注意:この記事では、特定の推理小説のスジがあからさまになるので、それを嫌う方はご遠慮ください。
タイトルは、探偵オーギュスト デュパン の言葉。
デュパンは、エドガー アラン ポー (1809~1849) が創造した人物 (フランスの貴族) で、史上初の名探偵、との評価が高い。
デュパンが登場する作品は三つあって、すべて短編。
モルグ街の殺人(1841年)
マリー ロジェの謎(1842~1843年)
盗まれた手紙(1844年)
上のセリフは、最後の、盗まれた手紙の中にあって、全文は……、
『それはただ推理者の知力を相手の知力と合致させることにすぎんね』(佐々木 直次郎訳) ……だ。
暴露されれば政治的な大スキャンダルを惹き起こす手紙が、某大臣によって、高貴なご婦人の手許から盗み出される。
パリ警視庁は、大臣の屋敷を(その留守中を狙い)3箇月をかけて、平方インチ(2.54㎝×2.54㎝)ごとに、くまなく探索するも、手紙は発見できずに終わる。
万策尽きた警視総監D某は、ついにこの事案を、デュパンのもと持ち込んで捜査を懇願した。
……、ということで着手したデュパンは、たった2回、某大臣の在宅時に屋敷に訪問することによって、見事、盗まれた手紙を取り戻すことに成功するんです。
その手際を、同居する友人(私)に説明する格好で、デュパンは解き明かすが、今回の事件について、推理のポイントは、ふたつあった。
❶上の言葉のとおり、相手の知力に立って、手紙の隠し場所を推定すること。
パリ警察は、ただただ自分たち自身の工夫力しか考えないのだったが、某大臣の知力は、かれらをはるかに上回るものであった。
❷大臣の狡知からすると、手紙は、敢えてもっとも隠されていない場所に隠されているはず。
実際、それは、壁にかかった、なんの変哲もない名刺入れの中に破りかけのように偽装されて抛り込んであった。
木は、森の中に隠せ、に近い工夫。
比喩としてポーは、地図の中の文字捜しゲームを持ち出している。
初心者はたいていいちばん細かい字で書いてある名をあげるけれど、玄人は、むしろ、地図の端から端までひろがっている名を選ぶ、と。
推理における問題解決にあって、こういった心理の盲点を着想したことについては、ポー自身が、きっとおおいに感動したはずだ。
或る友人へあてた手紙でも、自分の推理小説のうちで最高の出来、と語っていることからもうかがえる。
作品の長短、犯罪の仕掛けの大小、登場人物の多寡に関係なく、こういった心理戦がキチンと描かれないと、推理(探偵)小説は読む価値がありません。
例えば、『本陣殺人事件』(1946年、横溝 正史)では、ふたりが殺害される完全犯罪の事件に見せかけるため、とてつもない仰々しい仕掛けが施されるけれど、そういった、費用対効果を一切無視したようなことは、かえって人間心理に反している。
ゆえに、そこを前提に組み立てられた物語は、僕にとっては、うさん臭くて退屈、つき合い切れない。
もっとも手間をかけず、誰にも気づかれず、痕跡を残さずやり遂げるからこそ、完全犯罪なんであります。
お金、制作費用をかけず、けれど、知恵はふんだんにかけて作られた『コロンボ』シリーズにしたって、相手の地位(セレブ)と知力に合致させた推理、その地力を逆手にとった犯人の追い込み、それらは、かなり簡素な方法によります。
でも、コロンボのやり方だと、自白が事件解決の決め手になっている場合が多いから、いざ法廷闘争になったら、けっこうしんどいのでは?、とどこかで読んだおぼえがあります。
では。