苦渋と軽妙『真夜中のカーボーイ』

米映画『真夜中のカーボーイ』(監督:ジョン シュレジンジャー) は、日本では、1969年10月18日に公開された。

今頃の季節に。

僕は、かつて縄手に在った松本中劇で、この作品を観た憶えがある。

年齢的に、封切りではあり得ないはずから、おそらくはリバイバル上映だった。

街角の広告看板のデザイン(写真)から、てっきり西部劇と思って入った、というのは前にも書いた。

題名が、カウボーイでなく、カーボーイとなっているから、そこで気づけばよかったんだが、これ、現代のニューヨークで生きる青年ふたりの物語。(ただし、車絡みの内容でもない)

おかげで、このころ売り出し中の、ダスティン ホフマンの演技をはじめて、ティーンエイジャアの時季に観られたのは儲けもん、だったと思っている。

映画を観た後、三日は、劇中では足の悪い設定の、ダスティン ホフマン風の歩き方を真似ていたくらいでしたから。

リアルタイムで、その役者の旬につき合えるのは、キネマファンにとっては至福なこと。

ストーリーは、都会(ニューヨーク)の底辺で、売春夫とそのポン引き稼業をしてでも生きていこうとする二人組(ジョン ボイドとホフマン)の、なんともやるせない話。

そこへもって来て、実に軽妙で明るい曲調のカントリー『Everybody’s Talkin’』(by ハリーニルソン)をサウンドトラックで使う、っていうのが、実に洒落ていて、そういうところに〈ニューシネマ〉の皮肉な主張があった、と評論家風に言っておこうか。

では。

23.4歳 の主張 (沼津戦レビュウ❸)

(金木犀、10/3から昨日にかけてが満開、細かな橙の花、地に散り敷く)

アスルクラロ戦の、終了ホイッスルが鳴った時。

(GKビクトルを除く)ピッチ上の山雅フィールドプレイヤー10人の平均年齢は、24.323.4歳でありました。

ただ、それだけの話でもあり、そこに何かしらの意味も、やはりあり。

サッカーは年齢だけでやるものでもないし、

ヴェテランという存在価値が、実戦上でのみ発揮されるものでもないとも思う。

また、時々の所属プレイヤーの好不調もあるだろうが、

これだけ若い世代を次々とリーグ戦に投入するのには、やはり、そういったチーム創りが方針としてある、と診ていい。

(チーム内の切実な話は、当方は承知していないし、知る気もありませんので論外として)

訊けば、たまたま最適なメンバー、という返答かも知れぬが、

なんだかんだ言って、数年前とはかなり様変わりなチームに、

― 知らないメンツばかりになっちまって、と慨嘆めく向きもあるんだろう。

けれど、このくらいの舵切りをしないと、自己否定の先に〈新・山雅〉を見通す作業は、成立しないんじゃあないか?

起用法については当方にも思いもあるから、それらを時々口に出すにせよ、

おおかたではチームを支持する、と言うか、それを引き受けた上で共闘するしかない、ってことでしょうか、残り7ゲームも。

ただ、少なくとも、24.323.4歳のチームになって闘う時。

闊達なプレイにはチャレンジしてもらいたいものの、意思統一だけは必要。

つまり、ゲームにおけるプレイの優先順位の徹底、これだけはキッチリと落とし込むこと。

例えば、終盤あのように、常田 克人を前線に上げてターゲットにするんだったら、ひたすらそこを起点にパワープレイに徹すべし、といったことに集中させることがそれ。

では。

来年の花を。

明日、あるいは一瞬後には、生死もわからないのが、生き物のさが。

でも、頭の中では、自分の終末はなんとなく先に延ばして、来夏の花を準備している。

ひとつ。

素晴らしいブルーの朝顔が咲き誇っているお宅に気がついた。

晩秋の来る前にでも、タネをわけていただきに参りたい、などと思案中。

そうやって、4種類の朝顔を庭に咲かせてみよう。

ついては、配置や採光、見せかたのバランスを念入りに考えなくっちゃ。

ふたつ。

マリーゴールドが、次々と枯れ初めている。

種子(子孫) を残す大仕事を終えたのだ。

そこからタネを採って、どう保存しておいて、春にどうやって播こうか?

(マリーゴールドは、野菜につく害虫の忌避植物として植えてるんですが、本当に効いているのか、実はわからないまま)

では。

得点に必要なキープレイヤーは? (沼津戦レビュウ❷)

さて、停滞気味に映る、良くない攻撃について。

今ゲームの見るべきシーンは、右サイドに多くあった。

サイドバック下川 陽太から、縦にボールを前へと供給、そこへ横山 歩夢を走り込ませて一気にゴールまで持ち込むやり方。
これは繰り返し行われ、チャンスを創出。

また、中央の横山がサイドに叩いて、そこに縦に走る下川に渡して、侵入するやり方、などがそれ。

ポイントは、その一つ前で、特に、ボランチあたりから、サイドチェンジを意識した速いボールが供給されること。
出ないと相手の陣形を左右どっちかに寄せられません。

ところで、その横山。
ボールを良い位置に持っていこうとするドリブルは魅力なんだが、ペナルティエリア近辺での密集戦になった場合、相手もわかっていて、3人くらい人数をかけて来るから、どうしても孤立してしまう。

一旦、誰かにボールを預けてマークを外し、再度アタックする、とかの工夫を入れるやり方を開発すべきでしょう。

FWであるからには、自ら打ちたい気持ちはわかるんだけれど、山雅の得点はむしろ、ルカオや横山がサイドからクロスを入れた時に生まれている。
それを思い起こして、サイド攻撃を、サイドバックに占有させるようなのを止しましょう。

その文脈からなら、サイドバックが中に入っていって、センターバックが外縁を上がるやり方は攻撃をより厚くする。

要は、相手ディフェンスをサイドへ引っ張り出しておいて、中央の守備網を粗くしないと、シュートコースがなかなか生まれないのが今の閉塞感であり、2ゲーム連続の無得点ではありませんかね?

クロスにも同様なことが言えて、GKの前に空いたスペースを創ることをやっておいての、クロス投入でしょう。
GKが直接キャッチしてしまうような単純な放物線には、限界が来ています。

前進力がある攻撃的なボランチとして、住田 将にそのチャンスを与える時季だと思いますけどね。菊井 悠介との相性も良いし。

では。

悪くはないが 良くも無い (2022.10.2 沼津戦レビュウ❶)

そうむづかしくもないゲームが、たまたま、ふたつ続き。

守備は悪くないけれど、攻撃は良くも無い内容が、これまた続いて、戦績は 1分1敗で、勝ち点は、1どまり。

身から出た錆、と言うか、相手に圧倒され、ねじ伏せられたんなら諦めもつくが、かなり中途半端による結果に思え、なんとも焦燥感がひどいですな。

〈悪くない守備だが……〉
センターバックによるボール扱い、パスコース選択については、かなり落ち着きを身につけ、危機的シーンはなし。

サイドへの駆け上がりは活発を維持、それが、攻撃の厚みや、相手守備網を引き延ばして無力化させる限り、続けるべきでありましょう。

ここぞ、という時のタックルも巧くなっています。

ただ一点。
空いたスペースに相手FWが走り込み、そこへボールが出てくるような場面。

簡単に身体を入れ替えられる、というか、こちらから、相手にボールを保有させてしまう身体の使い方、あれでいいんでしょうかね?

もし、持たせておいて、抜かれない守備を選択するならば、その次に上がって来てボールを受けるであろうプレイヤーを自由にさせてはアウト、サイドバックによる連係した守備によって、カットイン的なシュートを防がないと。

では。