年のいそぎの,バイシクル。

神社仏閣に詣でるような信心もなく、挨拶に回るようなつきあいも無くなってずいぶんと久しい僕なので、
あまり変化のない年末年始を過すことになる。

この寒い中、大掃除など狂気の沙汰で、ご勘弁。

ただし、一緒に過ごそうと、息子が家族で泊まりにやってきてくれるから、愉しみのひとつとなればと、バイシクル印のカード(トランプ)を、ひと箱新調した。

それが萬年式、年のいそぎ(支度)のすべて、といえる。

年中無休の職場ゆえ、年末年始も仕事にでかける。
だから、ますます非日常な生活からは遠くなって、ありがたい。

非日常から日常への復帰、が、けっこうしんどいのだ、僕にとっては。

……とか好き勝手をやっていると、同じように、無休の職場で働きながらも、家事の切り盛りを引き受けている家人から、
私だけが、とクレームが入るに違いないので、こういうことは、きわめて小声でつぶやくに限る。

いつ聴いても、バッハは、静謐でいい。

Silence  Of  Sound、とでもいっておきましょう。

では。

静かに眠れ 『Dance With My Father』

意気消沈した僕を慰めようと、(ブログを読んだ) 娘が、幼な子と撮った画像を50枚、家人のスマフォに送ってくれた。

今回は、優しい心根への、アンサーソングみたいなもんです。

ルーサー ヴァンドロス (1951~2005.7.1)が、脳血管障害で倒れる直前に、ヴォーカルを録音した曲。

享年54で亡くなる2年前の、2003年に発表された。

父さんと踊る

まだ無邪気だった子供のころ
父さんは 僕を高く差し上げると
母さんや僕と一緒に踊ったんだ
そして僕が眠りに落ちるまで ぐるぐるまわってくれた
それから 階段を登って 僕を寝室に運ぶ
そう、たしかに愛されてるって 僕にはわかった

もしも また 一緒に歩いたり 踊ったりできるなら
僕は 決して終わらない曲をかけよう
父さんと また 踊れたら とどんなにか願うことか

母さんと意見が合わなくなると
僕は 父さんのところに 駆けていく
すると 父さんは僕を笑わせて 懐柔するんだな
で 結局は 僕を 母さんの言ったことをするように仕向けてしまう

そんな日は  僕がベッドに入った夜に
父さんは シーツの下に 1ドル札を置いていく
僕は 父さんが僕の前からいなくなるなんて
ゆめゆめ思わなかった

ひとめ 父さんと逢えたなら ステップを踏めたなら
一緒に踊れたならば
僕は 決して終わらない曲をかけるんだ

時に 僕は ドアの外にたたずんで
母さんが 部屋で 父さんのために泣くの を聞く
僕は 母さんのために祈ります
僕のためなんかよりもずっと ずっと

毎夜 眠りに就く時に こんなことばかり
僕は 願っているのです

では。

無題 ……。

数時間の眠りから戻ってきても、やるせない心は変わらない。

ホテルの23階から、9歳の少年が転落して亡くなった、母親の女性は、無理心中したかった、ともらしている……。

若い命がこういったかたちで現世を終えることのないように、というのが僕の祈りの一部であるから、そんなニュースには、すっかりやられてしまった。

某クラブの経営責任とか、28日になって届いた喪中葉書とか、そんなことはどうでもよくなって、キーボードを打つのが嫌になる。

というわけで、今日は、ひたすら快復を待つばかり。

では。

虎の尾を踏むのか?『Bridge Over Troubled Water』(1970年)

車中、この曲をCDで聴いていたら、隣から家人が、歌詞を知りたい、と言う。

つれあいの、こういったご要望には応えなければならない。

義務感といえばそれまでだが、以前、ブログでやったのはデータが消し飛んだこともあって、ここらで一回は記録しておこうかと、といった塩梅。

激流に架ける橋のように

くたくたに疲れ切って
自分を ちっぽけに 思う時
君の眼にあふれる涙を
僕が ぬぐおう

僕は君の味方
苦しくて
友人がひとりもいない時でさえも

激流に架ける橋のように  僕が身を投げ出そう

意気消沈してしまい
宿る家もなくて
夜のとばりが 辛く降りる時
僕は 君を慰めよう

そして 支える
闇が 立ち込めて
苦痛が そこかしこにあろうとも

銀髪のおとめよ  漕ぎ出だせ
船出の時は 来た
君に  時は輝きはじめ
すべての願いが 叶えられるのを見届けよう

君に 友が必要なら
僕が すぐ後を進んでいこう

激流に架ける橋のように  僕が身を投げ出そう……

伴侶にプレゼントしたジョシュ グローバン(1981~ )のCDを紛失されたことが、いまだ大いに不満な家人。

ゆえに、止せばいいのに、ジョシュによるカヴァーを、敢えてここに引っ張り出してくる。

こういうのを、虎の尾を踏む (= 危険を冒す)、と言うんですな。

では。

道化こそ、ココロと技量。

道化〉は、僕の言語感覚だと、動詞〈おどける〉に由来するように思うんだが、どうなんでしょう?

歌舞伎の世界ではかつて、観客を笑わせながら、劇を進行させる役回りを、道化師と読んだ。

興業時、劇場正面には役者の大看板が並べて掲げられた。

最初に主演、次に、面食いご用達の、容姿端麗な役者、3番目には、道化役、という順序。

二枚目、三枚目、という言い方は、そこから来ている。

歌舞伎における道化はその後廃れてしまったらしく、いま、僕たちが見聞きするのは、西洋風の、ジョーカーが主流。

あの白く塗りたくった顔に不気味な笑い、にはいささか食傷。

子どもゴコロに怖かった、あのチンドン屋御一行を、想い出すばかり。

でも、道化の本質は、その容姿の仰々しさではなくて、その内面だろう。

英国では、ジェントルマンである証明は、(経済的な基盤はともかく)、たとえ、リング上に這いつくばってカウントテンが告げられる寸前であろうとも、窮地に追い込まれた自分を、冷静に突き放して眺めていられる精神を持つこと、なんだそうだ。

自分を笑えること、自分を使って他人に笑いをもたらすこと。

そこにはかなり強靭な精神が求められるから、道化とは、大人であることの一側面ともいえる。

こういう映像を観ると、もちろん、西洋的な道化をすべて否定してもいられない。

エンターテイナー、ですから。

では。