クラブに注文つけるなら (2020 決算開示)

去る3月、水戸に 0 – 3で敗戦した日。

京子さんのメールは、いつまでもいると思うなサポーター、といった内容。

以来、メールの中身が敗戦するとネガティブなのはもちろん、クラブ上層を責めるような論調が多い。

気持ちがわからなくもないが、フロント、と言われてみても、組織と機能分担も承知していないのでどこの部門のことやら、軽々に誰彼を批判もできまい、というのが僕の考え。

萬年は、せいぜい実戦の中から、称賛と批判の材料を拾うつもりであるから、話題を、企業としての山雅内部にまで及ぼすことはないだろう。

経営の舵取りについても、決算書(B/S、P/Lなど) から垣間見るに過ぎない。

要は、ゲームの様相、経営の通信簿、といった見映え(結果)で語ろう、という姿勢。
それを生み出した内部事情など知ってもいないのだから。

さて、先月28日付で、Jリーグが、傘下53クラブ(除く柏、湘南、磐田)の2020季の決算を(先行的に)開示した。

詳しくは、その資料をご覧いただくとして、

山雅について、いくつか触れておく。

❶営業収益(売上高)
昨季は、19億2,800万円。対前年では、 7億8,300万円の減少。
かなり大きな落ち込みだったが、この売上高は、リーグ第6位。

ゆえに、柴田体制となった後半戦の順位が5位だったのは、クラブ規模に見合った戦いをした、と言える。
もちろん、福岡、徳島が、山雅より約2億5,000万円少ない予算を使って昇格してみせたことを忘れてはなりませんが。

今季はリーグからの降格救済金がなくなるので、昨シーズンより厳しい予算組みと思われる。

❷チーム人件費
昨季は、10億9,000万円。対前年 3億4,000万円の減。
これは、リーグ第5位。
ただ、第6位の福岡から、京都、徳島の3つが、9億円台。
第9位の新潟が8億円台なので、山雅以下5クラブが、年俸計で団子状態。

ちなみに長崎は、人件費を前年比3億5,000万円アップ、リーグ3番目の予算をつぎ込みながらも昇格を逃したから、いわば、痛恨のシーズンだった。

昨季の人件費カットには、COVID -19のマイナス要素が織り込まれておらず、それが反映されるのは今年からと診る。

今季一新されたメンバーの顔ぶれには、昨季より厳しい人件費コントロールが潜んでいるに違いない。

だから、総体として低年俸のプレイヤーたちが、勝負に挑みながら自らの市場価値を高めていく、そういうシーズンでもあると覚悟して見守りたい。

最後に、京子さんのメールの、チーム周辺から人々が去る、という危惧について。
自分から勝手に惚れ込んだ熱が醒める、ということは、理由がどうあれ、なにも山雅という現象に限ったことでもない。

Easy come, Easy go (労せずして獲たものは失いやすい) 、とでも割り切って、見つめるしかないです。

くどくなってしまうが、COVID – 19の逆風下、発声による応援が禁じ手となり、いまだにそれに十分に見合う手法を開発できないでいるファンサポーターが、クラブに対して体制をああしろこうしろ、と言える筋ではない、と思う。

プレイヤーの気持ちを高める方法、装置をおのおのがもっと熱心に編み出しすのが先決。

文句を言うのは、それから。

では。

一期一会の決意 『Midnight Run』(1988年)

1980年代は、ずいぶん奢った、軽薄で恥ずかしい時代だった、と思っている。

おそらく、時代の恩恵をすこしも感じなかったヒガミが僕の中にあるからだ。

5月18日に、チャールズ グローディン (1935~2021年) が亡くなったとの報に触れて、思い出した作品が、これ。

マーティン ブレストの監督。

グローディンは、ここで助演の立場。

けれど、彼の演技があったからこそ、主演のロバート デニーロ(1943年~ ) が活きた。

ご都合主義的なシーンがあちこちにあるけれど、そこはコメディと割り切ってしまうとして、’80年代には迎合できない、無骨で不器用な〈男〉たちが描かれたところが、気に入っている。

それから、4年後にメガホンを採った『Scent of a Woman』でも、時代に取り残されて反抗する男(アル パチーノ)を描きましたね。

物語は……、
元警察官の主人公(デニーロ)は、出頭命令に応じない被保釈人を裁判までに連れ戻す稼業で、飯を喰っている。

そこへ、ちょっとひとっ走りの仕事 (= midnight run) が舞い込んだ。

麻薬王の金を横領して慈善事業に寄付してしまった会計士(グローディン)を捜し出して、NYからロスまで連行してくる案件だ。

5時間のフライトで戻ってくるチョロイ仕事のはずだった。

ところが、そこに人の欲望が入り混じってきて、四苦八苦の道中になってしまう……、ってのが粗い筋でありまして、

旅上、いまは、かつての同僚と所帯を持っている元妻の自宅に寄って、逃走資金と車をせびる、といったなんとも切ないシーンが織り込まれる。

で、ラストが、この映画の焦眉。

夜のL.A.空港。

連れて来た容疑者を解き放って旅を終えようとする、デニーロ。

『Take Care』と『See you in the next life』が繰り返される、男の別れ。

次の世で逢おう、とは、もう決して現世では逢わないだろうな、俺たちは、という決意。

そして、それぞれがまた、自分の孤独に戻っていく。

では、たとへセリフの意味がわからなくとも、感情の往来がわかってしまう名演を、エンドロールの直前まで、是非お楽しみ下さい。

 

ボールボーイに救われる (岡山戦レビュウ❷)

(相手)CKをもたらした下川のクリアミス、(上門に)かわされた米原のディフェンス、前のトラップミス。

これら失点につながった失策がことさら記憶に残ってしまうのは、山雅の戦い方に一貫性が感じられないため、と改めて気がついた。

― 支離滅裂(なサッカー)だったね。

昨日、出社するとすぐに、同僚からはこんな感想。
久しぶりに聴く四文字熟語が、妙にココロに響く。

❶左サイド、下川と外山のコンビネーションに格別の相乗効果が見いだせないのであれば、下川を右サイドバックに配し、左センターバックには常田を入れる。
で、佐藤と前でダブルボランチを構成すべきではなかったか?

❷ソネさんは、表原を使っても良かった、との感想。
確かに、突っ込んでいくタレントは観たい。
それには、その前段で、セカンドボール回収の、山雅流方程式を確立しなければ。

……、と戦術的なことを並べてはみるものの、問題はもっと別のところに在るように思えてしまう。

例えば、ファールで獲たセットプレイに向かうチームからは、どっちがリードしているのかわからなくなるほどの、切迫感に欠ける、なんだかだるい雰囲気が発散されるのであった。

最下位に落ちた際に騒いだ方々よ。

萬年の心象からすると、このチーム、更に沈滞しているように思えてならないが、いかが?

けれど、こんなゲームでも、感動を見い出さなければ、やり切れぬ。

終盤にさしかかった頃、多分、岡山側の蹴り出したロングボールがタッチラインを割った。

それを、パイプ椅子に腰かけていた(ように見えた)ボールボーイが、インサイドでトラップ、そのボールがダイレクトに山雅プレイヤーの手中に渡った場面があった(ように記憶する)。

本来ならば、手でキャッチしてタッチライン際に返球すべきなんだろうけれど、山雅のユースにはなかなかの猛者がいるんだ、と唸ってしまった。

気の効かない、相手に有利な状況しか生み出せない凡庸なプレイが続く中、ゲームに射した一筋の光、でした。

では。

喜べない的中。(2021.5.30 岡山戦レビュウ❶)

正直勝てる気がしない、と思いつつプレビュウで懸念したことが、ほとんどミゴトに的中してしまって、言葉もない。

GK圍の先発はともかく、上門と山本によるゴール、コーナーキックからの失点(by 喜山)。
その結果、全方位ホーム環境下での完敗、ときたもんだ。

予言した者として謝罪しなくちゃならないのか?、と道義的な責任を感じてしまう。

〈隙を見せずに隙を突け〉とは、マッチデイプログラムの見出し。

かえってファジアーノのほうが、それをやって魅せたんだから、記事のライター氏も、皮肉な結末に、さぞや、激怒の無念に違いない。

先制してからの岡山の試合運びは、ほほ完璧。

プレイヤーの距離を遠くしておいてボールを動かすことで、山雅にボール奪取のポイントを絞らせず疲弊させ、攻撃への反転を空回りさせた。

というよりも、こちらがまるでミス繰りだしのオンパレード、かつ、セカンドボールが拾えなかったら、ああなるのは当然だ。

まるで、敗戦する時は、3点を差し上げる、って決まりでもあるんかいな、と思わせるほどに、チームの意思統一が低下し、散漫となり、弛緩する。

圍が必死でセーヴィングしてポストを叩いた上門のシュート。
あれが決まっていれば、あわや、4点の献上だった。

― かつては、ゲームにやり切った感が在ったんだけど、今はなし。
どんなサッカーをやりたいのかが不明。ヘディングもただ身体に当てるだけのことだし……、と山雅ウオッチャーとしては先輩格の娘から、メールが入る。

まことに、ごもっともな指摘だ。

山雅のシュートで、枠内に飛んだのは、外山 凌のゴール、1本だけだったか?

事故みたいなゴールを期待しなければならんほど、ボランチから前線と2列目へ対し決定的なボールが入ってこない。

2列目は2列目で、中盤のボールさばきにあくせくとは、なんとも。

これ、前 貴之を右サイドバックに配置せざるを得なかったからだけなのか?

といっても、外山と下川 陽太が創る左サイド攻撃にしても、外山の外側を上がる下川にボールは、チットモ出て来なかった。

練習で出来ないことは本番でも再現できまい、と思うんだが、何に手をつけているんだろう?

万策尽きたのでバンザイのグリコ、でもないでしょうから、そこをせいぜい悩んで、克服してもらうしかありませんな。

ゲームのところどころで、原石がキラリと光るぐらいでは、満足もできなくなっているのですよ、アルウィンは、もはや。

〈侮蔑の拍手は 差し上げない〉
現行の応援制限は、ファンサポーターには、とってもアンフェア。

不平や不満を、口に出してチームに訴えることができないからだ。

それとも、ゲームの途中で皆が一斉に帰り始めれば、わかってもらえるのか。

そこで。
今回はじめて、ゲーム後に、ゲートフラッグを逆さまに掲げ、挨拶にまわるチームに不満!!を表明させてもらった。

別に、佐藤 和弘や前 貴之に個人的な恨みをモノ申しているわけじゃあないが、こんなゲームだったら、単なる拍手を貰うほうがむしろ、彼らにとって恥ずかしかろう。


最後。
ゲーム後アルウィンの拍手が、もちろん!!、岡山プレイヤー側に倍して大きかったことを書いておきます。

では。

山雅★吊るし雛、を楽しむ。

本日は、#3のリストバンドで、アルウィン参戦のつもり。

さて、先日、家人の元職場のご同僚が、拙宅までお越しになって、なんとも有り難きプレゼントをくださった。

その方のご友人が、吊るし雛創りの名手なんだが、家人が山雅ファンであることを知り、〈山雅吊るし雛〉をこしらえてくれたんだそうな。

江戸時代、段飾りのお雛様を持つほどには富裕でなかった人々が、互いに寄って作ったのが、吊るし雛らしい。

幼子を祝福するための、お金では買えない愛情と智恵、そんなシンボルだったんでしょうね、きっと。

いただいたものをみると、サッカーボールや、雛の表情とボールの抱き方、そのひとつひとつが違っていて、実に細やかな配慮が憎いではありませんか。

早速我が家の家宝になったんですが、これ、山雅が商品としてプロデュースできないものか?

けれど、これだけ凝ったものであれば、大量製造はとても困難だろうから、やはり無理かしらん?、と思って眺めているんです。

では。