やりやすいが,捕まえられるか? (北Q戦プレビュウ)

……余談をひとつ。

昨季をもって、ギラヴァンツを去った小林 伸二氏が、
この度は、2部リーグで、不振に悩む栃木SCの監督に就任した。

優秀なる指導者は、救済者として引く手あまた、ってことの証明でしょうか。

さて、と。

❶北Qについて。

最近のゲーム(対岐阜戦 5/6) をチラ見した限りだと、

〈テクニカルなサッカー〉

特に、ボールを手に入れた際の、ゴールへと迫る速さ、ペナルティーエリア内外で、ボールを動かすことの洗練。

ロングボールも使えば、セットプレイ(含むコーナーキック)にも、強みあり。

万遍なく、手堅く、オーソドックスにゴールを狙う、そんな印象。

このゲームでは、およそ7割方を、

岐阜の、パスワーク素晴らしきサッカーに押し込まれていたものの、
無失点で凌ぎ切り、PKによる 1点で、勝ち切った。

思うに。

こういうバランスのとれたサッカーには、けっこう、山雅は、相性がいい。

逆に、先鋭的な特長を持つチームに対しては、手を焼く。

大宮戦の出来が良かったのは、前へ前へと休みなくボールを動かしたことが大きかったけれど、

おっとりと、工夫に乏しい大宮の流儀に助けられたことも大きかった。

ゴールキーパー笠原のロングフィードは必ず杉本 健勇を狙っていて、

そこには、3部のチームだと、わかっちゃあいるけど、杉本は止められないはず、というような根拠もない矜持と自信があるんだろう、と思う。

まさか、ギラヴァンツが、大宮ほどに、のほほんとアルウィンに来はしまいが、それでも、組しやすい匂いはします。

❷山雅に望むこと。
前から指摘している攻撃面における停滞を、克服すること。

いまや、リーグ公式で、
シュート数では、リーグ第1位、コーナーキック数は、同2位の山雅だから、攻撃サッカーを実践していることは確かなんだけれど、

やはり、より最適なスペースとタイミング、より最適な体勢で、撃ちたい、撃たせたい。

そのためには、相手守備が予測不能な、あるいは、その予測を上まわる仕掛けを、ふんだんに挿し込もう。

たとえば。

センターバックから、逆サイドのプレイヤーへのビッグスイッチ、

あるいは、同サイドの前方で構えるプレイヤーへの縦パス。

そういったサイドチェンジ、前方へのくさびパスは、もちろん、ボランチによるチャレンジが、あっていい。

足もとへ手堅く一周、といったパスワークは、

どこかで変速(スピードアップ)、コース変化を噛まさないと、なかなか突破は困難。

菊井 悠介の真骨頂は、瞬時にしてボールの軌道を変え、フィニッシャーに供給できるプレイですよ。

その意味で、ゲーム終盤に魅せる、山本 康裕のサイドバックのような駆け上がりなどは、相手にとって意表を衝く攻撃であって、効果的。

守備面ですか。

前線からプレスしまくることで、出来る限り、自ゴールから遠くでプレイをする、といってしまえば、身も蓋もありませんが、

よしんば、特に、サイドから侵入された時は、

ディフェンスラインを、しっかりと縦方向に、2~3列そろえることによって、

人とスペースの両方を手当てし、北Qの攻撃を捕まえる、または、後方へ押し戻す。

放つシュートも多いが、被シュートも多い(リーグ5番目)、をいい加減に断ち切りましょうや。

(ちなみに、ギラヴァンツは、リーグで、下から3番目に被シュートが少ない)

では。

公理は、反証をゆるさない。

〈公理〉とは、簡単にいうと、

純粋数学(幾何学など)にあって、大、大、大前提となる決まり事のこと。

例えば、次のようなもの。

異なる 2点を結ぶ直線は、ひとつ(1本) しか存在しない。

これが、数学という学問の理論的な出発点(のひとつ)、なわけです。

……こう書いてくると、

昔、学校で、数学が苦痛だった方々、あるいは、いま苦しんでいる方々は、

これ以上、この投稿を読む気が失せるかも知れませんが、これからが、面白いところなので、どうかおつき合いを。

で、この〈公理〉が宣言され、成立する根拠とは、何か?

それは、経験的、直感的に、(ほとんどすべての人間に) それが真実、つまり、そうに違いない、と感得されるから

ですから、〈公理〉は、その性質上、決して反証をゆるさず、拒絶する。

エマニュエル カント(1724~1804年、独の哲学者)は、

こういう純粋直感、つまり、〈決めつけ〉を土台とする数学は、学問として、もっとも成功している、とまで言っておりますな。

さて、ここまで来て、僕が、ふと、思うには、

我が愛するクラブの周囲にも、公理のようなものが、見え隠れすることがある。

過去の経験による直感にもとづいて、

いまだ、5代前の、偉大なる指揮官(とそのサッカー) を待望してやまない未練、がそれ。

決めつけ、反証を拒絶する、なんてところは、まさに公理、と言えましょう。

……18世紀の哲学者を引用すると、ファン&サポーターの生態も、説得力がありますね。

では。

トレーニングマッチ(5/19 @三保グランド) 対エスパルス。

大宮戦の勝利には、山雅にとって、ひとつのヒント(気づき)が在った、とは思う。

けれど。

あれで、リーグ戦をやってくについて、すべてがオーライになったと、思うほど、

僕は、楽天家でもないので、

山雅にとって、攻撃のアイデアと工夫がいま一つだった、

県サッカー選手権決勝を、いま一度おさらいしておこうか、と録画を観ようとしたら、

なんと、家人がすでに、消去してしまったことが、判明。

まぁ、人生、こんなこともあるさ、セラヴィ……。

てな、こともあってか、

北Q戦(5/18)をいまだ乗り越えない先から、

山雅とエスパルスが、ともに公式スケジュールで発表済みの、

翌日のトレーニングマッチに、ついつい目がいってしまう。

本末転倒、と言えば、それまでですが、

ふたつのチームともに、前日にはリーグ戦なので、

試合に投入されるメンツも、それなりの様相なんだろうが、

たまたま、僕は、当日公休が入っていることであるから、

久しぶりの清水港が呼んでいる、と誘惑が起こっているわけです。

では。

味わい深い『序章』 (2024.5.12県サッカー選手権決勝)

1 – 1 のドロー。

で、PK戦をやって敗退。

PK戦は、成功率80%の〈みづもの〉ですから、その前で、決着をつけないと。

プレビュウで申し上げたとおり、

90、120分間で勝てなければ、実質、やっぱり、山雅の負けです。
(たとえ、PK戦を制したにせよ)

後半アディショナルタイムの失点。

枠に飛んだフリーキックは、本来なら掻き出せた、と思うので、その時点で、山雅のゲームプランが破綻した、ということ。

あの先発、登録メンバーだと、交代カードを切るにつれて、(得点のための)切り札に乏しくなるのが見えていましたし。

……以上、ゲーム総括。

次に。

僕は、諸事情で不義理にも、地上波での観戦だったので、印象も限定的になりますが、

このゲームのポイントをいくつか指摘しておきます。

❶観客は、5,000人超。
リーグ戦ほどの重要度ではないけれど、それでも、昔からの良きライバルとの対戦だから。
……そんな位置づけに、ほぼ見合う入りだった、と思います。

つまりは、〈大衆〉の観方は、かなり冷静で、わきまえたもの。

地域対決にフォーカスするような論調が、一向になくならないのにはうんざりです。

南信、東信、いやいや、北信からさえも山雅を支援するファン&サポーターを、忘れちゃあいけません。

裾野を広げたいのに、〈松本〉の唯我独尊思想は、困ったものです。

❷霜田さんに訊けば、これがベストメンバー、と断言するには違いないけれど、

〈今季仕様〉の山雅を、少々織り交ぜながら、リーグ戦への探りを入れる、そんな布陣でした。

その中、浅川 隼人が、先制弾で結果を残すとは。☞ 絶賛に値いします。

パルセイロのターンオーバーは、山雅のそれを、もっと上回ったようですけど、

双方が、リーグ本番に備えて、手の内を全開示したくない思惑があった、と診ます。

❸それでも、長野のボール運びには、それなりの片鱗は垣間見られ、

山雅にとって、守備面だと、ボールホルダー阻止と、空いたスペースへの手当て。

この両方を、いかに両立するのか、それが、対パルセイロ戦の鍵といえる。

他方、攻撃面。

プレイスキッカーは、昨日は、安永 玲央だけを見せており、リーグ戦でも、おそらくは同程度の被ファール(19個) になるでしょうから、ここは、工夫のしどころが在る。

ま、今回のゲームは、

その対戦感触と、垣間見えたパルセイロ流儀から、リーグ戦に向けた〈序章〉ととらえれば上出来でありましょうし、

残された2度の対戦は、まったくの〈今季仕様〉になることを願うのみ。

それにしても、いちばんの驚きは、

新たなロングスロワー、滝 裕太の登場、でありましょうか。

では。

色気は要らない (県サッカー選手権大会決勝)

……庭では、モッコウバラ(レモンイエロー)、あやめ(濃紺)、ウツギ(白)、黒百合(濃い紫)が、続々と開花する頃。

あまり体調が芳しくないのもあって、

明日、アルウィンに向かおうかを、ギリギリまで悩むつもり。

さて。

地域(この街)と一緒に盛り上がるのはよいとして、

もともとが、長野県限定でサッカーをやっている山雅でもないのだから、

県サッカー選手権大会に登場すること自体を、居心地悪く感じないといけないはずでありますし、

対戦相手が、たまたま、同県を本拠とするJリーグのクラブであっても、

周囲の煽りを真に受けたり、要りもしない気合いや、因縁うんぬん、そういった邪心と力こぶは、一切棄ておき、

ただただ、自分たちのサッカーを進歩させる、そこに集中すれば良い、のです。

日程的には、変則的な過密でもないから、

変な色気を出さず、ベスト、と考えるメンツと流儀でやるべき。

個のクオリティ、資金力(バックアップ量と質) からすれば、

90分、120分で決着がつかない、という事態は、

それこそ、実質的に、山雅の負けに等しい、それくらいなゲームとしなければ。

(PK戦には、ルヴァン杯で食傷してますしね)

パルセイロの現在地を、ざっと診ると、

サイドをえぐってロングカウンターをかける、そんな趣き。

さすれば、長短のボールを適時に織り交ぜながら、ピッチを広大に使って、ひたすら前へ前への姿勢をまっとうする、ってものか。

では。