平凡なる非凡、シンプルで良き (2022季ユニフォーム)

ユニフォームは、毎季、どこが変わったのさ?、くらいで変遷するのが良い、と思っている。

なので、リリースされた来季デザインは、まぁまぁ、僕の審美基準には入った。

ドット(の大小) を使ってグラデーションっぽさを演出した濃緑の生地。

これ、遠目では、グリーンの濃淡もあまり目にうるさくはないだろう。

背中も前面と同じように、濃淡を入れてよかったのではないか、とも感じるが、シンプルで気に入った、というか、気障りでない。

中でも、ファーストとセカンドで、それぞれパンツが、白と黒なのが、古典的な雰囲気を醸す。

差し色にも凝らず、使う色も少ない。

けれど、この邪心のなさによって、案外、歴代トップクラスの出来かも、としておきましょうか。

家人は購入の意思がないように言うが、袖にJ3ロゴが入ることで、後世、稀少価値が出るやも知れません。

唯一の不満は、いつになったら、ポロシャツに準じた襟仕様に挑戦してくれるのか?、ということ。

立ち襟にもできることで、精悍な雰囲気が完成されるし、かつ、シーズンパスのストラップが肌にあたる不快感もなくなって、おおいに助かるんですがね。

では。

石を投げる者にはならない。

平和論、責任、信頼、といった事がらで、頭がいっぱいでないことだけは、まづお断りしておきます。

ま、ごくごくたまあに思い起こしている、に過ぎない。

それよりも、家庭や職場、道行く人々と平穏にやっていくことが、ずっと大切。

最新の、市報の表紙には、『愛の消防団』とかいう言葉がみえて、思わず笑ってしまった。

準公務員という立場で、地元の安全を守ってくださっている青年達には感謝しかない。
率先して引き受けることには躊躇があるに違いない奉仕の業に、こころよりお礼をいいたい。

で、なぜに失笑したか?といえば、かなり以前のこと。

隣人と険悪になった(と相手は思ったらしい)時、そこのセガレが、消防団員であったようで、

― 隣りから火が出ても消してやるもんか、と言った言わないが、耳に入ってきた。

まぁ、そう言うのは勝手だけれど、そんなことをしたら、じぶんちだって焼け落ちるのに、と思ったのは、今は昔。

道で会えば、それはそれは丁寧な挨拶をするように心がけているのだが、それが、向こうが犬の散歩中だと、いささか厄介なことになる。

この犬、けっこうな犬種らしいんだけれど、無駄吠えがとにかくヒドイ。
その家の者が帰宅する時も、騒ぎまくるのが聞こえてくる。

この前なんか、玄関ドアを開けて外に出た途端、物凄い剣幕で吠えたてられ、ギョッとその場に立ち往生。

ちょうど、拙宅前の道を通過中だったんですな、飼い主とペットが。

まるで、出合い頭の事故。

彼、恐縮を示そうと懸命になって犬を叱ってるんだが、普段できないことが、今できるわけもなく、空しい努力。

あんたが躾られなければ、この僕が礼儀を教えてあげようか、と思わずムッとなるが、さすが、その言葉は飲み込んで、ニッと笑ってお見送り。

人が出来ている僕のことゆえ、決して、他人を石もて追うようなことはしないのです。

では。

プライドはどこへいった? (シーズンパス継続)

……そうか、小手川 宏基、契約満了かぁ。

今季は、20試合に出場。

気の効いた位置取り、ボールの繋ぎなんかには光るものがあって、気に入っていたんだけどなぁ。

次のステージでの活躍を、心から祈ります、ありがとう。

 

今週の初め。

株式会社松本山雅から、シーズンパス継続の案内が届く。

読むと、来季は、チケット価格が、ほぼ10%安くなるようだ。

ホームゲームも、いまより4つ少なくなるので、結果、シーズンパスの値段にもお買い得感が出た。

チケット代値下げについて、観せる側の思惑がどこにあるのかは承知していないけれど、観ている一個人としては、

今季の、それはみるに堪えない、見苦しいゲームを繰り返しみせてしまったことへのお詫びのしるしに違いない、と考える。

それでこそ、プロの証し。
究極はお金で表現、ってのは、あっけらかんと気持ちがいい。

プライド、と口走っているのをはた目にすると、それ実は、傲慢と見映えの別表現でしょうよ、とヒヤヒヤすることが多い。

万が一、今回の値下げ、その趣旨が、ひとつ下のリーグのゲーム観戦となるから、という理由であるならば、
おいおい、日頃のプライドはどうしたのよ、と今度は逆のツッコミを入れなければならない。

どこのリーグに参戦しても、その時の最上級なプレイを魅せるのが山雅魂であるならば、所属するリーグで入場料を変える、というのはかなり卑屈じゃあないか?

まるで、それなりのゲームしかお見せできません、というに等しい。

そんなこたあ、ファン&サポーターは期待しちゃあいない。

今からそんなじゃ、小手川の予想じゃぁないが、苦戦しますぜ。

ゆえに、あくまで値下げは、今季分のごめんなさい、だと信じてる。

では。

困った時は,僕に訊け。

最近、『萬年事典』中の項目を、いくつか改訂した。

【ハト派】☞ 民主党(当時) 政権下の初代首相のように、サラリーマンの平均年収は1,000万円くらいなの?と側近に訊ねて慌てさせたり、母親から9億円が自分の口座に送金されても気づかない、といった、およそ世間離れした、特異な感性を持つ者、あるいは勢力を、その苗字の頭二文字をとって、こう呼ぶ。

【タカ派】☞ シナで開催予定のオリンピックを〈外交的に〉ボイコットせよ、と現政権にプレッシャーをかけるなど、自国固有の価値観を尊重する者、あるいは勢力を、政権与党の政調会長を務めた議員の頭苗字二文字をとって、こう呼ぶ。

集団的な安全保障体制をリードする強国が、ボイコットを決め、先進国のいくつかが、これに追従。

同盟国として知らん顔もできず、さりとて、地政学的に近く、経済的にも深い関係にある国家に対し、同じ手法を軽々に採用できないのも、現実。

でも、どこかでなんらかの意思表示はしなくては、というのが政権の悩みどころか。

僕は、この政権、なかなか有能だと思っているので、ボイコットの件でためらう理由がよく理解できない。

衆議院選挙で落選した派閥の領袖(今月で辞任)を、温情採用にみせかけて内閣官房参与といった、毒にも薬にもならぬ役職に任命。

と同時に、その選挙区支部がコロナ禍による雇用調整助成金を受領していたことをことさら強くメディアにリークして、結局は、就任8日で辞職に追い込むことで、その政治的な影響力の、息の根を止める。

こんな狡猾な深慮は、なかなか思いつきませんよ。

かように優秀な政権ならば、おそらくは、以下のような声明を出して切り抜けるだろう、と予想しますね。

……今夏のオリンピックを、スポーツの、政治からの独立を目指して成功裡に開催し得た我が国は、これによって、オリンピックの正統的な価値を守った。

オリンピックおいては引き続き、この理念が尊重されることを希求し、今後我が国は、その開催国への、政治的(国賓も含め)な派遣を辞退することを宣す。

なお、生存権、自由権が、人類が歴史をかけて定着させてきた基本的な人権であることは論をまたない。

……、これでいいではないか。

オリンピックそのものはやらせるけれど、黙っちゃあいないぞ、という嫌がらせと苦肉の策が、今回のボイコットなんだろうが、理念からすれば、いままで国家のリーダーが訪問していたのが異常だった。

戦いのゴーサインを出した者が、平和の祭典とかいって、のうのうと雛壇に並ぶという皮肉。

日本こそがソコを衝くべきなんだが、いまのところ、ハト派のだれもそんな主張をしないとは、どうしたことか。
(註: コミュニストはハト派でもないから、これをのぞく)

では。

できなくなる? しなくなる? の歯止め

息子との会話。

― (萬年) 昨季は降格が(制度的に)なかったんだから、最後まで布さんでやってよかったんじゃあないか?

― (息子) いやいや、それはない。
ゲームを観て愕然、守備で決まり事をまったく作ってなかった。
以前から在籍していたプレイヤーでさえ、キチンとした守りをしなくなっていたからね。

何気ない雑談の中のコメントだが、けっこう示唆され、考えさせられた。

チームとして一体となるには、首脳の指示の下、統一されたスタイルと手法で戦うのは当たり前。

が、実際に、ピッチ上でリアルタイムの流れを感じながらプレイするのはプレイヤーではないか。

勝つため、勝機を手繰り寄せるため、瞬時の判断で、当初の決まり事に背いてでも、ここは!、というプレイをすることは否定されるのだろうか?

つまり、目的にかなえば、一見逸脱した、個人発案のプレイは、許されるのではないか?

1964年の東京オリンピックで、市川 崑 (1915~2008年) は、公式記録映画のメガホンを取っていた。

閉会式はおそらく、開会式と同様に、国旗を先頭にした入場行進ではじまるだろう、と予想した市川は、スタジアムに配置したカメラすべてに対し、冒頭のシーンでは、カメラを回さないように指示を出していた。

ところが、実際閉会式が始まったら、各国の旗手たちが最初に出て来た後、整然とした行進などなく、すべての選手役員らが混然と入場してきたのだ。(その後のオリンピックはこの演出を踏襲しているらしい)

まったく予期せぬ事態に、市川は顔面蒼白となる。

自分の指示で全カメラがそのシーンを撮り逃したからだ。

ところが、後日フィルムを回収してみると、監督の指示などどこ吹く風。
ほとんどのカメラは閉会式のカオス入場を記録してあった。

……、数十年前、某公共放送のTV番組で、市川自身が回想していたのを聴いた。

自分は、ボスに背いてでも自分のプロ意識と論理に従う撮影者を信頼する、その意味で、すべてに従ってくれるだろうとは信用していない。
― そんな総括だったように憶えている。

信用と信頼、なかなか深い話ではありませんか。

まぁ、こういう関係が成り立つ職場は、上司部下がそれぞれミッションに忠実であって、しかも成熟した大人でないと成り立たないでしょうね。

山雅というチームが、そういう組織であることを望みます。

いままで以上に、自分たちが責任を引き受けて戦うべき来季であるはずだから。

そういう意味でも、リーグ降格だから、~は引責辞任せよ、という論理には軽々には賛同できませんね。

では。