半信半疑を撃て (愛媛FC戦プレビュウ)

 


こんな戦績を並べてみる……。

7/04 愛媛 1 – 3 秋田

8/09 秋田 1 – 4 山雅

ゆえに、山雅 vs  愛媛なら、これはもう、一方的なゲームだろう、と我田引水、身勝手な妄想にふけりたい萬年。

振り返れば、

4/21 愛媛 3 – 1 山雅 (4/7 愛媛は監督交代直後、山雅は、敗戦で最下位転落)

……、にもかかわらず、我らが直近の上昇機運と、愛媛の停滞(現在19位) を考えるならば、今回の愛媛FC戦、3点以上は獲ることで、山雅は、〈新生〉の確かさを証明しなくてはなりません。

あまりに感情的で、身勝手な注文、とは承知のうえでの発言ですが。

〈愛媛サッカーとは〉
前節ホーム北Q戦(8/15)を、前半20分あたりまでDAZN観戦。

もともと興味の薄いところへもってきて、なんだか緊張感に乏しく、双方ミスも多いゲームなので、観るに耐え難いのがホンネ(失礼)。
ただし、ゲームは、その後熱くなったのか知らん。

登録メンバーに、眞紀人も、浦田も、横谷も、山瀬もいなかったが基軸としては、昨季は奮わなかったけれど、今季ここまで8ゴール2アシストの、#10藤本 佳希のチーム、になっているのかもしれない。

北Q戦でも、2ゴール(全得点)でした。

3バックはお馴染み。

両サイドへ展開して侵入を試みる、特に、左(#39内田)からの攻撃は強力。

あとは、ロングボールを多用して、相手DFとの競り合いを制しゴール (この日の先制点のように)を狙う。

それから、セットプレイからの得点は、全得点の 44%と飛びぬけている。

……、といった点が特長でしょうか。

〈人とボールが活発に動いて 襲え〉
守備面。
最基底のラインを保ち、陣形を圧縮しつつ、ファーストディフェンスで追い込んで、愛媛には、ボールをタッチラインへと持っていくように誘う。

すると、ロングボールをフィードするか、タッチライン沿いに駆け上がるから、そこを押さえ込もう。

ここでは、センターバックと、両サイドバックが、決して対人で負けないことが肝心。

セットプレイには、飛び切りの警戒を。
無駄なファール、コーナーキックを献上しないこと。

たとえ、与えてしまっても、ペナルティエリアのごちゃごちゃを集中を切らさずに、冷静にクリア。
キーパーが出るのかディフェンスに任せるのか、そこらの判断が重要になります。

攻撃面。
ボールを落ち着かせておいて、アタッキングサードに持ち込む展開を創り出すことが、まづあって。

そして、次から次へと、人が動き、ボールが左右に動き、空いたスペースに走り込んで打つ!、これをできるだけ多く繰り返す。

愛媛は、それほどボール保持にこだわらないだろうし、空中をボールが行ったり来たりするスタイルを好むとも思えないから、山雅からすると、ボールを手中にする局面を創りやすいのではないか。

とにかくも、秋田戦での好調、天皇杯でガンバを追いつめたこと、それらがフロックでないことを魅せてくれ。

復調の足どりが、万事オーライとは思いたいけれど、半信半疑なココロも捨てがたい者より、山雅へ。

では。

ポール ウイリアムズ の季節。

季節が、すこしずつ落ち着きをみせる頃になると、

ポール ウイリアムズ (1940~ ) とか、ランディ ニューマン (1943~ ) を聴きたくなる。

後者の毒を含んだユーモアや悲哀もいいけれど、ポールの、もっとストレートで、飾らない歌詞は心に沁みます、こんな時候には。

いろいろ推したい中で、今回は『We’ve Only Just Begun』(1970年 カーペンターズによりリリース)。

現在完了形の見本みたいな題名のこの曲、もともとは、これから新しい人生を歩もうとするカップルを題材にした、60秒からなる、銀行のCMソングだった。

……僕たちは、始めたばかり。

それを聴いたリチャード カーペンターが作者に、歌わせてくれと照会した。
(作詞ポール ウイリアムズ、作曲ロジャー 二コルズ)

今回は、豪華にふたつを続けます。
ひとつは、ポール ウイリアムズ自身の歌唱。

ふたつめは、カーティス メイフィールドのライヴ演奏。
こういった編曲には、泣きが入る僕なんであります。
コンガなんか最高、究極のファンキーミュージック。

では。

120分お疲れ。幕は上がった (天皇杯3回戦レビュウ)


燕岳よりの眺望 (2021/8/5 2:20 撮影。版権帰属:オフィスウエストウッド)

ゲームをまったく観ないでおいて、レビュウを書くのはなんとも、歯がゆい気持ちではあります。(はじめに、エキスキューズを)

まづ、プレビュウ三つの願いを総括。

❶レアンドロ ぺレイラとの対戦 ➡ 〇 (得点は許さず)

❷公式戦、ガンバ大阪に初勝利 ➡  × (延長戦120分やって、0 – 2 の敗戦)

❸前線とインサイドハーフ組み合わせの新味 ➡ それ相当に。

秋田戦(8/9)の先発からは、メンバーを 8人入れ替え、なおかつ、控えにはDFがひとりもいない、といった思いっきった手法で、けっこうなプレイヤーを試した。

さらに、山口 一真とセルジ―ニョを公式戦初投入、チームへの融合などを図るとは、天皇杯を巧く使ってみせた采配でありました。

指揮官のインタビュウからは、ガンバ、夏の連戦で相当にバッドコンディションだったらしく、それもあって、それなりに戦えたようだ。

シュート数、山雅16、ガンバ13 がそれを証ししている。

山雅のほうで、シュートを打っていないのは、GK村山を除けば、橋内、田中パウロ、河合の 3人だけ。
だから、パウロにとってみれば、かなり不満が残っただろうが、リーグ戦で結果を待ってます。

控えのメンツも、GK以外は全員投入。
その全員がシュートを放つ貪欲さ、いいではありませんか。
セルジ―ニョ、横山 歩夢は、2本ですしね。

結局は、ガンバが、ほぼほぼレギュラーメンツを揃え切ったゲーム終盤(延長戦前半)に、2失点。

トップリーグとの差、自分の足許をキッチリ見つめて、リーグ戦に向かいましょう。

さぁ、新しい山雅の幕が、上がった。

では。

せめて三つの願い (天皇杯3回戦 対G大阪)

本日は、パナスタ(吹田市立)で、ガンバ大阪と、エンペラーズカップ3回戦を戦う山雅、なのだ。

チームは、FDAで神戸経由だったのだろうか、すでに在阪のはず。

ガンバは、2回戦(6/16)、関西学院大学を 3 – 1 で退けて勝ち上がってきた。

それぞれ、ガンバ 21日、山雅 22日にリーグ戦を控えている中、大幅なターンオーバーのメンツで臨戦するだろうから、メンバー予想は容易ではない。

実際、対関西学院戦では、藤春、倉田、パトリック、宇佐美などは控えメンバーだったから、今回もそんな感じ?

強いて言うと、❶レアンドロ ぺレイラとやりあえればなぁ、そして、❷ガンバには、公式戦初勝利、これくらいか、願うことは。

なにせ、リアルタイム観戦ができない萬年でもあるし。

でもまぁ、直近のガンバはどうなんだろう?

と、第24節、アウェイ清水戦(8/13)のハイライト映像をチラ見。

3分程度の公式ハイライトは、ガンバ FW山見 大登(関西学院大4年在籍、特別指定)の、スーパーなゴール(後半37分) やら、ガンバの攻撃ばかりが編集されている。

シュート数は、清水14本、ガンバ 5本。

これを観るかぎり、エスパルスのほうが優位にゲームを進めていたに違いなく、だとしたら、このハイライトはないわ。

清水、DAZNにクレームをつけなくっちゃ。

それにしても、清水はこれで、4戦勝ちなく、現在14位。

勝ち試合では、けっこう得点しているんだけれど、失点もやはり多い。

ガンバ戦の先発をみると、馴染みは河井 陽介ぐらいのチームになった。

誰がチームとしての芯?、という感じですが、残留を期待してます。
ふたたび、トップリーグで対戦したいんでね。

さてと、ガンバのシュート内訳は、レアンドロぺレイラ 2、山見 2、黒川 1。

今回の対戦、山雅がつけ入るとしたら、ガンバの、こういった貧打、の部分でしょうか。

あとは、互いに3バック、ということでの、当方がやり馴れたやり方で、いかに相手を凌駕できるか。

とにかく、やるからには、❸山雅の新生面、特に、最前3人とインサイドハーフの作り込み、が観られると、なお、嬉しい。

では。

凡庸を責めることの 危険。

8月15日を、終戦の日、と呼ぶことが、なんとも滑稽に思われる。

もう戦いは終わりにします、と自分で決めたような格好にはなっているけれど、実際は、窮地に追い込まれた挙句に、待ったなしの無条件で掲げた白旗だったんだから、どうみたって、〈敗戦〉でありましょう。

敗戦、つまり、完全な武装解除と被占領、から始まったこの76年、という現実をどこかに置き忘れているので、平和論、国家論、果ては死生観までが、不毛な袋小路に入り込んでしまっているのが、僕たちの現実ではあるまいか。

人命はなによりも重い、とか言いながら、心身両面で平気で人を抹殺するような事件や事故が、この〈平和〉の国で跡を絶たない。

あの壊滅的な結末を迎えた戦争をおっぱじめ、そして戦った世代が、この世から去って久しい今。

各界の権威、有識者とか呼ばれる者はすべて、当時、物心もつかない幼児未満だったわけだから、いろんな意味で、戦禍の辛さや深刻さも軽くなるのは、これはもう、当たり前でして。

そうだな、特に、40歳以下の若い世代は、今大きな顔をして語る老人のほとんどが、あの戦いにまつわるところの苦労などしていない、と思って、その言動や教えにつきあったほうがいい。

特に、メディアを通して行われる、浅薄で、民に迎合的な情報操作が、真実を余計に見えなくしているから厄介だ。

COVID-19についても同様で。

人口1億2,600万人に対して、死者15,402人だから、人口100万人当たり 123人。

他方、人口3億3,000万人で、死者614,267人は、人口100万人当たり 1,861人。

日本に比べ、米国の、この流行り病における致死率は 15倍、というリアル。

なんらかの国家戦略が効いてこうなった、と言い切れないところが辛いが、

死亡という最悪の結果からみる限りは、現政権の対応や施策をガタガタ言うようなことでもない、と僕は思っている。

感染状況を災害と同じだ、とセンチメンタルな発言をするリーダーの姿勢。
または、専用の病床を増設もせず、ただただ狭いコップの中で困った困った、とうろたえているのはどうか、とは思うけれど、

批判の多くは、切迫感なき緩慢さとか、対策の不徹底をついているようだ。

けれど、どの政権や首班がやったにせよ、この国の制度下ではおそらく、諸政策は大差ない内容に落ち着くことは間違いない。

ここ数十年かけて日本は、多方面で護送船団方式の経済活動をぶっ壊してきていて、それを多様性の尊重、とかいって称揚してきたんだから、なにをいまさら、制限(規制)と補償をセットでとか、全員が救済されるべきとか、ムシのいいことを言っているんだか。

凡庸、愚策、無策内閣と、あげつらっているうちはまだ良くって、こういう状況の下、颯爽と、期待を浴びるように個人や集団が出現するほうが危険、というのは歴史が証明している。

そういう意味では、出ては叩かれる、足の引っ張り合いがマシな場合もある、と割り切れ。

この国では過去、おそろしいことに突っ込んで行く時、かならず誰かの権威や、他国による圧迫が理由として使われるのが常だった。

これからも、そこのところには注意しないと。

では。