山雅NOW 【その革新の核心】

本日の第7節と、次節。

このふたつ、けっこうな節目、となりそう。

というのは、今季初のホーム2連戦。

そこで、松本城下のサッカーファンに対しどれだけ、山雅NOW、とびきり旬の山雅を、強く訴求できるか?、がかかっているからだ。

チームが、アウェイとホームを選別して戦っているはずもないだろうけれど、今後の観客動員といった観点からしても、無様なゲームだけはご免蒙りたい。

といっても、どうやればいいか?、ってのは観客目線では、簡単。

なにを徹底してやり通したいのか、今の山雅は、ということが腑に落ちれば、それで良し。

プレイヤーの怪我、好不調の波をやりくりしながら、定位置争いは横一線を明確にしておいて、失敗を恐れず果敢に前へ前へ進むサッカーを標榜している。

その根底には、おそらく……、

❶首脳陣が、人材登用の面で、相当シビア、かつ、大胆な抜擢(=選択) を辞さない姿勢を保っていて、それが、チームに浸透しつつあること。

❷指揮官の戦略的な志向が、チーム内により強く反映しつつあること。

……、総じて、ナナミズムの徹底が在るのかいな?、と感じています(あくまで推断ですよ)。

その基盤の上に、これまで、そこそこのサッカーで、それなりの戦績を刻めている、と考えたい。

アルウィンで、そこのあたりが納得できるかできるかどうか?

チームとして、そんな 2連戦にできるか?、して魅せるのか?

どんな決着を得られるかはともかく、来季以降へつなぐための今季の実験、という視線で山雅を捉えよう。

というのが、ファン&サポーターが共闘するための但し書き、とダメ押ししておきたいのですが、U19日本代表候補として合宿に呼ばれた、横山 歩夢。

彼、いいこと言うじゃあない!!

― 自分は山雅から来ていると自負しているから、(U19で結果を出せずに) 山雅とは、こんなもんか、と思われたくない。

とっぴな比喩にあるけれど、明治初頭、国費で西欧に留学した日本青年のような矜持を感じました。

では、ナイトゲームのアルウィンで。

たやすく胸を合わすなかれ (沼津戦プレビュウ)

公式戦では、はじめての対戦(のはず) 。

富士山の麓、愛鷹。

そして、落ち着いた古色豊かな沼津の街を本拠とする。
でもって、ジュビロを兄貴分とするクラブ。
……、それくらいの知識で、申し訳もありません。

加えて、2週間前の、対ギラバンツ戦のハイライト動画を観ての感想です。

〈迷うことなき 前進サッカー〉
こむづかしい事はやらず、とにかく、前へ速く入って来る。
ロングスロウもそういった武器のひとつで、ボールを、とにかくペナルティエリアへと送り込む。

そんな感じでしょうか。

北Q戦では、ボールを70%持たれ、それなりのチャンスを作られ(シュート本数は同じ)、けれど、ストレスで凹むことなく、スキを逃がさずに、4 – 0 で勝った。

危険因子として、マークすべきは、前線の、#10、#20 のふたり。

〈いなすか、潰せ〉
そんな、直線的で、まっとうなアスルクラロのサッカーに対しては、

リズムを決して同調させることなく、ねじ伏せて奪取反転でいくとか、相手よりも数段速くボールを運んでフィニッシュに向かうとか、とにかく、こっちのペースに引きずり込んでいくような工夫が、必要。

前がかりになった相手の後方スペースを獲るか、あるいは、相手を後方へ走らすか。

要は、調子を合わせてマトモにやろうとすれば、かえって後手を踏みやすい。

現在、成功裡にやれている、前線、すなわち相手の最終ラインにボールを放り込み、ここからのセカンドボールを前向きで回収、そこを起点に攻撃を仕掛けるやり方、これを強化、徹底するでいいのでは?

というのは、この戦法は、次の対北Q戦で活きてくるから。

比較的オーソドックスにやってくるギラヴァンツも、この際、見据えてしまう、ってことです。

加え、セットプレイにおけるアイデアの追求。

中途半端な様子見、これだけはどうか、ご法度で。

では。

挙げた拳を 巧く下ろさせる。

プロ野球のゲームで、主審が、ピッチャーズマウンドに詰め寄る出来事があった、という。

わざわざニュースになるくらいだから、あまり見かけないことには違いない。

しかも、その時投げていたのが、今をときめく速球投手だったらしいから、注目度も高い。

好奇心に駆られて、そのシーンを観てみた。

なんのことは、ない。

ストライクとボールのジャッジに対して、マウンド上から不敵な(と感じた?)笑みを浮かべた、20歳の投手に対し、

― なんだよ、小僧、そのふてぶてしい態度は、よぉ!

と、いい歳こいた中年アンパイヤが、カッとなって、マウンド近くまで恫喝しに行った、それだけのことではないか。

僕は、アンパイヤの処し方のルールについちゃあ詳しくもないから、この行動の是非はわからん。

けれど、仕事上、こういったシーンにお目にかかることはけっこうあるし、自分より若輩の者に、冷笑された日にはフツー、ムッと、あるいは、カッとなる。

今回、そういう場面が、たまたま何十万人の、衆人環視の中で起こったに過ぎない。

機械が投げて、機械が判定しているわけでもないから、感情の表出とか、ミスジャッジがあって当たり前、あまり騒ぐようなことでもない、と思うけどなぁ。

ただ、願わくば、この主審これを、もっとスマートにやれば良かった。

喧嘩も、売り方次第では、見苦しい。

とは思うが、そういう頭の良さ(聡明さ)を盛んに修養しているような業界でもなさそうだし。

ただ、ひとつ。

僕が惜しい!! と思うのは、この時、ロッテベンチの首脳陣には、できることがあったのに……、ということ。

― おいおい、穏やかじゃあないね、君い。
うちの若いのになにか文句があるなら、監督のこの俺に言う、ってもんだろう。

と、すかさずダッグアウトを出て行く機敏な戦略性は、ないようですな。

相手がカッとなる、いわば、無防備な時こそ、状況をこちらに優位に持ってくるチャンスなのに。

一瞬の不可解さにとまどってその機会を逸したのか、あるいは、取るに足らぬことと思っていたのか知らないけれど、もしも、そうしたならば、今後の、ジャッジを優位に導けるだろうし、なんたって、監督が援護してくれるんだ、ということで、プレイヤーのココロを掴めたでしょう。

子どもの喧嘩でも、キッチリと、大人が出なきゃあならない時がある   by 萬年

ロッテは、勢いがつけばそれなりに勝てるが、ゲーム巧者とは言い難いチーム、と感じます。

そして、この若いピッチャー、案外早期に、他球団か、メジャーリーグへ移籍していくんじゃあないだろうか?

では。

満を持すために聴く。

2部に比べると、ゲームが、8つも少ないリーグ戦。

DAZNの中、どうしようもないような解説が入らないことには案外に慣れてしまい、かえって、スッキリしているけれど、

15日2週間もゲームにご無沙汰とは、なんとも切ないことです。

……、ということで、こんな曲を聴いて、第7節に備えております。

リーグ戦も、5分の1 を消化する、という大切な節目でもありますしね。

では。

ツバメに のり平を。

日記にでも書きつけておかないと、忘れてしまうことだらけ。

と、いうことで、隣家のツバメ(夫婦) が、今月11日に飛来したことを記す。

庭を動いている僕の様子を、早速、電話の引き込み線にとまって上から眺めているので、

― やぁ、お互い生き延びて、また、会えたよね、と声に出して挨拶する。

野鳥にも霊はあるのだから、きちんと言葉にして伝えるのが、礼儀だ。

ところで、その4月11日とは、三木 のり平 (1924 ~ 1999年、享年74 ) の 誕生日。

だから、あのツバメは僕に、のり平を偲ぶという贈り物をしてくれたわけ。

ここで僕がわざわざ強調しなくとも、喜劇役者としての卓越は、世間がわかっていることは十分に承知。

40数年前の〈徹子の部屋〉で、司会の黒柳が、ゲストの三木を半分マジメ、半分大げさに〈喜劇王〉、と紹介しているくらいですから。

小林 信彦 著『おかしな男 渥美清』(2002年 新潮社刊)には、こういうくだりがある。

1962年のこと、小林が、渥美に、
― 三木のり平は、なぜに仲間うちで受けるんだろう?、いっときほど面白くないと思うが?、と水を向けた。
すると、渥美は、ズバリと、こう断言した。

―肩の線だね。あのなで肩の感じが、プロ(俺たち)にはたまらなく、おかしい。

肩の落とし方で、おかしみを表現できるのか。奥が深いなぁ。

でも、まぁ、いいや。

21世紀になってしばらくの今、それを超える役者に乏しいんだから、ここで称賛し直したところで、なにが悪い。

映画『あ・うん』(1989年)では、掏摸(スリ)役でご登場。

高倉 健 (主人公) のフトコロからまんまと抜いたあと、バッタリ屋台で一緒になる時の、なんともバツの悪そうな演技。

これは、以前にご紹介したか、と記憶しますが、今回は、座頭市(by 勝 新太郎) への出演場面を観ましょうか。

では。