Fly Like An Eagle (1976年)

ふた月まえにも、

スティーヴ ミラー作の曲を採りあげたけれど、

今回は。

ひと月ほど前に、彼自身が出演している動画が公開されているので、ご紹介。

曲の題名は、和訳すると、

〈鷲のように飛んでいく〉

……時間は、未来に向かって滑り込んでいる、まったく絶え間なく、だ。

鷲のように飛んでいきたい 海へと。

鷲のように飛んでいきたい 俺の魂のままに 自分を運ばせて。

鷲のように飛んでいきたい そして、自由になるところまで。

神よ、革命をとおり超すんだ。

満足に食べていない幼な児には 食物を

裸足のままの子らには 靴を

露頭に生きる者たちには 家を

それが、解決ってもんだろう……

ブルースミュージックの根っこでもって、

こういう宇宙論的な不思議さを、押しつけるでもなく奏でるのは、

ミラー氏の独特な音楽観か。

それが、半世紀経っても変わっていないのが、実に良い。

では。

虚心にチームとゲームを見定めよう (栃木C戦プレビュウ)

その旧称は、栃木ウーヴァ

十数年前、僕は、中央市(山梨)に住んでいたことがあって、

近くの、山梨大医学部付属グラウンドでは、

当時、トップリーグのヴァンフォーレが、ウーヴァとトレーニングマッチをやっていた。

隣県でもあるから、格好の実戦相手だったのだろう。

……そこが、いろいろと新装して、栃木シティフットボールクラブとなり、JFLを一気に駆け上ると、今季から、Jリーグに参戦。

山雅公式サイトは、当ゲームの予告に、かつて山雅で戦ってくれたプレイヤー3人を大写し。

僕のなかでは。

岸野さんや、工藤(浩平)ちゃんが、その躍進のいしずえに力を注いだに違いない……とか、喫茶山雅の支配人 阿部氏が、かつて在籍したとか。

かように。

シティについては、想い出も含めて情報が多い。

が、中には、対戦するにおいて、あまり要らんものもあったりするので、そこらを取捨選択して、プレビュウを組み立ててまいりましょう。

❶栃木Cを、特長づけるデータ。
ここまで。

得点 リーグ 2位、ゲーム当りシュート数 2位(枠内は 1位)、クロス本数 2位、コーナーキック 2位。
攻撃面の数値の良さが、断然めだつ。

さらに、パス数は、リーグ 17位で少ないものの、ドリブル回数 が、第1位。

その意味するところは、

手数少なく、ボール保持の突貫によって相手ゴールに迫る姿、

それと、サイドから侵入してクロスを入れて、中で決める姿。

攻撃力によってチームに追い風を起こし、それが戦績、順位の好成績につながっている、と診てよかろう。

❷チームとしての、ひとつの円熟。
今季、11人が加入(うち、大卒 3人)、10人が退団。
Jリーグでやれるタレントを集めた感。

中には、ヨニッチ、ウタカといったトップリーグ在籍当時は、億円レヴェルの年俸だったはずの実績者。おっと、都倉君も忘れちゃあいけないか。

ここまで、27人がゲームに投入され、その年齢構成を抜き出すと、

19~22     3人 (11%)     ☞  10人 (35%)

23~26     9人 (33%)    ☞   11人 (39%)

27~30   10人 (37%)    ☞     3人 (11%)

31~34     3人(11%)   ☞     2人 (7%)

栃木Cは、23~30歳のプレイヤーが全体の70%を占め、そこへさらに、ヴェテランが加わる陣容。(35~38歳 1名、39~42歳 1名)。

要は、熟練者を、要所にうまく織り交ぜながら、やっている印象。

ちなみに、☞で右に示したのは、山雅のゲーム出場 28人の年齢構成。
ここへ来て、26歳以下が、74%のかたまりを成して、戦っている

ゆえに、そこに在るはずの未熟、熟達不足をしのぐもので勝負したいチームを見守る我慢が、僕らには必要だ。

❸で、システムは、4 – 3 – 3。
アンカーをひとりおいて、その前にダブルボランチ、スリートップ。

……ここを相手にどうやるかは、早川氏以下の手腕にかかる。

けれど、僕の言いたい放題を、ふたつばかり。

❶ファールが、ゲーム進行と勝機を左右する?
ゲーム消化数に違いはあるが、ここまで、

反則数は、山雅 69 (リーグ最少)、栃木C  144 (多いほうから 2番目)。

警告数は、山雅 6 、栃木C  15。

栃木が、反則を、その攻守いずれのシーンで犯しているのかは承知しないけれど、

セットプレイからのゴールが、得点中 40%超の山雅であるならば、

被ファールによるセットプレイを、有効に使いたいわけだから、痛みはともなうが、ボールを先手で握って前へ、がテーマか。

それが同時に、栃木Cの前進力を挫くことにもつながるだろう。

❷こっちも攻撃的にやろう。
やり馴れた 3 – 4 – 2 – 1 (3 – 4 – 3)は否定しませんが、

直近、センターバックの思い切りの良い攻撃参加をみると、

(杉田 隼の出場可否にもよるけれど) たとえば、大橋をアンカーで最基底に置きながら、

中盤を(山本、安永、または松村で)厚くすることで、ここで圧を強めて、前線から追いまわすのも観てみたい。

左には、対人に強い宮部を配し、田中を阻止する。

そうなると、敢えて、4 – 3 – 3 で、真っ向対峙、となりますが。

では。

危機感がない ?

対応の不徹底を、面と向かって責める場合に、

ちょくちょく〈危機感がない〉が使われるようだ。

あるいは、緊張感がない、とも。

どちらとも、相手のココロの持ち方を、こちらが勝手に描写して押しつけるやり方なので、

言われたほうは、おおかた、ムッとくる(だろう)。

こういうのは、他に、〈何々じゃあないですか?〉という、一見、下手に出る質問形のやつ。

いや、あんたがそう思うだけだろう?、と言い返したくなるが、反論するのも面倒だから、会話はそのまま流れていく。

相手に注意したければ、油断するなよ、ぐらいが爽快でいい。

さて。

その〈油〉のこと。

他県よりも リッターで 10円前後は 高いガソリン価格。

なぜそうなのか?、を知りたい某県の首長が、

特段の理由はありませんと回答した、石油商業組合の幹部に、

あんたがたは危機感がない、と言い放ったんだそうな。

地方政府に、ビジネス上の原価構造を求めるような捜査権はないわけだから、

どういう回答を期待していたのかがわからないが、

ともかく、危機感うんぬんを問う相手が違っている。

良否はともかくとして、

自分たちの商売の存立のため、もしもの話、価格維持のメカニズムを運用してきたのなら、当の業界には、危機感は十分にあったわけで、

数十年、高い高いと愚痴はこぼすが、なんら具体的な行動に出なかった、どこその県民、行政の指導者、民の生活安定を語る政党と議員、

こっちのほうが、よほど危機感など、なかったのではないか。

もちろん、やりとりの高みの見物を決め込む、この僕も。

では。

地味に続けたからこその、今。

山雅、(前々節)リーグ戦における登録メンバーの平均年齢は、25 歳台。

ルヴァン杯の場合だと、平均で、23 歳。

ここ数年の潮流からすれば、これは、取り立てて強調することでもなくて、

山雅では、2025季のホームグロウン選手は、7名 ☞ 8名(訂正)になったはずだから、
(昨季4名の倍増)

これまでずっとやって来た、アカデミーでの育成強化や、高校年代の可能性あるプレイヤーの発掘。

そういったものが、僕らの眼に見えるかたちになったに過ぎない。

讃岐戦では、先発 4人がホームグロウン、登録では6人が、それだった。

そして、かれらが力量を身につけてくれば、自然に、チーム年齢は下がる、というわけ。

ただし。

サッカーは、年齢ばかりでやる競技でもないから、若手若手、とあまり大騒ぎするのもどうか?とは、思う。

地元地元、と持ち上げることは、

インターナショナルな精神を重んずる僕だから、あまりやらないけれど、

それでも、一般的に、近くで育った子供たちがゲーム出ている山雅に、親近感が醸されるならば、それもいい。

で。

今季、北信越プリンスリーグ1部へ昇格(復帰)した、松本山雅 U – 18 の諸君は、

2ゲームを消化して、1勝1分け、

同期昇格組の、松本国際の諸君も、同じ戦績だ。

柿本監督の手腕を楽しみにするとともに、

個人的な思いとしては、

岸野 靖之氏の残してくれたものに、感謝します。

では。

藪の中こそ、これからの常態。

映画『羅生門』(1950年 大映)は、

芥川 龍之介 作『藪の中〛(1922年発表) をその下敷きにした脚本。

で、芥川は、今昔物語集の一話をモチーフに、その短編を書いた。

……時代は平安の世、藪の中で、ひとりの侍が殺され、ひとりの貴人(女性)が凌辱される。

検非違使の庭(お白州) に召喚された、当事者、目撃者、死霊、そのすべての証言がたがいに食い違いをみせて、事の真相はまるで、藪の中のように判然としない……という話。

以前。

僕は、事実(実際に起こったであろうこと)と、真実(起こってもらいたいこと、そう願うこと)とは、きっちりと画すべき、と述べた。

その考えによれば、

芥川の作品は、どうこう議論の対象にもならないと思うが、

過去、文学者間の論争がけっこうあったらしい。

読み手がどう解釈しようと感じようと勝手であり、

そして、〈真実〉が事件当事者によって異なることなど茶飯事なのだから、

それが、もしも、読後感の、釈然としなさから起きた議論であるならば

作者(芥川) の、テーマを語る熱意とテクニックの不足だと、僕は思う。

さて、かように。

真相さがし、原因(と結果の連鎖) 追求は、

自然科学が大きな顔をするようになった、18世紀以降の、人間の悪癖だが、

昨秋以来の、米の(小売における)価格上昇。

僕など、積極的に報道を獲りにいかない者にも、

メディアの画面では、スーパー店頭では、いままでの2倍。

困った顔の消費者の声をひろっみせるのが、いきおい目に入ってくる。

専門家と称して、ボケたカメラの向こうから語る御仁の解説の、まぁ、腑に落ちないこと、まことに夥しい。

要は、価格が 2倍に跳ね上がったのは何故か?、に対し、誰もキチンと応えない。

ならば。

わからんものはわかりません、と言ってもらったほうが、よほど爽快だ。

備蓄米を放出します、といっている国家にしたって、

やってはみるが……程度の語り口で、いつまでにどうします、という目算もないのだろう、きっと。

農林水産省が、今年のはじめ、チョッとした調査(聴き取り程度、捜査でなし)をやっている。

これによると、米の生産量は、ここ数年、700万トン半ばで、安定的に推移。

(おそらく、消費量にもそれほどの動きはない)

ただし。

従来、JAなどの大手集荷業者が、米を一手に吸い上げて流通回路に流してしたシステムに、ジワリと、それから逸脱する〈動き〉が起きている。

つまり。

農家が、直接に小売業者や消費者へ売る、とか

中間では、支配的な大手だった卸売りから、より中小規模の仲買者に売る、なんかが、それ。

悪意でみれば、農水省が、この調査を読む者を、

既存流通が、それ以外の流通経路に侵食されつつあるのが、根底要因であって、

各既存流通の中で感じられた不足感が、物の流れを停滞(在庫の積み上げ)させ、

それが、過敏反応により末端価格を押し上げた、と導きたいのか、と邪推してしまう。

しかしですよ。

米を、独占的な流通支配のシステムから解放し、

生産者の収入が、自由化によって増加すれば、この傾向は、まことに慶賀ではないか。

かといって。

小売業にしても、いつまでも黙っていないだろうから、(消費者は嘆くだけ)、

たとえば、ツ〇ハドラッグと統合して巨大化したウ〇ルシアのようなところが、生産者から自分のところまでの一貫流通をつくるかも知れぬ。

ピンチこそは、チャンス。

では。