気象庁のお方、このキャッチフレーズの開発について、内心かなりの自信をお持ちなんではないか。
画期的な発明である、と。
なぜなら、事あるごとにお使いになる。
それは、〈いままで (あるいは 過去に) 経験したことのないような……〉、という形容詞。
なるほど、そうなのか~、と毎度聞き流すんですが、では、いったいどういうことで過去に味わったことがないのか?
それがすこしも判然としないところが、このフレーズの絶妙さ、だ。
経験などは、人の数だけあるはずなのに、ずいぶんと大ざっぱな描写ではありませんか。
要するに、聞いている者に、覚悟をしてもらうための常套句ですな、今や。
そうしたら最近……、
過去経験したことのないような感染爆発、とかいう見出しが目に入る始末。
おいおい、こういうふうに使うか?
他人に覚悟をさせたいのならば、僕たちの周囲でどんなことになるのかの結末を具体的にご教示願いたいのだが、大変だ大変だばっかりで、いっこうにラチが明かぬ。
おそらく、いろんなところ、主には医療機関で限界点の〈歩留まり〉をみているに違いなく、そのためか、掛け値なしの危機の内容が一向に伝わってこない。
仕組みがどうまわっているかを知りたいのに、医療従事者は寝る間もない、といった強制労働的なお話ばかり。
医療崩壊と騒ぎはするが、こういう数値がまづくて、これだと、出口でこうなりそうで、だからこの数値をコントロールして、ここを限界値とみる、といった科学的なお話をほとんど聞いてないぞ、大方の市民は。
かつ、これだけ人的設備的な手当てをしてきていて、現在はこう、これからの計画はこう、いつまでに、そんな説明はどうした?
染るんです、と言って言われて、早1年半。
すくなくとも、仕事のレベルとして、かなりまづいんじゃあない、これじゃあ?
この騒ぎ、鎮まるまでは3年かかるとみている萬年からすると、ようやく折り返し点を過ぎたあたり。
そんな思いで、今月末のバクシン接種に備えている。
では。