リーグ戦 折り返し前の算段とは (いわて戦レビュウ❸)

いわぎんスタジアム参戦の京子さんから、わんこそばを何杯いただいたメールが入ったりしてましたが、

では、その、いわて戦からの学びは?

ひとつめ。

4~5月の、2連敗 × 2度。

これ、振り返れば、チームとしてかなり厳しい試行錯誤の渦中だった、
とは言え、修正の、ありがたいチャンスをもらったと考えるべきで、

既に、鹿児島戦(5/28 敗戦)で、復調と改善/進化をみせていたし、6月は、上手く立ち直ってみせたと、僕には映る。

で、いわて戦は、リーグ戦を40%消化する時点で、チーム戦法と容貌(メンツ、配置)に、メドが立ってきた中での、

もしも、疼痛に譬えれば、〈痛み〉が局限化してきて、更なる寛解に向けて手を施しやすくなった中での、ほんの足踏みひとつ、と僕は診ますね。

治療の方向性に、狂い、迷いが減じつつある、といったらホメ過ぎでしょうが、

要は、このメンツを最大活用してやるしかない、という覚悟のデッサンが描けてきたように思います。
(霜田サッカーには、個人技量の尊重、という要素は、かなり顕著です)

ふたつめ。 

今季、敗れたチームを、反則数の切り口で並べると……、

長 野   ☞  219 (ワースト 3位)
鹿児島  ☞   209 (同 6位)
富 山  ☞   205 (同 7位)
盛 岡  ☞   201 (同 8位)
沼 津  ☞   192 (同 10位) 

……、もちろん、サッカーのすべては、反則だけでは測れないが、リーグで、いちばん反則を犯さない山雅(157個)からすると、

この指標は、対戦相手に関する見積りをする時、かなり参考になります。

2022季の山雅は、反則数集計で、少ないほうから第6位、
今季は、さらに減っていて、攻撃を本道とするスタイルへの移行が進む。

他方、長野は昨季ワースト第1位で、今季も堂々の3位(現在)ですから、2季サッカースタイルは一貫していて、後半戦でやる時のヒントは、明確。

で、これからの4節の相手を、同じやり方で示せば……、

愛 媛  ☞   232 (ワースト 2位)
琉 球  ☞   214 (同 4位)
福 島  ☞   160 (同 19位)
八    戸  ☞   172 (同 18位)

ですから、愛媛、琉球との2連戦は、

〈強度〉面で、格段のアラートが発せられ、かつ、それを克服する手法、配置(メンツ)を、準備しましょう。

ついでに、福島には、ロングカウンター対策、八戸には、ショートカウンター(右サイド)対策が、用意されるはずです。

では。

実直に向き合うだけ (いわて戦レビュウ❷)

第15節にあって、

プレビュウでも、レビュウでも、僕が〈強度〉にこだわっているのは、

チームスタイルからであれ、技量の不足を補うためであれ、対戦相手の(累計)ファール数、あるいは、反則ポイント(もらったカードの多少)が、ゲームの様相に、色濃く影を落とすから。

いわてグルージャ盛岡の場合、

反則ポイントが、リーグ2番目に、高値。

また、反則数が、リーグ8番目に、警告数は、リーグ3位タイで、多い。

こういうデータがある以上、

そこと対峙するには、守功両面にわたり、強度で劣ることなく、かつ、被ファールによってリズムを崩されることのないように立ちまわらねばならない。

結果からすれば、相手の攻撃強度、つまり、突進精力に上手く対応できずに、失点し、
それなりにボールを動かせはしたものの、肝心の決めどころまでやり切れなかった、と言えましょう。

山雅の被ファール 19、とは、第10節対長野戦 の、同22 に並ぶレベルであって、さらに、盛岡に出されたイエローカードは 5枚となれば、是非はともかく、そこには身体を張ったバトルがかなり在ったわけです。

では、どうするか?

強く向かってくるサッカーを、すべて軽くいなせるほどの技量にある山雅でもないので、

どうやったって、真っ向、愚直、実直に競り合い、ボールに執着し続けるしか道がない。

(交わしてしまえるテクニックが皆無、とも思ってはいませんが)

つまり、あくまで、強度とスピードで上まわること、が山雅の活路なんです。

ファールによってかんたんには倒れない体幹、ファールを受けずに走り抜けられるスピード、そういったもので局面局面を支配する、

これはどうしても、残り23ゲームの 肝でもありましょう。

さて、レビュウ❸では、おんなじテーマが続きます。

では。

目醒めるのが (2023.6.24いわて戦レビュウ❶)

ゲームに入ってから、20分ほどかかってしまった、という感じでしょうか?

0 – 1 の敗戦。

先制されたのを挽回できずに、そのままタイムアップ。

自分流儀でやろうが、割り切って対策的に相手につきあおうが、山雅が、ゲームをまっとうするには、強度(インテンシティ)とスピード、これを忘れてしまうと、ひ弱さが露呈してしまう、といった教訓が得られたゲームでした。

開始早々から、盛岡はアクセル全開で、前へ前へと来て、左サイドをフル活用、

それが実ったのが、左からのクロスに飛び込んだ、16分のゴール。

マジメでなかったわけでは決してないが、相手の勢いを断ち切れずに、20分ほど手こずる間の失点。

その後は、交代策もすばやく、テコ入れも奏功、

ゲームの8割方は、ボールを動かして攻勢に出るものの、ペナルティーエリア近辺を、ガッチリと守備陣形で固められると、それを崩すのに苦労して、

シュートに持っていけるような、オープンスペースを創り出す工夫に足りなかった。

たとえば、前半46分。

常田が振り向いて打ったシュート(枠外)などは、決めたい気持ちがわかるんですが、あれは、ゴールに向けった体勢の榎本にバックパスすれば、もっと有効なシュートチャンスだった、と思います。

つまり、スペースをつくっておいて、良い体勢で打てるプレイヤーに打たせる、といった連携があるべきで、

今後、守備を固めて逃げ切りをはかる相手とやる場面では、絶対必要な要素。

……15節までやって、

❶強度と守功反復のスピード
❷人数がそろった相手守備をどうやって崩すのか

……これが、課題として残り続けました。

特に、❷は、ボールを握るサッカーをやりたければ、避けて通れない。

では。

成功例か? 哲学か? (いわて戦プレビュウ)

Jリーグに参戦するチーム(現在60)すべてと対戦した、史上初のチームは、松本山雅であった。

……という歴史的な!!日が、まさに今日。

ですが、そこはあくまでサラリ、と指摘しておいて、

さて、グルージャ。

無念にも、上位リーグから一年で陥落し、それなりの手を入れて今季戦っているのでしょうが、2部での苦闘を経れば、チームの成長もあったはず、と思いつつ、

前節、ホーム富山戦(1 – 2 の敗戦)を、前半25分くらいまで観返した。

強く印象に残ったのは、リーグ屈指の、高い技量を持ったプレイヤーを有する、ということ。

キャプテン田代 真一(センターバック)の、状況を読む落ち着き、
李 栄直(ボランチ)の、汗を惜しまない運動量、
新保 海鈴(左サイドバック)の、突進力、
和田 昌士(シャドウ)の、スピードとテクニック。

チョッと観ただけでも、これだけのタレントに目がいく。

そのサッカーを、ざっくり言えば、

質の高いプレイヤーを揃えたうえで、
自陣ではあまりチンタラやらずに、素早く相手陣内に進入すると、パスワークやサイドチェンジを駆使して、手早くシュートまで持ち込むスタイル。

で、これに対し、カターレ(勝者)は、盛岡サッカーをかなり不完全燃焼にさせた。

その方法とは、

富山陣内にあってひたすら、グルージャにボールを持たせない、繋がせない策を徹底した。

つまり、自陣でボールを獲ると、前線のフォワードと連動するタイミングで、ズバンと、縦にロングボールを入れる。
これは主に、今瀬 淳也(センターバック) が受け持っていた。

こうなると、頭上を越えて、やりたい攻撃をひっくり返される格好になるから、盛岡は、自分たちのリズムをなかなかつくれない。

それでも、徐々に、左サイドに展開して、新保を走らせると、クロス投入によってチャンスを創り出してはいた。

ゴールすべてが後半に生まれたので、僕のは、スコア0 -0 時の 感想ですが、

山雅がグルージャとやるヒントは、ありがたいことに、カターレが教えてくれたのではないか。

つまり。

山雅陣内では、グルージャに、自由にボールを動かさせない、これに尽きます。

これは、なにも守備面に限る話ではなくて、

現山雅流サッカーからすると、かなり高い位置から攻撃のスイッチを入れ続けることが、大前提でありましょう。

そして……、

❶グルージャの前進を、できれば、中盤より前で断ち切る。
クロスまで持っていかれると、クリアしても、コーナーキックの被弾が待っていて、盛岡はセットプレイからの得点が多いから、リスクが深まる。

❷山雅の最終ラインからボールを動かす場合、パスワークでいくか、あるいは、富山がやったように、ロングフィードを多用するのか?
対今治式、あるいは、対讃岐式、どちらを採るか?

この2点につき、チーム意思統一を徹底すること。

僕としては、自陣からボールを握り続け、真っ向から、盛岡を上まわる強度とスピードを保つことで、山雅の哲学を追求してもらいたいのですが。

では。

あこがれの。 (いわて戦プレ・プレビュウ)

あぁ、あこがれの地、岩手よ。

なんですね、僕にとっては。

できれば現地参戦、とは思いましたが、

そっちのほうは、アウェイツアー参加の京子さんにお任せするとして、

今回の対戦を前に、こころを彼の地へと向けたら、たまらずに、

盛岡出身の作家、石川 啄木 (1886~1912年) の歌集『一握の砂』(1910年 刊行) を、駆け足で再読してしまいました。

短歌形式の中で、際どい抒情をおこなおうとなったら、百年前は、こういうのがモダンだったんでしょうか。

よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の右手(めて)のあたたかさかな

ここに、どの程度の虚構(ウソ)が紛れ込んでいるかはともかく、ぎりぎりで上品さを保つ表現が、憎い。

こういう美点は、同年生まれだった、萩原 朔太郎(1886~1942年) の詩には、残念ながらありません。

で、かの宮沢 賢治(1896~1933年)も、やはり、岩手(花巻市)のご出身。

なんとも贅沢な、郷土の文学者たち、ではありませんか。

僕が、青森市の親族を訪ねるのはだいたいが、夏の8月。

帰途は、東北道をひたすら南下するんですが、季節がらか、右手に仰ぐ岩手山は、いつも、頂上が雲の中。

通過する度に、ここらのインターで降りて、イートハーブの風土を味わってみたいものだと思いつつ、いまだ果たせず。

でも、考えてみれば、

今回参戦したところで、自宅 to スタジアムの往復のみで終わり、

盛岡冷麺さえ、楽しめなかったんでしょうがね。

では。