宣言と反省と (長崎戦レビュウ 中編)

― もう、(降格が)決まったのに、(アルウィンに)行くの?、
とか、軽くイジメられ、

― いやいや、明日の最終戦にこそ。
登録メンバーとその戦う姿勢の中に、来季へのヒントがあるのか、それを確かめるんですよ!、
と返したんだが、まんざらジョークでもなかった。

先発、交代出場のメンツには、それなりに魅了されるところもあり、僕なりの着想も浮かび上がってきているので、これからそれをもてあそんでは、ストーブリーグを過そうと思っている。

少なくとも、現監督続行という、迅速なスタートは切れているんだし。

……セレモニーを待つ間、チノ氏に、今季(の低調)に関して、総括的に三つ挙げたらどうなる?、と提案された。

僕が答えたのは、ふたつだった(と記憶)。

❶あっさり失点、攻撃時の迫力不足、の根本的要因として、
前後に繰り返し走る力を存分に身につけないまま、シーズンインしてしまったこと。
それを、結局は、挽回できないで引きずった。

これに対し、壊滅的な失点数について、チノ氏見解では、ディフェンス時、視野の確保が可能になるような体勢ができていない。

ただでさえ、前方向から横へ首振りをせざるを得ない守備は不安定であるのに、身体的な準備体勢を採れなければ、自在に前後に入ってくる相手を捕まえられずに、被弾をゆるす。

この際、飯田 真輝をデイフェンスコーチにどうか、というのが、チノ氏。

❷昨季途中で、佐藤、前を補強。
これが奏功して中盤が安定し、後半戦を、5位の戦績で終えた。

ところが、今季は、その中盤がなかなか機能しなかった。
チノ氏によれば、佐藤は以前、もっとシンプルにボールをさばいていたのに、ボールをどこに出そうか、と躊躇する場面が目についた。

怪我などで、ダブルボランチで臨むにしても、最適な組み合わせをセットするのに苦労した感はありましたね。

シャドウを加えた逆三角のトライアングルが、漸くここへ来て、3 – 3 – 2 – 2 のシステムとして織り込まれるようになったが、来季これが標準装備となるかどうか?

どんなシステムであってもいいが、攻撃時、ボールが外へばかり逃げるのではなく、やはり、どこかで瞬殺の縦パスがピシャリと、インサイドハーフ(ボランチ)から前線のスペースへと供給されるのを観たい!

❸(これはチノ氏に水を向けられたけれど) たしかに、サイド攻撃は、多大なる武器。
けれど、例えば、田中パウロをサイドに限定して活用し続けることには、少々疑問を持つ。
もっとインサイドで起用する、つまり、真ん中の三角形の頂点のひとつ、でもよかないか?

そもそも、その才能にはもっと存分に時間を与えるべきで、クローザー的な分業ばかりでは勿体ない。

……、こんな感じの論点三つは、おのずから次なる関心へと向かう。

それは、社長挨拶にあった反省として、
〈強化と育成〉の要求が、現場に対して過大な負担を押し付けることになったのかも知れず、見直しの要あり、という文言。

強化と育成、の定義がなんだったのか?
具体的に、現場にどういう注文をつけたのか?
それがどんな足かせになったのか?

それが不明でわかりづらい。

けれど、いかなるチームといえども、戦力を継続して保持するためには、その新陳代謝が当たり前、なんでは?

若手を登用、実戦で鍛えながら、かつ、熟練のタレントには率先とリーダーシップを託す。
そうしたサイクルを、いかに途切れずに回していくかは、サッカーチームすべての命題だと思うんだがなぁ。

松田 直樹とか、キム ボギョンとか、鈴木 武蔵とか、突拍子もない補強をやってみせる山雅は好きな反面、急成長したツケだったのか、学卒を一定年限で次々と切りまくってきたことについては、残念感が深かったことも事実。

そういう意味では、ここ2年の若手登用にはそれだけの成果があった、と思う。

まぁ、それなりの授業料も払っているんで、これからそれを回収しましょう。

さて、各クラブではすでに契約満了が出まくり始めていて、それにも目配りしなくては……。

では、後編に続きます。

シーズンお疲れさま (2021.12.5 長崎戦レビュウ 前編)

今季もいろいろとあったけれど、まづははじめに、山雅にかかわったり、関心を向けて下さった方々すべてに、感謝を伝えたい。

僕がちょうどアルウィンに入場する頃、ジャガー氏はきっとドッグランをやっていらっしゃたようで、離陸着陸するFDA機 (エンブラエル175、11号緑カラー) の、上の画像を添付して、〈新しい旅立ち!〉とのタイトルでメールを送ってくれた。

こういう心づかいも、ありがとうございます!

さて、ゲームにまつわる評価は、見出し風に点描。

1 – 2 の敗戦、正真正銘の、最下位フィニッシュ。
☞ 55分、ピッチを大きく使った攻撃から宮部のシュートで 1点を返すと、主導権がこちらへ傾く。
勢いづいたテンポ良いボール回しが生まれ、波状攻撃を繰り返すも、その後得点に至らないままタイムアップ。
あと一歩だった、惜しかった、と言いながらの敗戦が、こうも積み重なっての、結局は、こんな乏しい戦績。

あっさり失点、みづから失球。
☞ ゲーム開始早々から、長崎は山雅ディフェンスの背後を狙い続ける。
これは、裏へのボールをたやすく渡してしまう当方守備の弱点、というデータに基づいた相手の作戦勝ち。
守備時の身体の体勢を落とし込む、という緻密な準備ができていない(by チノ氏)からなのか、安易にボールを握られて、入ってくるプレイヤーを、ほとんどマークできないままに、2失点。

プレッシャーのかかっていない場面で、クリアなどが、相手へのプレゼントパスとなって、結果、攻撃がノッキング。

こういうことが多過ぎた、観飽きた今季。

ゲームをたぐりよせる智恵と狡猾
☞ まぁね、最後の最後まで正直すぎた山雅ではありました。
長崎なんか、1点返されてからは、チャンスとみるや、次々にプレイヤーが都合よく痛んで倒れ込むわけ。
都倉は都倉で、圍がゴールキックする時でさえ立ちはだかってカードすれすれの汚い阻止をしてくるし。
要は、こちらの攻撃リズムを断ち切ろうという意図。

これをそのまま山雅にはやってもらいたくはないけれど、ゲームの流れをこっちに持って来るためのインサイドワークは、やはり不足してましたね。
チャチャを入れられるのは、セルジ―ニョくらい。
逃げ切るためのコーナーでの時間稼ぎは、相手の専売特許だった。
勝つためには小さなことでも利用しなきゃあ。

やっぱり3 – 3 – 2 – 2 じゃんね
☞ 佐藤、安東のダブルボランチがなかなか機能せず。佐藤は責任感からかボール奪取にかけずりまわり、安東との連携がイマイチ。
すると中盤にポッカリと穴が空いてしまう、或いは、攻撃時に真ん中からのシュート選択ができずに、どうしてもボールが外へ外へと向かってしまう。

これを、後半10分から、稲福をアンカーに、河合をセルジ―ニョとその前に並べたら、途端に攻撃が活性化。

歴史的なゲームとして記憶せよ
☞ その稲福 卓のデビュウ戦。
ユースからトップ昇格したプレイヤーの、見事な初陣でありました。
沈着、確実な足許の技術、ボール保持と奪取時の粘り強さ、視野、おいおいこれが初めてのリーグ戦?、ていうくらい、アルウィンにとって嬉しい衝撃だったんではないか。
そして、横山 歩夢。
これに、榎本 樹、村越 凱旋……。
来季の楽しみが大きくふくらむ若武者たちに、米原 秀亮うかうかするな。

ゆりかごダンスは、あっちでやって
☞ 26分の先制時、長崎プレイヤーは、ホームゴール裏に横一列に駆けよってゆりかごダンスを披露。
なぜ?
今後の遺恨にならなきゃあいいが、否、これをバネに再来季は、長崎に勝つ!

そこは、スタンディングオベーションでしょう
☞ ゲーム後、隼磨から花束を受け取った玉田 圭司が場内を一週するチョッとした引退セレモニー。
スタジアムからは周っていく先々で拍手が沸き起こるけれど、なんと!、バックスタンドあたりは座ったままなのよ、これが。

もちろん北ゴール裏は全員立って、ねぎらいの拍手です。

アルウィンには、もっと成長する余地がある。

では、後編中編に続く。

ラヴソング で行こう『Hazel』(by Bob Dylan)

『プラネット ウェイヴズ』(Planet Waves)は、

ボブ ディランによる、1974年発表のアルバム(スタジオ録音)で、僕が、唯一所持している、ディランもの。

ホンネを申せば、バックを演っているのが、ザ バンド、というだけの理由で手に入れた。

もちろん、その演奏は、抜群。
自在にして、重厚、かつ、繊細でロマンティック。

期待を裏切らない。

出過ぎず隠れず、ボーカルを入れやすい配慮が各所に施されている。

録音を、1973年11月2、5、6、9日の4日でやってのけていて、米英市場ではけっこうなセールスを上げたようだから、コストパフォーマンスに秀でた1枚なんでしょう。

ただ、惑星の波、なんていう訳のわからんタイトルはいただけない。

当初は、Love Songs が予定されていたようだ。

並んだ曲はみな、ラヴソングなんだから、そのままの題名で出しておけば、もっと売れているはず、おそらく。

世評は知らないけれど、ディランというシンガーは、あくまでラヴソング作りの名手、というのが萬年式の評価。

でもねぇ、曲自体は良いんだから、もっと素直に、作らずに歌唱すればいいものを、ディランって人は、何を真似ているのか、どう聴かせたいのか?、変にこねくって歌うんで、そこが好きになれない。

演歌歌手が、妙なコブシで魅せようとする悪癖に似ていますな。

仕方ないので、もっと肩の凝らないようなカヴァーを探す、なんてことになる。

『Hazel』は、アルバムSide1の 4番目にある曲。

― ヘイゼル、パッとしないその金髪
でも 君と一緒にいられれば 誇らしいんだ
僕の求めるものを多く与えてくれる 君
あぁ、そのチョッとした君の愛し方さえも。

ヘイゼル、君の瞳に浮かぶ星屑
君の行くところに 僕も行こう
頭上の空のすべてを 君に捧げよう
あぁ、君が愛してくれることへのお返しに……(以下、略)

個人的な格言として、

ザ バンドは、凍てつく冬に聴くに限る。

では。

降格論を越えて (Vファーレン戦プレビュウ)

失ったことに、いつまでもウダウダと執着していてもしょうがないから、降格論は、今回で終わりです。

結論から言うと、クラブ全体の中、トップチームのところで失敗しちゃったんだから、そこで傷ついた部分を補修、修復して次に向かうしかあるまい。

クラブ存亡の危機、とか大騒ぎしたい連中も湧いてくるだろうけれど、それがかえって要らん不協和音を作る。

責任の所在とか、今後の構想といったところで、クラブで悩んでもらって、来季の編成として発表してもらうしかないわけであって、本質的には、経済的な基盤が破綻しないようにしつつ、それを行なう、ということ。

今季にしたって、トップリーグに浸かったゆえの、人的/財政的なバブルな残りかすを一掃しようとした結果が、おそらくは、あのチーム編成と、サッカースタイルの選択だったはず。(2021決算を確認する必要はあるが)

だから、内情の詮索はともかく、僕たちの見える形で、人(指導者とプレイヤー)を決め、やり方のスタイルを決めて来季に突入してもらえれば、それで良い。

すると、そこでまた〈山雅らしさ〉とか湧いて来そう。

だが、勝利するために尽くすピッチレヴェルの努力、仕事ぶりなんてのにチームごと際立った違いなどない。

そこに在るのは、寄り集まった各人の(限定的な)技量と強みを、もっともよく発揮させようとするサッカースタイルであって、それを徹底して表現できた者(側)が、多く勝利を拾っている。

敢えて言えば、今季の総括とこれからの最大課題の中身は、勝利するための突き詰め方、そこらあたりに尽きるのではないだろうか。

だから、今季上手くいかなかったのも、突き詰めることにおいての仕事の出来が良くなかった、それくらいに思っている。

そこから、観ている側の感情移入が絡んで、いろいろな注文や発言が生まれるわけであって、ファン&サポーターがどういう感想を持つか?は、技量的な部分はともかく、精神論になると、これはもうそれぞれの勝手。

だから、試合終了のホイッスルでピッチに倒れ込むか否か、なんて論点は笑止であるから、明日の長崎戦では、どうかそんな浅い観点でゲームをやってもらいたくない、それがすべて。

リーグ戦が終了すれば、それから数日以内には、クラブは各個に対して来季の契約更改の意思を伝達しなくてはならず、そういうココロの葛藤を抱いて戦う選手に、きいたような口は、僕は叩けない。

リーグ戦の締め、ではあるけれど、しかも、予想外の結末の中戦うけれど、今持てる最大力量の発揮をめざしてくれれば、それでいい。

ラスト5試合で予想した、勝率のデータからすると、1勝くらいはするだろう、という願望が具現すればもっと良いです。

さらに、今季限りで引退を発表済みの、#11玉田 圭司のラストゴールが観られて、それでもって、こっちがそれを上まわるゴール数で勝てれば、もっともっといいんだが、贅沢には切りがないよね、まったく。

では、アルウィンで。

女性と子と,サンタクロース。

暇に任せてソファーにひっくり返っていると、ロクな考えしか思い浮かんでこない。

たとえば、女性専用車両。

或る時間帯を限って、その車両には女性だけが乗車を許される仕組み。

昔、山の手線のホームに立って、発車していく電車を眺めていたら、ちょうど先ほどから女性専用になった車両らしかった。

で、その中、男性がたったひとり、窓際に立っている。

その時の、周囲の女性たちから向けられた、憤懣の、厳しい視線。
それが、いまでも思い出される。
孤立無援、ってやつです。

― あぁ、彼、いつ、どうやって気づくんだろうか?
その時はきっと狼狽するだろうな、とやがて来る悲劇を、ヒヤヒヤしてお見送りしたのである……。

たしかに、痴漢は、卑劣で下品な犯罪だ。

けれど、男性全体をその予備軍、温床みたいに一括して見なし、エイやっ、と規制することには、どうも、違和感を覚えている。

こういう乱暴な社会的な分離、隔離は疑ってかからないと、世の中変にならないか?

そう思いついたキッカケは、なんとか一時給付金。

事と次第では、ほどこし政策を、全否定はしない。

けれど、いまや廃止されつつある〈家族手当〉の古い考え方にとどまっているし、そもそも、生活の困窮度は、資産の有る無しと金の使い方によるんじゃあないか?

生活のやりくりにおける汗水と苦労を、どこかで愚弄しているみたいな感じ。

それならば、労働し得た結果に対して、個人の税金を軽くするとかできないのか。

給与所得者ほとんどからの徴税事務は、所詮、企業に押し付けているんだから、国の経費もそれほどかからない。

で、こういうバラマキは、そのうちに条件闘争に堕すがオチなんですが、線引きには根拠もないので、これまた紛糾する。

さて、話は戻る。

先の専用車両にしても、免除要件はあって、

〈小学生以下の男の子、お身体の不自由な方とその介助者の男性〉は、利用可なんです。

この例外にもいろいろと文句もつけたくなるけれど、こういうルール決めを、懸命に仕事として取り組んだ人がJR東日本の中にいたんですな。

ところで、外国からの入国は一切停止、かつ、隔離の経過観察。

これを発表する時に、
―ただし、サンタクロースは例外です、とか言ったならば、絶賛を浴びたと思うんだがなぁ。

……、とここまで考えてきたら、ひと時の昼寝から、ハッと目が醒めた。

では。