尋常でないもの、それは恋 『Tennessee Whiskey』

恋愛感情が、およそ正常な心理でないことは明白なり、

これ、誰の言葉だったっけ?

昔は 酒場へ出かけていって
酒が 唯一の愛すべきものだった俺
ところが君がどん底から 俺を救い出した
はるか遠くへと 連れ戻してくれたんだ

君は テネシーウイスキーのように 芳醇で
ストロベリーワインのように 滑らかで
ブランディグラスのように 暖めてくれる

ハニー、いつも君の愛に浸っていたい俺なのさ……

歯の浮くような文句が歌詞となり、しかも、それを何回も聴いていられるんだから、やっぱり、恋なんてのは、どこか狂っている感情ですな。

クレイジーラブ、なんて言葉があるくらいですから。

カントリーミュージックの古典 (といっても1981年発表) だった曲。

それを、2015年、アルバム『Traveler』で、クリス ステイプルトン (1978~ )が、スローテンポなロックンロール調 (これをR&Bとも言う)のバラッドに仕立てて、カヴァーしてみせた。

今回は、そのステイプルトン版の、カヴァーを。

あえて言えば、ホンキ―トンクなジャズピアノが、最高!

では。

臨戦2022 ❽〈堅守〉〈速攻〉をセットにするな。

堅守と、速攻と。

失点の少ない堅い守備と、相手が守りの態勢を整える前に切り裂いてしまう速い攻撃。

すべてのサッカーチームが、それをモノにしたいに決まっているスタイルといえましょう。

ただし、このふたつを続けて〈堅守速攻〉と言った場合、どうやら違った使い方になるらしい。

つまり、カウンター攻撃を身上とするサッカースタイルのことのようだ。

要は、万全な守備網を敷いておいて、相手が持つボールを奪うところからカウンター攻撃を発動、そのままゴールへと結びつけるやり方。

で、カウンター攻撃にはふたつあって、
自陣深いところから始めるロングカウンターと、相手陣内に切り込んで高い位置からボール奪取して発動するショートカウンター、の違い。

ちなみに、年を追うごとに、山雅は、ショートカウンターを採る比率が高まっている。

長年親しんだこともあり、また、いざ反転攻撃 ! 、となったらアドレナリン放出でココロ湧き立つから、スタジアム熱狂効果は、実に申し分ないのでありますが、

さて、今季ひとつ下部のリーグで戦うに当たり、このスタイルをそのまま踏襲するのかどうか?

これ、けっこう重要な選択、と思っています。

現在チームが創り込んでいる青写真もあるだろうし、原点回帰といったタテマエもあるんで、堅守速攻に期待が集まるような気がしますが、

萬年としては、ボール支配を高めておいて、能動的に相手陣内を侵攻するようなサッカーを期待したい。

もちろん、ゲームは相手があり、状況に応じた変幻自在さで対処することは大切。

いつでも、Bプランを発動できる機敏さ、といえばいいのか。

でも、ですよ。

このリーグに最短でオサラバしたいのであれば、みづからがゲームの主導権を握るくらいの、強烈なサッカーをすべきでありましょう。

あくまで、ボール支配にこだわり、相手を押し込んでゴールを奪う。

いまのメンツならできる、と思うんです。

リーグ固有の戦い方に慣れるのはいいとして、決してそのサッカーに馴れてしまってはいけません。

ファン&サポーターにしても、3部リーグにはどこか居心地の悪さを感じて、チームと共闘したい。

このリーグを見下すわけでは決してなく、山雅の、クラブとしての総合力からすれば、安住すべき場所ではない、ただ、それだけ。

今年培ったサッカーが、来季2部リーグで更に成熟させる、そこまでを見すえたヴィジョンでやりましょうよ、この際。

では。

最良の目利きに薦めたい『ヤング フランケンシュタイン』

ことキネマに関して、

作品に対する、いちばん冷徹なる批評家とは、たとえば、家人のような鑑賞者に違いない。

時間があるから映画でも観るか……、という接し方が、それ。

観るにあたって、無理をしてまで作家の美点、特長を探そうとはしないから、実に客観的にその出来不出来を評価できる。

まぁ、端的にいうと、途中で眠くなったり、飽きてチャンネルを変えてしまうか否か、それが作品に対する、もっとも正当なる報い。

すこし前になるけれど、

― なに観てんの、と訊くと、

―うーん、『ヤング シャーロック ホームズ』(1985年米) とかいう題名。
たしか、スティーブン スピルバーグ総指揮、となってた。

ふむふむ。
若き日のホームズが、寄宿舎に入寮するらしきシーンが画面に映っていた。

で、翌日。

― あれ、どうだった?

― 途中で寝ちゃったわ。

まぁ、その程度の出来だったんでしょうね。(僕は観たことがない)

そこで、つまらん作品の監督を調べると、へぇ、バリー レヴィンソンなのか。

『レインマン』(1988年)でオスカー(監督賞) を獲ってますね。

1984年には『ナチュラル』、1987年は『グッドモーニング ヴェトナム』を撮っているから、この頃、ノッてたんですな。

これら、3本は、けっこう僕のお気に入りなんです。

扱う時代背景は三つがすべて違っているけれど、80年代だからこそ撮れた作品、と言う感が深い。

で、このお方の映画デビュウは、メル ブルックスが撮った『サイレントムーヴィー』(1976年) の、脚本執筆への参加だったとは、はじめて知りました。

となると、同じ『ヤング~ 』ならば、今度は、家人には是非とも、

メル ブルックス監督の『ヤング フランケンシュタイン』(1974年)を観てもらいたいものです。

まぁ、こういうパロディやら、人を喰ったお遊びを、あまりお気に召さないだろうことは、予想してはおりますけれどね。

では、そのさわりの、アイゴール登場シーンだけでも、すこし。

しかし、昨年の今頃は、クロリスリーチマンの訃報を語っていましたが、ここに顔を出す役者は、インガ役のテリー ガー(1947~ )以外、すべて鬼籍に入ってしまった。

なんだか、切ない。

では。

臨戦 2022 ❼ (帰還の余波…)

― こうなったからには、早速、あのリボンマグネットをつけないと、と家人。

― あぁ、あれね。
でも、画像がなんとも美しくて繊細なんだよね。
それをさ、風雨にさらすのも、なんだか気がすすまないなぁ。
願わくば、ラッピングしたままでどうかな?

― なに、言ってんの !  、と、とてもご承知なさらぬご様子。

― そうね、では、ホームタウンのアルウィン参戦時にご装着、ということで。

と、妥協案を持ち出しているんです。

いまのところ、マグネットリボンは、拙宅の冷凍庫のドアに貼ってあるんですが、レジェンドは、鄭重に扱われないといけません。

そうは思いませんか?

では。

なんにも無いの,そこは?

この前の土曜日。

午後をかけて、脱炭素ムーヴメントに、ささやかな抵抗を試みていた。

伐採した庭のモクセイの枝とか、そこらでかき集めた落ち葉を、猫の額の畑で、燃やし、燻り咽びながら、灰にしていたのだ。

あぁ、これで、ゴミの類いは一段落、とりあえずはなんにも無くなった、と独り言。

そしたら、『襟裳岬』(1974.1.151発売) の歌詞が浮かんできた。

へぇー、そこって春になってもなんにも無い場所なのかね?、とか考える。

だいたいがですね、襟裳岬の位置も満足に言えやしないことを、自分に恥じないと。

北海道をざっくりひし形とみなすと、最下端の頂点が、襟裳岬。

帯広市から、ほぼまっすぐに南下した、大地の行き止まり。

と言っても、こちとら、その距離感さえ解からないもんな。

せめても、春の季節感を、と思い、グーグルのストリートビュウを視たところ、撮影が、盛夏の8月。

暦だと、明日が、立春。

今はただ、太平洋の波が岸を洗う荒涼を、せいぜい想像するのみ。

では。