【速報ベース】これが今のスタンダード? (2022.7.2八戸戦レビュウ)

1 – 0 の勝利。

前節いわき戦から、安東 輝(今節出場停止)のところに、住田 将のみを入れ替えた、3 – 5 – 2 の初期布陣。

ここへ来て、先発については、ひとつの解ともいうべきものに到達、といった趣きではあります。

こちらが落ち着いて観られなかった、という事情もあってか、ピリッとしない感のゲームではありましたが、60分過ぎから4バックに変換しながら、ボールを落ち着かせておいて、結局はチャンスをモノにした。

……、という流れを振り返れば、こういうゲームにこそ価値がある、と言えなくはない。

特に、采配の妙という点で。

浜崎 琢磨のボランチ起用は望むところであるし、佐藤 和弘からのクロス、スルーパス(to 横山 歩夢) は見応えがあった。

全体として、パススピードが上がってきたことが、高評価。

良くも悪くも、常田 克人のプレイに、山雅ディフェンスの現在地が示されていたと感じました。

……、とまぁ、印象に偏った、まづは、走り書きのレビュウです。

では。

 

仕事に戻った、1969年の夏。

いまから、半世紀前の、1969年。

6月を休暇で過ごしたビートルズの面々は、7月1日からふたたび、ロンドンのスタジオに戻りつつあった。

実質的に彼等のラストアルバムとなった〈アビーロード〉を仕上げるため、そのセッションに集まったのだ。

8月8日には、スタジオに面した道路で、横断歩道を渡る4人が映る、あのジャケット写真が撮影された。

アルバムは、2箇月をかけて作られ、8月25日にマスターテープが完成。

その年の、9月29日に英国で発売になった。

制作されたのが夏のさなか、そして僕が聴き出したのがたまたま、夏。

というわけで、今頃になると決まって、ジャケットの、青いミニスカートの女性が、かすめるように写り込んでいる写真を想い出すのが常、となってしまいました。

ただ、それだけのことなんですが、その中からすこし。
サイドBの後ろのほうのメロディーをカヴァーしている動画。

7月冒頭の4日間で各曲を創り、同月末からは、それらをどうやって繋げるかの作業をおこなったらしいです。

では。

慌ただしさは いつか来た道 (八戸戦プレビュウ)

❶乱暴に、ヴァンラーレを描写する
前節、ヴァンラーレ八戸は、ホームで福島ユナイテッドと対戦、1 – 0 で勝利した。

どれ、そのゲームを観て、ひとつ予習でもしましょうか?、

と見逃し配信の前に座ったのであるが、ゲーム開始9分、カウンター攻撃を止めようとした福島ディフェンダーのファールが、決定機阻止と見なされて、一発レッドで退場となってしまう。

あぁ、これじゃあ、残り80分を、双方に本来的なサッカーを望むのも無理だわ、と決めつけて、早々にDAZNの画面を切った。

けれど、開始から少しを観ただけでも、休まず速く、手段を選ばずに前へ前へが、八戸サッカーの本髄なんだろうな、と見当はつく。

クロスを入れるのも、早い早い。

前節のいわきFCもそうだったけれど、呼吸を合わせて立ち合う、といった悠長なサッカーは、2部より上のカテゴリー未経験のチームには、望むべくもない。

とにかく、先手先手の精神と、数打ちゃあ当たる量的重視のサッカーを貫くことで、技量差を挽回したいのだから。

思うにこれは、ある意味、弱者サッカーの常道でもある。

かつての山雅だって、敢えてそのスタイルを、手練手管の域にまで徹底して戦っていたんだ。

(註;このやり方もちろん、ある地点に来たら限界は厳存する、たとえば、トップリーグではそれだけだと、なかなか通用しない)

❷あれは、ちょうど3年前……
この慌ただしいサッカーに、3年前の7月3日、天皇杯2回戦(@アルウィン)で、延長戦までやった末に、2 – 3 で敗退。

苦杯をば、嘗めた嘗めた。

まぁ、あれは、こちらのターンオーバーと、ゴールキーパー(村山 智彦)のチョイスがものの見事に機能せず、大味な、カウンターサッカーに引きずり込まれた、と僕は思っている。

責めているわけでは、決してない。

対人には強い反面、村山の位置取り(シュート準備) については疑問が多いので、その資質をわかったうえで出してしてるんだから、ここでは、首脳陣の起用ミスとしておく。

❸やはり、山雅は挑戦者。
3年も経ちゃあ、下部リーグのサッカーチームは、もはや別物。

なんだろうけれど、あの時アルウィンのピッチに居て、現在も在籍のプレイヤーは、

山雅は、安東 輝と米原 秀亮のふたり。
対し、ヴァンラーレには、5人。

となると、DNAの伝承、ということではヴァンラーレのほうに一貫性あり。

他方、山雅は今や、若手世代にリフレッシュ再建の途上であることを勘定に入れれば、

むづかしい考えは棄てて、前節と同様、一貫したテーマの、強く、速く、聡く、これを踏破するため戦う、ってことでいい。

向こうが3バックなので、敢えて3バックにして対面を突破するシーンへと、みづからを追い込むのも手だろうし。

そして、相手のあわただしさのどこに、どこのスペースを使って、閂をかけるのか?

そこを意思統一しておいてですね、

前節は、状況的に許されなかった浜崎 琢磨投入による、山雅流テンポの創出を楽しめればなぁ、と思っています。

忙しないサッカーに、ベッタリと律儀につき合うこともなく、こっちのペースにどれだけ陥れるか?

その意味で、菊井 悠介と浜崎の組み合わせは、かなり面白いと思うんです。

さて、今節は、DAZN画面で参戦。

では。

洋服論 (1916年の) を少々。

(時候の憶え、6/28、庭の桔梗がひとつ開花)

西暦1916年は、元号でいうと、大正5年。

その8月に、永井 荷風 (1879 ~ 1959年) は、随筆『洋服論』を発表している。

ダンディズムとは、結局、何を着るか? (または、何を着ないか?) に尽きる。

ゆえに、稀代のスタイリストであった荷風先生が、西洋由来の服飾について論ずるのは、まったくの好テーマであった。

今から、ほぼ1世紀ほど前のご教示ではあるが、時空を越えてなお傾聴すべき内容です。

興味あれば、青空文庫 (荷風作品にもはや著作権はない) で手軽に読めるので、ご一読をお奨めしたい。

で、少しそこから、箇条的(原文もその体裁) に引用すると……、(註:現代文に変えています)

〇ハンカチーフは、晒麻(さらしあさ)の白いものを上等とする。
縫取りや他の色モノは女性用であって、男性が使えば、気障りでしかない。
米国では、キザな男が時々スーツの胸ポケットからハンカチをちょっと見せたりする。(ポケットチーフのことですな)
英国人は、袖口へハンカチを丸めて入れ込む流行がある。(へぇ~、知りませんでした、試してみたくなりますよね)

〇洋服はその名のとおり西洋人の衣服であるから、すべてにおいて本場である西洋を手本とすべきなのは当然。
ただし、日本人が洋服を着る場合、黄色い顔の色に似合ったものを選ぶことが肝要だ。
黒、紺、鼠(グレイ)などの地色であれば、ほとんどの者に合うので無難だろう。

〇洋服の仕立ては日本人よりも支那人のほうが遙かに上手である。
東京でいえば、帝国ホテル前に在る支那人が営む洋服店の評判が良い。
銀座(4丁目の) 山崎洋服店なんかはぼったくるばかりで、縫い目とかボタンのつけ方が堅固でない。
こういうのは、縫い糸を惜しむ行為であるから、日本人の商人ほど信用の置けないものはない。

……どうです?、なかなかの見識でしょう?

たとえ、相手が当世の有名店であっても、クオリティーの無さを具体的、かつグサリと批評するところなんか、流石は、荷風。

こういう悪口には他意がないので、読んでいてすっきりと腑に落ちます。

では。

テグジュぺリのブレスレット。

サン テグジュペリは、1900年の、6月29日に生まれ、

1944年7月31日、地中海域で偵察機(ロッキードF5型)を操っているところを、ドイツ軍機 (メッサーシュミットBf109) に撃墜されて戦死した。

享年 44歳。

ただし、当時は消息を絶ったのであって、戦死と認められたたのは、かなり後年になってのこと。

1988年、マルセイユ沖で、テグジュぺリと妻の名が刻まれた銀製のブレスレットが、漁船の網にかかって発見された。

それを契機に、2003年の捜索によって、彼の搭乗機の破片などが回収されたことで死亡が確定。(ただし、遺骨は未発見のまま)

テグジュぺリは、1940年に米国に亡命している。

だから、1943年、自由フランス空軍への実戦参加は、外国籍の義勇兵の身分としてだった。

……、と書き下すと、けっこう格好はいいが、御年すでに40代半ば、しかも、実戦投入直後には機体を破損させる事故を起こし、軍規によって飛行禁止処分を受けた身の上。

既に第一線から退くべき者が、あえて搭乗に固執して復帰できた背景に、もしも、テグジュぺリの作家としての名声に対する配慮が在ったとしたら、僕には、かなり興醒めなこと。

もっと有能なパイロットを搭乗させないのは、戦略的に言っても、あり得ない話だろうと思う。

さらにさらに、後年、テグジュぺリ搭乗機を撃墜したと証言した、元独空軍パイロット(ホルスト リッパート 1922~2013 )は、あれがテグジュぺリ機とわかっていたら、撃ち落とすことはしなかった、と述べているらしい。

これ、ご当人からしたら、テグジュぺリへの敬愛を示そうとした発言なのかも知れない。

けれど、相手が無名のパイロットならば平気で撃墜してたんだろうし、それが軍人として当たり前の行動だったわけだから、今さら、後出しじゃんけんのようないい子ぶりに不快感だけが残るのは、僕だけか。

けれど、現実の人生、エピソード、名声などまったく知らなくたって、あるいは、それらに耳を貸さなくたって、テグジュぺリの作品は、それ自体が素晴らしい。

そんなわけで、久しぶりに、『夜間飛行』(1931年発表、1951年 堀口 大學訳) を引っ張り出している。

では。