〈強さ〉の証明 (早川監督らと) その❷

第37節の、アウェイ沼津戦でのこと。

たまたまお隣に座った男性、北信出身(ご実家)の伊東市在住のお方。

かつては娘さんとよくアルウィン観戦をしたらしく、久方ぶりに山雅のゲームを観る、という。

あのゲームは、中山氏の策略にハマり、陣形を引き延ばされると、サイドをいいように使われて、四苦八苦の前半だった。

それをなんとか凌ぐと、修正が功を奏した後半は、逆に優位に立った山雅。

いまだドローのさなか、お隣り氏が、つぶやいた。

― 以前の山雅とは違って、ここぞ!、というところでの勝負弱さが、今は感じられませんね。

あぁ、そういう印象なんだ、間をおいてみると……。

こういった直観は、案外、的を得ているから、参考にしている僕ですが、

しかし。

そもそも、強い弱いといった、かなり心象的、感覚的な形容詞は、軽々しく扱うべきではありませんよ。

特に、テーマとして掲げるには無理がある、がシーズン当初からの個人的な意見でして。

打たれ強い、なんて言い出したら、そもそも収拾がつかない。

で。

中には、〈かつての強い山雅〉を、郷愁と憧憬を込めて信仰している向きもある始末だから、

今後のため、〈ツヨイ〉に関し、褒めるにも責めるにも使用可能な基準値を、ここで示しておきます。

結論。

その基準とは、〈勝率〉

山雅については、(一般的もそうだが)、

勝率 50 %を、強弱の境界点に据えればよろしいかと。

5割とは、同時に、リーグ戦におけるおおよその昇格メドにもなるから、至便。

J参入以降、歴代をたどると……、

2014年 57.1%  (24勝/42節) ★

2016年 57.1%  (24勝/42節) ★

2018年 50.0%  (21勝/42節)

2022年 58.8%  (20勝/34節) ……ときて、直近、

2024年 42.1%  (16勝/38節)

昔語りをする御仁には、★印当時の残像が、記憶にこびりついている、きっと。

ですから。

来季は、今季に、少なくともあと 3つ勝ちを上乗せしよう。

……などと、ゲームごとに目一杯やって、ようやくたどり着いた 16勝を尻目に、

よく言うよ、ということですが、

ま、今だからできる、数字のお遊びです。

では。

まづは手前の橋を渡ろうか (早川監督らと) その❶

新監督が決まって、なにより。

クラブが決めたこと。

だから、支持して、共に戦う。

どんなサッカーでも良いが、

ともかく。

各個の技量と練度(チーム連係と意思疎通)に優れたゲームを期待する。

アタマの中の時計が、6年前で停止したままのファン&サポーター諸氏のごとく、

まさか、この僕が、走れとか、必死に、堅守速攻、とか言うはずもなく、

(サッカーの世界で、そんなものは、取り立てて言うことでもない)

でなくて。

目指すところと、やりたいことが、

観ていて、こっちの腑に落ちる流儀をご披露いただければ、と願う。

相手のある勝負事だから、

ひょんなことで勝ちを拾う、反対に、不運な出来事で勝ちを失う、そんなこともあるだろうけれど、

大勢は、それなりの濃い中身でなければ、勝ちを獲られるものでないのは明白。
☞内容と結果の二元論、あれは、ものごとを単純化し過ぎた、まやかしです。

もちろん、そこでは、〇〇劇場も、〈泥臭さ〉も、ご遠慮したい。

フツーにやって、ゲームの主人公で在ることを、全うしてください。
☞ 攻守に主体的なサッカー、とは、そういうことだろうと理解します。

リーグが始まれば、おそらくは、地味な、わずかな数字値差の競争なはず。

たとえば。

2024季は、最終盤の急追(5連勝)をしたものの、

なんのことはない、2023季に比べて、たったの1つ、勝ちが多かっただけ。(2023年 15勝、2024年 16勝)。

これだけみれば、なんだよ、となるが、けれども、他に動いた数字もあった。

負け数は、2023年 14 から、4つ減らして、10へ。
(その分、引き分けが、9 から 12 へと増加)

引き分けを勝ちにもっていけなかった悔いはあろうが、

負け数を減じたのは、リーグ戦をたたかう中で、ひとつの財産だろう。

さらに、得点と失点をみる。

2023年☞ 51 と 47、2024年☞ 61 と 45。

得点を 10上乗せできたのは、ひとりによる固め撃ちでなくて、多数のプレイヤーで得点を積んだ、ということも含め、攻撃に迫力を加えている証左。

最終的なチーム編成がどうあろうとも、❶❷の成果からスタートできるのだから、

来季は、大いなる アドヴァンテージでスタート、と考えたい。

では。

冬のゲーフラ (後楽園ホール行 2024.12.16)

サッカーの旗は、既にたたんだ。

けれど。

先日は、別のゲームでゲーフラを掲げた、というお話。

場所は、約5年ぶりの後楽園ホール。

同じ夜。お隣りの東京ドームでは、

スノーマンのコンサートがあって、水道橋駅から行きも帰りも群衆の中を辿る。

実は、〈スノーマン〉とは何であるのか、数週間前に知ったばかり。

どおりでこういう客層が多数押し寄せているのか……。

僕のお目当ては、メインイベントの、

東洋/太平洋女子ライトフライ級王座決定戦(タイトルマッチ)

それがトリで、

その前に、8つ試合が催され、18:00の開始。

この夜。

全プログラム終了が、21:00を少し回ってまわっていたので、

みっちり3時間を、休憩もなく、リングを観続けていたことになる。

ゲーム前、僕のお隣に、女性のお二人連れが、着席した。

近いほうの御方、かなりのご高齢にみえる。

軽く、よろしく願います、と挨拶。

一見すると、汗と血しぶきが飛んできそうな、リングサイド近くで観戦したら、具合悪くなるのでは?

……といった要らぬ興味が湧いて、二言三言、会話する。

そしたら、連れの方について来る、とはおっしゃるものの、

なんのことはない、けっこう頻繁にここに足を運んでいいるとか。(川崎市ご在住)

僕など足元にも及ばない、ボクシング通なのだ。

で、僕の斜め右前には、楽しいヤジを飛ばす、中年男性。
(元プロボクサーで、一次は、ヤジが過ぎて、ホール出禁の身分だったとか)

観客を引き込んで、選手に声援を仕立てたりで、気が利いていて、

しかも、応援する選手へのアドヴァイスが、テクニカル的に、本当にそうだよなぁ、と納得させる。(昔はボクサーだもんね)

つまりは。

1,400人が座れるホールが、そこそこ一杯になって、

いろいろと役者がそろった、リング間近の指定席で、プロボクシングに浸った夜でした。

僕のお目当ての選手は、

後で聞いたら、自身の引退試合の位置づけだったらしいけれど、

8ラウンドフルにやって、惜しくも、判定で敗戦、の結果。

まことに残念でしたが、それはそれは、観ていて、緊張しまくりのグッドファイト!!

彼女はファイター型のボクサーなので、もっと飛び込んで左パンチで勝負したかったんだろうけれど、相手の軽快なフットワークと、手数の多さに苦しんだ感があった。

身長差(相手が低い)も裏目に作用したかも知れない。

パンチは、やはり、水平に繰り出すのが、体力の消耗がもっとも少ないのでは? (もちろんすべて素人の感想)

きつい減量(6㎏の)をして、階級を下げて闘うのは、こっちの想像以上の苦しさだったでしょう。

でも、いいものを魅せてもらいました。

若者が、(セコンドと声援はあるけれど) 孤立無援のリングで、あれほど、実は、

自分と格闘している姿は、そうそうみられません。

帰途。

水道橋駅前で、信号待ちをしていると、

たまたま、当夜の第6ゲームで、TKO勝ちをした選手がすぐ前にいた。

― おめでとう、いいボクシングでした (冷静な)。
これからを、期待してます。

人垣をかき分けるような握手になってしまったんですが、

振り返って、ありがとうございます、と応えてくれた彼には、

あのリング上の勇姿然は、まったく感じられず、

どこにでもいるような、好青年がひとり、優しく微笑んでいた……。

では。

これぞ山雅の新手法。

2024季に目だったのは、

これでもか!の、活発なグッズの投入だった。

小都市、小経済に立脚するクラブなのだから、

あっちで少し、こっちで少しと、小銭をかき集める、というのが商売の常道。

プレイヤーのJリーグ通算出場、初ゴールにかこつけて、これほど手厚く商品化するのは、かつてないほど。

ひとつ、欲を言うなら。

服飾分野で、エンブレムやクラブカラーにこだわらない視線で、

街着として使えるアイテムを揃えてもらいたい、とも思う。

要は、宣伝よりも、洗練、これです。

ちなみに、我が家の最近のお気に入りは、なめらかチョコクッキー、であります。

― あれぇ、もう食べっちゃったのぅ?、と家族間でまるで争奪戦の様相。

さて。

クラブ編成(フィールドマネジメント交代を含む)でも、来季にかけて、

なかなか面白い順序で、公式リリースがなされている。

これを、〈新手法〉と呼ぶのは、失礼な言い方か。

現場トップの交代と、チーム編成を、ほぼ同時に進めねばならぬ、という事情と察する次第です。

どなたが、どこまで、あるいはどこから、イニチアチブを執っていらっしゃるのかは存じませぬが、

日程的にもタイトな中で、まことにお疲れ様でありまして、

特に。

この度退任される指導者には、心からの御礼を申し上げたい。

ありがとうございました。

そして、できればまた、山雅の周辺でお会いしましょう。

では。

まどろみと,ちあき なおみと。

土曜日の午後(夕方)。

自室のソファーでまどろんでいたら、

― 父さん、ちおあ きなおみが TVに出てますよ、と知らせてくれる。

― 観たら、きっと泣いちゃうから、止めとくよ。

気を効かせて呼んでくれたんだが、

なに、ほんとは、もうすこし、ウトウトしたかっただけ……。

その後で、居間を通る際に、画面をみたら、

どうも、かつての年末定番歌番組を流しているらしかった。

それも半世紀ぐらい前のやつか。ドリフターズがコントをやっている。

当日、娘や息子の家族が来ていて、総勢10人近くが集うなか、

当時生きていたのは、たったのふたり。

そう遠くない将来、次の世に向かうであろう者への、

これは年末プレゼントなのだと思うと、そのご厚情に泣けてきた。

 

極上のまどろみ、と日本語に訳すのがよいのか、

〈Golden Slumbers〉は、ビートルズが、1969年に発表したアルバムの、最後のほうに置かれた小曲。

だから、この曲も、もう半世紀前に作られた。

タイトルは、マザーグースの童謡の一節から採られているから、

彼らなりの昔語りをしている風な趣きなのかも知れない。

今回は、ブラド メルド―のソロピアノで。

では。