健さんがやりたかった仕事『ジャコ萬と鉄』(1964年)

雨降る休日に、DVDで(ひとり)鑑賞。

いちばんの感想。
あぁ、高倉 健という役者は、こういう作品で仕事をしたかったのか……。

逆説的には、高倉 健の影ばかりが作品全体を覆う作品ではなくて、と言ったらよい。

丹波 哲郎、山形 勲、南田 洋子、高千穂 ひづる、大坂 志郎、江原 真二郎、浦辺 粂子。
※うち生存するのは、江原ひとりになった。

これだけ達者な役者が揃い、かつ、ガッチリ演じれば、高倉 健はその中に在って、気ままに軽やかな演技に没頭しているようだ。嬉々として。

本来、こういった自由闊達さが、役者高倉の生地だった、と強く感じる。

そうか。
『あ・うん』(1989年) で高倉 健は、他人の女房に純愛を秘めながらも、女性問題で妻を泣かし続ける男の、虫の良いいい加減さをこそ、演じたかったのだ。
そこに、高倉の挑戦が在ったはず。

作品が上品に仕上がっていることで、僕はいままで目を眩まされていた。

僕たちが何となく持ってしまっている〈健さん〉幻想の出所をいまさら追究しようとも思わない。

けれど墓の中で、「自分のことを伝えることにも、不器用なもので……」と呟いている高倉 健がいるように思ってしまう。

註: 画像は高倉健が気に入ってしばしば訪れていた、山峡の温泉場。萬年の秘湯でもある。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより  (6/22 7:19)
雪の中、耐える男であってほしい。
高倉健の大ファンを自認しながら、彼の一方の側面しか見ていなかったような気がする。むしろ軽妙な演技をする彼を見るのを避けている。
私の心は、寡黙で不器用でじっと何かに耐える彼に執着している。
私人としても、真面目で腰が低く思い遣りのある人だった。
しかし、大ファンを自認するなら、彼が軽やかに自由闊達に演じる映画も、恐る恐る観なくてはならないだろうか。
では、また

☞萬年より (6/22  11:24)
雪中の孤高なスキーヤーへ
この映画は、高倉 健が1946年の同名作品に惚れ込んだあまりリメイクを訴えて製作されているので、どうしてもやりたい役だったと思います。
と同時に、彼に話が持ち込まれたものの、出演ならなかった作もあったでしょうね。
ひとつの道を選ぶということは、他の可能性を棄てることでもありますが。
では。

真打の登場『第三の男』(1949年)

友人のK君によれば、モノクロ映画の極致、の作品。

第二次世界大戦直後のヴィエンナ(Vienna、英語読み。ウィーンとも)は、英米仏ソの四か国分割統治下。
この物語の舞台だ。

作品の公開当時は、さぞかし同時代の匂いに満ち満ちていただろう。
ことに、敗戦国日本の映画館では、なおさらだったはず。

英米の共同製作、となっているが、英国(軍人)側に正義が宿り、米国人が悪役(密売人)と、三文小説家(その友人)を演ずるとくれば、カテゴリーは、英国映画。

作中、死んだと思われた主人公(オーソン  ウェルズ)が、夜更けの街で酩酊した友人(ジョセフ コットン)の前に現われる場面が秀逸。
史上、これほど完璧な主役の登場シーンはない。

オーソン ウェルズがライトに浮かびあげった瞬間に始まるテーマ曲。
これも、有名過ぎる。
某国では、ビールのCM曲にまでなった。

いくら傑作とはいえ、犯罪映画の曲を、製品のCMに使うとは……。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより (6/21 8:48)
地震のない国なのだろう。
確かに、あの登場シーンは、秀逸でした。
地下道を逃げる彼の緊迫感を光と影で表現し、さらに場面を傾ける事でそれを増幅させる。
特に印象に残るのが、マンホールの鉄の隙間から出ている彼の指のアップ。自由を求める彼のあがきを見事に表現している。
友人を裏切った男を許さず、毅然として立ち去るアリタヴァリの、あの有名なラスト。女性とは、なんと意志が強い生き物なんだとこの時学んだ。
どの場面を切り取っても、絵になる、そして緩急を付けたチターのメロディで盛り上げる、これぞ映画は総合芸術だと思わせる名作でありました。
それにしても、戦争で破壊された跡が残りながらも、下水道が整備され、電柱も無く、石造りの建物が整然と並ぶ街並みは、さすが歴史の古いヨーロッパの都市計画の素晴らしさを感じますね。
では、また。

☞萬年より (6/21 16:23)
非合法活動のことを地下に潜る、というのは直接的な表現なんだと、この映画を観て実感。
大戦時、レジスタンスが成立したのも、こういう都市構造が在ったからでしょうね。
ただ、オーソン ウエルズは下水道シーンの撮影を拒絶して、スタントマンを使ったらしいです。
では。

ホームベースは空けておく。

4年前、職業野球ではルールが変わり、キャッチャーがホームベース上でブロックすることが禁止された。
三塁線上に立てなくなり、ホームへ駆けこんでくる走者(の足または手)へ、ミットを差し出すようにしてタッグ(触球)する。

それ以前、キャッチャーはボールを持っていれば、ホームベースをブロックしてよかったけれど、その時でも、ベースの一角を空けておくのがルールだった。

走者に生還の道をすべて閉ざすような行為、たとえば、ベース上に覆いかぶさるような守備は許されなかった。

いまの風潮を眺めると、窮地に立った者を徹底して追い込んで、息の根を止める。
それを面白がっている感さえある。

生還のために、ベースの一角を空けるような仁義が社会全体から無くなってしまったかのようだ。

選挙において金銭をばらまいた、というが、むしろ受け取った方の腐敗に目が行ってしまう萬年。

こうなったらほんと、悪として糾弾される側に立ちたくもなる。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (6/20 15:53)
無理矢理、押し付けられたので。
贈収賄と言うのは、互いに公務員でないと成り立たないのだろうか。贈賄側は大きく取り上げられるけど、収賄側は、特に一般人だったりすると、あまり取り上げられない気がする。悪質性が少ないということかな。悪代官も越後屋も平等に裁いてほしいものです。

我が家では、困ったもので、加害者が突然裁判官に変身する。そして被害者である私が断罪される。冤罪を主張しても受け入れてくれない。これでは、一生家庭と言う刑務所に服役してるようなものではないか。自由と三食は保証されてるのですが…。
では、また。
☞萬年より (6/20 16:13)
受け取っておいて、それを漏らす、ってのが卑劣に思えてなりません。
素晴らしき結婚は、盲目の妻と、耳の不自由な夫の間に生まれる。
……、とモンテーニュは言っていますが、どうなんでしょうか?
では。

東京に、讃歌を。


よく考えてみたら、東京にだって、讃歌はいくつも捧げられてきた。

なぎら 健壱『葛飾にバッタを見た』(1974年発表) なんかは、そのひとつ。

かつて『悲惨な戦い』中で大いに茶化されたのに、今や、なぎらを使う某公共放送であるから、そのうち、年末の歌番組に、バッタを見たが歌われるかも知れない。

さて、本題。
1971年、はっぴいえんどは、消えゆく古き東京を惜しみながら、曲をひとつ仕上げた。

それが、『風をあつめて』(アルバム『風街ろまん』に収録)。

それから、半世紀経って、米国の若いミュージシャンがそのまま日本語!でカヴァーしてくれるとは……。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより   (6/19 6:19)
あ、見つけた
某放送局でたまに面白い番組を観ると、思わず「流石天下の○○K」と、メロディ付きで口ずさんでしまうのだが、その度、奥さんに睨まれる。出どころはそこだったのか、スッキリしました。
「葛飾にバッタ…」いいですね。初めて聞きました。あの映画の風景と重なり、また子供の頃、渡良瀬川の土手でバッタ取りに夢中だった頃を思い出し、なんとも懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
では、また。

☞萬年より  (6/19 7:00)
長年の秘密のひとつが解決されて、なによりです。
決して、なぎら 健壱の才能を否定している訳ではなく、異端は異端であるからこそ多勢を堂々と撃てる、と言いたいわけです。
いぬいっちけーが、やたら異端をよいしょしてはいけません。それは他の者がやることでしょう。

希望? or 重荷? 【エゼキエル書】

エゼキエル(Ezechiel)は、紀元前6世紀に活動した、古代イスラエル王国の預言者。

彼自身が、バビロンに捕囚された者のひとり。
異国の地で、ヘブライ人を宗教的/精神的に指導した、とされる。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描き込んだエゼキエル(1508~1512年に制作)は、キッと、横顔をみせて身構えていて、緊張がみなぎる。

さて、彼の手になる、エゼキエル書の第18章20節。

曰く……、子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰す……と。

これ、当たり前のこと過ぎて、ピンと来ないか。

それほどに僕たち日本人は、ヘブライ社会が編み出した法観念の中に浸っている。

ただ、僕らが、血縁から解かれた個人主義社会に生きている、という意識をどれくらい深く持っているかは、けっこう怪しい。

自分次第で、自己の生き方と将来を選びとることができる。
―これを、希望と思うのか、重荷に感ずるのか。

せいぜい30歳を通過したら、今の自分は父母や祖先の仕業でこうなっちゃった、と言い訳は通用しないでしょうね

では。

〈コメント〉
☞つーさんより (6/18 16:09)
親孝行したい時には父は無し