なりふり構わずやるのか (札幌戦プレビュウ)

前節の甲府戦。

小瀬で、ヴァンフォーレ先輩から学んだ最大の教えは、

相手に圧倒され、主導権を握られたなら、

たとえ、蹴り出し専門の見苦しいサッカーに徹してでも、勝利に強欲な姿勢だった。(コーナーフラグでの時間稼ぎ、久しぶりに観ました)

さらには。

スタジアム全体にみなぎった、つまらんプライドにこだわることなく勝ちを喜ぶ空気。

これぞ。

さかのぼる444年前、離反と裏切りの中で、武田氏の滅亡を看取った、甲斐人の醒めたリアリズムの継承と、称賛すべき。

さて。

今節の札幌戦、

勝敗の分かれ目は、ヴァン先輩が示した、強欲な勝ち星願望に違いない。

パスワークに優れ、攻撃大好きなサッカーをめざす札幌と、

強烈なプレッシングを前/全面に押し出す山雅の対戦となれば、

ゲーム様相は、押し込む松本と、それをはがして侵攻するコンサ、といった様相になるが、

そこでは。

どれだけ自己流を貫くのか、あるいは、ラフな捨て球を使ってでも好機を創るかの、塩梅とやりくりが、活路を拓く。

つまりは、なりふり構わずとは(どちかといえば)、

札幌が、そういう割り切りサッかーを、どれほどやってくるのか?

それがゲーム局面をかなり左右するだろう。

山雅からすれば、

❶やることは従来通り、くわえて、札幌が繰り出す頭上を越えるロングボール対策を怠らないこと。

❷札幌の攻めの急所はやはり、サイドの侵入だろうから、

そこへのボール供給ポイントである、センターバックと中盤ダブルボランチに仕事をさせないこと。

ここらは、運動量よりもポジション取りに優れる相手ボランチを、

こっちのボランチが、いかに、スマートネスとタフネスで狩れるかにかかる。

❸と、同時に。

こっちのサイドプレイヤーは、常に、高い位置取りの札幌サイドバックの後方を陥れよう。

ジャッジや相手プレイヤーに、ウダウダと物申すような姿勢を払拭しつつある山雅であるから、

くりかえしますが、

アタマの体力(=考える力)を、90分間切らさないスマートネスとタフネスで行きましょう。

では。

ノースフェイス。

こっちには、ザ(The) がついていないことに、ご注意ください。

5か月ぶりの北ゴール裏の観戦と、同志との再会を前に、高まる気持ちを表現するには、

フェイス(Faith、信奉)が、ピタリくるかな、と。

先日。

自分なりに緑化を、と思い立ち、

蟻ケ崎の某診察待合室に、(喫茶山雅で分けてもらった)サイコウのポスターを貼らせてもらった。

ふたりで貼りながら、そこの主人が、

― 今年の山雅はやりそうだってね、監督も変わっりして、とおっしゃる。

どこから情報を得ているのか、(おそらくは)アルウィンには足を向けない市民の、こういった好意的な反応と関心こそ、山雅の大きな資産だと、つくづく思う。

アルウィン近くに住む職場の同僚は、スタジアムに一段と沸き起こる歓声に、山雅がゴールを挙げたのか、と想像するらしい。

これに比べたら、

ゴール裏のルールは~、などといきり立っているのは、器量が小さ過ぎて、お相手する気も失せる。

ところで。

ホーム4試合が、他会場に振りかえせざるを得なかったための、

シーパス以外のチケット売上損は、これを〈得べかりし〉利益としては計算できないからどうしようもないが、

明らかに算出できるクラブの、経済的な損失の半分については、アルウィン所有者の県が負担する、とか。

これはありがたきご厚意であり、朗報。

(ファン&サポーターの要した遠征費用は、しかたがありませんな)

では。

てんとう虫のように (VFK戦までを終えて)

草の 一本橋

あお空 高い

太鼓 たたいて

てんとうむし 渡れ。     

(by 都築 益世 つづく ますよ 1898~1983年)

アマチュア農作業者の気づきのひとつは、

てんとう虫は、葉の先端まで行ってその先がなくなると、そこから飛翔する、という習性。

いつもお天道様(=太陽)に向かって飛び立つから、てんとう虫。

(これを実感するのが、人生のこの時期になるとは)

押し込まれても、いったん下げてやり直すときも、常に前に向かおうとする今の山雅は、どこか、てんとう虫にも似ている、と思う。

一本橋を元に戻ることなく、前へ前へと向かうだけ。

だから、観ているこっちに、

一筋の道をたどり、やがては!!! 飛び立ってくれよ、との期待は高まる。

❶守備(主にセンターバック3人体制)の安定。

❷3 – 3 – 2 – 2、5 – 2 – 3、 3 – 3 – 4、と局面で変容(=修正)しながら、守功を全うさせようとするシステム採用。

❸それを実現するための交代カードの投入に説得性がある。

❹やられたら、獲れらたら、すかさず獲り返す厳しい執着心。

❺鼓舞しあう気風が、チームから発散されている(リーダーシップ)。

たとえば、VFK戦では。

#23高麗(GK)を、後半風上にまわったのを機に投入、その鋭い弾道のロングフィードが活かされた。

#30 澤崎は、今季お初に左ウィングに配され、すると、ボールがもっと手に入る。
かつ、プレイスキッカーとして働きを魅せた。

ここまでチームの輪郭が露わになれば……あとは、

獲ったボールをどうやってペナルティエリアに入れて、ゴールとして仕留めるか、というストーリイが、

おおかたのファン&サポーターの、主要な関心となる。

だから、観ている僕らに、集中と、良い意味での緊張が絶えない。

守功の策が、ぼやけてしまう傾向にあった昨季とのおおきな違いは、そこ。

現状。
後半へばった相手が、苦し紛れに、せめてはカウンターをと、蹴り出した長いボールを回収し、さて、それから?……との繰り返しが多い(相手がリードしていると特に)が、

……ひとつだけ。

つまり、左サイドバックのカード不足と沈滞を、どうやって克服するか

サイドバック樋口は、数値的にはゴール期待値がチームトップ。なぜなら、

反対サイドから投入されたボールをシュートするアクションによるから。

ならば、次は、
樋口が、みづからのサイドから、どうやってボールを送るのか。

澤崎を使うようになったから、樋口、宮部、澤崎間で連携のアイデアを開発するのが、まづは優先。

田中 想来を、左サイドで活かそうとする布陣をやってるが、

または、宮部をサイドバックへ出して、松村をセンターバック(左)とする?

あるいは、佐相を、思い切って左にコンバートするのか。

両サイドが活性化されていればこそ、相手の守備間を〈疎〉にできるから、

真ん中のスペースを自由に使え、

そうなれば、相手との距離に余裕が生まれ、

詰められる窮屈さも減って、バタバタとせずにシュートまでいける。

……が、萬年式妄想でござる。

では。

【現地心象論】松本へ帰ろう,前を向いて(VFK戦レビュウ)

結果は、0 – 1 の敗戦。

甲府による得点は、オフサイドからの抜け出しによるもの。

直後、松本ベンチからは強く抗議があったように見えた。

が、ジャッジがそれを採ってくれなければ、残念だが、ゴールはゴール。

(少なくとも、あとひとつ戻りオフサイドを見逃していて、ま、望ましい技量にない線審でした)

さて。

ゲーム後半の山雅。

対策(修正)が効いたりして、その盛り返しがミゴト。

相手を凌駕する落ちない運動量、ボールへの執拗なアプローチ、前進する姿勢で魅せてもらった。

甲府は、サイドへボールを運んで侵してくるだけの力を持つチーム、だとは思うが、

あれで平常運転なのか、目一杯なのかどうか?、バックスタンドで、横に座るヴァンフォーレサポーターに訊いてみたくはなった。

というのは、

それだけ、自分のサッカーの描出において、山雅のほうが明確、かつ、優っていて、

極端な話、どっちが2部で、どっちが3部のチームかが、わからない、そんな趣き。

この調子だと、来年の秋には、対戦してるかも。

かように、後半はこっちが獲ったゲームだったから、

残念なのは、

攻撃のつくりにおいて、もうひとつアイデアと精確さを欠いたことだった。

ゆえに、危なげのない守備のところは良しとして、やはり、攻撃に課題を残す現状、と戒めておきましょう。

やっていることに迷いが感じられず、研ぎ出したいサッカーが観てとれる、こういう信頼感が、実に、良い。

爽快です。

萬年、今季初の現地観戦でしたが、小瀬で、いいものをみせてもらいました。

……このアウェイ4連戦。

筆者的な胸算用は、勝ち点4かなぁ、だったので、1点足らないが、まぁまぁ。

事故みたいな失点だった対藤枝戦をのぞけば、あとの負けふたつは、同点と逆転の可能性があったし。

ともかく、これで、やっとこさ帰松。

ホームで、新しいチームを、全ファン&サポーターにお披露目できますね。

では。

自治だよ,自治なんだよ,試されているのは。

外国人をとっ捕まえてきて、彼らの口から、

日本(とその文化)がどんなに〈凄い〉かを言わせる仕立ての、

TV番組や、ほとんどプロ制作の(趣味とは思われない) 動画が、横行する。

どうして、そんな手の込んだことがおこなわれるのか?

外つ国(とつくに)の住人から、君らは大したもんだ、と評価されてはじめて自信が持てる、といった精神構造が、

僕ら日本人に抜きがたく、しかも、それが、奇怪/悲哀であることも感じてないからだ。

ある人は、170数年前むりやり鎖国を解かれたのが、その起源では?、と書いているが、そうかも知れない。

たとえば。

やれ、GDPが世界第何位とか、今度のオリンピックではメダルを何個獲った、という話が、

それを聞いた者はかならず、名誉に思い、かつ得意になるだろう、と思量されて発信される。

逆に、順位を落としたり、メダルが減ったりすると、なんだ!! と大騒ぎになる。

いつ何どき、空から爆弾が落ちてくるかもしれぬ日常でもなく、

子のスポーツ生活(=留学など)にお金をかけられる経済が在ること。

そういうありがたい世界 (全地球がそうではない) に住めば、なし得る可能性がt当然なのに、メダルメダル、と騒がしい。

他方。

なにごとにも自信がないことの表裏一体が、

あたかもお墨付きをいただいたような論調で、〇〇は、そうあるべき、と憲法第9条は不可侵、のように主張する精神構造。

こういうのは、アタマの浅薄ゆえの単純化、それプラス、知ったかぶりの話が多く、

根拠を求めれば、あそこでは、そうなんだ、くらいの答えしか返って来まい。

たとえば。

ゴール裏とは、

チームを勝たせるために、降られる旗で視界が遮られても文句はいわず、座り込みはもってのほかで、発声とジャンプにいそしめ、とか。

クラブが、興行主の責任で発表した、ゴール裏における旗の振る舞いについて。

僕は、そのルールそのものはどうでもいいが、

気に食わないのは

南ゴール裏に集う人数の規模で、

中から挙がった不満や改善要求の声を、自分たちの輪の中で討議して、

それなりの妥協(としての一致)、評決、合意へと持っていけない、集団としての自治能力の低さだ。

こういうのが、烏合の衆。

問題を皆に呼びかけ、そこに関心を集めて、みづからのルール形成へと持っていくリーダーシップを有する人材に乏しいのだろう。

だから、文句は、学校の先生に言いつけるようにクラブへ発信、

クラブが動いて示したルールを、後手で、文句を言う。

ただし、

そうじゃあないだろう、これでは熱い応援ができない、と文句を垂れている多くは、あのゴール裏の常在者では、おそらくはなくて

この事案をつまみにして自分の、観念的なあるべき論を吹聴する輩だろうが。

もしも。

あのゴール裏を占める者で、今回のルール変更に不満ならば

ゴール裏住民を動かして、自分達なりのルールを作って、クラブに提案してみなさいな。

まづは、住人としての自治ができなくちゃあ。

話は、それから。

もめごとは、アルウィンのオリジナリティを高める良いチャンスでしょう?

もちろん、

ゴール裏に堪えられない者は、他に行け、との発言は、

地面にかってな輪を書いて、気に食わない者をその輪の外へと排除するいじめっ子と同じレベルの、

幼稚な差別主義であって、

これを、アルウィンでは見聞したくない。

では。