終末の皮算用でもいたそうか (宮崎戦レビュウの向こう)

鹿児島戦のファイトを、100点とするならば、

宮崎戦のそれは、60点がせいぜいだった。

しかも。

以前に、これだと、5、6連敗もあり得る、と指摘したところの根本事情は、

依然カイゼンの兆しが見えていないので、

現状だと、どことやっても勝ち目が期待できないのが、ホンネ。

……としてしまうと、身も蓋もないので。

残り4ゲーム。

1勝1分け2敗で、勝ち点を 40まで積む、というのが、切なる皮算用。

 

小瀬では、ゴール裏からゲーム後、(温かい?) 檄として、山雅コールが繰り返されたけれど、

ゲームの出来からだと、

鹿児島で糾弾しておきながら、甲府の夜の激励とは、とても理解できない。

このことから、ゴール裏(応援の統率陣営)が、

いかにゲームを診ずして、感傷的、情緒的な反応をしているか、がわかる。

勝たせる応援、と言うならば、勝たせられない現実に関し、自省があってしかるべき。

 

以下、あるデータを並べる……、(対戦相手名の前の数字は、節をあらわす)

29 栃木SC  13 < 19 ☞ 11%

30 福島  8 < 15  ☞ 13%

28 金沢       9 < 20  ☞  30%

32 相模原   12 < 15 ☞  33%

33 讃岐        8  < 13   ☞ 31%

34 鹿児島   10  < 15  ☞ 53%

31 宮崎        5  <   9   ☞   44%

❶左に山雅のシュート本数、右に相手の本数。すべてで相手が多い。

❷☞ 右の%は、相手がゲームのラスト 15分間で、総本数のうちで放ったシュートの割合。

ただし、讃岐、相模原、福島、鹿児島戦については、山雅もこの時間帯で、遜色ないくらいのシュート比率だった。

……まぁ、こういうことです。

❶☞ ゴールの母数でこれだけ差があれば、必然、ああなる。

❷☞ この傾向は歴然なので、

宮崎戦プレビュウでは、終盤20分25分間は、ゲームコントロールのためにも、リーダーシップの存在は必要なり、と僕は指摘した。

指揮陣も、これはヤバい、と思ったんだろう。

ラスト22分は、康裕、林を投入、

さらに、80分過ぎには馬渡を送り出している。(これが、対策だっのだ、きっと)

やらないよりは良かったが、ただし、結果(=勝利)には結実しなかった。

宮崎戦は、(こっちの)シュート本数と、終盤の撃ち込まれの劣勢で、最悪。

しかも、手を打って、これだから、末期症状に近い。

こうも、シュート本数が貧しいのは、

こうしないと決してシュートを打たない、打たせない、との決め事があるのか、ないのか。

この貧打サッカーには、

まるで悪意(=サボタージュ)のようなものさえ感じてしまう筆者ではあります。

では。

無題。(2025.11.5宮崎戦レビュウ)

一度は追いつくも、その1分後に突き放され、そのまま……ジ エンド。

スコアは、1 – 2 。

晩秋の小瀬の趣きもあって、

なんだか寂しいゲームでした。

昨夜の準備と運営に携わっていただいたすべての皆様に深く御礼申し上げます。

 

……その場その場で、余裕もなしにあくせくやってるんですけどね。

定番的な、決め手、決め技を持たないサッカーは、観ていて辛いです。

対し、宮崎は、ツートップが、ここぞで、十八番のシュートを決め切ってますから、

究極は、その差が、勝敗を分けました。

まぁ。

今持てるカードと連携で、これから 4ゲームをマットウしましょう。

ここまで来たら、できない事をあげつらっても、要らぬ雑音に過ぎません。

数値的にプレイオフ圏内確保が消滅した途端に、

指揮官指弾のキャンペーンにいそしむような、

某新米(メディア)とおんなじに思われても心外ですしね。

ただただ、滝 裕太の怪我が心配です。

では。

忘恩の見苦しさを超えて。(宮崎戦プレビュウに代えて)

あれ?

今晩対戦する宮崎って、ヴァンラーレじゃあないし、グルージャでもないし。

それからやっと、テゲバジャーロが出て来て、大変に失礼なことをしているのだが、

すぐに思い出せないネーミングは、

やはり、どうにかならないものかね、と八つあたり。

ともかく。

こんな形容で申し訳ないが、我がチームには、悔いの残らないゲームを、と願うばかり。

この場合、ファン&サポーターにとっての悔いかどうか? は、ニの次の話でいい。

公式サイトの鹿児島戦の〈フォトギャラリー〉をみたら、

ゲーム後の挨拶の中で、ゴール裏観客から糾弾があったのか、

それに応えている大内や、黙して聞いている選手数人の姿が写っている。

だいたいが、2度は(ゴールの)歓喜を味わわせてもらっておきながら、

その恩義も忘れ、

頭を下げにきているチームに向かい、

こともあろうに、穏やかな会話もままならぬ場で、

負けた腹いせをぶつけている者は、一体、何様のつもりか。

だあれも、君らを、ファン&サポーターの代表に任じていないのだよ。

遠征費用の金返せ、とでも言っているなら、少しは、同情するがね。

 

山雅の公式サイトの責任者に申し上げたいのは、

言われっ放しの選手を見せるリアリズムをおこないたいのならば、

同時に、文句言ってる輩の、ヨシヨシしてもらいたい賎ましい姿をも、あからさまにすべき。

見せる価値もないのはわかるけど、なにごとも、フェアにいきましょうや。

 

……好きで、甲府くんだりまで参戦するファン&サポーターへの義理は差し置いてもいいから、

くれぐれも、自分(の価値)と、家族のために戦おう。

松本山雅の選ばれた戦士たちよ。

ひと言だけ。

ゲームラストの25分間で、ピッチに、インフォーマルなリーダーシップ(実質的キャプテンシー) をどう残すのか?、がポイント。

そこからさかのぼって、スタメンを編成でしょうね。

では、小瀬で。

惰弱を演ずる力。

惰弱(だじゃく)。

辞書をひくと、

〈意気地がないこと〉〈決心がつかず意思が弱いこと〉〈体力が弱いこと〉。

ま、好印象の文脈中では、決して使われないけれど、

一般的に流通している価値や評価について、うじうじと

まづは疑ってかかる僕にとっては、それほど嫌な言葉でもない。

80数年前、日本人全体が惰弱であったならば、あのように大風呂敷をひろげた戦いには没入しなかったろう。

その民に、敵への投降を禁じ、死ぬ決意を強要するような国家は、百害あって一利なしであるから、

いっそ滅びてしまうほうがよい。

事実、1945年8月15日に、それまでの日本は、ある部分で滅びた。

けれど、その滅び方が、他者、すなわち、主に米国都合だったがゆえに、

その滅亡をキチンと評価できず、いまもその後遺症で悩んでいる。

いや、その悩みを感じていないことのほうが、たちが悪い。

……横道に逸れた。

ジョー氏に、ポール ニューマンの出演作で、お薦めはある?、と訊かれた。

彼、〈ハスラー〉を観て、この男優に開眼したらしい。

― そうねぇ、〈評決〉〈明日に向かって撃て〉あたりかな、と応えたが、

翌日になって、〈スラップショット〉を追加した。

ほんらいならば、〈スティング〉を推すべきだったか。

どれを観ても、それほどハズレはないだろう。

彼は、逞しさ、と同時に、〈惰弱〉を、いとも自然に、スマートに演じられる役者なので、僕は好きだ。

秋(あるいは冬?)の陽光が差し込む法廷で、

陪審員に向かっておこなう、弁護士としての最終弁論の場面は、秀逸。(評決)

そうだ。

あの作品は、やはり、この季節に観ないといけない。

と、我ながら、わけのわからんことを言っている。

では。

良いファイトだった (2025.11.2 鹿児島戦レビュウ)

2点先行したものの、

ゲーム終盤に、三つ被弾して、2 – 3 の敗戦。

こういう負け方が続くと堪えるけれど、

たとえば、ルーレットの目が、

27、28と出て、次に、まさかの 29にきた、くらいなことで、

物事の継起になんらかの因果を求めるのは、間違っている。

 

村越、滝の、鋭敏なプレイによる複数得点は、グッジョブだったし、

スタッツのファールが、鹿児島とほぼ拮抗したのは、球際に強く迫る意識がチームに徹底されていた証拠。

さらに、安藤 翼のプレイの、安定した〈懐かしさ〉があったりで、

現在3位、リーグトップクラスの攻撃的チームとほぼほぼ互角にできていたから、

今季、上等クラス、かなり見ごたえのある好ゲームだった。

ただ。

鹿児島には、

ゲームを、同点にしてひっくり返す仕事を、必然のことのように行える、チームとしての根拠(方法論)のようなものがあって、

その部分が、両者の差であり、現状の山雅には、みられないが、

でも、そういう方式、格率は、手に入れたいね。

交代カードを切る時間設定はあるが、

残念ながら、ゲーム進行の時間管理はないとしたら、

唯一、チームに求めるべきは、

勝つためには、保険として、3点は先行しよう、ということに尽きる。

では。