メリハリは大切 (宮崎戦プレビュウ)

知らないことは、解からない。

山雅のほかは、対戦相手となる時以外、ほとんど関心もないので、

だから、テゲバジャーロ宮崎についても、あまり知ったような事も書けない。

……と言ってしまうと、身も蓋もないから、少々。

宮崎について。

先季あたりのデータをみると、

まづは守備からのサッカー、と診る。

それも、出来る限り高い位置でボールを手に入れたい、といった。

こういうのを、〈守備的〉と呼ぶのには、チト抵抗がある。

(だとすると、山雅のサッカーも、守備的となるが)

リセットするのに、守備から始めたいだけの話としておこう。

で、今季。

下川 陽太の加入によって、その左サイドが、特に活性化している感があって、

そこに、あるいは、そこから、FW橋本、MF#10井上らが絡むとかなり厄介そう。

対し、山雅について。

成果のために踏むべき手順は、前節や前々節と、それほど変わるわけもない。

変化としてみられるのは、

前後(守功のスイッチ切り換え)への連動に、より規律性と速さを求めようとしていること。

ただ、現在、これを 90分間持続できないでいるのと、

一本調子でやって、果たしてゲームを握れるのか、というふたつの側面があって、

ゆえに、ゲームが止まった際は、こっちに時間の流れを引き込むような手練手管を使うべき。

☞ 今のスタイルで、ゲームをとおして圧倒できる技量を養わないと、リーグ無双はとてもできない (追記)

幸いにして、前節の奈良のように、宮崎は、敢えて低い位置でボールを動かすことで、こっちの陣形を崩そうと図るようでもない(あくまで仮説) から、

真っ当に、自分流のサッカーを全うする、これでいいんじゃあないか?

ただ。

こっちの右サイドに負担かかりそうなんで、

野々村が引っ張り出された時の手当て、つまり、ひとつ内側に入ってくる宮崎のプレイヤーを阻止すること、これは準備しましょう。

と同時に。

ルーカス バルガスと伊藤 陸音(2種)の選手登録が完了したことのほうに興味はいきます。

では。

喜ばないアルウィン,に関する考察 ❷

さて、

感情論に走ってしまう、みっつめの、絶対的な大要因

それは、

ゲームをどこからみていようと、一緒に闘う、と言ってみても、

観客は、決してピッチでプレイしない、ただ、観るだけ応援するだけ。

そして、展開されるプレイの連続と、ゴールと勝敗(いわば結果)を、味わうだけ。

当たり前だろうに、と言われそうですが、

これは、決して、動かしようのない桎梏。

さて。

なぜ、感情論で語ることが危険かと言えば、

過去、現在、将来にわたり

クラブとチームの勢力と意欲、それと、ファン&サポーターとの共闘を損ねるからだ。

山雅が、かならずしも期待される成果を挙げていないと、こういう傾向は、よけいに目立つ。

ただし、その期待値が、クラブ/チーム力から妥当であるか否か、は別の問題で、これだって感情で染められやすい。

勝率 58%。

と、歴代最高値を叩き出した名波体制(2022季)でさえ、

上位リーグへ導けなかったことからか、良い評価はほとんど聞こえてこない。
(根底には、3部リーグを見下す態度が僕たちに在るからだろう)

アルウィンが、果たしてプレイヤーを鼓舞しているのか?

今一度、それを考えてみないと、チームにばかり〈強さ〉を求めるのは、アンフェアだ。

ひとつの成果が出るには、それ以前に仕込みがチャレンジされるはずで、

たとえば、奈良戦でアシストを記録した #22 佐相の(菊井を狙った)前方フィード。

あれを、佐相は、ゲーム中で 3回はおこなっていて、そういった一見ムダにみえる仕事を見逃したくはない。

果敢にチャレンジしたが、成就しなかった縦パス、

実は、受け手が走り込まなかったのに、誰もいないじゃん、と一笑されるロングフィード、

そんなものが、すべてミスとして、ため息で断罪されるような現象が、

チームを鼓舞しないことを、

そろそろ、アルウィンは気づくのがよい。

結実させるために払われた、地味なルーティンとムダに思える仕事を救え。

ゴール後のハイタッチは、まったく喜ばしい。

ただし、喜ぶココロが、同時に、不興、批判を発するココロにも転化することを自覚せねば。

所詮は。

飲み食いしながら楽しんでいる観客と雰囲気(舞台)には、

そんなものを求めるほうが酷なのかなぁ、と思うものの、

やはり、チームに変われ、と注文するのなら。

(僕からみると、チームはあきらかに変わろうとしているのが2つのゲームを観てわかるので)

こっちはどうするの?、ってお話です。

では。

喜ばないアルウィン,に関する考察ひとつ ❶

日頃、不思議に思うことがあって考えていた。

― それは。

山雅を観続けている方々が、

なぜに、これほどまで感情的で、情緒的に傾く発言を繰り返すのか?、ということ。

ひとつには

SNS上で発信する場合、フォロワー(視聴してくれる人)を増やしたい欲求があるがゆえに、

とにかく、人の関心を惹こうと、情感に訴えることをまづ求める。

そのため、強い表現と語調で、他人の心境に至るよう書かれる。

本人だけがシャレて悦に入ってるような皮肉、悪口、攻撃的口調は、発言者みづからの品位を落とすだけ。

とは思うが、 SNS特有の匿名性の影に逃げるから安心して反復する。

発信者の素養とセンスはおおよそ、常套的語句の選択によってわかるけれど、人に訴えるぶんだけ、自己感情の表出が、際どい。

とにかく、思弁的、分析的な姿勢がかなり低い。

ふたつめ

マスメディア、フリーランスによる投稿、そういったものの論調に左右されると、どうしても煽情的になりやすい。

彼らもまた、購読数を狙っていて、キワモノ的な語彙を選ぶから。

関係者インタビュウから引用する場合、

インタビュアーが、これを言わせたいと誘導している事実(仮説)を知っておかないと

プレイヤー自身が、ゲーム直後冷静であるとは限らないので、

その仮説 を、即、実際の事実、と受け取ってしまいやすい。

ただし。

上のふたつは、せいぜい全体の 10%くらいの重みであって、

次のみっつめが、決定的な要因

それについては、その❷に続きます。

では。

とりあえず,65分の分水嶺 (奈良戦レビュウ❷)

仮に。

今持てるもの、すなわち、リーグにおいて、かなり優位な個々の技量を活かすことを前提に、

やってる手法を機能させるためには、

チーム全体で連動しながら、つまり、陣形を圧縮して、前後の両方向に、スキや冗長をつくらずに、迅速に動き続けること、が必要であるし、

山雅指揮陣も、これを求めている、と僕は診ている。

昨季からの流れでいけば、この❶❷を両立しないと、

攻守局面の入れ替わりがかなり忙しく、

戦力に格別な差の無い、3部のサッカーでは、

リーグを制して無双するのは、相当にむづかしい(ことが過去3年でわかった)。

❶について。

シーズンインして日が浅く、選択されるカードで、新味は小川のみ。

加入戦力のお楽しみはこれから、と言うしかない。

ただ、ひとつ。

ロングフィードの多用が、果たして、前線のタレント(特長)とミートするのか
どうか。

ボールの回収率が低ければ、ロングボールを入れることで、局面をイーブンにしてしまう手間も、ひたすら惜しい。

昨季、ジョップ活用が不調だった記憶が、たとえ高身長なフォワードであっても、ああいった競り合いは、優秀なセカンド回収要員が用意されていないと、チットモ生産的でない、とつぶやくし、

安藤 翼がこのまま離脱すると、そこを含め、再検討せねば。

❷について。
監督の用語では、〈コンパクトな〉体勢の保持のこと。

再三指摘している、後半の後半、つまり、65分以降に緩慢になることへの手当て。

交代要員を投入してリフレッシュを図る、

とは言え、果たして、戦力の逐次投入でいいのかどうか?

僕は、セット替えを試すべきと思う。

ひじょうによくやっているが、やはり中盤の(つなぐ)機能、この不活発化は顕著。

ボール奪取に健闘する安永 玲央、山本 康浩ではあるけれど、時間がすすめば強度も落ち、

さらに。

時には、安永が相手に喰いつこうとして前方に飛び出た場合、

その後方に空いたスペースをケアするのが遅くなるとかの現象が生まれるので、こういったところのカヴァーを含め、

大橋(or 石山、松村)と小川のセットを、バックアップのダブルボランチとして用意するくらいやったらどうか?

アイスホッケーにおけるフォワードのセット交代みたいに。

で、そうなると、佐相は、本来のDF登録(サイドバック)で運用し、

スリートップの右には、山口 一真で。

これを、時間経過とゲームを踏まえて、カードを繰り出す……いかがなものでしょうかね。

最終ライン?

奈良戦では、オフサイドトラップを線審に見逃されるという不運も数回あった。

が、おおかたは、ソツなくこなしている。

野々のミスをどうこう言うのは違っていて、

現状、チームとしてカヴァーすべきだし、攻撃の貢献を重要視すべき。

基底からの組立てを格別なメイン戦法としないのならば

ラインを高くしておいて、そこから、ミドルレンジのフィードを、最前線へと投入してもらいたい、今以上に。

では。

やたらと動ずることなかれ (2025.3.1奈良クラブ戦レビュウ❶)

(佐相のフィードがアシストといっても、実質は)

#10菊井 悠介の、個人技によるドリブルとゴールで、先制。

が、70分過ぎに立て続けに被弾し、1 – 2 の逆転負け。

ゲーム後、斜め前のおじさんが、

― 点を獲ったら、あとはガッチリ守ればいいじゃんよう、と独り言。

敗戦の落胆と勝ちが観たい気持ちはお察しするが、

今の山雅はそういうサッカーを追求していないので、なんとも慰めのしようもなかった。

ボール保持はおそらく、奈良に 60%くらいで傾き、シュートもこっちを上まわったと思う。

が、ゲーム様相の本質は、おのおのが採用したサッカーの出来、に在った。

奈良が、ボールを握ることで、相手の出足をいなしながら、サイドから中へと並走を仕掛けてゴールをめざした。(受け身で逃げておいて、トドメの一刺し型)

対し、山雅は。

おそらくは今季テーマの、自分たちがイニシアティブを獲るサッカーを完遂しようと図る。
(ボール保持の有無にかかわらず、みずからが先に局面を動かす型)

で、自分流を貫くことにおいては奈良が幾分か上回った、そんなゲームのように診ます。

今節も、主義の追求でいうと、

70分過ぎまでは、我がチームは持ち堪えていたわけで、

満を持しての 2枚替え(サイドバックとトップの一角)直後に失点とは、

結果として皮肉な成り行きであり、そこが〈巧さ〉の不足ともいえる。

ともかく。

一度決めたからには、やたらと思想がブレてはならず、この道を究めてみるべきですが、

このサッカーをやるには、かなり持続的に体力を消耗するはず。

僕から観ると、忙し過ぎるシーンも多い。

筆者は、自分がヘタレの資質なので、

1月以来ホームグランドが使えずに、ほぼふた月間、

宿暮らしと日々出張出稽古に明け暮れしていれば、
(たとえ、チームは、それを言わずにいても)

プレイヤーに疲労の蓄積は在るはず、と同情する。

ゆえに、60分を回ると、やってるサッカーがサッカーなものですから、

頭脳と身体ともに、動き出しの速度と執拗さがガクンと低下するのは、ここ2ゲームで顕著。

あと、アウェイ 1ゲーム(宮崎戦)を、なんと凌ぐしかないとして、

ゲーム中の修正とは別の次元で、

基準に据えたいサッカーについては、

目先の勝敗に浮足立つことなく、

容易に軸をブラすことは、禁物。

じっくり構えましょうよ、大仏のように。

いや、アルプスのように、か。

では。