変化のしっぽ その❸(構成とメンツと決定機)

開幕戦結果お知らせの直後、サラリと、安東 輝の負傷離脱をリリースするとは、山雅公式も、タイミングを見計らっている。

残念なこのニュースを取り込みながら、今季追い求めるシステムと、そこへのメンツのあてはめに関するスケッチ、が今回。

❶布陣
センターバック2人と、サイドバック2人で形成する、4バック。

その前には、ボランチがふたり。

最前線には、3人が並び、
その後ろには、ボランチと前線をつなぐ格好で、ひとり(=菊井 悠介)が、かなり高い自由度を与えられて、そこかしこ動き回る。

― こんな陣形をもって、リーグ戦に突入だ。

❷メンツ
奈良戦の先発と、ベンチメンバーが、今の旬との見立てなんだんろう。

ゲーム中、
たとえば、前線だと、
榎本樹 ⇒ 村越 凱光の交代があって、

さらに、小松 蓮 ⇒ 渡邉 千真、(村越投入で左から右へサイドを変えた)滝 裕太 ⇒ 田中 想来 をおこなうことで、
相手の対応をむづかしくしながら、前線のセットを変えていくやり方。

― これは、今後も、踏襲されるに違いない。

衛星のように走り回る菊井は、やはり、実質#10を担い、

安東離脱によって、現在の序列第1位が、パウリ―ニョ&住田 将。

住田は、ゲーム中のミスは1回ぐらいか。
気の効いた位置取りも目立ったので、繰り上げ当選のチャンスを活かせ。

フリーキックのシーン、大卒2年目のふたり(菊井、住田)がプレイを仕切るシーンが、しっかりと変化を進行中の山雅の姿。

❸決定機は、縦方向の切り込みで
自分たちが率先してボールを動かすことによる決定的なシーン創出は、やはり、縦にどれだけ効果的にパスを通して、前線に渡せるかどうかにかかる。

ここらへん、まだまだ、パスのズレや、トラップの不手際があるにせよ、それにめげずに練度を上げるまでのこと。

ペナルティエリア近辺での受け渡し、突っ込みは、滝 裕太と藤谷 壮のラインが魅力を感じさせた。

また、センターバックから、かならずしもサイドバックを経由するのではなくて、

菊井、あるいは前線の3人のだれかに、直接ボールを入れるようなチャレンジ、相手の意表を衝いた工夫、そんなのも期待してます。

では。

変化のしっぽ その❷(ひとつの皮肉 を楽しもう)

〈堅守速攻〉という、サッカーではおおよそ、どんなチームだってそれをやりたいことがら。

それを、さも、チームカラーやDNAのように語るのはおかしいだろう、とは僕の前からの主張。

良く守っておいて、相手の防禦態勢の整わない間に攻撃をやり切る、という自明を、なぜ?、わざわざスタイルとして押し出すかと言えば、

そこには彼我の、我のほうに圧倒的な力量不足を補う、いわば、向かい風をなんとか凌ぐやり方を強調したいがためなんだから、

少なくとも、今の山雅とその周辺が、特に3部リーグにあればなおさら、十八番(おはこ) のごとく胸を張ることでもありゃしない。

それが証拠に、対奈良クラブ戦で露わになったことを見よ。

つまり、かつてないほどに〈攻撃的サッカー〉(この表現も、実は乱暴だが) にフォーカスする、要は、点を獲れるゲームをやる、と宣言したチームが、

かつてないほどまでに、最前線から基底ラインのすべてにおいて、すなわち、ピッチ全体で、

相手ボールホルダーに対してのディフェンスを、マメに、かつ、ねちっこく追求しているではないか。

この部分の献身性で、滝 裕太は、すでに、家人のココロをつかんだ模様。

攻撃的でありたいがゆえに、追い込みとボール奪取に傾注する

なにやら皮肉にもおもえる現象が、じつはサッカーの王道であるかも知れない

ということに、僕らはそろそろ気づき、それを正当に評価して支援する時季にある、というのが今回のお話であります。

では。

変化のしっぽ その❶ (2023.3.5奈良戦レビュウにかえて)

いにしえの伽藍の、そのひとつさえ楽しむこともなく、

スタジアムから徒歩で15分離れた駐車場利用におかんむりの家人を、

道の駅の、グレードアップ版のようなお店でのショッピングを活用しては、なだめつつ、

凱光のバック転を真似したわけでもないが、こっちは、いつもとおり、とんぼ返りの奈良行きでありましたけれど、

さて、ゲームは、

2 – 0  の勝利。

アウェイ3連戦では 2勝したい、が僕の胸算用だから、次戦に期待が膨んで、

これで長良川に参集する山雅ファン&サポーターの動員と高揚にもはずみがついたのではないか。

ゲームの出来として、PKの1点だけじゃああんまりだ、と思っていたので、

村越 凱光の、目の醒めるようなゴールで仕上げたことで溜飲も下がった、と言えましょう。

ロートスタジアム界隈には、

Jリーグ初参戦の喜びとワクワクが満ち満ちていて、ゲーム運営はいまだ、多く手探り、手作り感が否めずも、しかし、そんな身の丈風情がまた初々しく。

とは言いながら、スタグル店舗内容の良質はかなりのもので、

チーム強化に加え、これら周辺舞台が、より整っていけば、かなり有望な将来があるクラブ、という印象でありました。

 

で、山雅における変容の正体とは、なにか?

酷な言い方にはなるが、これだけの力量差があれば、ああ、あれをやりたいんだな、とわかるものの、そのクオリティの本質は、どうしても相対絵図の中にかき消えてしまう恨みがあるので、

そこは、これからのゲームを積む中で確かめていくとして、

まづは、相手がどうのこうのでないところでの、自身の変化の〈しっぽ〉を、ここでは、ご紹介。

これは、DAZN観戦では、決して目にできないことなので、

萬年が、特に強調しておきたい部分。

それは、ゲーム前の、ピッチ内練習の、仕上げ方に在った。

守備陣と、攻撃陣が半々に分かれる格好で、ハーフピッチの、全幅を使っての、実戦さながらのプラクティスなんであります。

従来は、2、3人がアトランダムに絡んでやっていたことを、組織だって(=チームとして) 繰り返す。

たとえば、攻撃だと、サイドからクロスを投入して、ツートップに見立てた? フォワードがシュートまで完遂する、といった流れを繰り返す。

こういう光景は、2019年当時、F.マリノスが採り入れていたのを想い出すが、

ほぼ実戦形式の、真剣と緊張による準備というのは、実に、好ましき、確かな変容ではありませんか。

では。

勝たせたい気持ちはわかるが その❷

二葉亭 四迷 (ふたばてい しめい 1864~1909)という作家がいた。

僕からすると、四迷こそ、日本の、近代〈小説〉のドアを開けた先駆者であって、

彼の目指した方向へとそのまま小説手法が進んでいたらおそらく、日本文学は、もっと豊饒な産物を持ち得たのではないか、と考えている。

作品を世に出すにあたり、まったくの無名であったがために、師と仰ぐ坪内 逍遥(つぼうち しょうよう 1859~1935)の名を借りてまでして、稿料を得る。

そんな奴は、くたばってしまえ、と自分を卑下したことから、その筆名を考えたなんてのは、人を喰っていて、すがすがしい。

8歳からおぼえた喫煙の習慣を、亡くなる前年(45歳) になってやめた、といったエピソードも好きだなぁ。

(最後は、朝日新聞露西亜特派員として、ロシアに渡航、その地で肺結核が悪化、帰途、ベンガル湾洋上にて客死した)

さて、四迷の『予が半生の懺悔』(1908年発表) の中に、こうある。

(前略) 其の結果、将来日本の深憂大患となるのはロシアに極まってる。こいつ今のうちにどうにか禦(ふせ)いで置かなきゃいかんわい ― それにはロシア語が一番必要だ。と、まあ、こんな考からして外国語学校(註:東京外国語大学の前身) の露語科に入学することになった。

元来自分が持っていた維新の志士的な心情が、〈樺太千島交換事件〉を契機に盛り上がったロシア排撃論に刺激される格好で愛国心が湧いた、と四迷は記しているが、

始まりは、煽られたナショナリズムだったとは言え、

すぐにロシア語の習得へと人生を転回するところに、リアリスト四迷の面目があった。

敵を叩くには、まづ、敵をよく知れ、という当たり前のスタート。

でも、こういった、研究心旺盛な姿勢は、それから半世紀もすると、日本のエリートからは消滅してしまった。

米国が、徹底的に日本を、その文化に至るまで調べ上げ、軍事作戦を遂行したのとは反対に、日本では、相手国の文化を一切禁制にするという愚劣さ。

そして現在は、果たしてどうなんだろう?

ひたすら露国を、快不快、好悪のレベルで見下したところで、リアリスティックな対処はできるはずもない。

では。

初心忘るべからず (奈良クラブ戦プレビュウ)

深緑  古都の空にも 聞きおらん 勝利の街を 我が地のごとく

明日の11時になれば、

いま絶好と思われるメンツ(登録メンバー) が知れることであるし、

13時のピッチに笛がなれば、

直に、やりたいサッカーも、その姿をつかめるだろう。

要するに、山雅の中で、なにがどう変じているかが解からん、萬年なんです。

ゆえに、ほとんど空白のプレビュウ、というまことに面目もない有り様。

 

〈初心〉とは、観阿弥世阿弥(『風姿花伝』) の語彙だと、〈技量のつたなさ、未熟〉を指しているらしい (と諸本では解説してある)。

自分の芸のクオリティをば、謙虚に受け止めて精進せよ、と言いたかったのだ、と。

チャレンジする我がチームとって、さしずめ、至適な言葉でありましょう。

さらに、対戦相手の奈良クラブにとっても、

Jリーグの初洗礼を浴びる、待ち遠しかった、まさに、歴史的なゲームであるゆからには。

では。