【挽歌】クロリス リーチマンに捧ぐ

女優のクロリス リーチマンが、1月27日に亡くなった。
1926年生れの、享年94歳。
老衰の、大往生だったようだ。

萬年が、リーチマンを認めたのは、『ラストショー』(The Last Picture Show 1971年)と、『ヤング フランケンシュタイン』(Young Frankenstein 1974年)の、ふたつの映画だった。

特に、ラストショー。

1971年はキネマ大収穫の年であったから、〈令和キネマ座〉トップ10では、たまたま選外となってはいるが、同等の評価を与えるべき作品かも知れない。

その映画の感想は、いつ(何歳のどんな時に)、どこで(または誰と)観たか、という個人的な事情に決定的に左右される。

なので、ラストショーのように、滅びゆく、ゴーストタウンに近いような、辺鄙な街の青春群像が描かれていると、評価は、なおさら大きく別れて当然だ。

たとえば、テキサスの空っ風が渡っていく、閑散と寂れたメインストリートを、カメラが、左から右へとなめていくシーン。

これひとつとっても、ご鑑賞になるあなたの年代(=人生経験の集積)によって、景色の見え方が、よっぽど変わってくるだろう。

それはさておき。
この作品の良さは、観てわかっていただくしかありませんが、
ここでは、役者陣の充実した演技に脱帽、とだけ申し上げておきましょう。

ティモシー ボトムズ、ジェフ ブリッジス、シビル シェパード、ベン ジョンソン、ㇰロリス リーチマン、エレン バースティン、アイリーン ブレナン、ランディ クエイド…、これだけ並べてみても、おそろしくなるほどの芸達者ばかり。

よくこれだけ集めたもの、と感心するけれど、実は、ㇰロリスにはゴメンナサイ。

萬年的にはここでは、アイリーン ブレナン(1932~2013年)の演技に、いちばん惹かれる。

『スティング』(1973年)で、ポール ニューマンの情婦役を演ってた、と言えば、ピンと来る方もいらっしゃるか。

アイリーンには、『プライベート ベンジャミン』(1980年)の、ルーキー兵(ゴールディ ホーン)に、さんざ振り回される鬼大尉役があって、これもおすすめ。

ラストショーは、130万ドルの製作費。
対し、2,900万ドル超の興行収入。
脚本と役者以外には、大したお金をかけていない、という意味で、模範的なヒット作なのだ。

作品40周年を記念して、監督(ピーター ボクダノヴィッチ)と4人の出演者が集ったリユニオン(同窓会)めいたパネルディスカッション(2011年頃)を観たことがある。
杖をついてそろりそろりと登場するクロリスを、皆が次々と抱擁するシーンには、泣けた、泣けた。

心の中で、老いることの魅力と迫力に大いに感涙した、のであります。

では。

突き放して 眺める。

或るSNS上の書き込みを読んでいて、ずいぶんと笑いながら、しかし、考えさせられてしまった。

その内容は、こうだ。

―自分が若かった、ずいぶん昔のこと。
入院した時に、同室になった爺さんは、戦争中はいかに大変だったか、今の若い者がどれだけ恵まれているかを説教する人だったが、食事の時に、こんなものが喰えるか!、と病院食を放り投げていたので、案外戦争の時って楽だったんな、と思うようになった―

くどくどとコメントするつもりもないが、あの戦争をまるごと、ナマのままで読み解くには、こういう観点が必要だろうなぁ、と思う。

これを、フテブテしく眺める視点、といってもいい。

けれどね、老いての傲慢さ、これだけは、いただけません。

老醜、という言葉があるくらいですから。

では。

碌山美術館の ケチ

荻原 守衛(もりえ、1879~1910年) は、第一級の彫刻家である。
号は、碌山。

安曇野穂高の、碌山美術館は、たまたま碌山の生まれ故郷に在る、ってだけの話。

ご当地が生んだ芸術家、とわざわざことわる必要のない、卓越した才能なのだ。

思い立ったら簡単に、その作品に接することができるしあわせを、僕らは持っている。

が、この地へ赴く楽しみのひとつは、美術館のチャペル風なたたずまいを味わえるところにあった。(1957年建設)

ところが、である。

いまや、この敷地内へ足を一歩踏み入れるだけで、入館料(大人700円也)が求められる。

いつから、なぜに、こうなったのかは知らないけれど、たとえば、今回は、館内へは入らずに、この敷地内を散策したいと思っても、あなたは、散策料を払わなければならない。

たとえば、静かなる庭の緑陰。

落ち着いて恋人と時間を過そう、なんてお洒落を禁ずるとは、まったく、なんというケチで、無粋なココロなんだろうか。

もちろん、碌山氏には、これぽっちも恨みはない。

では。

凋落を計測する(ブレグジットの余波)

球には、マジメな話題。

遂に、と言うか、やれやれと言うべきか。

2021年1月1日、グレートブリテン&北アイルランド連合王国(以下、英国)の、欧州連合(以下、EU)からの離脱が、発効した。

ブリテンが(EUから)離れる(エグジット)、という合成語〈ブレグジット〉が盛んに使われて、約4年あまりかけての決着だ。

この際、GDP世界第5位、貿易立国である英国の最大関心事は、EU原産地品の輸入における関税ゼロ、であったに違いない。

(英国は、貿易収支ではずっと輸入過の国である)

関税ゼロを、EU事務局(大統領府)との交渉で勝ち獲ったジョンソン首相が、勝利宣言するくらいであったから。

けれど、本来、離脱は言語道断なEUからすれば、オメオメと相手にばかり有利な条件で合意する、とも思われない。

きっとこの部分にだって、したたかな罠を仕掛けてあるのではないかな?
(おそらく、しばらくすれば、それが露わになるだろう)

大陸から離れた島国という地政もあって、どうも英国は、他者(=EU)から画一的なルールで縛られたくない、といった情緒が濃厚な感じがして、それが離脱のムード面での最大な要因だったりして。

EU圏内の中で比較的に好調な経済を、他者都合で下降させたくないのだろう。

さて、当初。
メディア論調では、絶え間ない移民流入にネを挙げた英国が離脱を決意~、だったように記憶する。

英国はもはや、他の先進国と同じように、移民労働力がなければ経済が成立しないはずだ。

絶対に必要だけれど、のべつまくなしでも困る、というのは、これも先進国に共通した、ずいぶん身勝手な話ではないか。
(たとえば、研修生制度、とかいう大義名分のウソを編み出したのが日本)

特に、英国の場合、かつて面積と人口ともに地球の25%を植民地化していた大英帝国という過去を持っているのだから、いまさら、それをサラリと忘れてもらっても困るのだよ。
いまでも〈英国連邦〉は存続させているわけだし。

とにかく、EU離脱によって、外国人労働者の流入にも制限が加えらるようになった。

もちろん、サッカー選手もその対象だ。

プレミアリーグでは、いままでEU加盟国の国籍を持つ選手の登録には制限がなかった。
この条項自体は存続したとしても、労働ビザ発給条件が厳格に適用されるから、さまざまと実質的な条件が増える。

豊富な資金力をベースに、外国籍者をふんだんに雇用してきたビッグクラブ。

つまり、マンチェスターシティ、マンチェスターユナイテッド、リヴァプールなどは、新たなプレイヤー補強に、足かせが加わるようになる。

今後は、思い通りのプレイヤーばかりでチームを創ることができなくなる。

そのなりゆきを、時間をかけて観察しよう。

何年かかって、生まれかわっていくのか、と。

これも、せいぜいブレグジットの愉しみのひとつ。

果たしてプレミアリーグは、どんな智恵で人気リーグの地位を持ち堪えるのだろうか?

では。

或る変節を喜ぶ (寅次郎論ひとつ)

先日、居間を通り過ぎようとして、フトTV画面を見ると、『男はつらいよ』のいちシーンであった。

ドサまわりの歌手リリー、こと浅丘 ルリ子と、船越 英二郎。
とくればシリーズ第16作『~寅次郎相合い傘』(1975年8月公開) か……。

―ほお、あなたが、ねぇ。

車 寅次郎の、直情径行的な粗暴さに我慢ならず、ゆえに、この作品集も好まなかったのではないかい?、と言外に匂わせても、

―この前は、光本 幸子がマドンナの作だったわ、と平然としている家人。

―うん、それ第1作。だから初代だね。御前様(笠智 衆)の娘という設定で。

さらに、その数日後、ふとした折に、『~お帰り 寅さん』(2019年12月公開) もご覧になった、とのご託宣なんである。

―倍賞 千恵子の老けようには驚いたわ~。
でもね、根っからの寅さんファンだと、この作品の評価は、ずいぶんと割れるんじゃあないか知らん?
渥美 清はもういないんだし、ゆかりの人たちがオンパレードで出てきてもねぇ。
なぜ?、今さら、って感じ……。

―やはり、お金(興業収入)がいちばんなのかな?
松竹は、『釣りバカ日誌』シリーズが2009年で終了して以来、盆暮れのヒット作もないから、ここでひとつ、ということかもよ。
でもさ、監督の力量などからすれば、そこそこ安定した作品にはなるんだろうが、やっぱりさ、進退を賭けるようなチャレンジを、作品には求めたいな。

だいたいがね、寅の甥っ子が小説家になってる、なんて設定が、良いとこ取りで、安易に過ぎませんか?

……、とまぁ、いまや我が家では、当シリーズに関するかなり深~い評論が飛び交っている。

思うに、これも、つーさんや、ジョー氏の映画通から、インスパイアをいただいたゆえ、と感謝しているんです。

ところで、前回記事では、1920年を持ち上げたんだが、ミヤコ 蝶々(1920~2000)を失念してしまったので、ここに追記しておこう。

蝶々は、この寅さんシリーズで、寅次郎と生き別れになった実母を演じた。

で、渥美は、1928年生れ(~1996)であるから、このふたりの実年齢差は、たったの8つ。
そのふたりが、親子を演じてみせたわけ。

果たして、蝶々が老け役に徹していたのか、あるいは、渥美が若く見えるのか

そんなつまらんことで悩んでいる。

では。