変貌の一里塚を楽しめ (秋田戦レビュウ 中篇)


名波山雅となって、10週間が過ぎて。

基軸はぶらさずに変容してゆく一里塚の中身、それが、秋田戦の価値だった。

4 – 1 という勝利は、ほとんど出来過ぎのご褒美、と考えることにして、そこからもらった愉しみのいくつかを、挙げておきましょう。

❶センターバックの安定
昨季から取り組んできた守備陣の若手登用。
これにはけっこうな授業料も払った (DFのミスによって落としたゲームもチラホラだ)が、ひとつの達成をみつつある、と思う。

右から宮部、星、常田と並んだセットは、平均年齢23歳のトリオ。(バックアップが、そして橋内とは)

4得点のうちふたつは彼らによるもので、攻守への貢献は大きかった。

❷ダブルボランチの選択
今回は、佐藤と平川。
相手攻撃の摘み取りにおける佐藤の貢献が大きいのは相変わらずなんだが、そうであれば、平川には、もっと攻撃参加を望みたいですね。
自己主張をかなり強くしても、いい。

❸サイドバックの運用
今回は、右が下川で、左は前。
え?、と思いましたが、これ、結構効いた。
右にこだわりをみせておいてから、一線に並んだ秋田守備の頭上を越えてサイドチェンジすると、ズドン、というやり方は、3度目の正直で、先制点として実りましたし。

前のサイドバック起用は、ゲーム中のサイド活性化への布石として有用。

彼をボランチへ転用しながら、新たなサイド要員を投入できるわけで、この日は、外山というカードを投入できて、それが4点目の伏線となった。

ゲーム前練習では、下川は左、前が右にあってクロスを入れていたので、これ、秋田陣営の目を眩ます意図だとしたら、なかなか細かいところまで気配りがあった、というべきでしょう。

しかし、田中パウロを温存するなんてのは、なんとも贅沢な陣容です。

❹前線の、タレント組み合わせ
この夜は、阪野がワントップ気味にプレイしていたけれど、今後も、3人の並びを自在に使いながらの起用となりそう。

特に、小手川先発は、萬年の切望であったし、ボールの動かしにおいてかなり貢献していたように思う。

彼の場合、ボランチ的に最終ラインでボールを捌くこともできるので、自在に動く駒として重用すべきだ。

―これにさぁ、セルジ―ニョも入ってくれば、一体どうなるのよ!

とは家人の嬉しい悲鳴ってやつなんですが、伊藤 翔、ルカオ、そして山口、セルジ―ニョか。

前線の構成は、首脳陣の、手腕発揮の魅せどころですな。

次節以降、ワクワクがさらに高まるではありませんか。

では。

秋田よ 秋田。(2021.8.09 秋田戦レビュウ 前篇)

註: ブラウブリッツ戦レビュウは、3回に分けて掲載の予定


ゲーム後の帰途、立ち寄ったコンビニ。

ブラウブリッツサポーターのご家族と遭遇。

― (勝ち点3だけでなく)花火もプレゼントしちゃいましたね。
秋田の美味しい酒をお土産にして、祝杯をどうぞ。(とくやしそう)

―いやいや、今夜は、たまたま勝てただけですよ。うちは、これからが勝負です。

ファンサポーターの交歓は良きもの。

無念さも喜びも、かようにオブラートに包んでやりあいたい。

左党でない僕は、残念ながら秋田の銘酒は味わえないけれど、秋田駅前のスーパーで購った、ハタハタの干物といぶりがっこで明日の朝食を楽しむんだ、と自分に言って、一路、山形/新潟をめざした次第。

ブラウブリッツ秋田の、2021スローガンは、秋田一体

また、竜太朗が大きくフューチャーされたマッチデイプログラム表紙には、
AKITA  STYLE 【誠実・献身】【躍動】【粘り強さ】【挑戦】、とある。

ゲーム前のアンセムとして、スタジアムには『秋田県民歌』が流れ、

さらに、ゲーム後監督インタビュウは、戦術的な事がらは極力簡略化しておいて、ファンサポーターの支援に報おうとする姿勢を強調する。

要は、この球団は、その存在価値を地域への還元に見い出そうとする理念に徹底していて、地方におけるクラブの生き残りを、地元の民との密着に求めている。


この点は、まったく我がクラブと軌を一にしているわけで、ゲーム云々を超えたところでも、互いに健闘しようではないか。

もちろん、クラブ存在価値の溌剌と拡散とは、仕事で成果を出し続けること、つまりは、上質で熱いゲームの遂行に多く負っている。

〈チームが本来いるべき位置で戦っていること〉が、決め手と言えるだろう。

昨夜の観客は、(アウェイ側330人を含め) 3,700人で、これは、今季2番目の多さだった。(1位は、第13節ジュビロ戦の3,900人)

中断期間の渇望感を満たそうとするファンサポーターの熱気が大きな後押しとなった数字だと思うが、このチャンスに、1 – 4 の惨敗はたしかに痛かろう。

けれど、地域に根差すクラブを目指すには、これも乗り越えるべき試練、と我がチームの足跡を振り返りながら思う。

では、山雅は?

たといアウェイの地にあっても、ホームアウェイを問わずに、観る者すべてを魅了するゲームをやり続けなくては、と感じた夜でありました。

では。

感動は、ここに。

ちょくちょく目に入って来たオリンピックのシーンでいちばん不快だったのは、テーブルテニスでポイントを挙げた時の、奇声をともなったガッツポーズだ。

得点するたびあれをやられたら、対戦相手は、うるさくてタマラナイだろうし、お互いに対して、挑発的かつ非礼な振る舞いのように思えてしまう。

武道でいうところの〈残心〉からは遠く隔たった態度で、どうも好きになれない。

止めるように言う人間は、周りにいないのかねぇ。

そんな中、孤高のランナー、ルノワール氏のイチオシである、田中 希美さんが、1,500m決勝で、8位入賞したハイライト映像を観て、たまげてしまう。

外国人選手の中に入ると、ひときわ小さく華奢な身体が目立つものの、まったく物怖じもせずに、軽やか、かつ、ダイナミックに繰り出すストライドに魅せられた。

格別の競技会において自己記録を更新する仕事、それも大したもんだが、インタビュウを聞いていると、その視線は、既にもっと先へ向かっている感じ。

この迫力が、21歳という若さゆえの、ほんの一瞬でないことを祈りたいけれど、驕りもなく、かなり自己分析ができる人格のようだから、さらなる研鑽と上級な走りが期待できそう。

希美さんを、驚きをもって知った、という愉快と爽快。

ガッツポーズや号泣に、もっとクールに飄々とやったらどうか?、と残念に思っていたが、あの快走が、いくぶんかはそれを救ってくれる。

では。

【コメント】
☞ ルノワール氏より (8/10 16:33)
日本陸上競技に受け継がれている素晴らしき伝統
その昔から
私が陸上競技選手(1500、800㍍)現役の当時から現在までずっと受け継がれている良き伝統です

日本選手は自分のレースを精一杯走り
ゴール後
回れ右をして
自分を走らせてくれたトラックに向かい
(有り難う御座いました)
と語り一礼をする
田中希美選手の声は
特に大きい!

一昨日の五輪閉会式の最中に葉巻タバコを吸っていた
◎◎国の5人に
日本陸上の文化伝統を教えたいですね

私は今でもレース終了後の伝統を守っています

有り難う御座いました!

そんなに 黙祷させたいか。


広島や長崎の街が、オリンピック主催者に、期間中の6日、9日に黙祷を願うような話は、ずいぶん前からあったようだ。
県とか市から陳情の動きもあったんだろう、きっと。

そして最近、IOCとしてそのような儀式は行わない、と決したことをニュースで知る。

IOCの判断は、きわめて適切なものに思う。

会長の某氏が、来日早々に広島を訪れ、平和公園に弔問したのは、その代替行為の意味合いがあるはずで、慰霊の意はきちんと示された。

この国のメディアがお話しにならないのは、〈日本中が怒り〉といった見出しを掲げ、国民に媚び、かつ、偏重的な態度を取り続けていること。

原子爆弾の投下は、100%が連合国(=米国)が責を負うべきことがらには違いない。

投下の約一箇月前に終結した沖縄戦は、日本側に民間人を含め、200,000人超の死者/行方不明者を出したが、他方、米国側も、20,000人が命を落としていた。

だから、本州アイランドでマトモに地上戦をやったら損害はそれこそ多大、だから、空からまづ強烈に叩かねば、という切迫感が、米国にあったのは事実だろう。

けれど、核兵器選択は、100%連合国の裁量なんだから、その使用と結果については、言い逃れできるわけがない。

ただし、あの戦争を始めたのは、こっちなのだ。

その終結近くの惨禍を、人類の大罪として一方的に断ずる資格が、はたして僕たちにあるんだろうか。

加害者でもある自分、そこを忘れてはまづい。

そもそも国際大会で、開催国が始めた戦争の犠牲者を弔う儀式をば、参加者全員におこなわせるってのは聞いたことがない。

それとも、そこで核兵器が使われたから?

それが核兵器による殺傷ゆえと、格別に声高の文句をいうのはおかしい。

もっと圧倒的多数の人命が、一般的な銃器や火器で、むごく吹っ飛んでいるのだ。

いい加減に、核兵器を人質にとったような、さも、まっとうな平和主義者面はもう止めにしたほうがいい。

もしも、6日と9日、何か、戦争による犠牲について訴えたいのであれば、例えば、こういうのならわかる。

表彰台に立った日本人アスリートが、核兵器をその完成からわずか数週間後に、同胞に対して使用した米国等に対し、なんらかの格好で抗議の意を示す。

そっちのほうが、殺された方々の気持ちを、よっぽど代弁できますよ。

(もちろん、日本人が、あの戦争で亡くなった300万人余の自国の民を弔うことは、記憶から失われない限り、当然でありましょう)

では。

残暑の中で『夏の終わり』を。

今年は昨7日に、秋が立った。

僕が思っていたよりも、2日ほど早い。

なので、昨日になるのを待って、残暑見舞いとして何通か書き送った。

周りの景色も、人々も皆、気温30℃越えにへばっている毎日。

けれど、歳月は確かに、次のシーズンに踏み込んでいる。

疲弊の夏のあとからやって来る、癒しの秋。

それを、こんな曲で早取りしよう。

とは言いながら、午後、近くの野っぱらへ行っては、キリギリスの声を探して、あの逞しい下肢、つややかな褐色のお腹、鮮やかな羽根の黄緑を想像しながら、幼き日の虫取りを懐かしんでいます。

では。