やっかいな沈滞感 (2023.9.24 FC岐阜戦レビュウ 傾向篇)

好天のホーム岐阜戦は、0 – 0 の、スコアレスドロー。

負けていたらもっと悲惨だったろうが、

でも、なんだろう?、この爽快さのない後味は。

こっちも良くないけれど、あの程度の相手に勝てないようではマヅイだろう、とは岐阜さんも、きっと思っているに違いない。

……漫然、その理由を考えてみると。

❶今季、無得点のゲームは、28戦して、4回。(結果は、2分2敗)

要は、それなりの得点力を示している山雅。

攻撃(守功一体の)サッカーを追い求めているのだから、
無得点という事実は、かなりの不出来で、赤点レベル。

❷たしかに、岐阜は、こっち比べ、試合巧者。
ファールの仕方、痛んでいるようにみせかけて休む、中盤を厚くしてのセカンドボール回収、時として気の効いたプレイで相手の攻撃を阻む。などなど。

けれど、岐阜が、一本筋のとおった脅威的、圧倒的な力量でもなく、ミスがそれなりに多い不安定さ。

特に、60分以降、岐阜が目に見えて走れなくなっていたから、

それと比例するように、攻撃のアイデアと強烈さを失った山雅は、これは、いただけなかった。

なんだか、攻撃の、統一的な意思と連係が散漫だった。(息子による強調)

あるいは、局面の打開が、個人的過ぎて (決め事による)連携に乏しい。

❸一緒に観ていた息子に、
― 山雅は、ワイドな攻撃を棄てているの?、と問われる始末。

敵陣奥深く侵入した宮部が、勝負をためらってボールを後方に下げ、結局は、攻撃機会を逸したのを見ての発言だったんだろう。

根底には、下川と藤谷を欠く(不在の)陣容という辛さがあるにせよ、そこまでボールを運んだらやり切る!、という規律とチーム意思は、どうなってるんだ?

こういう残念な部分を、アルウィン(観衆)はちゃんと観ていますよ。

❹ならば、中央を使った攻撃は?、というと、岐阜の選手間距離がすぐれていた部分はあるが、縦パスが、変に怖気づいて中途半端なので、相手に渡ってしまう。

もっと痛烈、高速なやつでないと、3部リーグといえども、勝負できません。

……、と、まぁ、前半のチャンスに1点でも決めていれば、などと、捕らぬ狸の皮算用も手遅れ。

時間を追うごとに、(交代も含めて) 尻つぼみになったこと、それが、もっとも痛かったゲーム、としておきます。

では。

岐阜さんの気持ちになれば (FC岐阜戦プレビュウ❷)

4年目の3部リーグを戦う、FC岐阜の現在地とは?

ざっくり言ってしまうと、

前節対戦した宮崎(チーム)に、かなりの強度(インテンシティ)をプラスし (ファールは多い)、

さらに、得点と失点が、山雅のそれよりは、おのおの10点ほど少ない中で、切り盛りしているチーム。

つまり、攻撃においては、チャンスを確実にモノにし、そして、堅く守る、これが身上らしい。

サイド、特に、左がアクティブで、ボールを保持して攻めたいサッカー。

あとは、ヴェテランを効果的に配したい、そんな意思を感じます。

それでもって、岐阜首脳陣さまは、多分、十中八九、
山雅は、大歓声を背に、最近のサッカーをひたすら追求する、と予想なさるだろう。

だから、ボール保持の意思は曲げないものの、

山雅による前線からの追い込みに対しては、その頭上を越えるような中途半端なハイボールを、多用するだろう。

相手の強いファーストディフェンスを逆手にとって、前傾姿勢をスカすことで、その裏を獲りたいわけだ。

岐阜フォーワードに、ロングボールを収めるタレントがいるのかはよく知らんが、

だとすれば、山雅は、競り合いに負けずに、その多くを回収し、
即、反転、前方へ進むこと、それをひたすら繰り返すことに徹するしかない。

おあいことして、岐阜の守備が整わない間に、相手よりも数倍は速いロングボールや、縦のロングパスを使うのも、良し。

どれほど、ボランチのところで岐阜のボール扱いを阻止、窮屈にできるか?、それが、大きな勝機の分かれめでありましょうし、

相手のサイド攻撃は、これを、とことんタッチライン沿いに追い出しつつ、
ペナルティエリア外縁に、斜めに入ってくるでろう3人目を自由させないこと。

なんだかんだ言って、90数分の最後まで、岐阜さんを上まわって、振り切って走りまわること、これが大前提ですが、

できる、と思いますよ。

では。

ご破算にならないうちに (FC岐阜戦プレビュウ❶)

特定のチームをして、

相性が悪いだの、山雅キラー(天敵?) だのとお呼びするのは、
メディアに染まって、陳腐な表現をくりかえしているに過ぎない。

これだけ監督が使いまわされ、かつ、プレイヤーの流動性が高いリーグだと、

その都度(=当時)の戦績だけがデータとして残っているだけ、の話。

だから、マジメに勝敗予想を試みるならば、
せいぜい、今季前半戦の内容と、直近のチームスタイル、好低調の程度で考察せざるを得ないはず。

……で、我が山雅は、どうなのか?

❶田中 隼磨氏の引退(2022季限り) が、良くも悪くもひとつの区切りになって、

そこへ持ってきて、(宮崎戦レビュウでみたとおり) 21世紀生れの世代が抬頭、ゲームをリードするチームへと変容しつつある。

❷まだまだ磐石、鉄壁とは言い切れないけれど、節を重ねるごと、霜田イズムが浸透して、

〈守功一体型の、手数をかけずに、前へ、速い〉サッカーが、板について来た。

……、琉球、宮崎戦と、2つ続けてモノにできたのは、
相手の不調を差っ引くにせよ、個とチームの成長がそこに在るからこそ、と診るのが適切。

上の❶❷が、今の山雅が享受できる内容であり、少なくとも12月までは、ご破算にならない達成地、と言えましょう。

ゆえに、岐阜戦の、チーム戦い方の基軸は、あくまで、追い続けてきたこれらに、厚い選手層を上乗せして、更なる高みへと追求すること。

で、僕らにできるのは、アルウィンを、山雅のグリーンで、埋め尽くすこと。

では。

贅沢にも,いろいろあって。

贅沢は敵、などとは、決して思わない。
(そういう世代は、もう多くはお墓に入ってしまった)

ただし。

あくまで、神がゆるし給う範囲内で、ヒトはそれを楽しむべきだろう。

とにかく、自分の分限をわきまえていないと、何事にも、洗練さが伴いません。

ご幼少、たしか、保育園の頃、聞かされた紙芝居。

ひとりの子供が、果実だと、味わうにどれがいちばん優れているかと、思案している。

あれは、皮を剥かないと、これは、タネを吐き出さないと……、

そうだ、無花果(いちじく) ならば、獲ってそのまま食べられるぞ、だから、いちじくが、いちばんだ!!

これが、実物を知る以前の、我が人生における無花果とのなれそめ。

庭の端、隣家との境に、いちじくを植えてから、(たぶん) 10年。

いまや、(おそらく) 数百の実をつけるようになって、その甘味に惹かれては、野鳥、クバンバチ、スズメバチ、コバエが、さかんに集ってくる。

自然をリスペクトする僕ゆえに、

彼らを避けて、かつ、高いところに成っているのは諦め、
朝夕、葉陰から熟れたやつを、ひとつ、ふたつ捥ぐと、

そっと割っては、そのまま口にふくんで、柔らかな果肉を楽しんでいる。

はて?

旧約聖書の、イヴとアダムが食した、命の樹の実とは、一体何だったのか。

具体的な樹木名は、記されていない。

この際、無花果でもいいや、などと、秋の空を見上げてはいるけれど、

これって、かなり贅沢な時間なんだろうな、と思う。

では。

そして,これがリアル (岐阜戦を考える前に)

月曜日の朝、職場でスーさんに逢ったら、

― いやあ、(順位表を)よくみたら、えらいことになってますねぇ?

― 2位(富山)と、勝ち点で 4差、その下は、山雅まで 7チームが詰まってる……。

― これ、なんとかなっちゃうんじゃあ?、萬年さん。

―でもね。
サッカーの 勝ち点は減らないので、絶対的に、上位が有利よ。
究極、上の結果次第というのがあるから、ギリギリする日が、続きますわ。

……正直な話。

こっちにできることは、ひたすたら勝ち点を積むことであって、

その上で、上にいるチームのつまづきを期す、ってのがリアル。

だから、8割がたは、あなたまかせの辛い日々ではある。

ただ、ありがたいことに、直接対決して勝ち点を詰めたり、ひっくり返すチャンスが、ひとつ下位の八戸も入れると、 まだ、4つも残っているから、

みづからが道を切り拓ける日々も待っている。

そのひとつめが早速、この日曜日、対岐阜戦でやって来るのだが、

どうだろう?、果たして勝てる気がするか、そうでないか。

精神論者でない僕は、頻りに、そんな自問自答をせざるを得ない。

では。