奈良に立ち帰れ (FC大阪戦プレビュウ序)

枕の話として、

長野パルセイロの監督解任と、新監督の就任。

どちらのニュースも、夕方のHNK長野版を観て知った家人が、教えてくれた。

前監督については、えらい剣幕で審判団を罵倒しまくる、が僕の印象。

そういうのは、責任のないファン&サポーターに言わせておけば?

で、次に、そのサッカー論。

2列目にカードを多く並べておいて、敵陣の深い位置までボールを運んだら、大人数で、ペナルティエリアに雪崩れ込んでいくスタイル、と診ていた。

攻撃的で面白いやり方なんだが、
手薄になるボランチ周辺を上手く使われたり、あるいは、(ミスなどから)そこでボールを獲られたら、よほど帰陣が速くないと、相手に得点チャンスが多く生まれるなぁ、と思っていたが、実際はどうだったんだろう?

山雅が 1 – 2 で敗戦した5月のアウェイ長野戦も、そんなサッカーだった、と記憶する。

ただ、レビュウで指摘したとおり、

当時の山雅は、レギュラークラスの左右サイドバック(下川、藤谷) が離脱して、かなり無理したメンツを配した、つまり、こっちには、フツーにやり切る力量を欠いた。

かつ、上から相当な檄が飛んだのか、無駄に多いファール22個で削られたら、とても平常運転ではなかった。

だ、か、ら、
もし、パルセイロ首脳陣が、あのゲームを内容結果ともにオーライ、と評価してしまったら、それは違う、と思っていたが、

そもそも、山雅はそれほど磐石でもないから、買いかぶられても困る。

まぁ、これで10日くらいはメディアの関心は北方に向くから、静かな練習が出来てなにより。

所詮は、他人事。

けれど、長野の不調を、あえて、反面教師とするなら、

今節大阪戦、山雅に必要な要素は、

〈前後に速く展開する〉、もちろん、守功の両面。

キャンプ直後のファーストゲーム、対奈良戦。

あの清新なメンツに、夏の補強を経た面々を上乗せして戦う、そんなココロだ。

その基底には、山雅の、地道な進化がありまして、

たとえば、前節今治戦では、スローインを 21本入れて100%味方に渡せた。

対し、今治のスローイン 28本のうち、50%弱を成功させていない。

今治のスキや、緩いサッカーに助けられてもいたが、

90分間の集中と、些細に思えるプレーを大切にこなす姿勢は、今後、活きるだろう。

では。

間違った紐づけを,正す。

8月25日。

シナ政府が、日本産の海産物輸入禁止に打って出た。

正確に言うと、それまでは10地域に限定/停止していた日本からの海産物輸入を、日本全国へと、対象エリアを拡大した。

で、この案件を、

24日から開始された、福島原子力発電所からの処理水放出に対する抗議措置、という文脈で報道される向きがあるので、はっきりさせておきたい。

(30年以上をかけておこなう福島原発の廃炉工程において、海洋への処理水放流は必須なプロセス、ゆえに、科学的な安全性を保ちながら実施するしかない)

中国政府の今回の措置について、

処理水  ☞  危険物質  ☞  海洋汚染  ☞  そこに棲息する水産物の汚染、

となるので、日本周辺の海域で獲れた魚介は、これを自国には入れない、という彼の国のプロパガンダに惑わされてしまい、

日本人が、あぁ、そうだよな、となるのが、いちばん厄介。

かの国における農薬使用における乱暴さをみればわかるとおり、

シナ政府は、福島原発の処理水が世界的な安全基準をクリアしているのは承知していて、それ自体を問題視していないはず。

では、なぜ?

7/23から、米国に同調して日本が実施している、シナへの先端半導体の製造装置等の輸出規制、

これに対する報復措置に、処理水事案を利用しているに過ぎない。

要は、タイミングをとらえただけの話。

〈法、国際ルール〉による統治、という概念がなく、思想による規範を棄てて久しい国なので、

すべて、モノの分野で相手に応酬する、という行動は、シナの十八番。

これまでも、

豪州、リトアニア、台湾、フィリピン、日本(レアアース)と、相手が自分にとって好まざる行動に出ると、ブツの出入りや購買の分野で、やりたい放題だった。

だって、真に日本産がヤバい、と思うならば、

自国の漁船が、日本近海における強奪的漁業をおこなうことを禁止するに違いない。

日本政府のリーダーたちが、〈遺憾〉表明を繰り返すのは、シナのこういった手法が、いまさらの定例であることを知っているからなんだろうが、

せめて。

海産物は、国内消費するか、あるいは、他の輸出先を開拓するよ、だから、

お前のところの船舶に、日本近海での漁業をやめさせよ、と言うべきだ。

既に、通告していれば、それでいい。

では。

加担者が名乗り出ない。

朝から、疲弊した草花に水やりをしている萬年ですが、

まったく炎暑だった8月が、終わろうとしている。

1945.8.15 という重い転回点があったから、

今月は、大戦にまつわる話が聞こえてくるのが、この国のならわし。

戦没した方々の霊を慰める集会も、いぜん続いていて、今や、参列者の平均年齢は、70代らしい。
多く、当事者の、息子娘の世代なんだろうか。

こういう折、式典に、勤勉に顔を出しては、

箸にも棒にもかからぬような、空疎な慰霊文を読み上げる御方には、ホントに頭が下がる。

こういう苦行を淡々とこなすには、聡明と、よほどの忍耐心を要します。

思うに。

語るほうにも、聞く方にも、あたりさわりのないお言葉、これが重宝されて、そして、それでその場を済ましてしまうのが、私たちの美徳なのだ。

海の向こうに出て行っておおく他国を荒したけれど、同時に、使わなくても済んだ殺傷爆弾で無益な被害を被った。

……と、どこかでは言っているはずなんだが、場所と言葉を使い分ける術は、一級です。

年を追うごと。

古い世代が、おおかた死に絶えている事情もあって、

俺があの戦争を起こした、そこに加担した、先導した、という発言がほとんど聞かれなくなり、

自分は、周囲の者は、ただただ辛酸をなめた被害者、あるいは、悲惨な光景の目撃者、そんな話につき合わされるのには、うんざりだ。

みずから戦闘機を駆って、そのまま敵艦に突入する〈特攻〉についても、あたら若い命を……、といった語り口。

戦いがすすみ、練達のパイロットが多く落命していって、

技量の低下が著しいのが背景にあったとしても、あの戦法は、かなり生産性の低い悪手。

それに、搭乗者は結局、(同じように徴兵された)敵国兵士の殺害を目的としているのだから、悲劇が、こっちの専売特許でもなし。

長ずれば、兵隊になって、天皇陛下バンザイで死ぬのだと教育され、それを信じ込んでいた自分(それを責めてはいません) についてはダンマリで、ただただ被害者ヅラするのは、フェアじゃあないですよ。

敗戦の直後に書かれた、伊丹 万作 (1902~1946年)の著作には、

― このたびの戦争遂行について、自分はだまされたのだ、と言う者ばかりで、だましたと名乗り出る者は皆無である。
が、そうじゃあ、あるまい。
日本人全体が、新聞、ラジオ報道の愚劣からはじまって、町会、隣組、警防団、婦人会といった民間の組織は、自主的に熱心にダマす側に協力していたではないか

―とあるが、どうも、そういった反省がうやむやにされたまま、こんにちまで来ている、と思ったほうがよさそうだ。

話はかなり飛躍しますが、

いまだにところかまわず、たとえひとり乗車の運転席でも、マスク着用、なんていう情景をみると、

こういう思考停止、自省の無さ、無批判が、戦争遂行にとって、いちばんありがたいことだろうなぁ、と思う、きのう今日。

では。

さて,ここから,これから (FC今治戦レビュウ❷)

〈ゲーム、そのおおざっぱな実相〉
ドローに終わった、今節。

ゲームプランの成就、という意味では、今治がより、それを達成した。

前半を堪えて、スコアレスで凌ぎ切り、

後半に #10ヴィ二シウスを投入して、阪野とのツートップで強圧をかける、といったプランは、

ともかくも、#10のアシスト、#99阪野の先制点として、結実したからだ。

ただ、正直いうと、#9 近藤 高虎の左サイドにおける突破のほうが、山雅にとってはよほど脅威だった。

だから、近藤、阪野を引っ込めた 78分と、

山雅が3バックにシフトした 80分の、交代とシステムの交錯が、

それ以降は、山雅が、ゲームを有利に運べたキッカケのひとつ、だと思う。

今回の山雅ベンチワークは、そこそこ機能したわけか。

樋口 大輔が、左サイドバックとして活きる予感も得られたし。

〈今後の課題〉
あれ?、こんなにやらせてくれるの、といった今治の緩さがある中で、

山雅の十八番とも言える、前後半それぞれの冒頭における、猛ラッシュ、あるいはフルスロットルの時間帯。

ここで得点できなかったことが、勝ち切れなかった根本要因。

センターバック、サイドバック、そこへボランチが絡んで、相手を崩しながらボールを動かす技量は進歩しつつある。

それによって、相手の守備態勢を横方向に拡げられれば、空いたスペースへ安永 玲央、米原 秀亮が顔を出して、ボールを左右に自在に配球できる。

敢闘賞が安永に贈られたのは、アルウィンにおけるボランチ安永の、公式的な認知宣言。

ただし、そこからなんですよ。

両サイドから、サイドバックなどがクロスを入れまくる、これは否定しないけれど、

ピッチ中央へボールを持って来て、そこから、前を向いた、より最適な体勢でシュートを打たせる、そういう工夫が織り込まれてもいい。

今治戦の前半は、そういう意図がけっこう在ったように思うけれど、

後半はクロス一辺倒となり(それによってコーナーキックは獲られたが)、ゴール正面からのシュートに関しては寂しかった。

〈まだまだ追い詰めよう、みづからを〉
割って入ってもらいたいメンツはあるが、おおよその先発と交代要員が固まってきつつあり、

緩急の攻撃手法が、だんだんと板についてきて、

あと残り 14ゲーム。

(経験的に) 上位チームに迫るにおいて、勝ち点1を縮めるに 1ゲームを要す、とするなら、

現在、首位から 14差、2位から 7差の現実は、

厳しいけれど、上位が万全、磐石でもあらずして。

ゆえに、旗をおさめる状況でも、まったくなし。

大丈夫。

これからもっと追い詰められる修羅場は、ここ数年のならわしからすれば、いくつもあるはず。

3箇月を、苦しむ覚悟で。

ここまで築いたきた地点を見すえ、山雅自身がそれを信頼してやり切るしかありますまい。

というわけで、次節は、東大阪花園ラグビー場へと、向かわざるを得ませんな。

では。

かなり感動している件 (2023.8.26今治戦レビュウ❶)

先制されるも、

85分、コーナーキックからの跳ね返りを、村越 凱光が押し込んで、同点。

終盤は攻め続けたが、1 – 1 のドローで、タイムアップ。

勝てなくて半ば残念、でも、敗けなくて半ば安堵、そんなゲームでした。

スタジアムに入ってから、スタメンを知り、

そこに、山口 一真の名がなかったので少々がっかりしたのが真情。

ですが、楽しみに、次なる機会を待つ、といたしましょう。

さて。

阪野 豊史に先制弾をくらった直後、

― (ディフェンダーの) 常田が、シュートコースの左を切っているのに、どうして、村山は、左方へ体重移動するのよ、あれ、ニア(右) をケアすべき。
右に重心を傾けて待てば、阻止できたのに!!,、と僕。

すると、横で観戦していた家人は、

― あれ、完全にオフサイドでしょう!!、と声を上げた。

阪野にアシストしたのはヴィ二シウスだったけれど、

そのヴィ二シウスの、(ボールが出た瞬間の) 位置がオフサイド、というご指摘。

あとで、ハイライト動画をみると、

ボールがヴィ二シウスに入る前後の瞬間が、ストップモーションで編集してある。

過ちをば、無言で(露骨に) 訴えるために、メディアがよくやる趣向です。

でも、村山の位置取り(ミス)にせよ、オフサイドとジャッジされなかった事案(誤審)にせよ、

要は、もう一点獲れなかったことが、勝敗を決定づけた、とすべきであって、

たとえ、不都合が明らかであっても、それを、未練タラタラこだわっていてどうする。

誤審に苦しむ、と言ったところで、VARで取り沙汰されないリーグでやっているのは、

自分で蒔いたタネを刈っているに過ぎないのだから。

(誤審については、ビジネスライクに、クラブがJリーグに抗議すべきではありましょう、今後、少なくともアルウィンで、おかしな笛が吹かれないためにも)

……、僕が感動しているのは、

アルウィンに通うこと10年にもなると、

市井に、フツーにお住まいのご婦人がですよ、

瞬時にオフサイドを直感するようになること、

その淡々なる事実でありまして、

街にサッカーが根づくとは、こういった感想や発言が日常茶飯となることだろうな。

と、妙に感慨深いゲーム翌日なんです。

では。