因果のとりこ。

6月になると、我が庭で。

立葵(タチアオイ)が、日陰で開花する。

これはいつも通りだった。

それとほぼ同じ時季(6月20日頃) に、豆萩(マメハギ) が咲き出した。

草かんむりに〈秋〉と書くのだから、こっちは、チト早かないか?

6月末には、今度は、桔梗(キキョウ)が、紫の花をつけた。

他方。

夏椿(ナツツバキ)は、いつもより、十日ほど開花が遅かったので、

いまが、落花の真っ最中。

あることが先に起こり、その後に、その結果として、次のことが起こるのが、自然の法則であり、ならわし。

それを観馴れている僕らの感性は、

どうしても、ものごとの継起(現象)のなかに、因果の糸を見い出したくてたまらないらしい。

度重なる偶然の積み重ねがそこには在る、に過ぎないのに、

結果には、かならず、なんらかの原因がなければならない、という強迫観念で、そこに因果関係をさぐろう、と必死になる。

それを乱暴なアタマでやると、

勝てないのは、走れないから、といった〈もっともらしい〉、けれど、荒唐無稽な議論が臆面もなく出現する。

もっとひどくなると、

負けという結果で、心象が曇ってしまい、そのゲームが全否定される、とか。

先制することは素晴らしいのに、その功績も、見逃されてしまう。

しかし、菊井 悠介は。

ああやって、力みを棄てて、たとえば、インサイドで蹴り込むほうが、よほど精確なシュートを撃てるではありませんか。

あれは、良かった。

思うに。

他の局面でも、なにからなにまで自分でやろうとせずに、もっと、他者に任せる視点と姿勢を採ったら、

チームとして成長があるのでは?

では。

Move On !! (栃木SC戦レビュウ❸おしまい)

山雅サッカーについて、それが山雅に固有な不足点、として流布している批評は、たとえば〈走れない〉とか、

チト考えれば、発言者の、(過去に縛られた)アプリオリな決めつけで語られていて、データに乏しいから、

ご本人の認識力と印象では、〈そのように見える〉くらいな話がほとんど。

この僕も、プロプレイヤーでない者のひとり(素人)なのだから、気をつけないと。

さて。

栃木SC戦で、感じたのは、

❶センターバック陣のプレイをみていて、

ディフェンダーに求められる仕事が、けっこう多岐にわたり、そして重くなったなぁ、ということ。

僕など、二ノ宮君には、ふざけて、

― 野々は、#4を狙ってるようだけど、彼を差し置いて、あれを狙おうよ、とジョークで話したことがある。

すくなくとも。

基底におけるボールの転送、前方へのフィードでは、まだカイゼンの余地ありとはいえ、栃木戦のセットが、いまはベスト、に思われた。

27分あたり。

杉田 隼が、敢然とボールを持って駆け上がり、なおかつ、前でボールに絡みたいプレイをおこなう。

杉田の動きに、栃木プレイヤが引っ張られて、スペースが生まれ、

そこを使えるチャンスが生まれた。

前に、ドリブルは山雅にとってポイント、と書いた。

宮部、二ノ宮からも、そういった切り裂きに加担する姿勢はみえて、これをもっと、チームとして手法に繰り込むべき。

それから。

低い位置(自陣)のフリーキックを、センターバックがおこなうのも、なかなか新鮮。そうすれば、前に人数をかけられる。

❷中盤では、縦への鋭いボールを何度も入れた、大橋 尚志が良かった。

彼のいちばんは、気の効いた位置取りにあるが、

あのような直截的なパスを多用して、

アシストの、そのまた、ひとつ前の決定機と起点をもっと望みたい。

安永 玲央に期待するのは、気をみた、ビッグスイッチ(サイドチェンジ)だろうね。

❸残るは、最前線と 2列目。

いまだに僕は、4 – 4 – 2 よりも、4 – 3 – 3 にこわだる。

3センターバックを採るチームとやるには、3トップにしないと、数的に負けてしまうし、
3枚並ぶほうが、チェイシングで、相手のパスコースをもっと消せる。

どうしても、2トップならば。

ボールを収めるタスクからすると、ルーカス バルガスと、あと誰かとのセット、ではありませんかね?

田中 想来には、相手センターバックと(空中で)競合するための、
身体の入れ方の習熟を。

栃木のセンターバックは、田中に身体を密着し預けることで、田中の動きを巧く抑制していて、そこをクリアしていかないことには。
ロングフィードのターゲットになるならば。

馬渡 和彰が、怪我から復帰して、2ゲーム目。

どっちのサイドでもかまわないけれど、

彼と、滝 裕太は、同サイドでセットで仕事をすべき

馬渡の良さは、サイドから中へ向かって入っていく力。

それが、俊敏な滝と連動することで、サイドを崩せるはず。

途中投入で使うならば、山本 龍平、樋口 大輝の配置を、どう絡めて交代カードを切るのか?

 

……以上、たどり着いた足許を、より強固にして闘うためのいくつかの提案でした。

とにかくも、前に進むしかありませんが、

あと一週間したら開く、移籍ウインドウ。

補うならば、岡田 優希クラスでしょうし、

浅川 隼人に続いて奈良から獲ってしまう、のはいかが?、本気です。

では。

こういうゲームがつらいのは, (栃木SC戦レビュウ❷)

そこそこ出来もよくて、見応えあることをやっていた。

にもかかわらず、

終わってみれば、3失点なのかよ……そういった、重いガッカリが湧くから。

山雅、ゲーム冒頭から、活きの良いプレイが続いて、好調な滑り出し。

2点差(74分あたり)となって、それを笠に着た相手が、多少ラフであっても、思い切り良く撃ち込める状況になると、

さすがに、こっちの勢いも削がれてしまったが、それでも、最後まで精力の出し惜しみもなかった。

ボールをつなぐことができないわけでもない栃木が、

ボール保持を棄てて、裏狙いのロングボールと、サイドへの展開を多用してきたのは、まるで、プチFC大阪を思わせましたが、

ひょっとしたら、これがリーグに流通しつつある〈山雅対策〉であるのか、ないのか。

これこそ、栃木SCが、舞い戻った3部リーグで見出したサッカーだ、とするならば、今後の出来栄えを観てみたいし、

そういうサッカーを凌駕して、これから勝ちを積まねばならぬ山雅からすると、

次回対戦には、ぜひ、リベンジを期待したいですな。

そのためにも。

相手を剥がして攻撃にかかる面白さ、ワクワク感は、山雅のほうに多分にあったものの、

それが、どんな手であれ、ここぞで決めるしたたかさは、栃木から学ばないといけない。

1失点目。#10のドリブル個人技で、ペナルティエリアへ侵入されてしまえば、ファールがご法度になって、フィニッシュまで持っていかれた。

2失点目。ゾーンディフェンスの前方に入られて後方へボールを流され、それを押し込まれる。(これも、相手#10)

これは、やられる可能性として、常にアラート発信すべき事案。
結果として、いまだ手当てされない。
飛び込む相手をフリーにしない手は、たとえば、3人はマンツーマンで守る、といった栃木SC方式を参考にしてもよいのでは?

3失点目。宮部と浅川の交代によって、こっちは、4 – 4 – 2 へとしたはず。
5バックから4バックへの転換は、最終ラインの守備範囲を広くすることを意味していて、

なおかつ、そのすこし前に投入された相手フォワード#80には、セットプレイ時に、ピッチ上で、右サイドに位置するように指示が出ている。

つまり、#80はサイドに流れて、ボールを(クロスで)入れる可能性がみえみえだった。

ならば、それを受けに入ってくるプレイヤーをフリーにさせない配慮はできたはず。ほぼフリーな、ヘディング被弾でした。

いまだ必要かつ十分とはいえないが、自分流サッカーを追求するのならば、

まづは、いやな事から、

つまり、失点の機序を直視して、対策に走るべきでありましょう。

ここらへん、守備に関しては、プレイヤーの自由裁量で〈気づけ〉では、不徹底であって、

こういう場面での、マストの仕事として、つまりチーム規律として規定すべきです。

(☜ これは、挽回しようとする仕事すべてに、共通な話)

では。

『力不足』は怠慢にあらず (2025.6.28 栃木SC戦レビュウ 速報値)

1 – 3 の 逆転負け。

今季の山雅は、

18ゲームを消化して 先制できたのが、11回。

で、注目すべきは、

その勝率が、54 % であること。

これは、Jリーグの平均値 65~ 70 % からみると、かなり低く、

積もったデータは、結局、

ワンプレイ、ワンシェーケンスの繰り返しから形成されているんだろうけれど、

今季、山雅のゲーム創りにおける、ひとつひとつを読み解いて、そこに手当すべきな大きい問題点には違いない。

ならば。

当面、観ている側に必須な態度とは、

先制しないと勝てないが、けれども、先制しても決して安心できない、の覚悟。
……と言える。

さて、昨夜のゲーム。

諸般の事情から、グレードアップして、

ゴール裏からバックスタンドへと席を移しての観戦となった萬年でしたが、

ゲーム終了後、チーム(プレイヤーと指揮陣)挨拶時の、

(バックスタンドからみた限り) ゴール裏観客による不興な出迎えと、それに続くところの、両者間の不穏な様子。

具体的に何が起こったかは承知していないが、

僕からすると、BOOを投下するのが理に適ったゲーム、ではなかった。

ただただ、

対戦相手の栃木SCに比して、

みづからの力量が不足したための敗戦であって、

いまチャレンジしている内容が、リーグ戦の終了までに、

戦績として、帯を巻けるのか?、間に合うのか?、といった不安視はするものの、

やりたいことが表現できなかった恨みこそあれ、

そこには、決して、怠慢、不作為などは見当たらなかった、と思う。

昨夜のビジターゴール裏には、はじめから、ある種の殺気が漂っていたけれど、

おいおい、ひょっとしたら、栃木の地における、あの対応とは……、

2025季はこれから、勝たないゲームでは、すべて、

BOOの洗礼が、ゴール裏(または、アウェイ親衛隊)から発せられることの前兆?

まさか。

個とチームにおいて不足していることを、

不甲斐なくて受容できない、と直情的に断じて責めるところに、

果たして、〈共闘〉が、あるんだろうか?

気が滅入ることですなぁ。

では。

廃れてもらいたいもの,ふたつ。

ずっと昔から。

アパートを借りる時の〈礼金〉などは、

もはや、

大家が、店子(入居人)の世話をみてくれる(みるべき)江戸時代でもあるまいし、無意味な、悪しき慣習だろう、と思ってきた。

最近の、賃貸物件の過剰を反映してだろうか、その名を目にしなくなった。

同じように。

サッカー観戦にあって、もうやめようよ、と強く言いたいならわしが、ふたつあって、

ひとつ。

レフェリーが、ファールを犯したプレイヤーに対し、

ファールを受けたプレイヤーのところへいって、詫びを入れさせる、あれ。

どういう基準で、それが奨励されているのか知らないが、

もしも、遺恨を残させないという趣旨?、はわからなくもないけれど、

それを義務化するのは、互いに削りあっている闘争に水を差すようなもんで、しかも、時間のムダ。

ふたつ。

失点した時、ディフェンダーが、無念さを表すためなのか、ゴール前で寝転がっちゃう、あれ。

これこそ、時間のムダであって、

一刻でも早く挽回するために、

サバサバと、チーム内の意思統一だったり、リスタートに向かうべきだろう。

その表裏として、

サッカーの、なかなか点が入らない競技という性格上、

ゴールゲット時のセレブレーションに浸りたい気持ちもわかるけれど、

あれも、程度が過ぎると食傷だ。

最近のことはわからないが、

メジャーリーグでは、

ホールラン時などの、あまりに露骨なガッツポーズは、相手(投手)への侮蔑、挑発行為とみなされて、

次のバッターボックスでは、死球をお見舞いされる、という。

それが、たとえ報復であっても、僕には、そういうならわしさえ好ましく思える。

とにかく。

うれしさのあまりであれ、リスペクトを欠く言動は、ダンディズムに反します。

僕の場合、これは、自分自身への戒めなので。

では。