時には,真面目に。

家人は、僕のことを、他人を怒らせる存在、と思っている。

揶揄したり、ひとの話にチャチャを入れたりするから。

― そんなことをやっていると、いつか、カッとなった相手に刺されるわよ、と注意される。

ま、不真面目な奴、と評価されるほうが、

偽善者と言われるよりも 100倍は胸を張れるから、僕はそれでいいのだが、

心配なのが、今、小学3年生の孫が、(僕のように)人を怒らせる言動に長けていること。

僕が人生の長い時間をかけて身につけた特質を、

9歳にして、早くも〈強み〉として使っているのだから、この先、彼の人生における懸念材料ではあるまいか?

では。

『Change The World』(1996年)

この曲を最初に歌ったのは、

ワイノナ ジャッド(1964~)だった。

……もし世界を変えることができたら、私はあなたの宇宙を照らす光になろう……。

実に、ロマンティックなラヴソングです。

映画『フェノメノン』(1996年米、ジョントラボルタ主演)では、この曲が使われ。

音楽の総指揮に当ったロビー ロバートソンが、この曲を採りあげて、

(音楽界の重鎮である)エリック クラプトンベイビーフェイスにそれを演出させる。

……これ、趣味はわかるけど、チトやり過ぎ!!、ロビー。

狙いとおりに、相当ヒットしたらしいです、全世界で。

サウンドトラック(11曲ほど)の中では、

アーロン ネイヴィルが歌い、ロビーがギター演奏をつけている『Crazy Love』もなかなかの味わいで、聞かす。

映画は、

達者な役者を多く配しているし、音楽にも〈豪華〉なメンツを集めているのだが、

ファンタジー作品を好まないわけがない僕が、

今日まで観ていないとは、やはり、それなりの理由があるように思われる。
しかも、これからもおそらく観ない。(これからも、のほうは体力的なこと)

ま、それはいいとして、

結局のところ。

もともと持ち歌にしたワイノナ ジャッドの歌唱が、僕にはいちばん聞きごたえがございます。

といったお話でありますが、

ギター3本の伴奏のアイディアは、どこの誰の発案なんでしょうかね。

……もしも、世界が変わって、

こういう素敵なバンドが、僕の庭で一曲でも演ってくれたら、

きっと、いつでも死ねる、の心境になるだろう。

では。

早すぎた復帰 (鳥取戦レビュウおしまい)

ゲーム開始の直前の。

会うと親しく会話できるようになった山雅(運営)の人と会話。

彼が、どうなるんでしょうかねぇ?、と訊くから

― (ゲームに関しては)終了の笛の時、相手より得点の多いほうが勝ち、そんなかな?
ま、(プレイオフも含め) あと 8試合をやり抜くつもりでいく、ってもんでしょう。

先制したら、なけなしの 1点をなんとしても守り抜く、そういったサッカーでない以上、ゲームの帰結はそんなところ、と思っていました。

プロチームが、ファン&サポーターの望み通りのサッカーを追求するなんてことはあり得ない(あってはいけない) から、

今のサッカーを、物足りなさや工夫不足についちゃあ文句は言うけれど、

その軌道の上で、せいぜいそれを楽しむ、というのが僕の立場。

(数年前の 半分くらいの人件費で闘っている、というお金の話は小声で)

けれど。

アルウィンの不満はきっと、

〈昇格〉を口にするならば、せっかくの1 – 0 を、金科玉条のごとく保持し切れなくてどうするの?、にあるのだろう。

それもわからなくもない。

が、ここまでくると、2024年醸成してきた山雅式葡萄酒を、別の皮袋(=容器)に移し替えることもできない相談。

(だから、霜田氏は、周囲に迎合するような発言はしなくもいいのです)

で、そのサッカーですが。

縦に鋭く刺されると、じりじりと後退、フワッとしたまま失点。

それだけを採りあげて非難するのは違っていて、むしろ、その前段での、〈攻撃の停滞と頓挫〉を追及すべき。

ゲーム終盤。

野々村を投入して、左から、常田、高橋、野々村が 3人並ぶ布陣には、かなり鮮烈な、懐かしい印象があった。

これも智恵のひとつかも知れない、攻撃的にやるための。

僕は、高橋 祥平のボール出しのセンスは買っていて、ゲーム勘が戻り、より周囲との連携が深まれば、相当な武器となり得る。

こうすれば、3バックにすることで、

たとえば、3年前まではやっていた、タッチライン沿いに常田 克人が駆け込んでクロス、といった策も繰り出せるだろう。

とにかく、左サイドバックがなかなか前進突破できない状況、これを潰さないとどうしようもない。

そういう意味で、そこの打破要素となる、村越 凱光の労をいとわぬ横走り、ボール回収の熱心さは、このゲームでは出色でした。

当然、MIPは、彼。(勝利してたら、MVP)

ですから、このポジションが、菊井 悠介へ変わると、途端に不活性化。

だいたいが、怪我明けの菊井に、村越並みの運動量を求めるのが酷であって、

セットプレイのキッカーだけに菊井を起用するようなハメになったから、無理して使った采配は疑問。

村越を引っ張るか、あるいは、滝 裕太というカードを準備すべきだったのでは?

……要は、モロい守備をとやかく言うのは、非生産的。

ではなくて、攻撃力の出来不出来に照準をあわせるしかない、が論旨です。

それと、あとひとつ。

ゲームキャプテンは、もはや米原 秀亮、って時季じゃあないでしょうかね?

では。

強敵から学ぶべきこと (鳥取戦レビュウ❷)

雑音を嫌うので、

監督やプレイヤーのゲーム後コメントは、すくなくともレビュウの骨子が決まってから読むことにしている。

で、読んでみた。

いつも思うことだが、答えさせたい内容を誘導しているのだから質問する者をきちんと記名すべきではないか?、インタビュウの作り手の責任として。

まぁ、僕は無料コメントしか読めないので、有料のほうだと判明するのかも知れないが。

本題に戻る。

そこでは、〈ミス〉や〈安い失点〉といった陳腐な言葉が目につくが、

僕からすると、

そういうことが防げない、あるいは、起きうるサッカーをしているのによく言うよ、と思う。

たとえば、トラップを空振って、それが相手攻撃の起点となったことを〈ミス〉とあげつらうならば、

ゴールマウスに飛ばないヘディングやシュートが、同じ重さで責められるべきだが、実際そうなっていない。

このゲームは、内容的に、2 対 8 で負けたわけで、

その核心とは、ミスの多さに在ったのではなくて、

攻撃圧と、攻撃精度の差に違いなかった。

相手のミスを、得点までに導ける積極的な攻撃

特に、ペナルティエリア侵入後の、ゴール前での沈着。

誰も反応できないようなクロスの投入、

前を塞がれると仕掛けないで、とりあえず後方へパス、

ボールホルダーから見える位置に入ってこない(パスコースに顔を出さない)消極性)、

お義理の、各駅停車のパス交換、

そういうものから足を洗えない山雅からすれば、大いに学ぶべき美点だと思います。

では。

『完敗』の見本,愛のうどん (鳥取戦レビュウ❶)

3 – 4 の敗戦。

それでも昨日、(個人的に)いくつか救いもありまして……。

天候とゲームの寒さで固まった身体が、どうしても僕に〈うどん〉を要求していたから、

アルウィンの帰途、お店で野菜うどんを購って帰宅すると、

たっぷりの煮込みうどんと、いろは(鬼無里)の野菜おやきがテーブルに用意されてるとは!

家人の深い洞察力と、伴侶への愛。

さらには、モモ氏(会社同僚)が、奥様と(北ゴール裏で)観戦してくださるとは……。

さて、ゲームのほうは。

唯一の救いが、得失点差で、▲1 を計上しただけ。

スコアだけみて、ひとはこれを〈撃ち合い〉のゲームだったか?、と思うでしょうが、

いやいや、実は、これが、山雅の完敗ゲーム。

失点には、それぞれその前段にミスが潜むとは言え、それはお互いさま、

狙い通りの得点は

山雅が、(せいぜい)ひとつ、鳥取のほうは 3つ。

となれば、正直なところ、 1 – 3 の完敗。

プレビュウで指摘したとおり、

ペナルティエリアにボールを持ち込んだら、自在かつ俊敏にプレイヤーとボールが動いて相手を翻弄するガイナーレの十八番が 3度は、発動した。

シュート 7本(公式)で、4得点なら、十二分でありましょうし。

その攻撃を捕まえ切れなかったことを、守備が〈崩壊した〉とするのは見当違いであって、

もともとが守備の体をなしていなかった、と診ますけどね。

最後は、センターバックふたり(最後は3バック)で守ってよ、という発想がダメ。

中盤のところでスカスカになって、歯止めが効かず、ボールを簡単にペナルティエリアまで持ち込まれる。

速いガイナーレの側からは、山雅のプレイヤーは何人いたって、ただ棒立ちのように見えたのではないか。

ただし。

この期に及んでそこをどうこうしろとは、あまり思わなくて、

こうなれば、失点以上にこっちが得点する、という姿勢を貫くべきでしょう。

とにかく、これからあの守備に手をいれるのは至難です。

ですから。

少なくとも 4点獲れなかった攻撃の貧困、これを重要視すべき、今は。

事故みたいな得点に頼る、

誰も触れないままにクロスが相手ゴール前を通過していく、こういうことをなんとかしろよ、と思います。

……となると、

昨日の南ゴール裏のBOOには、おおいに正当性を認めますが、

しかし。

それが、ゲーム内容の乏しさへのものなのかが、果たして、チームに正確に伝わっているのか?

単に負けたことへの不満と見なされたとしたら、かなり辛い。

では。