オルレヤ の嘘。

かと言って、いつも僕が、ウソを吐いているわけでもない。

対家人は、のぞくとして、

言動にウソをちりばめていると、周りの者に要らぬ混乱を惹き起こしてしまうから、どこかで踏みとどまっている。

思うに、根っからの正直者でもある僕は、

幼い児には、

❶自分を良く見せたり、❷取り繕う、❸他者を悪く表現する、このどれか三つをしたいがために、事実と違ったことを言ったり、言うべきことを黙してやり過ごすことはしないように、と教えるだろう。

これらで、一度ウソをつくと、次から次へと虚偽を重ねることになって、自分を窮地に追い込みかねない。

知らないことをは知らない、と平然と言う、これがいちばん。

事実と違うことを言うばかりでなく、

言うべき時に沈黙するのも、またウソであることは、家人からの教え。

で、先日。

お隣の庭を何気に見下ろしていた家人が、あらま、と呟いた。

どうも、我が家の庭から、種が隣地へこぼれたらしく、身の丈1mほどのオルレヤの一群が、いまや、盛んに白い花をつけている。

これはいかん、とお思いになったのか、自分の庭のオルレヤを、早速抜きはじめていらっしゃる。

こっちから侵入したことの証拠隠滅を図り、そして、このまま黙し続ける。

これは明らかに、不正直、つまり、ウソの行ないではあるんだが、

まぁ、いいか。

繁殖力が旺盛でやっかいとはいえ、それなりに美しく、花市場で売っているくらいだから、

と、僕は、共犯を決め込んでいます。

では。

〈清新な覚悟〉に立ち向かえ (SC相模原戦プレビュウ) 

― 山雅、ピンチですねぇ。

クレ君が、合うなり、こう挨拶してきたから、

―  ついちゃあ、次節はいよいよ、モモ氏にお出まし願うのよ。

そしたら、クレ君、モモ氏に向かい、

― 間違ってアウェイ側に座っちゃあダメですよ、と茶々を入れる始末。

姓名のうちの二文字を、松本山雅と共有しておきながら、不義理なことです。

でも、心配ご無用、チケットはちゃんと、ホームゴール裏で僕がお取りします。

ご招待はするけれど、チケット代を負担するようなケチなまねはしない僕のことだから、

QR発券で1枚入手、そのQRコードをモモ氏に転送して、後日、代金をいただく算段。

懸念された雨も、当日は回避できそうで、なにより。

さて。

山雅と、3部リーグ参入の同期生である、SC相模原は、

2023季に向けて、新監督に、戸田 和幸氏が就任。

昨季から、24人OUT、21人I Nと、プレイヤーを大幅に入れ替えた。

なにかというと、某クラブのような、なんとからしさを、といった、わかったようでわからん声が、あまり周辺に起きないのだろう、

大刷新のナタが振るえる、良きクラブ。

しかも、前節対琉球戦の、先発フィールドプレイヤー10名の平均年齢 23.5 歳

しかもしかも、5人が、Jリーグ初参戦、チーム2年目が 3人、1年目が 2人の内訳。

まさに〈清新〉。

大学出たての世代を、戸田監督が、その思う通りに指導、活用する。

(解説者時代の切り口から推察するに、プレイヤーとチーム心理を誘導することに長けているかも)

つまりは、チーム形成の創成期であるから、失うものもない覚悟こそ、在れ。

それが、ある意味、いちばんの武器では、あるまいか。

山雅は?、と言えば、

それより3歳ほど老けてはいるけれど、新しいチャレンジに取組中であるからには、チャレンジャー同士の決戦、との意気込みでいきましょう。

つまり、いかに自分流のサッカーを誠実、忠実にやり遂げるのか、そこを注視します。

自陣でのボール保持率がリーグトップでありながらも、ボール支配には、こだわらない相模原。

なので、前線からの追い込みでプレスをかけつつ、それと連動したコンパクトさで、相手によるセンターバック裏への飛び出しを抑止、これを一体化してやり続ける。

基本的には、サイドから攻略といった、鹿児島戦の戦法で良い、と思う。

相模原もサイドから侵入したいだろうから、そこでの攻防が鍵。

菊井 悠介と野々村 鷹人のレギュラーふたりが、カード累積で出場停止なのは痛いが、こういうチャンスをこそモノにしてもらいたいよね、他のプレイヤーには。

では。

平気でうそをつく男。

借りていた本を返そうと、図書館へ出かけた。

受付で本を差し出した時、うっかりしてポストイットを貼り付けたままなのに気づく。

― こういうことは、お止め下さい。

付箋によって書物が傷むかのように、司書の女性が、それを剥ぎとった。

― これは、申し訳ない、二度としません。

ポストイットを使ってやりくりする知的作業のほうが、たかが本そのものよりはずっと貴重だろうに、と内心思いながら、心にもない事を、平気で口にする。

つまり、これからもやめる気は毛頭ない。

歳を重ねると、こういうことを流せるようになる。

ジョージ オーウェル(1903~1950年、英国作家) によれば、

― 自由になんらかの意味づけをするならば、それは、他人が聞きたくないもないことを、彼に告げる権利、といえるだろう。

とすれば、あの司書の方は、その自由を行使したのであって、僕は、

その自由を尊重するフリをした、というに過ぎないわけか。

では。

たしかなる変化 (鹿児島戦レビュウ 終章)

最後に、対鹿児島戦を時系列でみて、この節のレビュウはお終いにします。

鹿児島ユナイテッドは、3部リーグでは、昨季から、監督、プレイヤーともに、メンツ的な変動が最も少なかったチーム。

対し、山雅は、主軸数名が抜けたが、なんとか昨季戦力を保持しつつ、監督以下首脳陣が入れ替わった。

相手が同じ路線を踏むチームであるからこそ、

過去3回の対戦を、3つのスタッツ(数量の) で追ってみると、けっこう、これが興味深い。

●  1 – 2 (2022.3.26 ホーム)
シュート 9   ☞ (鹿児島)  15
クロス  16   ☞  18
ペナルティエリア進入  7    ☞   12

●  2 – 4 (2022.8.14 アウェイ)
シュート 16  ☞  19
クロス  18    ☞   24
ペナルティエリア進入  12  ☞  23

●  2 – 4 (2023.5.28 ホーム)
シュート  18  ☞  15
クロス    24   ☞   11
ペナルティエリア進入     ☞   8

なお、ボール保持は、全試合で鹿児島に傾く

攻撃の指標となる数値が、3戦目にして、はじめて鹿児島を上まわるように動いた。

ここからも、山雅にあって、攻撃スタイルの作り込みが、着々と進んでいることは、あきらか。

あとは、前回で指摘したとおり、

ゲームの流れの機微を読む、ここぞの機転、要は、ゲームのイニシアティブを執る力を高めることが必要で、そこがまだまだ、ひ弱(マジメにやってるが、大胆さ、度胸などが不足)。

まぁ、しかし、結果第一主義の皆様には、なにを言っても通じない理屈であり、単なる言い訳でありましょう。

そういう御方はきっと、いままでの人生、失敗や挫折もなく良い結果だけを出されてきたに違いない。

では。

廃れてしまえ(願望)。

(季節の憶え☞アネモネ カナデンシスの 白い花が咲き始めた)

ずいぶん久しぶりに首都の電車に乗った。

あいかわらず、8割強の乗客は、ひたすらスマフォ画面を見続けている。

ひと度画面を開けると、投稿される記事、動画は溢れていて、それに付きあっていれば、時間は容易に過ぎてしまう日常だ。

このならわしをですね、保育園に通う頃から身につけてしまうのだからやっかいで、
チョッと覗き込むと、ゲームセンターで延々と遊んでいる会話だったり、飽食の限りをおもしろ可笑しく脚色したり。

大人向けだと、やたらとセンセーショナルに、自分の境遇を貶めて見せておいて、実は、動画でゼニ儲けを狙う、って手合がめだつ。

あるいは、各所から既情報をかき集めておいて、それを好奇心に訴える呼び込みで引きつける手法。

どれもが、程度の差はあれ、そこには、作画する集団の存在がうかがえるから、これは立派なビジネス。

となれば、それなりに根強い延命はしても、あと3年もすれば、見識に欠け、惰性をまわしているだけの動画は飽きられ、廃れるだろう。

残るのは、こういった新鮮な世界を魅せてくれるものだけでいい。

註:高度17,500フィートは、約53km。
ジェット機の航行高度は10㎞内外で、それを遙かに凌ぐので航空法にひっかからないのか?
昇るよりも、安全に戻ってくることに感動します。

では。