泣いて 済ませるいい男。

ジョー氏が、久しぶりに3部リーグの順位表をご覧になったらしく、

― 山雅、(7位は) かなりビミョーな位置ですな。

たしかに、踏ん張れるか否かで浮沈の分かれ目、といった状況を、なかなか巧く表現なさる。

― で、ギラバンツはもう、ね。

小倉(北九州市)っ子のジョー氏だから、ご当地チームにはすぐに目がいくんでしょうが、現在、リーグ最下位に沈んでいる。

こういう僕も、たまに、Jリーグ、全カテゴリーの順位表をみる。

2部リーグは、3分の1超を消化してくると、地力差がじわじわ浮き彫りになっている様相。

トップリーグだって、地力差は明白だけれど、ガンバ大阪が、最下位にいるのが目立つ。

直近の、第14節(5/21) vs 横浜Fマリノス戦は、0 – 2で敗れ、これで、とうとう5連敗。

このゲームでは、〈ガンバ大阪サポーター連合〉(ゴール裏応援における、各グループで構成される組織?)なるものが、(2季にわたるチーム低迷に関し)クラブに抗議するため、組織的な応援をしない、と宣し、観衆への理解と協力を求めた。

ゴール裏に陣取る集団が組織応援をしようとしまいと、それで、ゲームそのものが変質するわけでもないだろうから、どっちだってかまやしない。

ただ、ひとつだけ思ったのは、

自分たちの応援怠業(ボイコット)が、クラブやチームに対し、なんらかの影響を及ぼす、といった自信、確信は、どこから来るんだろう?、という疑問。

サポーターの顔色をうかがって、クラブ運営やゲーム進行をする世界がある、ということを信じるほどに、僕は純真無垢になれない者だから、こういった自信がうらやましい。

Jリーグ公式サイトにぶら下がっている記事によれば、
ゲーム後、プレイヤーらは、(最前列)サポーターとなにか話し込み、(激励を受けたかなんかで) 宇佐美 貴史が号泣した……。

かなりおおげさな紋切型書きっぷりであるにせよ、とにかく、号泣してみせたとは、

宇佐美もなかなか演技派であって、伊逹にキャプテンマークを巻いちゃあいない、と感心した。

では。

渇望、そして妄想。

国道20号線が塩嶺峠へと向かい、いよいよ上りがきつくなるあたりに、小坂田公園が在る。

ここに、新しく天然芝サッカー場を整備して、山雅のクラブハウスも併設された。

今後、定期的に? 山雅がトレーニング拠点として使用する。

で、その御披露目をかねて、5月21日、

vsマルヤス岡崎(JFL参戦) の、トレーニングマッチがおこなわれた。

リーグ戦が一週空いた日曜日、という日程取りだったこともあって、

山雅ロスを癒したい欲求も多くあったんだろう、1,000人をはるかに越える観衆がつめかけたらしい。

山雅に対する渇望が、これだけの人々を動かすのに、ふだん慣れっこになってしまった僕たちだが、

これ、やっぱり、尋常ならざる偏愛を受ける山雅、と受け取らねば。

で、練習試合のメンツについて、チームとしては、極力その詳細を秘匿したい感がありますね。

天皇杯、つづく第10節と、萬年視点からすると、かなり変則的、要は、本来的でない先発陣のやりくりが続く中、

それは、単なる特定チーム(長野とか)対策といった単純なことでなく、もっと根深い苦境、

違う表現をすれば、階段の踊り場的な停滞、という印象を受ける。

どうも、28日のレギュラーに関する青写真は既にほぼ固まっていて、

トレーニングマッチの先発は、当確線上、あるいは、登録に向けてプレイの出来を確認したいプレイヤーであったのか?

28日午前10:00、スタメンを覗くのがかなりしんどいのは、僕だけではないはず。

では。

初夏の雷鳴に。

この前の月曜日、午後4時頃、僕は庭先に居たのですが、

暗い雲が西方に湧き出すと、少しの間、雷雨が当地を見舞った。

後日、職場のモモ氏によると、塩尻では雹が降ったらしい。

この夏、僕が、はじめて聞く雷鳴。

……家人にうながされて家に戻ると、季節がら、この曲を、聴きたくなった。

『Thunder Road』(1975年発表)、ブルース スプリングスティーンの作詞作曲。

自身3枚目のスタジオ アルバム『Born To Run』の冒頭曲だ。

最初に置かれるからには、製作者の、それ相応の気持ちが込められた、と考えたい。

……、季節は 6~7月。

ロイ オービソンは寂しい人に向かって唄っている。
俺もそのうちのひとり。
そう 決して、ヒーローじゃあない。
けれど、俺たちは勝利するために、この敗残の街から出ていくんだ
さぁ、雷鳴の道を疾走して

……と、ハイスクールを卒業したばかりの恋人を、自宅まで迎えに行くと車の助手席へと誘う、そんな歌詞。

今回は、メリッサ エスリッジ (1961年~) が、COVID-19で、Stay Homeを余儀なくされた当時、自宅で、ひとり演っている動画を見つけてきた。

メリッサは、ハイスクール時代にスプリングスティーンに影響を受けて、歌い手を目指すようになったから、ロックンローラーとしての、自身のアンセムみたいなもんですな。

余談ですが、松田 優作 (1949 ~1989年)もスプリングスティーンを好んで聴いていたとか。

なお、時間の惜しい方には、6:30頃から歌が始まるので、そこからを。

では。

無題。

ほぼ麦秋の候。

麦秋も近い季節。

小津 安二郎の撮った作品では、

カメラは、人の腰からすこし下の高さに、ずっと固定されていて、

役者は、そのフレームの中を、

右から左へ、あるいは、奥から手前へと動いて演技する。

封切られた当時、それを観た日本人は、作品に描かれたことを、どのくらい身近、というか自分たちの生活に近い、と実感していたんだろうか?

めったに声を張り上げもせず、極端な生活を過すこともなく、そこには劇的なドラマもない、そんな生き方を。

昔の作品に触れるたび、最近は、そういうことがヤケに気にかかってしかたがない。

では。

追悼 ノッポさん。

高齢化社会であるから、訃報は身のまわりに満ち満ちて、そのひとつひとつに思い入れしている暇もないくらい。

けれど、

ノッポさん (高見 映) の死は、こころにグッ、と来るものがある。

享年 88。

教育テレビの、工作番組で、無言で演技していたのを、なんとはなしに観たおぼえしかないんだが、

家人に、

氏が、爪に(透明の)マニキュアをしている、と聞かされ、なかなか配慮ある御仁と思ったことがある。

観る者の視線は、彼の手もとに集中するんだもんな。

逝去が判明したのは先日だが、実は、昨年の 9月10日に亡くなっていた。

死はすべての人間に訪れる自明のものであるから、自分の死で周囲を騒がせることはしたくない。
自分はひっそりと逝くので、半年以上の時が流れるまで死は伏せるように、が故人の意思であった。

そこで、ご遺族は、誕生日5月10日のタイミングを見計らって公表した。

最後まで、配慮をつらぬいた人生……。

では。