見る者は, 悟れ。(トレーニングマッチ vs甲府)

21日、静岡県清水区で、

〈外国籍使いまわしの達人〉ヴァンフォーレ先輩と、トレーニングマッチをおこなった、との公式ニュース。

果たして、なにを試し、なにを検証したいチャンスだったのか?

ゲームを観ていないのでわかりませんが、

掲載フォトをみると、安藤 翼をのぞけば、

あとは、ディフェンダーと、ディフェンシヴな機能を負うプレイヤー。

ここから、読者は、

― ははぁん、これは、守備面をフューチャーしたところにゲームの狙いが在ったのか、と理解していいのかいな、と思う。

発信者が、そんな意図をもって画像を選んだ、と勝手に推断しておきましょう。

おぉ、新たなる褐色の壁 チアゴ サンタナも出場しているではないか!!

で。

昨日からは、松本よりかはずっと温暖な和歌山県串本キャンプに突入。

試行錯誤してのチーム作り、楽しみです。

では。

山雅の価値が増減する人々へ (その❷)

この前の日曜日。

家に来た息子の曰く、

― 企業としての〈ビジョン〉がロクなものでなかったから、山雅はいつの間にか、他クラブの後塵を拝するに至った、たとえば、レノファ山口とか。
特に、中小な会社にとって、ビジョン(戦略)や組織風土は生命線だ。

なるほどね。

では。

山雅が落ちぶれた、との根拠は何か?と問うと、これが、いまや 3部リーグに在るから、というのが答え。

たしかに、経営マネジメントは結果責任こそ問われる、という意味では的外れでもないが、

参戦リーグをもって、クラブ運営企業の評価とすることはいかがなものか、と僕は思う。

ましてや、組織内部の意思決定構造や、企業風土や士気について知らない者であれば。

それこそが、(参戦)リーグ至上主義の裏返しの議論ではあるまいか?

……と、こんなたわ言を交わしているのは、

なんだかっていっても、山雅の魅力に衝かれた者

闘うリーグがどこであれ、流行り病の苦難を経ても、

現状、この街の8,000人そこそこの人々は、

その日常生活に山雅観戦が織り込まれているのだから、彼等の中では、山雅の価値は不変なわけ。

売上金額(クラブ収入) 14億円(現在)、今後も、この枠組みを踏襲していく運営を図るのもひとつの手、とは思うが、(組織が大きいことが必ずしも良くはない)

成長を目指すところには、やはり、なんらかの活性化(=ハツラツ)があるだろう。

となれば、山雅が目を向けるべきは、

収益3本柱のひとつ、入場料収入の増大(つまり復旧)にある。

そのためには……、

❶アウェイ観客によっては1,000人単位の集客が見込める、2部リーグ以上への昇格。(対戦クラブの動員力をあてにする)

❷上位リーグへの関心と、対戦相手の知名度などによって、
それじゃあ、アルウィンに行ってみようか、と足をむけてもらえる、いわば、
状況次第で〈山雅の価値が増減する人々〉の来場を増やす。

このふたつが、常道、かつ王道。

それは、昨季だと、

ホーム金沢(9,002人)と大宮戦(11,169人)、プレイオフ福島戦(12,604人)が証明する。
(☞長野戦の 14,411人、あれは、オマケ)

入場者数が回復基調に乗れば、営業にはずみがつくから、いちばんの売上、スポンサー(パートナー)収入も伸長するだろう。

それがため、

クラブとチームは、好戦績を獲るために活動することは当然として、

日頃、山雅界隈に在る者は、まづは、

山雅にココロを向けてもらえるチャンスをつぶすことがないよう、

山雅への好意や厚意をそこねるような行為を控えること。
(たとえば、駐車場違反、不適切発言、良俗に違背するSNS発信)

こういう観点からすれば、

その信条/信念がなんたるかは存じませぬが、
山雅に法廷闘争を仕掛け、しかも、それを世に向かって発信するとはどうもねぇ、というのが、僕の思い。

では。

山雅の価値が増減する人々へ (その❶)

この前の日曜日、

家人は、松本市内で、親友と旧交を温め直していて、

帰宅すると、

― アイさん(仮称)がねえ、パルセイロ戦、ゴール裏に来るんだって。

― 長野のかい?

― 松本のよ!!

アイさんは長野市在住のおかた。

で、長野のホーム戦を(頻度は知らないが)観戦しているようだから、

山雅のゴール裏に来た日には、不義理になるんでは?、と僕は思ってしまったんだが、

ともかく、アルウィンに足を向けてくれるとは、嬉しい限りではありませんか。

ホーム開幕は、1万人超えで埋まるんだろうな、きっと。

……こういう会話をしていると、すこしでも開幕近し、を感じられる。

また。

松本山雅が、公式上に、練習風景の動画をリリースすれば、

数時間も経たずに、千回単位で閲覧にやってくるのだから、

ファン&サポーターは、相当に、今季開幕を待ち焦がれているということか。

……と、今回は思わせぶりなタイトルの、

ほんの入り口の風景でして、本論はその❷で。

では。

 

未完の完成〈ロートレック展から〉

 

去る17日の夜になって。

あぁ、前売券を入手していなかった、と気づく始末。

それにしては、なぜか、柄にもなく、

展覧会の初日に、

会場の松本市美術展に出向くことになってしまうとは……。

実をいうと、

小学2年生と年中児の、ふたりと遊ぶ日であったので、

まぁ、いいか、

美術展なる〈場〉についてのトレーニングにもなるし、とコジツケしたわけ。

実際、会場内ではヒソヒソ声で話しかけてくるし、走り回って周囲を困惑させることもなかった。

これには、

並んでいる作品が、画用紙に鉛筆での素描がほとんど、

しかも、その題材が、人物の横顔、馬、などとわかりやすく、

年少の心にも、すんなり入りこんだ事情も大きかった。

僕が、ロートレック(1864~1901) の素描をまじかで観るのは初めてで、

かなり新鮮だったけれど、作品群を前にして感じたのは、

すべてを描き込もうとせず、一瞬の表情や対象の動きをとらえようとする技量のたしかさだった。

未完の完成、そんな言葉が、創作態度についてうかがわせる。

画用紙(あるいはスケッチブック)を、抱えながら、

瞬時のデッサン(クロッキー的)で対象をモノにする、そんなスケッチ手法を偲ばせた。

あくまで、リトグラフ(石版画)のための準備としての下書き、という動機が、細部まで精緻に描き込まないことをさせたか?

だから、本番とは、石版に向かって、リトペンシルで描くことだったのかも知れん。

(実は、どうやって石版に描いたかの、作製現場の実際については、解説も読んでいないので、確証がありません、お赦しを)

その石版に描かれた画を、転写することで、ポスターやパンフレットが作成、出版されたとなると、

ロートレックは、浮世絵でいうところの、絵師と彫師を兼任したアーティストの先駆者、ということになろう。

さらに、作品を前にすると、

ロートレックは (37歳で早死したせいもあろうが)、

そもそも、自分が〈画家〉という職業一本で生きようとは思っていなかったような、そんな直感に撃たれたが、これは、あくまで僕の個人的な決めつけ。

場内では、写真撮影(フラッシュ使用は不可)が許されていてありがたく、

しかも、小品が多いゆえに、くどい解説で邪魔されない展示会であることはには、おおいに好感が持てる。

敷居が低い。

だから、都合がつけば、明治34年にこの世を去った画家の世界に触れてみることをお奨めしたい、特に、テーンエイジャーには。(財布にもやさしい)

ところが。

帰宅して撮った写真を並べてみたら、ほとんどがボケた出来上がりで、落胆。

こうなったら、再度訪れて、すべてを撮影してしまえ。

では。

秋春制は,すぐそこまで。

年が明けたから、

もう来年は、春秋制秋春制への移行時季だ。

春から夏(初秋)にかけては、2部と3部リーグはエリア分割による特別大会をおこない、
(☞ この特別大会の結果による、昇降格はない)

その後、中断を経て、秋春制による、2026/27シーズンの本番が始まる。

春秋制秋春制のもとでは、

12月あたりから1月過ぎにかけて、ウインターブレイク(厳冬期の中断期間)が設けられる。

ちょうど、今の時季で、

その間も、トレーニングが安定的におこなえる環境と設備、この整備が、いまから急がれる。

つまり。

2か月弱、どこで、どうやってチーム錬成をおこうなうのか?

南国の、温暖な地でミニキャンプを張るのも一手だとは思うが、

それを、これから秋春制が続く限り、ずっと繰り返すのか?

和歌山と鹿児島でのキャンプインの手前、

(かりがねの芝は養生期ゆえに)

さまざまなグランド、たとえば、地元高校のまで借りて、放浪しながら凌いでいる現状をみていると、

できれば、この地に、

降雪/降霜、厳寒に耐えうる設備と芝。

たとえば、可動式屋根つきの天然芝グランドを用意できるのが、いちばん良い。

初期費用はかかるだろうが、将来、その都度の遠征費を要しない。

南信あたり、遠州との県境だっていいのでは?、その地を山雅の影響力下における。
落合 博満のように、昼神キャンプとか。

最悪。

東海地方でもいいわけだ、我が山雅が、占有的に使用できるグラウンドが確保できれば。

ひょっとしたら、リーグ肝入りで、集合的な施設を創ることもあり得るだろうが、

クラブが自前で持てれば……、と先のことも考えてしまう。

では。