ツバメ去りて 秋を知る

相方は今年も、

熟れつつある無花果(イチジク)の実のことで、野鳥らと争奪戦に突入した昨日今日。

僕は時々、その戦果にあずかって、くちばしが一刺し二刺したやつを、フレッシュでいただいているのだ。

先月25日あたりに、職場の軒下で子育てをしていたツバメたちが、その巣からいっせいに姿を消した。

きっと、もっと大きな群れへと合流し、南方への渡りに備えるためだろう。

僕の知っている限りでも今年、3~4羽のヒナが落命しているが、それでも多くの次世代を成長させて旅団に加え、南国に向かう。

で、隣家で営巣していた家族はどうかと観察しているんだが、こちらはまだ巣を後にしてはおらず、拙宅の上空をさかんに飛び交う。

頭上高く、あるいは、僕の腰くらいの高さで、僕の立っている数メートル先を滑空しているさまは、長距離飛行のトレーニングに余念なし、とみえる。

そうこうしているうち、もはや、季節の中には秋が紛れ込んでいて、雲は空に筋状に乱れているし、月見草の花が、目につき出す。

   ツバメ去り   空に残るる  ひっそりの月  萬年

彼らの長旅の無事を祈る、そして、互いに生き延びていれば、また来年。

別れの曲、『ラ ゴロンドリーナ』(メキシコ民謡、つばめの意) をたむけに。

では。

再び、U24日本のこと (フランス戦など)。

そもそも、今回のフランスチームの全容も知らず、したがって、そこを日本が 4 – 0 で下したことが、どれだけのことなのか測りかねています。

たしか、フランスは予選リーグで、メキシコに 1 – 4 で敗れている。
失点しだすと歯止めが効かない何かが、チームに内在したんだろうか。

まじめにゲーム観戦もせず、ハイライトでお茶を濁すのはまことに恐縮。
が、それでも、感じることをいくつか。

❶なんだかんだ言っても、プレイヤーの選択肢を試す時間と智恵を、それなりにかけて来た首脳陣の仕事を評価すべき。
ということは、試されて振るい落とされたタレントがやたらと多い現実も忘れちゃあならぬ。

その過程で、For the Team、というところへとチーム内意思を統一できたことが、果敢に汗を流すチームを創った最大要因ではあるまいか。

俺が俺がの造反分子を許していない感があって、現下、チーム内不和は聞こえてこない。

❷2016年リオ大会におけるオーバーエイジ枠は、ホント仕事をしなかったけれど、今回は対照的にグッジョブ!

前線に豊富なタレントを擁すという事情もあるが、中盤と基底のセンターラインが安定しているので、攻撃にかけるエネルギーを存分に引き出せている。

❸前線では、かつてないスタイルのフォワード像が創られつつある。

上田や前田は、前方に張って得点チャンスをうかがうばかり、といった特化したFWでなくて、攻守どちらでも、あるいは、切り替え時の中継に絡むこともまったく厭わず、当たり前に行なう、そういったFW。

久保の登録ポジションを知らないけれど、彼もやはり、そういう動きのできるタレントだ。

これからのナショナル日本のフォワードの選定基準を作ったのが、今大会の価値。
ということは、ここしばらくは、こういう仕事をしないと、代表FWには呼ばれない。

違う表現をすれば、もはや洋の東西どこのクラブでプレイしているか、ではなくて、所属チームにおいてどれだけ切羽詰まったミッションを負わされ、それに応えているのかが、全ポジションでの選考基準のようだ。

こういう思想が、どうやってA代表の編成に流れ込んでいくのか、かなり期待。

❹ゲーム支配も上々の出来。
2点リードしたら久保を引っ込める、なんてのは、フランスにしたら屈辱以外のなにものでもなかったはずで、こういう心理戦は重要です。

フランスに、後半 さぁ! 行くぞ、と思わせておいて、結局は、メキシコ戦と同様、10人となった相手とやる局面が訪れた。

その際、カウンター攻撃を織り込んで、相手の戦意と意欲をむしりとったのは、メキシコ戦での学びを活かしたものと評価。

❺後半アディショナルタイム、前田のゴールをみて、クオリティの高いラストパスを通せる力量こそが、大然を活かす鍵、とつくづく感じる。

前田 大然を見い出したのは山雅です、などと浮かれる気分にもなれず、なぜ今、大然をアルウィンで観られないのか、と我がチームの足許を考えさせられるのであります。

では。

なでしこに告ぐ(その名誉のため)

1、4、5、6、7、8、9、10……、と並んだ数字。

これは、なにか?

既にご承知の読者諸氏でありましょう。

これ、当オリンピック女子サッカーで、決勝トーナメントに進出した8か国の最新ランキングなんであります。

1位の米国から始まり、オランダ、スウェーデン、イングランド、ブラジル、カナダ、オーストラリア、そしてしんがりは、10位なでしこで終わる、8つ。

ここにいないのは、2位ドイツと、3位フランスのみ。

予選を勝ち上がった顔ぶれ、ほとんどみごとにランキング上位。

で、なにが言いたいのか。

日本にとっては、これらのどことやっても、10回のうち 1、2、良くっても 3回くらいしか勝てない、という現実。

だから、この際、要らぬプレッシャーなど捨てて、勝って儲けもの、というくらいの醒めた気持ちで、のびのびと対戦するのがいちばんよろしい。

特に、昔相当な戦績を誇った先輩の忠言など、聞いたふりして流してしまう、でいいんじゃあないの?

選ばれて戦うのはわたしたち、文句なら選んだ奴に言ってくれ、ってことです。

だいたいが、国内リーグにおける人気の翳りと引き潮に手を打たずして、この期に及んで見苦しい論評はやめてもらいたい。

負けても(悔しかろうが)サバサバ、誰も君たちを責めやしない。

さて、準々決勝の相手は、ランキング 5位のスウェーデン。

予選リーグでは、米国を 3 – 0 で破ったばかりの、ご本家以上に米国スタイルの屈強サッカーをやってる、いわば〈旬〉のチーム。

これはもう、フツーに追い込まれて怒涛の攻撃を喰らうことは目にみえているんだから、ただ縮こまって凌いでいるばかりでは面白くなかろう。

ならば、思い切って攻撃的にやってみたらどうか。(やらしてくれるか、もあるけれど)

俊敏に、速く速く。

捨て身で切り込むものの、ただし、帰りの燃料だけは残しておいて自陣に戻る、そんなことの繰り返しを、ひたすらやるだけ。

2017年、U23 ラマンガ国際大会。

この時、なでしこは、スウェーデンを3 – 1 で沈めているんだから、相手ディフェンスをかいくぐるような、あの時の素早い動きを思い出せ。

そして、今大会ユニクロ製ユニフォームをまとうチームに引導を渡せたら、それも、また一興かと。

では。

【急報】陳謝、そして歓喜。

なんと、背番号#10 は、半年間のブランクを経て、元の持ち主に戻ったのだ。

おかげで、じつに何年かぶりに夫婦の熱い抱擁がなされた、のが我が家。

ギリギリ、というのは一昨日のブログ記事で、山雅への復帰に懐疑的であった筆者がその見立てはづれを、テーブルに頭をこすりつけて謝罪している図。

見果てぬ、と思われた真夏の夜の夢が、実現してしまうとは。

こういうのを、言葉がない、というんだろうか。

完全移籍、とあるからには、大邱FCとなんらかの交渉が在ったということでしょうね。

あぁ、ご家族とセルジ―ニョ本人の、松本愛とアルウィン愛、そしてツルヤ愛に、こころから感謝しよう。

京子さんに先手を打って、山雅公式を見よ、とメールを送信して10秒もしないうちに、青森に居る義理の息子から、
セルジ―ニョ、山雅に復帰するみたいですよ、とメールが入ったのよ、と家人。

つまりは、全国的なサッカーニュースなんですな、これ。

では。

註:この前の記事中、山雅はレンタルから以外は復帰をさせないクラブ、と書いたが、岩上 祐三ら、あるいは元プレイヤーをクラブスタッフや指導者として多数登用していることを付記します。失礼しました。

暑さを楽しめ『Thunder Road』

ほんの数キロ先では、物凄い夕立で道が泡立つ。

ところが、拙宅の周りに来ると、空からは一滴も落ちてこない。

あるいは、その逆だったりで。

夏の盛りの午後。
雲と雨は、不思議なありさまで地上に届いたり届かなかったり。

夏を楽しめ、と若い世代に葉書を書き送っている手前、こちらもせいぜいそのように暮らしたい。

ブルース スプリングスティーン(1949年~ ) のアルバム『Born to Run』(1975年発表)の中で、どれか一曲を選べと言ったら、ラストに収まった『Backstreets』になる。

けれど、こんな空模様を考えて、今回は『Thunder Road』に。

アルバム冒頭に置いた、という重みのある曲です。

雷鳴の道

玄関の網戸がパタンと鳴ると、そのドレスが目をかすめる

ラジオの曲に合わせ踊りながら、ポーチを横切って来るメアリー。

ロイオービソンは、僕のような孤独な連中に向けて歌っている

そう、今夜共にいたいのは君、僕を家に追い返さないでおくれ

ひとりで自分と向かい合うことは とうていできそうにないんだ……

と、恋人を誘い出すシーンから始まる歌詞。

その中には、卒後式に着たガウン、が出て来るから、おそらく、この6月にハイスクールを終えたばかりの若者なんだろうか。

最後、

さぁ、メアリー、車に乗り込んで

敗残者であふれたこの街を  僕らは出て行くんだ

勝利を手にするために……

スプリングスティーンのコンサートでは、歌詞を暗記した観客が、歌手と一緒に歌う、ってのが定番。

いかに詩が重んじられているか、ということの象徴でもありますが、2018年にはこの曲に啓発された同名の映画が公開されていることを知った。

亡くなった母親が、この曲がお気に入りだった、という設定らしい。

テーンエイジャーの頃に、ブルース スプリングスティーンにハマった母とは、米国式の、それこそ鉄板な世代論ですなぁ。

機会があれば、観てみましょうか。

では。