もしも監督だったなら (栃木SC戦レビュウ❶)

60分を過ぎて、田中 想来を投入。

5 – 3 – 2、いや、より攻撃的に、3 – 5 – 2 へと布陣変更をおこなったのは、

疲れが出て、オープンなゲーム展開となる頃合いを狙った、

満を持しての作戦であった、と好意的にみるとしても、

登録のメンツからだと、林 誠道は 90分間使うのがミエミエなのですし、田中は(おそらく)エナジー満タンなんだから、

そして、僕からすれば、

今季の山雅は〈先行逃げ切り〉が現実的な選択肢なんだから、

ゲーム冒頭から、(ツートップで)やったらどうか?、とふたたび愚痴の繰り返し、ですわ。

事実。

栃木ディフェンスの疲労はともかく、

布陣の変更によって相手を振り回すことで、

攻撃のギヤアップと、ボール動かしの自在度は、あきらかに、高まったわけです。

……以上が、萬年のもしも、ですが、

北ゴール裏同志の、チノ氏の見解は、

(僕が監督だったなら、との前置きで)、

菊井は、(陣形が間延びしやすい?)後半になってから、投入する

来季も、早川氏がやるつもりならば、そこを見据えてもらって、

ゲーム前半は、

走って走って、ピッチをかき回せられるタレント。

つまり、佐相 壱明、前田 陸王を運用すべき。(その手法を定番化する)

まぁ、#10には、絶対的な価値を置いてるんでしょうけれどね。

……ゲーム後評価会は、こんな、ふたりの仮想指揮官としての談義となりました。

ツートップでやる利点は、フォワードの連携によって、相手ディフェンダーに背走と、マークにおける混乱を惹起できること。

さらに、左サイドを田中が走ることで、

菊井が、そのひとつ内側で、ボールを捌くことができること。

チームのクロス王とはいえ、菊井がサイドに出っ張ったら、中央での組立てができません。

さて。

……動画は、兄上のご冥福を祈りつつ、僕からのサーヴィスの気持ち。

あぁ、オーセンティックに、生成りで過ごしたい……。

では。

ゲーム終了の笛に間に合わず (栃木SC戦レビュウ 速報値)

後半早々に先制されるも、

早い時間で取り返した。

が、スコアはそのまま動かずに、ゲームオーヴァー。

1 – 1 のドロー

(先制点を献上すると勝てない山雅のマイブームは、継続中)

寄せが速く、しつこい。

相手ゴール前30m以内まで、サイドにボールを持ち込んだら、かならずクロスでやり遂げる。

……こういうのは予想どおりの栃木。

で。

失点も、クロスをクリアし切れず押し込まれたもの。(なだれ込んでくるのは栃木の鉄則ゆえに)

前半は、強風下(アゲインスト)に回ったこともあって、栃木は、ひたすらリスクテイキングを避けて、蹴り出しと、サイド侵食のサッカーに専念。

山雅も、それなりに対応するも、

不運にも、前半20分台に村越 凱光が負傷でピッチを去り、滝 裕太が投入される。

想定外のカードを切らされることで、

左にやらせたい滝と、やはり、左で仕事をしたい菊井 悠介のところのアレンジメントが曖昧になって、攻撃に、停滞感が生じた。

互いにサイドを替えるなどの工夫はしてたが、チームとしての連動に手詰まり感がでましたね。

それと。

攻撃の発火点となる菊井のところはつぶせ!、の至上命令でしょうから、

3人がかりでまとわりつかれれば、やはり、動きがなにかと厄介になります。

……速報的な総括としては、

前半はなんとか凌げた。

後半、セットプレイから同点にした後は、

配置の変更もかまして、こっちに流れを掴んだはいいけれど

あと一押し、それと、ゴールネットを揺らす完遂の不足。

惜しまれる勝ち点 1 になりました。

では。

パスひとつにも意思/意図を込めよ (栃木SC戦プレビュウ❷)

季節の覚え☞ 9/26 キンモクセイ開花、窓開けて楽しむ。

まづは、対戦相手の粗描から。

❶ディフェンダー(3バック)は、わりあいと固定的に運用。
対し、フォワードは(在籍も多いが) 2名がゲーム常連のほかは、ゲーム毎に、多人数を投入していて、競争下で、育成を狙っていそう。
☞ 守備の安定を図ったうえで、攻撃面(の連携)を常にリフレッシュする思想か

❷陣形の保持よりかは、攻守におけるボールへの寄せを重んずる

後方への素早い帰陣、
前方へは、手数少なく相手ゴールへと、ひた走っては、なだれ込む、そんな印象。

ドリブル回数は、リーグ第3位。

もちろん、前線プレイヤーが圧倒的多くを稼ぐ。

……ざっくりと、こんなだ。

小林氏(監督)=長嶋氏(ヘッドコーチ)の鉄板コンビだから

こちらがつけ入るスキなど、やすやすと与えてくれやしない。

ただ、リーグ戦を折り返してようやくフルスロットルの感じで、本来なら既にプレイオフ圏内入りしてる。(いまや目前です)

となれば、

こっちに楽観的な内容は少ないものの、

向こうが、格段に上質なサッカーでもないので、上手く(巧く)立ち回るだけ。

❶寄せの速さを逆手に取れ。(守備のこと)
自然の流れとして、こっちが繰り出すパス本数は、相手の 2倍になりそう(400本超)(=ボール保持がこっちに傾く)だが、

大前提は、縦にリジットな陣形を保持して、相手のロングパスを無効化。

リジットにすれば、それだけ、ディフェンスラインの後方は空くが、

だらだら下がったところで、処理しにくく、競走を強いるロングボールを見舞われるだけ、

相手はそれを狙っているのだから、

前線から連動して追い詰め、苦し紛れに打たせることで、ロングフィードの精度を奪えれば。

で、ドリブル対策。

サイドからおおく侵入されるはず。

だから、できるだけサイドへ追い払いたいが、必ず、ドリブラーの外か内側に、もうひとりが入って来て、ボールを受けるのが、栃木。

ここから、クロスなり、カットインに向かう。

ゆえに。

相手のドルブルが始まったら、横に 2つの守備ラインを形成して、サイドサイドへと押し出して、対処。

☞ こっちの頭越し、あるいは裏狙い、そういうボールと攻勢は、ストレスが溜まるでしょうが、ひたすら我慢。

ペナルティエリアの外でつぶしたい。

きっちりと陣形を固持するのは、栃木の間延び戦法に惑わされずに、

中盤のスペースを使わせず、山雅のプレイヤーが適切な距離を保つため
(でないと、効果的にパスを活かせない)

❷織り交ぜて、前を向かすな。(攻撃のこと)
パスは、相手を揺さぶるためにも、長短を織り交ぜたい(はず)。

その際、そのひとつひとつに、

前へ、左右に振れ、隙を衝け、裏を獲れ、時間を取れ、などの強い〈メッセージ〉を込めよう。

攻撃のビジョンが乏しいゆえの、とりあえずのパスは、相手の寄せにひっかかる。

逡巡とスキは、禁物ですぞ。

……以上、なかなか楽観的になれず困ったものです。

とにかく。

自分とチームメイトを信頼し、たとえミスが起こってもカヴァーしあえば、なんとかなりそう。

……と無責任で、ごめんなさい。

では。

我慢して道を拓こう (栃木SC戦プレビュウ❶)

タイトルを、

決して勝てない相手ではないにしよう、とも思ったが、

それだと。

少々消極的、かつ、筆者の嫌いな、気概論と勘違いされそうだからやめにした。

手を使えないサッカー特有の不安定さで、

得点も、失点も、〈たまたま〉起きてしまう(と思っている)

(観てる者は、後出しじゃんけんで、勝敗の因果性を語るが、

おおく、自分の心象の吐露、あるいは印象による推断、であることが実に多い)

ま。

どれだけ、その、たまたまなゴールを、

より必然なものへと高める準備をするか?、できることはそれくらいでありましょう。

要は、彼我、互いに技量において隔絶していないのであるから、

前もっての仕込み、現場での修正、それらの一切合切を賭けてやるじゃん、というお話です。

まさに、三か月前。

アウェイのカンセキでは、隙を衝かれた失点で、3 – 1 と敗れはしたが、

内容としては、決してぶざまでもなく、チームを労うべきな敗戦だった。

あれから 90日をかけた進化と深化、それを魅せてもらいましょう。

 

……ひっかかるのは、

宇都宮の夜、チームに さかんにBOOを浴びせていたアウェイゴール裏の非リアリズムの心理が、

土俵に足がかかった状況下、エキセントリックになってるか?、という点。

ただただ、負けて悔しいを、チームにぶちまけているロマンチストたち。

もちろん。

ファン&サポーターに我慢するとは切ないことだが、

……チームが我慢すべきはゲームでのやりくり。

それは、プレビュウ❷で。

では。

アマチュア菜園作業者の 憂鬱。

野や畑に入る者にとって、

なにが、不快で、鬱陶しいか、と言えば。

植物の多くが、鋭いトゲや、茨(いばら)を持っているということ。

茄子、きゅうり、オクラ、南瓜……。

そのヘタに、実の表面に、つるや葉の周辺にと、挙げたらまったく切りもない。

迂闊に触れて、微小なトゲが手にささろうものなら、

抜くのに手間取り、実に、厄介。

たしか、庭か畑で刺して、おととしは、どうしようもなくて皮膚科に行った。

……ふたたび、バイブル(旧約聖書) を引き合いに出せば、

人間が、エデンの園を追放された際、

神は人に言われた、

地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ。……とある。

人は、智恵を授かった代償に、自分の周囲でたやすく、トゲといばらと出逢うようになった。

これが真相でよい、と僕は思う。

なぜに、植物にはトゲやイガがあるのか?

巷間、書物には。

なぜなら、外敵(動物)から身を守ったり、モノに引っ掛かって成長するため、と平気で書いてある。

しかし、考えても御覧なさい。

植物に、防衛とか、他への寄りかかりとかいう〈意思/意欲〉を認めること自体が、

科学では認めにくい霊魂論であって、(☜ この部分は、機会あれば追補します)

全能者(=神)が、地を変えたという聖書の主張と、そうは変わらず、

そこを、僕らは、よく考えもせず、素通りしているに過ぎない。

では。