボールを受けた時に、サポートへ入っていく、1、2列目のプレイヤーの存在、このふたつにかかっている。

今節、サイドのサポート役山本 康裕の不在の意味は掴めませんが、

後半早々、中村 仁郎の投入、藤谷 壮へのスイッチ、これだけでも右サイド修正への手がかりとなった。

次のレビュウ❸では、今後の目当てとなり得る山雅式の中身について、です。

では。

ふたたび精神論を排斥する (2024.8.24富山戦レビュウ❶)

雷鳴と雷雨で、催行が危ぶまれたゲームは、

0 – 3 の敗戦。

カーヴとアップダウンが続く、たたでさえ難儀な峠道。

そこに加えて、負けの負担感と、県境に近づくにつれ、ところどころ猛烈な降雨(ワイパーでかき切れない)をもらいながらも、当日中に、なんとか無事に帰松。

お疲れさまでした。

レビュウは、3回くらいに分けます、ご了承ください。

最初に。

讃えるべきは、カターレのスタジアムDJ氏のセンス。

― 僕は、また、お逢いしましたね……なんて(野暮な)ことは申しません。

なかなか上品ではありませんか、しかも、情報収集も怠りないご様子。

それに比べ、山雅人のほうは。

品格と、情況認識が欠如のようで、どうもいけません。

ゲーム後、メインスタンドで隣に夫婦で座ってらした、初老の男性。

チームが挨拶にまわってきたら、やおら、最前列に降りて行って、

― やる気あるんか!!、と怒鳴り出す。

まぁ、こういうのは、最後は、頑張れや、で手を打ちたい説教なんでしょうけれど、

言われる側からすれば、やる気云々は、よっぽど的外れな罵声に過ぎません。
特に、昨夜のゲームに関しては。

僕など、プレイヤーらが、お腹の中で失笑しているのではないか?、と心配になる。

亀裂は、そういうところに芽生えるものですよ(親子の間でも)。

僕は、意識と精神論を、結果や成果とセットで持ち出されることに、強烈なアレルギー症状が起きてしまう。

広い世代を抱える山雅サポーター一流の多様性は、また、

走らなくていい時に前後に走れ、と求め、

後ろへのボール配球は禁物、厳しいチャレンジをしているのに、ミスだけを責めるような、薄っぺらさを持ちあわせている。

昨日のスタンドで、遅きに失して気づいたことですが、

やるサッカーの中身は、報酬を貰ってやってるチームが案出、行為してくれればいいので、

一週間のはじまりを爽快にしたくもあるから、

自分らは、ただ見えているものから、直観と、どこかで蓄えた〈山雅らしさ〉に照らして、チームに称賛と叱責を送ろう、こういうことなんでしょう。

前方の女性サポーターは、前節に比して、なんという不出来、というゲーム評をもらす。

得失点、勝敗という決定的な結果だけからすれば、そうかも知れない。

が、前節が、ずば抜けて良かったのでもなく、

今節、プレイヤーには、技量の出し惜しみがあったわけでもなくて、

せいぜい、違ったことは、(相手が富山に変わったことを別にして)

菊井 悠介がゲーム冒頭からずっと、最前線の位置を採っていたこと。

フリーキック(とロングスロウ)に、かなりの工夫を割いたこと。

終盤、野々村 鷹人を前線にあげて打開を図ったこと、それくらい。

ゲーム(とチーム)を評するならば、

まづは、安易な精神論を排したらいかがなものか、山雅周辺の方々よ。

では。

とにかく得点。(富山戦プレビュウ❷)

カターレ富山。

そのチームで現役を引退したプレイヤー(小田切氏) が、ユース畑で指導歴を積んで十余年。

その後、トップチームの監督を、ここまで 足かけ 3年務めている……。

……僕が、いつかは山雅で観てみたい光景だから、

やはり富山さんは、そういう意味でも先輩格だろう。

このチーム、レンタル選手(有望な若手)を上手く出し入れしながら戦う、といった趣きがいままであったが、

今季は、活きの良い大卒ルーキーの活躍が、特に目立つ。

一芸に秀でた感はあまりない(地味)が、勤勉に前後動する、隙の無いサッカーという印象。

そう、〈勤勉で手を抜かない〉がピッタリくる。

言いかえると、総合点で優位を保つから、僕の世代用語で、国立進学コース系サッカーと呼んでしまえ。

キビキビしたパスワークを、相手を引きつけるように使い、

機をみると前線へロングなボールを投入して、一気にスペースを獲る、そんな感じを受けます。

こんな相手とやるには、高く保つ守備ラインの後方スペースを狙われることは必至でしょうが、 (ホーム戦でもそこやられましたから)

それに怖気づくこと無く、

ムラと隙を慎んで、ひたすら当方得意な方策を繰り出す、これでしょうね。

今季リーグ戦では、山雅は 3得点すれば負けはない。

だから、3点は獲ろうよ。(簡単に言いますが)

で、そろそろ滝 裕太のゴールを見たく、彼のゲーフラ持参しますが、

その滝は、2020季富山で(レンタル)戦ってもいて、気持ちが入るだろうから、期待します。

たとえ、清水で同僚だった河井 陽介が、今節は出場停止によってピッチで対峙することができなくとも。

せいぜい、息抜きながら、Across The Border、とまいりますか。

では。

我らの佳境がやって来た!! (富山戦プレビュウ❶)

リーグ戦はあと 14ゲーム。

おおよそ3分の 1を残すところに辿り着いた。

いよいよ、クライマックスの幕を開けましょう。

で。

(夏季の移籍期間も締まったゆえに) 現有の戦力を活かし、

今季ずっと養ってきた各個の技量、それとチームスタイルを、仕上げを見すえてブレずに高める局面に踏み込んだ。

ここまで来れば、安直なつけ刃に頼ってみたところで、それこそ姑息。

山雅は、とにかく〈攻撃サッカー〉を命題にして、

上手くなって、そして、ゲームを巧く制御すること、ここに集中しなくてはならない。

僕からすると、ロングスロワーとして、安永、滝、村越を場面に応じて使い分ける、なんてのは、

そのなりふりかまわぬ執着に好感が持てるし、

前節、安永からのロングボールを、常田が突っ込んできて、後方にそらしたシーンがあったが、そこには、可能性の追求と工夫があった。

持てる戦力をなんでも使ってやる、という発想こそ買います。

精度がどうのこうのと言われても、シュートをリーグトップの数を撃ちまくっていたら、

いつか枠内シュートも、リーグ1位に積み上げていて、〈量〉をこなさなくては〈質〉に到達しないことを証明しています。

さて。

ここからの 3節は、富山、岐阜、大宮と、いわば、山雅にとっては、Jリーグの先輩クラブとの対戦が続く。

胸を借りる、などと卑屈になることはなく、相手がどう出て来ようと、

自分の流儀と技を出し尽くす、これです。

さすれば、勝負の結果は、おのずから我らに好都合でありましょう。(サムライ調で)

では。

ロミオとジュリエットを聴く 『Incident on 57th Street』(1973年)

ブルース スプリングスティーン(1949~ ) というロックンローラーの名が、

一躍、世に知れることになったは、

アルバム『Born to Run』(1975年) が契機だったのは間違いない。

が、ブルースは、それ以前に、2枚のアルバムを 1973年にたて続け発表していて、

リリカルな詩を、積もった感情を吐き出すようなヴォーカルで綴る、これら2作のほうに、より魅力を感じるのは、僕だけじゃあないだろう。

そういう御方は、おそらく、このシンガーソングライターとは、長いつきあいで、いつもじゃあないが、時に触れて聴く、みたいな感じではあるまいか。

僕の場合、彼の音楽と出逢った(友人から紹介された) のは、夏休みだったので、

この時季に、思い入れは深い。

さて、楽曲のこと。

57th street、とあるから、マンハッタン島の、セントラルパークの南を横切るように走る通り。

そこで、incident (出来事)が、スパニッシュ ジョニーと、プエルトリカン ジェインの カップル(恋人)を軸にして語られる。

……とくれば。

古い!! 映画ファンには、下流階級の白人と、プエルトリコ移民の、ふたつの不良グループが反目、抗争する『ウエストサイドストーリー』(1961年)が想い出されるわけでして。

これは、

〈ロミオとジュリエット〉 (by シェイクスピア,1597年初演)を、現代ニューヨークを舞台に、翻案した作品。

で、ブルースのこの曲にも、ロミオとジュリエットという名が登場する。

……てな、お題目はもういいや。

ブルースが、ピアノ独演で唄っている動画を聴きましょうか。

あぁ、シェイクスピアとは偉大なり。

400年を超えて、そのラブストーリーが、語り継がれる。

では。