さあ 楽しき妄想の始まりだ。

チーム山雅の体制が、正式に発表になった(1/7 公式ニュース)。

箝口令を敷いたのかどうか、メディアによるリークがほとんど無かった加入の様相だった。

ルーカス ヒアン、って何者?、とか。

ま、3部という注目度の低さもあるだろうが、その分、未知感が多く、ワクワクできるのは、実にありがたい。

❶首脳陣(監督、コーチ)は、すべて一新。

❷浜崎 拓磨は、いぜんディフェンダー登録なのか。

❸#10は、今季も復活せず。

この登録と陣容だと、

どうも、4 – 3 – 3、と 3 – 4 – 3 ( 3 – 4 – 2 – 1) を使い分けるんですかね。

リーグ戦進行を診て、システム採用比率が決まってくるんでしょう。

ポイントは、みっつ。

ひとつめ。
どっちのシステムを選ぶにしても、攻撃に比重を傾けたいのなら、ゴールキーパーが、最終ラインにおけるボールの動かしに絡む場面が増えそう。

ふたつめ。
前線に、どのような格好で、3枚を配するのか?

みっつめは、迫力あるサイド攻撃のために、左右の前後にどういうタレントを置くか?

 

さて、『カサブランカ』(1942年 米映画)の、ボギーのセリフをまねて、

(開幕まであと2箇月の) 美しい妄想*の始まりさ!

では。

*映画では、〈友情〉です。

これにて 打ち止め?

大相撲の行司が、口上。

結びの一番での、これにて、本日の打ち止めえ、ってやつ。

あれとおんなじで、山雅今冬のチーム編成は、昨日のリリースにて仕上げ、ということか。

ま、いずれにしても、大勢は決した。

新卒を別にして、ディフェンス(登録)の加入がひとり、とは象徴的。

そのひとり(藤谷)にしても、サイドウイングなんだから、あくまで前線、つまりは、攻撃陣を厚く、という補強ですな。

得点力増強がなによりの課題である山雅においては、こういう姿勢は断然支持すべきでありまして、

失点しないサッカーに文句はないが、点の獲れないサッカーは、お話しにもなりませんから。

……、と言いながら、3部リーグの諸チームの出入りをざっとみると、今季もどうやら、ライバル、というか鬼門は、九州あたりのチームになりそう。

では。

悲観的な覚悟で 楽観的に参戦する、

……を、2023季の僕の心得として、決めたのである。

中山 陸は甲府に帰り、安田 理大は人生の次ステージに向かい、ピーター ウタカは、4季ぶりにヴァンフォーレに戻った、今。

たったの勝ち点2で昇格を逃した指揮官と訣別してでも、新たな現場指揮官にチームを託した以上は、

昇格、といった単年度の、薄っぺらい目標に惑わされないような覚悟と我慢を持ちつつ、

いざ、ゲームとなったら、新生山雅を、ワクワクした期待感で支持、目撃したい。

そんなところです。

今季から来季、2年をかけて、1部から3部までをすべて20チーム編成とする中で、

正直な話。

3チームが、J3からJ2へと昇格できる2024シーズンを飛躍の時として、じっくり、計画的にチーム強化してもいいのではないか。

契約更新と新加入の面々のラインナップを診た限りでは、そんな狙いを感じます。

では。

強いが 三度 (くどい補足)

問) 強いチームだから、愛される?

問) 誰から愛されることを願う?

問) 結果を出せないチームだから、人は去る?

 

こむずかしい議論はさておき、

早い話が、松本の街に在るチームだから、これを愛す

ある方の賀状に、
― 山雅は残念でしたね、でも毎週末が楽しみ、とあった。

ここらへんが、出発点。

であれば、たとえ、企業経営であっても、そこには、ファン&サポーター、市民に開放されて、共有される部分、いわば、クラブが聴く耳を持ってもらいたい、という要求はあるだろう。

ただし、実際にパフォーマンス(資金投下、競技のすべて)する側と、(一緒に闘うとは言うものの) 観る側の視点を、同一なレヴェルに合致させることに、特に、クラブ(=チーム)が汲々とする必要など、ありはしまい。

(前の記事における) 発信者と受容者の視点は別物、とはこのこと。

その例えが、ハードワークと規律性

かつては、そういった志向性がチームに必須で、しかも、成果を挙げ得た(と思われる)としても、

今そこにある山雅に、果たして無条件に求められるものなのかどうか、だ。

チームみづからが、戦略的に必要としているのかどうか、だ。

このふたつともは、あくまで、おのれのサッカーをマットウするため使うこと、人に見せるためのものにあらず。
手段と目的を混同してもらっては困る。

(力を出し惜しみしたり、融和しない気風が散見された、といった内部事情があるなら、また別の話)

なかなか勝利できない状況下、外部からの、昔はああだったのに、といった先祖返りの声に、安易に同調したところで、なんになろう。

負ければ敗退の一発勝負は、高校選手権に任せておけばいい。

プロチームとして、年間30数試合のリーグ戦をモノにしようとしているのだから、それを切り抜ける中、勝つ、負ける、あるいは、引き分けで勝ち点を積む、そこに集中しないでどうする?

昨季、足りなかったのは、単に、強い弱い、に解消できないような、
各ゲームの位置づけ(必勝なのか?、最悪捨てゲームにするのか?) と、勝つための工夫、巧妙さ、そんなものだった、と僕は診ている。

それができるチームこそが強い、と言われてしまえば、それまでですがね。

では。

強い、が三度。

株式会社 松本山雅社長の、新年の挨拶を読む。

トップチームの形容詞として、〈強い〉が3回使われ、そういうチームを目指すらしい。

別の言い方だと、勝ちにこだわる(勝利の確率が高い)チーム、と戦略。

で、その際立った面影(スタイル) は、ハードワークと規律性、ということか。

経営トップであるなら、この程度の表現でいい、とは思うので、言葉尻を捕らえてどうこう言うつもりは毛頭ない。

ただ、もしも、トップチームの在り方を変えなくちゃあならない、と考えるならば、

山雅のサッカーについては、常に、発信と受容のふたつの側面からみていく視点を落としてはマヅイだろうな、とは思っている。

たとえば、そのサッカーに期待されるであろうとある、ハードワークと規律性なんだけれど、

❶チーム(発信者)としては、Jリーグで伍していくために、技量不足をそのふたつで補わなければならなかった必要性が時代的に、かつて存在した。

❷多世代からなるファン&サポーター(受容者)からすると、ハードワークと規律を守る姿勢は、観ていて、最もわかりやすい献身性ではある。

あくまで、この❶と❷をキチンと踏まえた上で、現有技量をみつつ、そのスタイルと戦略に落とし込んでいくのが、リーグ戦における勝ち負けをコントロールすべきプロチームだと思うんです。

ま、そこからは、現場の仕事なんでしょうが。

では。