平常運転さえ できなけりゃ (長野戦レビュウ ❷)

ゲーム終了の直後。

篠ノ井駅行のシャトルバス乗り場に向かって歩いていると、

(自宅でおそらくはDAZN観戦の) 息子から、電話が、相方のスマフォに入った。

かなりお怒りの様子だったから、切り際には、おいおい、家族に当たり散らすなよな、とご忠告申し上げのだが、

その要旨……、

❶何をやろうとしているのか、不明なサッカー。

❷縦パスが入った時の絶望的な判断の遅さに象徴的な、その都度考えてのプレイ。

❸2失点目に至る(サイドでの)マークの受け渡しなど、とてもプロとは思えないほどズサン。霜田さん、守備面全然見ていないんじゃあないか?

……、おおかたその通りなんだろうな、と思います。

長野は、普段から突き詰めているだろうサッカーを、忠実に遂行しただけ。

つまりは、主にサイドを起点としたカウンター攻撃、宮阪によるセットプレイの妙味、反則ポイントリーグ最多レベルの、激しい当たり(犯した反則20以上)など。

前節、いわてグルージャ戦、内容では、7割方優位を獲られても、4 – 1 で勝ち抜くサッカーであることが納得できる。

対し、我が山雅のほうが、自分流儀を遂行するにおいて、ミゴトにお粗末だった。

こうなると、前節対FC大阪戦の勝利も、偶然と菊井悠介の個人技だけによるものだったことが、証明された。

だから、これで、実質4連敗。

要は、沼津戦以降の、自己スタイル表出における急降下曲線、ここにフォーカスしないと、なんにも始まらないではないか。

では。

さぁ,もって来いの2週間の始まりだ (長野戦レビュウ ❶)

次節の、ホーム鹿児島戦(5/28) まで、

(チームにとって十分か? は、別として)

ファン&サポーターには、少々時間があり過ぎるので、

しかも、感情的な思い入れがあるばっかりに、

尾ひれ背びれがついた、共同幻想の松本山雅、についての評論が飛び交う、そんなことが、しばらくは、続くんでしょう。

ただし、共同、といったところで、それは、各個の心象に多分に左右された信念、信条みたいなやつですから、厄介なこと甚だしい。

せいぜいそれらを整理、腑分けしときましょうか、この2週間。

萬年的には、ひとつの投稿を、手短か、簡潔にすべくをモットーにして。

2 – 1 の敗戦。

結論から言うと、監督2年目で、継続的なスタイル深化が機能している長野と、

ここ4年間、毎季あたりひとりの指揮官でやりくりしてきた山雅との、

サッカースタイル浸透度の差が際立ったゲーム、でありました。

ダービーですか?

そういうのは、それを売りにして、かつ煽った方々に、お任せします。

では。

秘策は仕込まれた (長野戦プレビュウ ❷)

長野はどうやら、リーグ戦から大幅なターンオーバーをしたらしい(@天皇杯県予選)。

ただし、カウンター基調の、ペナルティエリア侵入迫力の偏愛、それと、セットプレイ(by 宮阪)といった特長は、チームとして不動に違いない。

どちらかといえば少ないチャンス、それを決め切るサッカー。

では、山雅は、どうか?

霜田さんは、ゲームにおけるプレイヤー登録に際し、連続性をかなり大切にしているようにみえる。

でも、控えめであっても、あのゲームなりに変則は、仕掛けてあった。

ひとつは、サイドのところ。

天皇杯県予選のレビュウを書いた後で、霜田さんのインタビュウを読んだら、橋内は、(4バックシステムの) サイドバックとして起用した、とある。

僕から観たら、あれは機能的には、断然3バックであったから、
今節への煙幕として、右サイドをある意味、囮として使ったのだと判断した。

長野は、そこを狙って、森川が再三衝いてきていたけれど、

ここで、今回は、どちらがイニシアチブを執れるのか?

このあたりが、本職のサイドバックを起用することで、山雅に優位に展開すれば、霜田さん、相当な策士といえる。

だから、ポイントは、山雅の右サイド、つまりは、長野の左、そこのせめぎ合い。

ふたつめは、ボランチ。

安東、米原のセットだったが、今回はより強度を強くしたセットでゲーム冒頭から来るのかどうか?が、ちょっとした見もの。

更に。
変則的といえば、(県予選) 榎本は交代で出て来て、そしてまた交代しているんだけれど、個人的には、右サイドやる時がいちばん活きているので、そこで先発でいいんじゃあないか?

……発声可能となったスタジアムの熱気は、これを、存分に楽しみたいが、

チームはむしろ、そんな高揚におかまいなく、

究めるべきスタイルを、沈着、果敢に遂行すれば、おのずから道は拓けるし、課題も正直に絞り込める、と思います。

10ゲームを消化して、スタイルがそこそこ出来てくること、それが、大切。

では。

少々奢れ (長野戦プレビュウ ❶)

南長野スタジアムの、ホーム自由席。

そこは、アウェイカラーやグッズを身につけての占有はご勘弁、とのルールなんであって、

アウェイチームと一体化した応援、声援をダメとしていないから、今年も、そこでいいや、と思っていた。

が、娘が気を利かしてくれて、メインスタンドのアウェイ席を獲ってくれたので、少々奢って、今回は、そこで観戦です。
(発売開始10分で、アウェイ側は、完売だったらしい)

指定とあれば、もはや待ち時間に汲々することもなく、長野駅前に駐車して、(駅そばでもいただき) そこから、篠ノ井駅へ移動、その先は、シャトルバスを使おう。

座席とアクセスをまづは心配しなければならぬ、とはなんとも鬱陶しいが、
それを確保してはじめて、ゲーム内容に気が及ぶ。

〈守功一体、 高強度サッカーをやり切れ〉

対沼津戦は、相手のポゼッションをそこそこ抑えたものの、攻撃の起点に巧くフタをされ、最終ラインのビルドアップを窮屈にされた結果、持ち味の〈強圧〉に欠けた。

ここらから、対戦相手がよく研究してきていて、難しい戦いを強いられている。

だから、このゲームが格別にどうこう、というよりも、今季チャレンジしているサッカーを取り戻すことこそ、大切。

今節は特に、強度にフォーカスしないと、なかなか難しい展開になりそう。

何故か?

長野パルセイロは、カウンター攻撃を基調としたスタイルなので、

その攻撃スイッチを、(アバウトな)セカンドボールの奪取や、相手のパスカットをすることで入れる。

天皇杯県予選では、(ジャッジの妥当性はともかく)、長野にイエローカードが4枚ほど出たはず。

つまりは、ボールやボールホルダーへの寄せが鋭く、激しい。

となれば、山雅流の、高強度サッカーを究めるためには、長野は、絶好の対戦相手なのだ。

前線からの追い込みはもちろん、強固な中盤を形成して前へ前へと向かおう。

では。

復讐するは我にあり?

天皇杯県予選ファイナルの夜だったか、

京子さんから、家人にメールがあった。

具体的な文面は忘れてしまったけれど、

大野 佑哉(元山雅戦士) への不評が記され、ますますパルセイロが嫌いになった、と結ばれていた。

京子さんにしてみたら、パルセイロを好きになるつもりもないのだから、ますます嫌いでいられる出来事が起こって、これ幸い、と喜んだらいいのに。

そこら辺のやりとりは、僕の見聞にも否応なく入ってくるし、天皇杯では大野に盛大なbooが浴びせられていた。

が、そういうのには、醒めた、外野の身分で居るのが、自分を害さずに済む。

十二使徒であったパウロがみづから書いた書簡と伝わっている、新約聖書『ローマ人への手紙』第12章19節。(文語訳)

― 愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒りに任せまつれ。
録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。

〈意訳〉☞ 愛するローマのクリスチャンよ、あなた自らが仇に復讐をおこなってはならない。
書には、『復讐する者は、神である私の務め。あなたを害する者には、私が報いを与えよう』とある。

聖書の教えによれば、人を裁くのは人の仕事ではないのだから、それは、天の御方に任せておいて、あなたは、ひたすら、

悪に勝たるることなく、善をもて悪に勝て (21節)。

ピッチで行われることは、いかに真剣勝負であろうと〈プレイ〉であって、それにまつわるもろもろも、どこかに遊び心を宿さないと見苦しくなる。

だから、5/13夜の、望み。

山雅を取り巻く人々は、せいぜいマジメに遊び倒す気持ちを込めて、迫力と結束に満ちた声援と、応援を送ろう。

なんだ、お前、と思ったら、不興の声を浴びせることを僕はちっとも否定しませんが、ただし、それ相応な言い方、ってものがあるだろう。

ウイットと洗練。

それこそ、山雅の魅力、でありたい。

では。