それでも届く年賀状。

こっちが勝手にやめてしまっても、

年賀状で、ご家族の成長など、近況をお知らせくださる方々がいらっしゃる。

まことに、ありがたいことだ。

で、年賀状をもらった僕は、7歳の児と連れ立って、近くの空き地で凧揚げを楽しんでいた。

真っ青な空に、赤いカイトの好対照。

帰ってくると、ソファに寝転がって、モンテーニュ(随想録)を読んだり。

― 我々は死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している。

― 本当をいえば、我々は死の準備に対してこそ備えているのだ。

……、これだけを抜き出すと、その言っていることが正確に伝わらないうらみもあるけれど、

それにしたって、聴くに値することを書いたものだ、モンテーニュ氏は。

バッハ生誕(1685年)の 93年前に、モンテーニュは亡くなった。

もしも、その音楽を聴いていたなら、どんな感想をもらしたんだろうか。

特に、ゴールドベルク変奏曲なんかについて。

その中から、隣とした第30番を、グレン グールドで聴いている。

では。

どうしたら自分が自分になりきれるか、

それを知ることが、この世でいちばん大切なこと。

……とは、モンテーニュ(1533~1592年、フランスの哲学者) の言葉。

きのう、職場からの帰り道、後ろから、

― 〇〇さん、良い年を!、と挨拶されたので、振り返って、とっさに

― えぇ、来年こそは。

なかば、口ごもって返したはいいが、

いったい何が来年こそはなんだ、とこころに独り言しながら歩いていた。

安っぽい踏み絵で決して他人を試さず、飾らず、自分を偽らず、自然に自分を表現する。

しかも、8歳の子にも理解できるような平明、簡潔な言葉が、いつも口から出てくれば、なおさら良い。

いつかできることはすべて、今日でもできる ― これもモンテーニュの言葉です。

では。

大晦日の感謝。

今日に限らず、

感謝して事をおこない、できたことを感謝して生活できれば、なにより。

滝 裕太が、エスパルスから育成型期限移籍で加入するというニュース。

ユースからトップ昇格して数年の、23歳。

清水は、そのタレントに未練を残しつつ、山雅での活躍を測って、という魂胆なんでしょう。

2019年、アイスタでのルヴァン杯対戦。

ドウグラスがヘディングで落としたボールに反応すると、素晴らしいゴールを叩き込んだことは、いまだ僕の記憶にある。

なので、ミッドフィルダー登録であっても、前線で多く仕事をしてもらいたい、などと夢想します。

北九州からの藤谷 壮と同様、なかなかいい補強だと思いますよ。

プレースタイルは違っていても、横山 歩夢や外山 凌の抜けた部分を巧くカヴァーできれば、と願う。

これで、中山 陸が残ってくれればベストなんだけれど、2部クラブへの移籍交渉中なのか知らん?

夜になったら、知り合いのエスパルスファンには、挨拶がてら、滝貸し出し御礼のメールをしなければ。

では。

さらなる ベスト5曲に遊ぶ。

この前はジョン レノンのやつだった。

が、それでは片手落ち。

……ということで。

ポール マッカートニー (1942年~ ) の ベストファイブを楽しもう。
(1~ 5の順番は、順位にあらず)

1)  Michelle (1965)

2)  Lovely  Rita (1967)

3)  Honey Pie (1968)

4)  Another Day (1971) ☞ アルバム『LAM』への格別な敬意を表し。

5)  Jet (1973)

お気づきかも知れないが、女性にまつわる曲、つまりは、ラヴソングで筋を通してみたつもり。

こうでもしないと、ポールの数多な作品群から、5つはなかなか選りすぐれない。

逆に言うと、ラヴソングこそ、彼の真骨頂ということかいな。

では。

それくらいでいいよ、英語は。

その年代の子を持っていないので、目的や、詳細なプログラムは知らない。

が、現在、〈英語〉(英語? or 米語?)は、小学生から必修の科目らしい。

児童諸君には、この科目をなんとか好きになってもらいたいが、

こと外国語については、否応なしに使わざるを得ない環境に投げ出されないと、駆使できるようにはならない。

この国に生活する限り、不幸にしてそういう環境に曝されるのは、100人にひとりも居ないだろう。

なので、日本の街角で、日本人が当たり前のように英語を操っている光景は、幸せなことに、これから100年経っても、おそらく出現はしない。

どうしても、そういう世界を求めたいならば、

そうだな。

高校生より上級の、日本語を除いた教科はすべて、英語を母国語とする教師を雇い入れて、英語オンリーで教えるくらいにしないと無理な話。

つまり、明治初頭の、旧制大学の授業を再現すれば、万事よろしいかと。

これを暴論と言うのなら、将来、ほとんど(日常会話として)使わない外国語の習得に、幼い子のエネルギーを、それも世代全体で大量に、費消させることのほうが、よっぽど、乱暴な話ではないか。

『More Than I Can Say』は、バディー ホリイ(1936~1959)が、生前準備していたが、急逝。

残されたバンド クリケッツが、バディーの死後 1960年に発表した曲。

歌詞は、こう始まって、それが繰り返される。

I love you more than I can say

I’ll love you twice as much tomorrow ……

比較級の表現を覚えて、辞書を片手に、こういう秀歌を楽しむ。

〈英語〉教育の目的は、そのくらいにするのが、身のため世のためだと思うんです。

僕はこの曲を、柳ジョージの (泣ける!) 歌唱で知った。

けれど、こういうのも、なかなか味わいがある。

では。