2021.3.14 山形戦、翌日の雑感。

月曜日の職場で、幾人かの方々からいただいた感想を、すこし。

― 昨日はテレビ(地上波)で観てました、お疲れさま。
アディショナルタイムは、もう、ひやひやでね。
それにしても選手、知らない人ばかりになっちゃって。
また、覚えないと。

― いやぁ、山形ってあんなに強かったっけ?

― 1 – 0 で勝ちたかったでしょうに。山雅的には、ゲームどうだったんですか?

こういう会話が、みづからをサポーターと名乗らない人々の間でもフツーにあること。

これこそが、地域の中で生きる山雅の財産であり、強みですな。

グラスルーツ(英語 Grass roots)とは、〈草の根〉のこと。

グラスルーツ アンバサダー。

地域にあって、その草の根っこにしっかりと密着しようとする山雅の、新しいチャレンジ。
地道な活動にはなると思いますが、その方面における活躍を 山本 真希氏には期待します。

ゲーム後におこなわれた、山本氏の引退セレモニー。
語り口からは実直な人柄が垣間見え、山雅という樹が、すこしづつ枝を伸ばしている様子。

その緑陰が、雄大に育つことを祈るのみ。

では。

敗けなくて良かった!【2012.3.14山形戦レビュウ】

タイトルは、萬年の真情そのものなんです。

スコアは、1 – 1 のドロー。

でも実際は、(特に後半は) 20 : 80 くらいでゲームを握られていたので、ドローで持ち堪えたことを良し、としてしまうのが、敗けを引きずらない妙手。

チームの練度、仕上がりが、山形に比べると その半分にも満たない、と素直に認めて精進する、ってことでしょうね。

互いに、局面を優位に進めて攻撃を創っている時間帯で得点している、ってこと。
これが当たり前のゲームであったことは、自慢していいと思います。

山雅のプレイヤーには全体的に動きの緩慢というか、切り換えの遅さがあって、身体の重さしんどさを感じていましたが、これ、山形の試合巧者ぶりによって心身ともに疲労感が深かったのかな、と勝手に憶測。

〈予想が的中して〉
スタジアムに到着した瞬間、河合 秀人のゴールが宣せらる。
起用法とその躍動からすれば、得点の匂いが最も濃かったゆえに、まっこと喜ばしいことであります。狭いスペースへ走り込んで、しかも、左足でよく決めた。

〈ゲームのポイントは〉
河合のゴールをアシストしたのが前 貴之で、得点のシュートを放った加藤 大樹(山形)の足許に滑り込んだもまた、前 貴之だった、というのがゲームを最もよく象徴していました。

山雅の得点直後、指揮官は、表原 玄太をインサイドハーフへ、前貴之をサイドバックへとチェンジ。
それまで山雅の右サイドを山形が人数をかけて何度も侵していましたから、それへの手当てとして、かなり気の効いた策には違いなかった。

でも、これによって、中盤におけるボール奪取力がかなり減衰したことも確かであって、左右サイドに加え、中盤でセカンドボールをほとんど獲られてしまうこととなる。

後半、見せられたテイタラクにつながってしまったわけ。

決して表原を否定しているのではなくて、求める資質が違っている、というお話。

では、どうするか?

後半に投入された篠原 弘次郎。
彼が、あれほどシュアなプレイで山形FWを無力化できるのであれば、4バックを採ることで、前はそのままスリーボランチの一角に残すほうが、全体の距離感が保たれたはず。

表原は突貫能力を、前は中盤の形成力をそのまま発揮し得たと思います。

4バックシステムの運用を、ゲーム最終盤のパワープレイ用にいつまで限定するのかを、注視しています。

それにしても、左サイドの活性化を考えた場合、そろそろ登場しなきゃあダメでしょう、田中 パウロ純一よ。

では。

雨に フットボールを恋ふる。

朝起きると、春の雪になっていた昨日。

 雨すぎて たそがれとなり
 森はただ 海とけぶるを

宮澤 賢治 (1896~1933) が原稿紙に残したメモ2行を、ふっと、思い出させるような景色。
5・7調の 2連の後に、どんな詩を続けるつもりだったんだろう?

賢治が見たのと同じような森は、けれど、北穂高あたりまで出向かないと手に入らないか……。

いよいよ明日は、今季初アルウイン。

開始の笛が鳴ってからの10分間。
ここでどれだけ山形のプレイヤーに、おい、この山雅はただごとじゃあない、と印象づけられるか。

ゲームの8割方のポイントは、おそらく、そこらにかかっている。
強烈な圧力を加えるには、観客の力もきっと、大きいはず。

仕事の都合で、後半からの現地参戦となるため、冒頭、リアルタイムの目撃者にはなれそうにない。

はやる心を落ち着かせるには絶好の、雪まじり雨まじりの静かな一日であった、と書いておこう、今は。

では。

昭和から 最後のプレゼント。


※本文とは、ほとんど関係ないかもしれません。

某公共放送でやっている連続ドラマの主人公は、女優 浪花 千栄子 (1907~1973 )がモデルなんだそうな。

ずいぶん渋い選択だなぁ。

思うに、浪花が活躍したのが、昭和初期から1970年代、というのがミソ。

昭和の残光を嬉しく想う世代へのプレゼント、というわけだな。

本名が、南口(なんこう) キクノだった縁で、大塚製薬『オロナイン軟膏』のCFに登場。

この女優について萬年が知っているのは、ホーロー看板の中、両手でその製品を掲げて優しく微笑んでいる姿が、ほとんどすべて。

ただし、映画『悪名』(1961年大映) の中で見せた、女親分の演技。
あれは、凄みがあった!

この作品では、山茶花 究(さざんか きゅう 1914~1971 )が演じる、落ち目の親分役の演技と、いわば双璧でありました。

となると、主演 勝 新太郎 (1931~ 1997) の歌なんかを聴きたくなるわけです。

では。

 

 

容赦なき具体論で克つ【山形戦プレビュウ 後編】


乗鞍岳の昨日、版権帰属先:オフィス/モモ

〈あの日の落差〉
第2節の、対京都戦がスコアレスドローに終わった、そのすぐ後

DAZNの画面を、それより1時間遅れて始まった 東京ヴェルディ vs  山形 に切り替えた。

やってる、やってる……。

でもね、5分としないうちにスイッチをオフしたんです。

なぜか?

なんとも気の抜けた、平板で淡泊なゲームにみえてしまい、たちまち興が失せてしまったから。

器ばかりが大きいあの味スタの、がらんとした環境もあるが、これが、ヴェルディのサッカーかい?、っていうくらいプレイヤーが立ちんぼに感じられ、切り裂くような活発な動きが、そこには感じられない。

対するモンテディオ山形も、似たり寄ったりの動きでつき合っている。

さっきまで観ていた、あのギリギリまで高められた、緊迫のサッカーとは、なんという落差なんだろうか!

〈しぶとい猛者、山形だろう〉
山雅を支えてトップリーグに導いてくれた勝負師 石丸さんの指揮も、2年目。
スタイルも深化しているだろうし、息吹も戦列に加わった。
FWヴィ二シウスは、昨季14得点で、この前のヴェルディ戦で早くも2得点。
他にも、相当な戦力を擁し、最後方のゴールマウスは、藤島 栄介(元山雅)が守る。
2019年は第6位、昨年は第7位。
……であれば、14日は、リーグ屈指の強豪との対戦には違いない。

〈見出したベンチマーク(基準点)に 殉ぜよ〉
となると、相当な対策を練ってゲームに臨むのは、あたり前なんだけれど、
そっちの戦術はともかくも、先のゲームで到達して魅せた〈強さ〉があの時だけのものでなかったことを証明することこそが、このゲームの最大テーマでありましょう。

監督インタビュウによると、レボリューショナルな京都との戦いに向けては、チームに相当なネジを巻いて臨んだらしい。

だとしたら、次は、対戦相手におかまいなく、あの高みを常に維持できること、これが至上命題になる。

強い、という印象はもちろん、やってるサッカーの具体的な手順と場面の集積があってこそ。

例えば、京都戦の前半のキックオフが、そのひとつだった。

たしか、佐藤から安東へと、横に短くパスを出すと、安東は間髪を入れずに、サンガの右サイドバック飯田が駆け上がって空いたスペース目がけてボールを蹴り込む。
そこには既に、外山がタッチライン沿いに走り込んでいた。
キックオフのやり方を変えてでも、ゲーム冒頭から、容赦のないプレイに徹底、執着したのだ。

山形が、山雅にとってベンチマーク足り得た時代は、既に5年前あたりで終わっているのだから、
ひたすら自分にしっかりと向かいあい、そのスタイルを確立する。

さすれば、結果はおのずとついて来るでありましょう。

では。