〈速報〉攻め疲れずに,良くやった!!(2024.11.9いわて戦レビュウ)

事情あって、ゲーム50分過ぎからの、DAZN観戦となりました。

で、ハイライトと、前半を観返しただけの、取り急ぎで、レビュウです。

対戦相手のいわてが、どうのこうのにおかまいなく、

攻めつ疲れずに、精力的に前へ前へのサッカーをひたすら遂行

グッジョブでした。

終盤。

もうすこし強欲にやれば、2点くらいは積めた、とは思うけれど、

プレビュウで注文したとおりの、我が意を得たりのゲーム、

ということで、まづは、

チームと、遠路参戦してくださったファン&サポーターに心から感謝申し上げます。

では。

よもやま話こそ生きがい〈Wild World〉

クレ君(バルサファン、職場の)とは、サッカーの取りとめもない話が多い。

最近、レアルマドリは、クラシコで、バルセロナに(ホームで) 0 – 4 で敗戦、

ACLでは、ミランに 0 – 1 で負け。

― こうなると、指揮官の地位も安泰でなくなるよね、あれだけのクラブだと。

― 長野戦を観てはじめて、パルセイロのキャプテンがいま、三田なんだ、って知りました。

― たしか、彼、木曽の出身だよ。

―トレセンで一緒でした。
三田が一年後輩ということもあって、静かな奴で、
その後、青森山田へ行って、法政大に進んだのは知っていましたけど……。
もう、雲の上の存在ですがね。

こんな話こそ、いいんですよね。すぐ身近に在るサッカーが感じられて。

身近といえば。

山雅公式がアップロードする動画は、

数時間のうちに、何千回も再生される。

それだけ多くの、山雅に関心ある層が存在するにせよ、

こまめに情報公開を続けるクラブの姿勢があるからこその話で、

マーケティングを上手くやっている、と言えましょう。

 

〈Wild World〉は、キャット スティーヴンスの作詞作曲による。1971年発表。

新しいことをやりたいと、去っていく恋人に、

……君ねぇ、笑顔だけでは渡っていけない世の中なんだ、

君の麗しさが、ダメになってしまうことだって、あるんだぜ、

荒くて、タフなこの世界では……。

恋人への辛辣な捨て台詞を、軽いメロディに乗せたところが聴かせどころ。

今回は、モーリイ ミラーのトリオで。(インスツルメンタルです)

では。

攻め疲れるな。 (いわてグルージャ盛岡戦プレビュウ)

2023季、いわてと2戦やって、山雅は 2回屈した。

そっちのほうが印象に残っているから、

今季第4節で勝利した(1 – 0)のも、8か月も経つと忘れている。
……佐相の空振りを、安藤が押し込んでゴール、だったような。

さて、今節のアウェイ。

対戦相手の状況、心情がどうあろうと、とにかく自分の強みで勝ちにいく。

前々節、前節、なにかとイレギュラーなゲームだったから、(それに救われた部分も多いにせよ)、

いわて戦は、準備した策をまっとうすることに集中、それに尽きる。

おそらく!!、

登録メンバー、布陣(配置)は、ここ2ゲームとそうは変わらないだろう。

公式リリースされない程度の個々の好不調が背景にあるはず、とは思うが、

僕は、ゲームのキーパーソンは、村越 凱光、中村 仁郎と診ている。

ともに、アウトサイドハーフ(2列目)で、ボールをゴールマウスの中央へと運んでもらいたいポジションだから。

総体的に、ボールが落ち着けば、山雅が優勢にゲームを運ぶだろうけれど、

さりとて、絶対的な力量差はないし、優勢な側が勝つわけでもないので、

スキや、粗いプレイが、一本調子な攻撃の中に生まれたならば、

いわてが狙ってくるであろう、カウンター攻撃を見舞われることは必定。

単調、一本調子ではダメ、智恵を使え。

被カウンターだけは回避、または潰して、

執拗、粘着的により早くボールに寄せては、前へ前へ進む、その姿勢で一致せよ。

いわてに反則が多い(リーグ1位)のは、主義として荒いサッカーを許容されている(監督交代の相模原のように)からではなく、

本来、正攻法的にやりたいが、劣勢の局面におかれると、技量不足もあってたまらずファールを犯す、そんなではあるまいか。

こっちが怪我をさせられたらマヅイけれど、被ファールはきっと多かろうから、

それを、工夫したプレイスキックに活用する、そんなんでいきましょう。

飛び道具は、やはり、俺らの武器だから。

……ところで、ひとつの疑問です。

前節宮崎戦の野々村によるゴールですが、

あれの由来の定義とは、

〈セットプレイからの〉なのか?、〈クロスによる〉なのか?

はて、どこへいって調べたらいいやら?

では。

隣の芝は,青いかも。

或るエスパルスファンに、

昇格おめでとう、とメールしたら、

その返信。

―ありがとうございます、ただJ1で戦えるかは疑問。
レンタル選手が多いし。
反町氏に色々なツテを使って補強していただきたい。(原文のまま)。

なるほど、上がれば上がるで、次の心配の火種なのか。

ジュビロにしたって、

現在18位で、降格の残り2枠を回避しようと苦闘中。

鹿児島ユナイテッドは既に、1シーズン限りの2部からの転落が決まり。

愛媛が、ようやく、17位で降格を逃れた。

……他人様のことは、まぁ、都合よく視野に入れておいてだ、

山雅の人々よ、今はどんなでも、日々を楽しまないとね。

では。

いまさらポストモダンでもない,が。

それがなんでもかまわないが、ひとつの思想に世の全体が貫かれるような時代、

または。

ひとつの理論で世界を解釈できる時代は、

1990年近辺で終ってしまった、というのが僕の感想。

日本にあって、決定的だったのはおそらく、

中学生がやるような政権樹立ごっこを、やがては、社会を揺り動かしかねない毒ガステロ(1995年)にまで持っていけることが、リアルになってしまったこと。

それは同時に、マルクス主義の終わりも意味していて、

いまやその思想的展開など、地球上のどこにもなく、~主義と自己主張する国家が在るだけ。

日本共産党にしても、看板だけが〈共産〉であるに過ぎない。

そんなのは、綱領をさらりと読んだだけでわかる。

〈反戦〉〈平和〉、こんなのも形骸化して、もうじき死語だ。

……と威勢よくはじめてしまったけれど、

僕たちの日常生活だと、

ほとんどは、メディアとSNSから、

こっちの本当らしいものをチョコチョコ、

次に、あっちの快適らしいものをチョコチョコ拾い集めてきては、

それを周囲に配しては過ごしている。

小学3年生の口癖を借りると、〈都市伝説〉の収集とでもいおうか。

ただ。

他人を屈服させるような支配的な思想的見地を、誰れも持ち得ない世の中、というのは、僕には歓迎すべきこと。

乱暴にいえば、

ポストモダン(超近代)は、いつの間にか終わってしまい、早30年なのだ。

音楽にしたって、

当時は、過去への抵抗と反発だったはずのクラシカルな70年、80年代の曲を、

今、どう料理して(変奏して) 演ってみたところで、

〈今日の音楽〉そのものであって、僕の世代感からだと、

一種、幻聴みたいに耳にやって来る。

もちろん、それを楽しんではいますがね。

では。