お話しにならない、というお話。
SC相模に移籍した、常田 克人の言い残したメッセージを読んでいて、
おそらく、ここ6年間に山雅に在籍したプレイヤーにとって、
彼と同様に、良い事よりも、苦しく辛い事の方が多かったように思われ、
しかも、これは、現在進行形のことに違いない。
自分のことなら、人生とはどだいそんなもんよ、で済ますんだろうが、
ひとりのファン&サポーターとして、
一緒に闘う者たち(プレイヤー)にどう報おうかと、考えざるを得ない僕だ。
いつかの負け試合の時、
キャプテンマークを巻いた常田が、
ゴール裏のBOOを浴びて、ゲームキャプテンとしての責務感からなのか?、最後まで立ち去らないシーンを想い出す。
あの時、
― 常田よ、そんなことにつき合うな、と眺めていた。
ああいった報いは、
落胆と憂さ晴らしを、単にプレイヤーにぶつけているだけ。
しかも、ゲーム内容をよく観ずして、数にまかせてのおこないであるから、卑劣で見苦しい。
好漢に対する礼を欠いたおこないに過ぎぬ。
シーズン始動の動画、フォトの配信に、
時を置かずして、数千、一万越えのフォローがあるのは山雅愛の深さゆえ、といえば聞こえはいいが、
シーズン前の暇つぶしと、
昨季のメンツがそれなりに残ってくれたことへの期待感のためでもあろう。
ただし。
これでオーライ、みたいな期待感が、実は、くせ者でして。
結果が出なかったり、苦境な時に、手の平かえしてBOOをかましたり、口汚く罵ることに走るのが、目に見えている。
正月に実家にやって来た長男が、
― 山雅、残念だったね。
でも、結局は、リーグ戦績上位が昇格したわけで、
もしも、6位が勝ち抜いていたら、それってなんなのよ?、と思うなぁ。
曰く、正論であって、
あくまで我がチームが目指す地点は、ハラハラドキドキの浮き沈みの水平線ではない。
皮肉な言い方をすれば、
昨季の大方のタレント残留とは、下手を打つと、
あのハラハラドキドキの、二の舞かも知れないのだ。
つまり。
顔なじみの多い新チームには、どうしても〈進化〉〈発展〉がなければならず、
そのポイントとは、
たとえば、常田 克人の遺恨をここで持ち出すとしたら、
失点が、単に、ディフェンス陣の責任、失態として追及されるようなサッカー流儀との訣別だと思う。
とりあえずは、攻撃と守備を別ものとして定義することを止めて、
過去2年、ここで主張してきた、
〈守功一体型〉が、各個の分担と連携とに、同時に落とし込まれなければ。
多様性の創造は、それからの話でありましょう。
では。