こころ晴れた 雨の夜 (2023.7.01愛媛戦レビュウ)

前半35分に退場者が出て、ひとり少ない不利なゲーム。

後半10分に先制されて、もっと困難にはなったけれど、

追いついて、1 – 1 のドロー。

勝ちに等しい引分け、といった安堵感。

けれど、追加点のチャンスはけっこう作れていたから、勝てたゲーム、と悔しがらなくてはいけないんだろうなぁ。

数的優位の愛媛が、ひたすら左サイド攻撃に専念してくれて助かりました。

左から、ひと手間かけて右へ展開され、守備が振られた結果、中央が空き、そこから打ち込まれたら、とヒヤヒヤでしたが、

強みへの固執が、裏目に出てしまった愛媛、としておきましょう。

それと、後半になって足が止まったのは、数的に苦しい山雅でなくて、愛媛のほうだったのも、こっちにゴールが生まれる伏線でした。

今月末には、アウェイでこのチームと再びやるんですけれど、

フツーにやれば、どっちに分があるか?、は観ていて納得され、ある意味、いい準備となった、と前向きに考えたい。

……、で、このゲームから学べた重きこと、ふたつ。

❶苦境に立たされた時こそ、チームの真価が問われるし、そこを切り抜ける智恵と技量を発揮するチャンスである、ということ。
山雅のプレイヤーすべてが、それを体現していました。

❷苦しいゲームを挽回しようと、スタジアムは一体になれた。

どうでしょうか?、観戦者のココロがチームを後押しすることでひとつとなれた、ワンソウルが戻ってきた、そんなアルウィンだった。

スタンドの誰ひとりとして、諦めていないのが解かりましたから。

逆境がむしろ、チーム山雅の真価を魅せつけてくれた、そんな、強雨の夜に感謝しています。

では。

現実的サッカーに対処する?(愛媛FC戦プレビュウ❷)

本日は、ずっと雨予想。

となれば、とにかく、出来る限り、良いピッチコンディションでやらせたい。

せいぜい、雨しぶきの中、一平芸を楽しもう……。

山雅公式は、トレーニングマッチの画像に、隠れたメッセージを込めることが多い。

先日は、松本大学とやったようだけれど、
#7ルーカス ヒアンが写り込んでいたから、きっと、実戦ができるまで復調した、という情報提供、と僕は勝手に思っていて、今節、登録されれば面白い。

滝 裕太とのポジション競争、となろうから関心が湧く。

で、愛媛FC。

前節、ホーム相模原戦を、開始20分まで観たが、

ひと言でいうと、ボールを手にしたら素早く速く前へ、そしてシュートまでを完結する、骨太なサッカー、という印象。

石丸サッカーは、極めて現実的。

かつて、愛媛は、スパッ、スパッとパスを小気味よくつなぐ洗練サッカーをしていた記憶がある。

が、今や、そんなスタイルとは手を切って、中途半端なボールが行き交いするシーンにも倦まずつきあう、リアリスティックな流儀。

森下 怜哉(センターバック)から、ロングボールが前線に入りもする。

システム 4 – 4 – 2の、ダブルボランチには、森脇と矢田の、ヴェテランセット。

ツートップは、松田、ダンカン、となれば、布陣、メンツ的には極めてオーソドックス、ではありませんか。

相模原戦を観て、意外だったのは、〈強度〉には、かなり欠けることだった。

攻撃の鋭さは、相模原のようがよっぽど活きがよくて、2 – 1で愛媛がゲームを獲れたのは、どうだろうか、詰めにおいて相手より優った、のでは?、と思う。

つまり、愛媛の強みはおそらく、決定的シーンで決め切る力に違いない。

なので、愛媛のツートップが、山雅の最終ラインを追い込んでおいて、回避的に出されたバールを奪取、反転攻勢をかけて、仕上げまで一気に、そんな狙いでくるように思う。

山雅は、プレッシャーをおそれず、相手をはがすような速いパスでボールを前へ動かし、サイドを多く使ってペナルティエリアに侵入したい。

されば、やっぱり、下川、宮部(藤谷)らのサイドプレイヤの奮起に期待。

対処するよりは、あくまで自分流儀を貫く、で行きましょう。

では。

#14 フォーエバー (愛媛FC戦プレビュウ❶)

JFL当時。

僕が最初に覚えた山雅プレイヤーは、

その名前も知らなかったけれど、とにかくあの、背番号#14 だった。

左サイドを全力で駆け上がり、そして、戻っていく姿。

それがココロに響かないはずもなかろう、と今でも思う。

今節、対愛媛FC戦後は、玉林 睦実、いや、もはや、さん付けかも知れんが、

彼の引退セレモニーが予定されていて、

それだけでも、アルウィンに向かう価値がある、ってもんだ。

ゲーム内容にしたところで、愛媛左サイドと、山雅右サイドの攻防がポイントのひとつだろうから、

山雅の左サイドで働く者たちは、いつも以上に、熱く、強く、倦まずに、上下行ったり来たりを繰り返してくれるはずだ。

特に、下川 陽太。

彼は、2019シーズン、玉林とは、愛媛FCでチームメイトだったご縁があるのだから。

では。

追悼 ティナ ターナー。

1960年代から70年代にかけて、世にその存在を知らしめ、

その後も、80年代を経て、21世紀に入ってもなお、フロントラインで仕事を続けたシンガーたち。

その訃報が、このところ相次ぐものだから、けっこうメランコリックに効いてくる。
(これからも、ますます、そうだろうし)

ゴードン ライトフット (1938~2023.5.1)は、84歳。

ティナ ターナー (1939~2023.5.24)は、83歳で、次の世に旅立った。

言葉多く、あれこれと称賛するのはやめて、今はただ、在りし日の演奏に浸りたい。

ウエンブリースタジアム(@イングランド)でのコンサート(2000年)。

ティナは、当時おんとし61歳。

歌唱やダンスの衰えを補って余りある、抑えどころを熟知したパフォーマンス。

こんだけ演るんだから、やっぱ、真正ロックンローラーだよね

では。

モグラ戦記 2023。


(タチアオイ 6/24開花)

『ガリア戦記』は、

ユリアス カエサル(B.C.100~B.C.44)その人が、
ガリア戦争(B.C58から7年間) について記述した書物。

指揮官として、(現在のフランス) 遠征における戦況を、元老院に報告する体裁と目的だったらしい。

ところで、6月の、10日間ほど。

萬年は、我が庭へのモグラの侵攻(遠征?) に苦しみ、楽しまない日々でありました。

そう、哺乳綱、真無盲腸目(しんむもうちょうもく)、モグラ科の、あのモグラのこと。

相手はおおよそ地中に住んでいるから、実物を見たことはいままでの人生に、一、二度くらい。

今回だって、姿を現さない相手との、2週間弱のバトルであった。

夜昼かまわずに、庭のあちこちを、縦横無尽にトンネル(モグラ塚)を掘りまくり、途中、地上をうかがったのだろう、ところどころに穴を残す。

坑道にそって、植栽の根元が浮き上がってしまったり、庭土がボコボコと見苦しい。

さて、どうしよう?、となって、

モグラは駆除(=殺害)してはいけない生物であることをはじめて知る始末。(駆除には、行政の許可がいるらしい)

ゆえに、日本では公けには、モグラを殺生する商品は売っていないのです。

― なに、自分の庭の中でやることなんだからさ、黙っていればいいのよ、

と家人に励まされ、無い知恵を絞り、殺害までを視野に入れ、拙宅から退散してもらうべく、いろいろとやった、その試行記録は、ざっと、

●地中への振動策 ☞ ホームセンターにて、単一電池4つで、間欠的にブルルンと振動する筒状のものを購い、2箇所に埋め込む。(案外高価なので、2つのみ)

●火攻め ☞ 車載用の発煙筒を買ってきて、これに着火、トンネル出口の穴から突っ込んでみる(2回× 5分間燃焼)

●水攻め ☞ トンネル出口の穴へ、水撒きホースから、大量の水を放射する (出口が水で満たされるまでひたすら注入)

●音攻め ☞ ペットボトルを利用した風車を8本、トンネルの上から突き通すように設置、風が吹くとカサカサと回る、ファーマーズガーデンで、ひとつ 100350円也。

●同じく音攻め ☞ 盛んに威嚇し合う猫の鳴き声、または、ネズミが嫌う周波数の音を、YouTubeから録音し、それを、機会あらば、坑道に向け再生した。

●ヤス攻め ☞ モリとも。フィッシング用の魚突き(四又)を、盛り上がったトンネルの真上から、端から端までを間隔狭く、突き刺して歩いた。
(ただし、手応えや、切っ先への血液の付着は、認めず)

……、以上を、我ながら熱心、かつ、残酷に繰り返したのですが、人件費、交通費は別として、投下費用は、おおよそ、13,000 16,000円前後。

で、なにが奏功したのかは、モグラに訊けないために不明なるも、

昨日まで5日連続で、新旧トンネルの掘り返しの痕跡が、まったく認められなくなって経過中。

まさか、モグラ殿、庭のどこかで天寿をまっとうしたとも思われませんけれど、

この防衛と反攻戦から、私が得た教訓とは、

対モグラ戦においては、彼のメンタルヘルスを損なうこと、その一点に集中特化すべき、これであります。

今後、庭の修復は、コマめにやっていくとして、8本のカラフルな風車は、しばらくの間、そのまま立てておくつもり、悪趣味ですが。

以上、ささやかな戦記ひとつでした。

では。