強く,あくまで 強く (愛媛FC戦プレビュウ)

今や 3部での対戦にはなったけれど、やぁ、懐かしの愛媛FCとできるんだ、って感じです。

最後に対戦したのは、昨年8月。

セルジ―ニョも戻って来て、シュートは相手の倍を打ち、決定機も多かったものの、川村 拓夢のたった一発にやられた、アルウィンでのゲーム。

で、結局、昨季は 2戦2敗。

それまでは、14戦して負けがたった1回の上得意さん、だったのにねぇ……。

〈チーム創りと スタートにおける明暗〉
対山雅、昨季の2勝に貢献した川村も今は、広島に復帰したが、今季の愛媛は……、
レンタルを含めて、新加入は、16名 (内、新卒とユースからの昇格が、計3名)

他方、退団は、16名で、レンタル元への復帰が 5名、後は完全移籍 9名、レンタル1名など。

要は、(おそらく例年と比較しても) かなり大きくプレイヤーの顔ぶれが変わった。

例えば、前節の長野戦なんかだと、後半から交代で、横谷 繁(昨季加入)、松田 力、佐々木 匠、茂木 駿佑が次々に投入されるなんて、おや、まぁ、これが、3部チームなの?

愛媛の、よどみない流麗なパスワークは、長野の何枚か上をいっていたから、このぶんだと、1点リードしている長野は、かなり守備的にやらないと失点は時間の問題だよなぁ。

……、と観ていたら、案の定、87分にセットプレイから、負けに等しいドローに持ち込まれてしまう。(by 森下 怜也のゴール)

だから、攻撃が巧くハマったら、一気にシュートまでやり遂げる。

愛媛は、それはそれは、怖いチームなのだ。

けれど、僕の観方だと、守護神(GK)の、秋元 陽太(引退)と、岡本 昌弘(鳥栖へ移籍)を失ったことが、守備の弱体には、けっこう効いている。

(その岡本も、それと守田 達弥も、鳥栖ではレギュラーを奪えていないから、なんともなぁ)

また、4 – 4 – 2の、インサイドハーフ(ダブルボランチ) の選定が、ゲーム毎に違っていて、試行錯誤感が否めない。

たとえば、今治戦(6/5)では、森下 怜也と横谷 繁のセット。

このふたり、本来が、センターバックであったり、もっと前め中央で起用したいプレイヤーなことを考えると、リーグ戦3分の1を消化してもなお、中盤の要がキッチリ決まらない、そんな様相。

……それと、新任の指揮官(石丸 清隆氏) による方向性の浸透に時間を要することもあってなのか、現在、12位。

ようやく、勝ち分け負けを、4 – 4 – 4 のゾロ目にまで挽回した、という現在地。

〈2部の匂いに惑わされるな〉

対照的に、山雅の場合はと言うと。

新加入 7名 (うち、新卒が 4名)
あとは、レンタル移籍組をできるだけ復帰させて戦力化を図る。

かつ、流出も極力抑え込んで、完全移籍による退団は、5名にとどめ、保有権を手放さないレンタル移籍が、3名。

つまりは、リーグ陥落の憂き目を、できる限り戦力を落とさずに乗り切ろう、という戦略。
(もちろん、その前提には、監督続投があったはず)

(あくまで)現状の戦績からすると、このチーム創造の志向性と、世代交代の思想が奏功した、と言えましょうか。

ですから、テクニカルでクオリティ高い愛媛とやるにしたところで、

強く、速く、聡くのスタイルは、もちろん不変。

そこへ持ってきて、今節は、〈強く〉のトーンを、全面に押し出すべき。

あの華麗なパスワークに飛び込むことを恐れず、人数をかけて挟撃して奪取をひたすら繰り返し、奪ったら、枚数多くペナルティエリアを目指す、これでいきましょう。

特に中盤で後手を踏まずに、そのエリアを制して、前へ前へ。

肉を切らせて骨を断つ、とか言いますが、そんなやり方で。

愛媛さんには申し訳ないけれど、ここでどれだけ自己スタイルでやり切れるか?が、次節 (いわき戦) につながります。

お叱りを受けるかも知れませんので、これはあくまで内緒のココロですが、アウェイ引き分けでも、構わないと思いますよ、戦略的には。

では。

草いきれ に久女を。

タチアオイが咲き出したら、もうすぐ、炎暑の夏。

草むらに踏み込むと、ムッとまつわりつく、あの熱気を、〈草いきれ〉と呼ぶ。

補虫網を持って山野に入って行く少年。

彼は、その草いきれの中で、虫たちの喧騒と夏の静寂に、ふと立ち止まる。

やがて、少年は大人に成った、その或る日。

夏の炎天下、路上に落ちた自分の影に、もはやこの世を去った人々を想い出すだろう。

杉田 久女 (すぎた ひさじょ、本名 杉田 久、1890 ~ 1946年) は、近代最初期の俳人。

いままでは、先駆的な、才ある女性の苦悩と人生、みたいな切り口で多く語られて来たが、もうそんな時代でもなかろう、と思う。

だから、僕の好む久女の作品も、世が代表作として拾ったものでもなくて、次のようなやつ。

草いきれ 鉄材さびて 積まれけり

この句、大正から昭和初期にかけての頃に詠まれていますが、こういう景色を採り上げる感覚は鋭くて、懐かしみさえ覚えます。

そこで、 萬年がよめる、返歌のようなものひとつ。

虫取りの 少年黙す(もだす) 草いきれ

ところで、久女が亡くなって数年後。

1952年、実父の故郷である松本市の赤堀家墓地に、分骨がおこなわれた。

今は、蟻ケ崎市営墓地に眠る久女。

で、ほんの、おまけの話ですが、

そのすぐ近くには、川島 芳子 (1906 ~ 1948年) の墓所が在ります。

では。

チュニジア戦(2022.6.14) に思うこと。

(時候の憶え、6/15 夏椿、開花する)

ナショナルチームのゲームが、昨夜あったなんて、知らずにいた。

朝食をしながらの、TVニュース。

― チュニジアに完敗、って言ってるよ、おい。

― なんでも吉田が、失点のほとんどに絡んみたいよ、と家人。

なんだ、萬年よりも詳しいではありませんか。

そこで、仕事から帰宅すると、JFAによるハイライト動画(3分30秒)を、ようやく観たんです。

そして、思ったこと。

緩慢な守備はいただけないけれど、主将の吉田を、ここぞとばかり責めるのもなんだかなぁ~。

むしろ、〈完敗〉の根本原因は、得点できなかった攻撃に在る、のでは?

0 – 3、のゼロ点のほうです。

このゲーム守備に追われまくっていたのかどうか知らないが、シュートは互いに8本づつで同数……か。

となれば、やっぱり、課題は攻撃ですよ。

右サイドからの、伊東の突破ばかりが、これでもかと目立つハイライト。

ならば、徹底的に右方のクロス攻撃を組織化、深化させれば良いのに。

誰がどうやって入ってくるとか、詳細を詰めているのか、いないのか?

伊東がクロスを上げている限りは、彼がシュートを打てないわけで、じゃあ誰が中で受けて、シュートを打つのさ。

チュニジアの3点目のミドルシュートは素晴らしかったけれど、ああいうフォワードの存在感を、いまのナショナルチームは持てていない。

どんと構えていて、ボールを呼び込んだらひと仕事して魅せるフォワードの名前が、今、とんと思い当たらないもんな。

要は、普段一緒にやっていないからこそ、決まり事をキチンとしておかないといけませんよ、代表チームは。

まぁ、当事者からすれば、そんなことはわかってます!、なんだろうけれど、ナショナルチームのことは、それぐらいでいいや。

とりあえず、憶えとして書いておきます。

では。

雷鳴の余韻に考えた (@ 藤枝戦)

今日6月14日は、24年前(1998年)、日本が、ワールドカップ本大会の初戦(対アルゼンチン)を、戦った日。

そのチームで、背番号#10を身につけていたのが、名波 浩(25歳)。

そして、#7中田 英寿は、21歳だったから、当時から若い才能の登用があった。

山雅にとって、ユース生え抜きのプレイヤーが、アルウィンで2ゴールを決める、そんな歴史的な6月11日。

― スタジアム観客席は避雷針などで守られてはいますが、むやみに立ち上がらないように願います。

場内アナウンスを聞きながら、激しい雨に打たれ、じっと座り込む観客の群れ。

これもまた、サッカーの流儀なんだと言い聞かせるものの、かたわらを雨がっぱの幼児らが帰っていく姿は、なかなか切ない光景、ではありました。

あの雷鳴の中、考えたことがひとつ。

最近、ホームゲームでは、コイントスに勝つと、必ずピッチを入れ替える山雅。

これ、ゲーム開始早々から、ひたすらホームゴール裏めがけて突入する、というゲーム戦略、プレイヤーへのメッセージなのか?

相手を、背後から圧倒的なアウェイ感に陥れつつ、冒頭10分間は、先制的に強圧な攻撃をかけまくる。

まづはそう突っかけておいて、今度は、相手の反攻に引くなりしてみせて、ゲームの流れをコントロールしたい。

そんなところなんだろうか。

ま、これをやれば、少なくとも、スローテンポで脆弱なゲームの入りは回避できる。

クルマのエンジンも低回転を繰り返していれば、やがてはスムーズに吹き上がらくなりますしね。

勢い込めて入って、それなりの前半を。
で、後半は、もろもろの修正を施しながら、強度を増してクライマックスへ。

……、真の狙いはわかりませぬが、北ゴール裏の住人としては、後半、山雅の侵攻がこちらに向かってくるのは、まことにありがたいこと。

ふたつめの考え。

こうやってアナウンスの繰り返しにつき合っているのも退屈、こんな時は、ブルース スプリングスティーンの『Thunder Road』(1975年発表) でも流してしまうぐらいの遊び心があったって、いいのになぁ。

地上波観戦の方からは、待機中はハイライトの繰り返しばっかり。飽いてしまって、TVを消したよ、という話を聞く。

で、ここは、ひとつその、雷鳴の道、を聴いてしまえ。

……カーラジオから流れてくるロイオービソンは孤独な連中のために歌っている。
僕はその中のひとり、そうさ、ヒーローでもない。
けれど、
この、どうしようもない敗残者たちの街(故郷)から、メアリーを連れて明日を見つけるために出て行くんだ……、という青年の心情をつづった歌詞。

ハイスクール卒業したての恋人、というセリフが織り込まれているから、季節的にも今聴くのが旬なわけ。

では。

パーフェクトなゲーム (2022.6.11 藤枝戦レビュウ)

(時候の憶え:6/12 馬鈴薯が開花する)

2 – 0 。

この一戦、雷雨の完勝、と記憶しましょう。

どこが完勝なのか?

ひとつは、強く、速く、ひたすら前へを、忠実に実践してみせた点で。

ふたつ。
藤枝myfcという攻撃大好きチームに、そのサッカーをほとんどやらせなかった、という意味で。

シーズン最高、とは言わないが、今でき得る最大限の、山雅スタイルの具現でありました。

前半10~30分は、藤枝に主導権を握られたものの、ほかの時間帯は、ホームチームが、ほとんどゲームの流れを制していた。

ボール支配は、藤枝が、60~70%だったのではないか?、と思いますが、そうさせておきながら、ゲーム自体は、こちらが握ってしまうところに価値がある。

中途半端にボールを保持せず、相手に持たせておいて奪取反転を狙うのが、山雅にとっては居心地は良い、というか、手馴れた感が深まっていますね。

4 – 4 – 2 の陣形から入って、それがやがて、1 – 4 – 5 (2 – 3 – 5)へと可変しながら、リジットに連動して手簿網を形作っている。

― こういう光景が、ふたたび確かに戻ってきた、そんな気がします。

前半、藤枝のミドルシュート(枠内) が目立ったものの、ビクトルが危なげなく、これを処理。

ペナルティエリア内から被弾したシュートは、ゲームを通じて5本でしたが、どれも枠内を捉えさせずに封じたんですから、パスで崩して、という藤枝スタイルは、結局、不発に終わった。

クロスや、セットプレイで入れられるボールは、すべてこっちが先手で対応したことも、特筆もの。

レフェリーの笛は、ひどく不正確で、いただけなかった。

プレイヤーの動作に、多分にダマされてしまうので、とるべきファールをとらず。
他方、シュミレーション的なものを、ファールと認定してしまったりで。

けれど、そのために、相手に多くセットプレイが与えられ、それがかえって、藤枝流のゲーム進攻を阻害したのは、皮肉な現象でありました。

それにしても、鈴木 惇という名手を抱えているからこそなのか、マットウなボール投入ばかりのセットプレイでしたね、藤枝は。

意表を衝くセットプレイをさかんに考えている山雅からすれば対応しやすいんでしょう、こういうのは。

鈴木を引っ込めた74分が、藤枝にとって事実上の終戦だった、と思います。

もちろん、相手にそのサッカーをやらせないだけでは、勝利は引き寄せられないわけですから、山雅の攻撃に、ひとつのランクアップが生じているのが得点に結びついた、と言えます。

このゲームでは、サイド侵入とクロスの質、これが良かった。

前 貴之のボレーシュートは残念ながら未遂に終わりましたが、クロスを上げたのは、田中パウロだったわけですから、先発起用に応える働き。

残る課題は、決定機をモノにすることか。

……、こう観てくると、先発メンバーのパフォーマンスは最高の出来でありました。

それが証拠に、いつもより、交代が10分程度後ろ倒しになったのもうなずけます。

背景に、適正、かつ、熾烈なポジション争いがきっとあるだろうこと。

それと、浜崎 琢磨もトレーニングマッチ(対新潟)で復帰しているようなんで、選択肢が豊かになりつつあること、を喜ぶとしましょうか。

では。