3割は差っ引いておく (2022.4.03 相模原戦レビュウ)

まづは、冷たい雨中、現地で闘ったチームと、参戦のファン&サポーターには深く感謝します。
なにとぞ、無事なご帰宅を祈るばかり。

結果は、4 – 1 の勝利。

これを、バースディプレゼントとして貰った家人が、いちばんの果報者か。

常に2点差でないと安心できなくなっているココロからしても、最後まで手を抜かずに前を向いたゲーム運びを、高く評価したい。

どれだけ前へ速くボールを運べるか?が、今節観たいポイントのひとつだったので、その点を全うしたのは、今後への大きな財産だ。

〈なんで差っ引いて考えるのか?〉
さて、ゲームの帰趨を左右した要因は、主に、

❶サッカーの基本テクニック、❷中盤における強度と執拗さ、❸攻撃アイディアの多寡、この3点だった。

これらは、我が方に、若干の! 優位があったのは確かであって、プレイヤーの資質を見抜き、それを惹き出している現場首脳の手腕は評価されていい。

若い才能たちが、軽快、快活、ワクワクしながらプレイしている姿、これが今の山雅なんだ、とファン&サポーターのココロに刻まれた、そういった意義あるゲームだと思う。

若手のホープ(希望)が次々と現れる、この新鮮な嬉しさに浸ろうではないか、今は。

このスタイルのどこが泥臭いのか、僕にはとても信じがたく、浮つくこともなくオシャレなことが、ボール運びや、スペースの奪取においてできるようになっている。
(☞ 註: 泥臭いのは、もともと嫌いなタチです)

そういう意味で、対人に相当の強さを魅せる宮部 大己も、最終ラインのポジションを確保するためには、もっとパスワーク練度を上げないとね。

……、とまぁ、全体に高評価には違いないんだけれど、それにしても、相模原の出来が悪すぎたように感じてしまう。

攻撃や、中盤の形成力も淡泊、良かったのは、右サイドからの突破くらいだった。
中盤に躍動感が出ないので、4バック(実質的には2センターバック) の最終ラインが見事に、低い位置で孤立。

平板な守備と化してしまい、山雅のボールホルダーへの寄せに迫力がないので、空いたスペースを使われて、いいようにシュートに持ち込まれた。

ディフェンスによってパスコースが限定されないから、失点のすべてを、サイドネット方向に打たれたGK圍 謙太朗は、さぞや辛かっただろう。

今回、山雅の枠内シュート率が高かったのは、余裕を持って打たせてくれた相模原守備の緩さ、それに負うところもある。

……てな訳で、こんな好調がこれからも続くなんてことは、ゆめゆめ考えずに、次なる連携の高みを目指せ、ってのが、今回の結論でして。

で、ゲーム観戦のふたつめのポイント。

すなわち、連動性ある攻撃、それと、水も漏らさないような守備態勢、これらに関する率先役として、現在、誰が存在感を魅せつつあるのか?

これについては、読者諸氏のご判断に委ねることとして、今は、敢えて断定はしない。

けれど、そのおかげで、たとえば、久しぶりの浜崎 琢磨が、かなり自由に持ち味を出せているのには、嬉しい驚きを感じました。

〈次節への布石とは?〉
たとえ、屈強なセンターフォワードを欠いたとしても、強力な前線を構成するための布陣と、攻撃のやり方、これが、新味として加わったことに活路を見い出したい。

では。

やるからには,シのゴの言うな。

昨日、職場のクレ君が近づいてきて、やおら言うには、

― スペインやドイツのファン&サポーターはもう、楽なグループに入った、と喜んでいるそうですよ。
彼ら、決勝トーナメント進出を、ほとんど確実視しているらしい。

確かにな。

予選4ゲームやって、ジャパンと、コスタリカorニュージーランドの勝者、この二者から、手堅く2勝と、見込んでいるんだろう。

でも、なにが起こるかやってみないとわからないのも、サッカー。

そのドイツにしたって、2018ロシア大会では、メキシコ、韓国に敗れてグループリーグで姿を消しているのだ。(註: たとえ、2014年大会の優勝国であっても)

そうだな、日本としては、あと6箇月の時間をかけて……、

❶前回大会でメキシコが魅せたような、鋭いカウンター攻撃に磨きをかける。
つまり、それが出来るプレイヤー選考と、メカニカルなまでに、いくつかの手法を確立する。
こちらの攻撃回数はきっと多くないので、必殺的なレヴェルでないとならぬ。

❷より優秀なゴールキーパーを選任する。
おそらくは、シュートを休みなく20本以上は打ち込まれるのだから、キーパーばかりでなく、身体を張れるディフェンスの確保。

参考までに、メキシコがやって魅せた得点シーンがこれ。(38秒あたりから)

まったく惚れ惚れしますが、これくらいのクオリティがなけりゃ崩せません。
☞動画は一旦ブロックされますが、you tubeで見るをクリックしてご覧下され。

あれから4年経ってみたら、当時の開催国露西亜は、今やほとんどすべての国際大会から排除されていて、時代の変化というものこそ予想がつかないけれど、

果たして、入場アンセムには、どんな曲が採用されるんだろう?

あの時は、『Seven Nation Army』(by ホワイトストライプス 2003年発表) が使われたが、このタイトル、なんともご時勢に似合い過ぎていて、具合がいいのか悪いのか。
七つの国の軍隊、とはね……。

今回はそれを、2 CELLOS によるカヴァーで。

2018年、キエフで開催されたUEFAチャンピオンズリーグ決勝、スタジアムでこの曲を演奏したのが、彼らだった。

ピチカートで演奏されているリフレインはユニークで耳に残るから、この曲は、スタンダードナンバーになった。

では。

変貌を力強くあらわに (SC相模原戦プレビュウ)

数箇月前に対戦したけれど、相模原については、どうも印象が薄い。

高低差のない芝生のアウェイ席から観たゲームのようで、なんとも、平板かつ遠目でピンとこない。

その後、チームも変わって、船山、圍、水本といった名前も聞こえてくるが、どうなんだろうか。

高木監督は続投しているから、なんとなくだが、守備重視の、スタイルにこだわったサッカー、といった印象。

結局は、強敵で在ることには間違いない、といったマヌケなプレビュウになってしまい、面目もありません。

対して、山雅。

こちらは観るべきポイントは、ふたつ。

そのひとつ。
2019年からずっと続く大きな問題点は、背番号#10 が上手くチームにはまらないことにある、というのが、僕の持論。

もちろん、セルジ―ニョは秀逸なタレントであったし、その功労には感謝しかないけれど、チームのスタイルと合致していたか?、というと疑問符。

なかでも、昨季の不調は、#10を背負うタレントをかなり擁しながらも、今シーズンになってみたら、あれだけ居た候補者のうち誰も、その背番号を背負っていない。

まぁ、どうこう言っても始まらない現実であるけれど、では、これからは、誰が、実質的な#10の役割を担うか?

チームとして出来る限り早い時期に、チーム戦術の中でそれを明確にすべき。

だから、これまでの3ゲームはそのための試運転ぐらいに考えて、いよいよ、ここからアクセルオン、と思って見守ろう。

ふたつめ。
攻撃的に前を向く、という格好はできつつある、と思っている。

これには、佐藤 和弘を2列目に配したことと、横山 歩夢が好調であることが大きく寄与しているが、どの位置からであっても、ボールを奪ったら素早く前へ、という共通意思は徹底されてきた。

あとは、4バックにした際に、サイドバック陣がもっと高い位置を採ることか。

3バックとの併用、あるいは、守備における5バックの意識が残ってしまう所為なのか、まだまだ、上がり足りないように思われる。

サイドバックの攻撃性の強化、これを注文したいなぁ。

どこからでもクロスを入れる態勢を採れることによって、相手のクロスの洗礼を浴びる回数も減るでしょうから、これは特に、対相模原では肝要な部分だと思います。

セットプレイのデザインとか、スローインからマイボールにもっていく確率とか、細部にわたって配慮が浸透してきている。

そういう点が押さえられてきているを観つにつけ、攻撃へのこだわり、これをもっと期待しようではありませんか!

では。

First of April

今日こそ先手を打って、思い切り楽しいウソをついてやれ、と考えていたんだけれど、

こんなご時勢では、あまり威勢のいいやつは思い浮かばず、

そんなところへもって来て、

― ねぇ、雪よ。夏タイヤにしたんだから気をつけて。

と、声をかけられるもんだから、エイプリルフールも、どこかにすっ飛んで、

白くなった庭と、街灯の下、にぶく反射する道の暗さを、じっと見ている朝。

では。

狭き門より入れ (ワールドカップの堕落)

一昨日、娘から、日本代表が、ヴェトナムとやってドローがやっとだった、と聞いた。

ホーム(日本国内)でやる、ってことはどこかで読んだが、ゲーム結果を追いかけることもしていなかった。

大会出場は決まっているし、ヴェトナム戦は、いわば消化試合なんだから、よけいに関心もない。

観戦は暇つぶしにもなるまいし、それならば、睡眠を採ったほうがいいや。

山雅に執心しているので、ナショナルチームはどうでもいいのか?、それとも、32か国の出場枠である現在、ジャパンの本戦出場はアタリ前に思ってしまっているからなのか?

おそらくは、その両方が無関心になる理由だ。

FIFAランキングでは、たしか、30位以内の日本なんだから、よほどの下手を打たない限り出場可だろうから、大会になってはじめて、国民的な関心が生じるのがむしろ健全、と思っている。

さらに、2026年大会からは、出場枠が、48か国に拡大して、アジアからは、8つの国が出場できるようになる。

個人的には、これほど大会への関門が広く、緩くなれば、ますます興味は失せるし、大会のクオリティも、どうしたって低下するに違いない。

今日、サッカーそのもののクオリティが保たれているのは、各国リーグがそれなりに盛況であるからであって、ワールドカップはその上に浮かぶ、ひとつのお祭り。

マタイ伝(新約聖書)第7章のコトバではないけれど、困難な道を踏破しないと、天国へは行けない。

広くて楽な道の先には、たいてい滅び(地獄)がある、というのが道理ではあるまいか?

だから、日本サッカー協会は、大義名分を編み出してでも、アジアサッカー連盟から丁重に脱退する。

そして、財力を正しくかつ賢く使うことによって、南米サッカー連盟に加入させてもらって、その中で切磋琢磨する、というのが萬年式の青写真。

そうすれば、Jリーグには、南米出身プレイヤーの関心がもっと注がれるようになって、より高度なゲームを提供できますよ。

ただし、関心が薄れている、とは言うものの、週日のナイトゲームであっても、ヴェトナム戦の入場者が、44,600人であったことには、かなり驚かされました。

では。