伝説のはじまり? まさか。

おととい、早朝の食卓で。

― 名波さん、今度、日本代表のコーチに決まったってよ、と家人。

― ほおっ、そう?   と、返した途端、

(なぎらけんいち風だと)イヌ エッチ ケーが、

次は、スポーツです。

名波 浩、前田 遼一の両氏が、サッカー日本代表のコーチに就任することが発表されました、とやりだした。

…… 名波氏は、現役時代は日本代表として活躍、その後、指導者に転身して、ジュビロ磐田、松本山雅で監督を務め、云々……と、当時の映像を織り交ぜて、続く。

山雅に、またひとつのレジェンドが生まれる?、とは、大げさ過ぎるかもしれぬが、

松本山雅を指揮し、かつ、降格を味わった者はその後、日本サッカー協会にあって要職を獲る、というのもまた、面白いお話し。

〈山雅経由〉の大抜擢、とかなんとか。

それほどの人物を招いてきた山雅の首脳陣は、間違いなく優秀。

無能であるはずもない。

その手腕を、なにかと批判する向きもあるけれど、

その御方には、他人の成功をすなおに喜べないばかりか、むしろ、その失敗をあげつらう救いがたき自分の性根を、一度は点検することをお薦めしたい。

では。

ひたすら音を楽しむ、それだけ。

『You Are So Beautiful』は、

ジョー コッカ― (1944 ~ 2014) の歌唱が、定番扱いになっていて、カヴァーヴァージョンも、多くはそれをトレースしている。

けれど。

もともとは、ビリー プレストン(1946 ~ 2006) が、ブルース フィッシャー(1954 ~)との共作として、彼のスタジオアルバム (『The Kids & Me』(1974年))で発表した曲。

その歌詞の一節。

You are so beautiful to me、の〈to me〉がいやに効いております。

今回は、Lucky Chops で。

優雅、かつ、洒落たアイディアに溢れた演奏には、実にウキウキします。

では。

サッカーに,いい加減さを認めたうえで。

VAR(ヴィデオアシスタントレフェリー)が導入されるゲームだと、特に、ペナルティエリア内の反則は、厳格に採られるようになっている。

ただし。

もともとサッカーとは、かなり大ざっぱな反則認定、または、不認定が横行する競技であることを忘れてしまったら、マヅイと思っています。

たとえば、W杯スペイン戦における、三苫 薫のタッチライン上での折り返し。

精密な機器で測定すれば、たとえボールが1mm残っていてインの状態だったとは言え、ゲームの全局面において、そこまで厳密にやったら、ゲーム観戦や、愉しみ方から、余裕がなくなってしまうのではないか。

接触が実際にあったにせよ、どう見たって、力学的にみればあの倒れ方は不自然、かつ、大袈裟だろう、なんてファールが、ゲームではいくらでも採られている。

だからこそ、厳しいボディータッチ下であっても、そこを踏ん張って前へ進もうとする中田 英寿のプレイスタイルが、格別に麗しかったわけです。

ちょっとやそっとで、やたらプレイを止めさせない、といった厳しさは、スタジアムが、つまりは、観衆の反応によってプレイヤーに求めてもいいんじゃあないですかね。

オフサイドも、けっこう議論生ずる反則であって、
最近のプレミアリーグでも揉めている、とヤナさんから聞いたので、ここにそのハイライト動画をご紹介

それは、マンチェスターユナイテッド vs マンチェスターシティの、ダービーマッチで起きた。(第20節)

動画だと、01 : 50 あたりからのマンUの得点シーン。

オフサイドポジションにあった#10のプレイヤーは、結局、ボールに触れておらず、シュートを決めたのは、後方から走り込んで来た、#8のプレイヤー。

で、この得点は、認められた。

しかし、この場合、たとえボールに触らなくとも、#10の存在(駆け込み) が、対処しようとしたシティーの守備陣を走らせているわけだから、オフサイドだろう、という説も成り立つ。

素直に考えれば、これ、オフサイド(=誤審)だと思います。

ただ、これが、オンサイドと認定されるならば、こういうポジショニングを、ひとつの戦法として採用してもいいことになる。

たとえ、こういうプレイでも、楽しんでしまえなのか?

さて、読者諸氏は、いかがお考えになるや?

では。

どうする? 神戸。

ラ リーガ(スペイン1部リーグ)第17節。

レアル ソシエダ(ホーム)は、3 – 1 で アスレティック ビルバオに勝利した。

ダビド シルバからのキラーパスに反応した久保 建英は、ビルバオのディフェンダーを交わすと、チーム2点目となる、美しいゴールを決めた。(☞ DAZNハイライト動画はこちら)

これを観ると、久保がナショナルチームでいまひとつ輝けない理由は、彼を含め、けっこうなタレントが集められているものの、各個が、絶対的信頼感で使われていないことにありはしまいか?

つまり、チームとしてキッチリと彫り出されていない、そんな気がします。

さて。

(初代ダンスマネジャーは神戸からやってきたんだが)

ゲーム3週間前になって発表された、ヴィッセル神戸とのプレシーズンマッチ(2/4 土曜日)。

このゲームがセッティングされた経緯に興味は尽きないけれど、はて?、現地観戦、どうしようか?

ノエスタ。

ビジター席チケット価格は、3,000円。

いまだ、2013年10月の惨禍 ( 0 – 7 )を、心的外傷として持つ家人には、

現地行きの可能性をそれとなく匂わせてはいるのですが。

(まさか。神戸、あの大勝に、味を占めているのかいな)

山雅は、1次キャンプ(@串本町) 打ち上げ直後の、開幕までちょうど一箇月。

対し、ヴィッセルは、開幕まで 2週間。

双方、チームとしての仕上がりがかなり違うところへもって来て、当方は、キャンプで追い込んだ疲労もあることだろうから、ゲームに向けた調整など二の次だろうし。

ま、それでも、追ってトレーニングマッチも予定されているので、

チームの輪郭を造形していくひとつの過程として観るならば、それなりに価値があるだろう。

……などと、いろいろ思案の最中なんです。

では。

内容か結果か? を問うことのむなしさ。

― 内容と結果、その二兎を追い求める。

チーム山雅の指揮官が語った言葉。

まことに、ごもっとも。

というより、内容と結果、いづれかを獲るなんていう世界が、果たして本当に在るのかいな?、とつねづね思っています。

他にも、たとえば、量か?、質か?、といった二者択一論も、そう。

量を伴わない質などありませんでしたし、量は突き詰めれば、質に転化します。
僕の経験からすると。

願わくば、内容のサッカーとは?、結果を求めるサッカーとは?、それを、それぞれ示してもらいたいもんだ。

でないと、論評もなにもできないではありませんか。

素人目ではせいぜい、

こういうことを追求したかったんだけど、モノにできなかったゲームがあったり、すこしも狙いは果たせなかったけれど、ひょんなことから勝ちが拾えた、あるいは、負けを回避できた、そんなのが現実ではあるまいか。

観ている側からすれば、

サッカーとは、手が使えない以上、宿命的に、危うく、不安要素満載の戦いであって、

一体、なにをやりたいんだか?!、といった言葉が終始口をついて出てくるようなゲームでなければ、まづは、楽しめます。

それが証拠に、カネ返せ!!、と罵倒したくなるゲームは、かならずしも敗戦にあらず、です。

せいぜい、〈勝ちにこだわる〉で、いいんじゃあない?

では。