アドヴァンテージなど,ありはしない (PO福島戦プレビュウ❶)

リーグ戦で4位だったから。

つまり、福島(5位)に対して上位なので、我が方は、アドヴァンテージを持ってゲームができる。

…… なんて本気に思っているのなら、かなりオメデタイ。

せいぜい、アドヴァンテージは、POのホーム開催くらい……、

❶ゲーム開催の権利によって、山雅の、クラブ収益(入場料収入)にかなり好影響。
これでもかと、新グッズを展開する強欲な姿勢こそ、高く評価されていい。

❷遠方遠征がないから、チームへの心身と経済負担が軽い。……そんなところ。

❸僕らにすれば、

南ゴール裏の顔なじみと、師走になってもお会いできる、というのがボーナスみたいなもので。

アルウィンの熱い声援?

いや、違うな。

観る方の高揚感は高まるが、あれは、アドヴァンテージにはならない。

(データからしたって、ホーム勝率がアウェイに比べて優っていはいない)

むしろ。

(勝ちを獲れない)憂さ晴らし、とゲーム内容をよく診ないBOO。

取るに足らぬミステイクへの慨嘆。

……そんなものでチームの足を引っ張ている限りは。

特に。

チームが苦しい時、チームと不協和であったのに、

このところの連勝で、手のひらがえしに称揚し出した南ゴール裏に信が置けない以上、

アルウィンに参集するファン&サポーターのひとりとして、ホームアドヴァンテージなど語れない。

さらに。

アルウィン全体でいうと、相手の妙技や、きわどいシュート時の感嘆の声とか。

純真で素直、といえば聞こえはいいが、

相手の惜しいシーンには、ひたすら冷淡と無感心で報いてこその、ホームでありましょう。

このリーグにおいては、

山雅は決して、ホームジャックは出来得ない相談。

だから、

あたかも、アウェイにこれだけ大勢乗り込んだくらいの雰囲気をかもして観戦するのがよろしいのでは?

そのほうが、プレイヤーもきっと、のびのびとやれますよ。

で、ゲームそのもののポイントは、プレビュウ❷で。

では。

リーグ至上主義だと,眼が曇る。

競技である以上、

選手は、トップに近いステージでプレイしたいだろう。

山雅の戦士たちには、より上位のリーグで躍動してもらいたいと願う。

クラブにとっても、上位にいれば財政も潤う(だろう)、

また、なにかと露出度が上るから、そこを目指すに越したことはない。

ただし。

なにがなんでもリーグですべてが決まる、という〈リーグ至上主義〉に凝固するのは哀しいことだ。

サッカーの楽しさを味わえずに過ごすハメになるのでは?

数日前。

普段ならば観ない時間帯(朝7:00台)の、N〇Kニュースで、

プレミアリーグを、短く採りあげていた。

で、漫然と観るハメに……。

今節の、注目ゲームのピックアップがあって(三笘のゴールだったかな?)、

つづいて、とにかく世界最高峰と言いたいのか、プレミアムリーグでは、

これぐらい卓越したプレイがあるからご紹介、という感じのシーン。

でも。

観ていると、あれくらいの技量は、Jリーグでもけっこうお目にかかれるし、

我らの大内 一生だってやってるよ、なんですよね。

世界最高峰に間違いはない。

ぶっちぎりの放映権料収入、複数のビッグクラブ(お金)、どえらい選手年俸等々。

チャンピョンズリーグや、トヨタカップ(現在のクラブワールド杯)の成績も上々。

でもさぁ。

20チームがすべて上質でもなく、贔屓のチームでもなければ、興味を欠くゲームだってざら。

ビッグクラブのひとつ、マンチェスターシティは、最近戦績が湿りがちらしく、現在2位。

そこが、欧州チャンピョンズリーグで、フェイエノールト(蘭1部)と、ホームでやったゲーム。

結果は、0 – 3 のリードを守れずに、3 – 3 のドロー。

論調の多くは、追いついたフェイエノールトを称賛する格好か。

なぜならば。

シティーが断然格上(リーグ至上主義観点)であって、そこと引分けるなんざぁ、大したもんだ、という前提心理があるから。

でも、約3分間のハイライト動画後半の、フェイエノールトの逆襲の畳みかかけは見事とはいえ、

マンCの守備は、かなり自慢できないような出来ではありませんかねぇ。
処理のむづかしいボールの扱いだった、としても。(追加)

もちろん。

世界最高峰の守備の不出来をもって、

山雅の守備の出来映えを免ぜよ、という心算はさらさらありません。

ただ。

サッカーのお楽しみは、リーグでは決まらないと言いたいだけ。

では。

『大統領の陰謀』(1976年公開 米映画)

 

最近は。

ハリウッドも(邦画同様に)、アイデアが尽き、時代を鋭敏に反映する作品にも乏しい。

リメイクばかり、あるいは、いまさら、ゴジラでもあるまいに。

と、ロクに映画館に通うこともしない身分で、決めつけている。

時代を捉えるといったところで、

思い入れもできないような〈今〉ならば、無理してゴタクを並べたような作物も要らないかな。

さて、そう言いながらも、逃げ込める 70年代を身近に生きたことを良しとする身勝手。

さて。

作品の原題は、All the President’s Men (すべて大統領の手下)。

これは、All the King’s Men (すべて王の家臣 1949年米映画) のもじりで、

その頃の米国人には、政権欲にまつわる、告発的でドキュメンタリーな内容、との直感が働いたことだろう。

ニクソン政権の中枢が深くかかわった、民主党本部への、CIA工作員による盗聴侵入事件で始まった政治スキャンダル(ウォーターゲートスキャンダル)。

その告発の発端となったのはワシントンポスト紙の記事。

陰謀をあぶりだした記者らの仕事ぶりを描いた物語。

ですから、実話に基づくわけです。

事件の発覚が 1972年6月。

追い詰められてのニクソン辞任が、1974年8月。

そして、映画公開が、1976年4月(米国内)であったから、まことに素早い、タイムリーな話題作だった。

主演のロバート レッドフォード、ダスティン ホフマンは、実年齢40前後で、働きざかりの敏腕記者を演ずるに、もって来いの時季。

ただ、萬年視点では、むしろ!!、

ジャック ウォーデン(社会部長)、その上司役 ジェイソン ロバーズ(編集主幹)の演技に惹かれる。

ふたりともが60歳台で、この味わい。

こういうのを、渋い、という。(きょう日流行らないか)

制作元ワーナーブラザースが、告発記事の始まりについてやりあう、ポスト社内ミーテイングの場面を、

You Tube上公開しているので、それをいただく。

(たった10分間です、どうか、おつきあいを)

記者たちから記事原稿を渡され、足をやおらデスクに置くと、ズラッと走り読んで添削するのが、ジェイソン ロバーズ。

その原稿を主幹に手渡すのが、ジャック ウォーデン。

ロバーズが、スーツ(上着)をまといながら自室から出てくるところなんかは、芸が細かくて、

編集主幹のダンディズムを、さらりと描く。

これ、シャツ姿の部下と一線を画したい、というボス流儀の表現でもあって、

この些細な部分だけみても、優れたシナリオだ。

全体的に、役者に抑制した演技を求めているのがわかって、好感。

日本の場合、こういうテーマ、

やたら声を張り上げ、感情過剰な演技になりがちで、ウンザリです。

では。

リーグ戦とプレイオフの狭間で。

嬉しからずや 白鳥は  空の青海のあをにも 染まず戦う

……盗作を恥じて、度都々逸調にして味わふ、そんな至福も余韻と過ぎて……。

JFL(日本サッカー協会)の、プロサッカー選手の契約等々に関する規則。

その中の、プロ契約制度、1 – 8 契約更新の項、②の (1)には……、

1月1日から1月31日の間に契約期間が満了する契約を締結している場合、

リーグ戦が終了した日の翌日から5日後までに

クラブは、その所属選手に対し、新たな意思及びその契約条件を、文書によって通知しなければならない (文書の写しは、所属リーグに提出すべきことも)……。

つまり、昨日25日から、30日までの間に、

山雅の全プレイヤーには、来季契約の有無が、クラブから文書で通知される。

(期限を決めた規則なので、これより前に通知していることもあり得るだろう)

公式ページのスケジュール、昨日は非公開練習だったから、おそらくは、

そこで、来季契約に関する、なんらかのチーム内共有が図られたのではないか、と穿ちたくなる。

家人から聞いた、沼津戦会場にパウロが居た件、おそらくはブラジル籍プレイヤー契約についての報告のための来日。

いづれにしたって、個々のプレイヤーは、さまざまの思いを背負って、

プレイオフ対福島戦に臨むことになろう。

ゲームにとって、それが別段、どうこうでもないが、

そんな事情もアタマの片隅に置いて、アルウィンに居たい。

この時季、街に球団が在ることの、ひとつの感慨です……。

では。

システムがどうのこうでなく(沼津戦レビュウ❷)

読み返したら、プビュウ❶が、案外マトモ。

なんで、それに付け足すの、❷です。

タイトルは、ヒーローインタビュウの安永 玲央の言葉をそっくりいただいた。

究極は、そういうこと。

たとえば。

沼津だと、4バックとは言いながら、右サイドバック#3 が中へ入ってきては、#40 とダブルボランチの格好になって、ボールを捌く。

つまり、実質的には、 3バックでやっている時間が多かったわけで、

サイドにも張る #3の、考えてポジションを採れる思考と運動量は、かなりなもの。

これだけ観たって、サッカーは、システムどうこうじゃあない。

前半、山雅が苦慮したのは、その#3を、なかなか捕まえ切れなかったこと。

そこには、沼津の手法(頭脳)が、たしかに在った。

時折、#27を狙って鋭いロングボールを山雅の基底ラインにかましては、山雅の陣形を、タテに引き伸ばす。

特に、こっちの左サイド裏を狙った感あり。

そうすると、どうしても、こっちの中盤、ボランチのところが冗長になってスペースが生まれ、

そこを使って、沼津は、鋭くタテに、パスを前線に供給した。

それを可能にしたベースは、沼津の寄せと出足が山雅に優ったことによる、と思います。

さて、後半。

開始早々の、宮部のロングフィードが象徴的で、

前へ向かうボールを活かそうよ、というメッセージだった。

で。

高身長の沼津ディフェンス陣を背負ってのポストプレイもいいが、

もっと右サイドから、そのタッチライン際へ裏へと、侵入を図った。

つまりは、沼津の左サイドを侵そうとしていて、

それは同時に、やっかいな #3の孤立化も意味する。

……かように、ゲームの 3分の2 を耐えて耐えてから

村越に替えて、中村 仁郎を送り出したのが、ひとつの契機となる。

サイドからの崩しが効いて、相手守備に対し、突破口が開き、

ボールを先手で握れるようになった(全体的なポゼッション率約30%は変わらない)。

ゴールの匂い、ってやつ。

その後は、交代カードを切るにつれ、山雅の攻撃圧が増したのに反し、

沼津のほうは、

(メモリアル出場枠といえども) その部分では弱まったことも、いたしかたなかろうけれど、

厳しく言うと、中山さんは勝負師から、ひとつ引き下がったか。

(追加)☞もしも、沼津にとってPO出場がかかったゲームだったならば、違う采配になっていたはずで、それも、どうしようもないなりゆき、ってもの。

……以上、福島戦を視野に入れつつの談義です。

では。