気分は上々『ガントレット』。

〈ガントレット〉(英語☞gauntlet ) とは、処刑のひとつで。

(おおくの場合は) 兵士が、2列に対面に並び、

罰を受ける者を歩かせて、両側から、こん棒や鞭でなぐる方法。

映画『ガントレット』(1977年公開)では、

そのクライマックス、

主人公が運転するバス(ハイジャックした)が、武装警官の列の間を走行、

バスがハチの巣のようになるほどの無数な銃弾を浴びるシーンがあって、

それを暗示するタイトルになった(と思う)。

もちろん。

こんな扱いをされれば、

それこそ、気分は滅滅、に違いないが、

この作品が、監督としての 6作目という余裕もあってか、

クリント イーストウッド(主演も彼) は、剛直、真っ向勝負の演出ぶりで魅せる。

ラスベガス(ネバダ州)からフェニックス(アリゾナ州)への、ロードムービー仕立ての物語で、

行く先々で、こっぴどい銃火をくぐりながら、

出世コースからスピンアウトした中年警官と、

彼が、その護送を命じられた売春婦との間に、

反目からはじまって、やがては、両者に共感が芽生えるストーリーは、

これぞ、紛れもない、ファンタジーですな。

さらに。

イーストウッドの趣味の良さは、

冒頭と、エンドロールに、

フェニックスらしき都会の、夕陽の残照が残る景色の中、

アート ペッパー(1925~1982 米サックス奏者) の演奏をかぶせるあたりに伺えて、

それを聴けるだけで、気分はもう上々。

では。

ジョージロイヒルの本命作。

ジョージ ロイ ヒル (1921~2002年)監督の作品といえば、

『明日に向かって撃て』(1969年、原題は、強盗ふたりの名前を並べている)

『スティング』(1973年)

この2作品が、(日本にあっては)

ポール ニューマンとロバート レッドフォードの取り合わせもあり、もっとも馴染み深いのかも知れない。

萬年的には、『スラップショット』(1977年)も忘れてもらっては困る、という評価。

だが、だが、しかし。

ロイ ヒルにあっては、

『スローターハウス5』(1972年)こそ、最も敬意が払われるべき作品と、今回観て思う。

そもそも、

カート ヴィネガット Jrによる原作(1969年発表)が、想像力豊饒な、SFコメディ文学である分だけ、

それを踏襲した映画のほうが、その評価を落としているのではないか?、と僕は邪推するんですが、

これが、かなりな見ごたえがある。

タイトルは、(独語で)〈第5屠畜場〉のこと。

これは、主人公ビリー ピルグリムが、第二次世界大戦中、ドレスデンの街でドイツ軍捕虜であった際の、代用収容所の名そのもの。

異星人の力によって時を超越して移動してしまう彼は、戦場と未来、あるいは終末までをいったり来たりして、物語は進行する。

映像もいいが、

グレン グールドによるバッハ演奏曲を随所に用いているあたりが、この監督の趣味の良さ!であります。

令和キネマ座の、準ベストテンにいれなくちゃあ。

もっとも僕が感心するのは、

明日に向かって~と、スティングの間で、

この作品を撮っていた、という仕事の旺盛ぶり。

さらに、主人公を演じたマイケル サックス(1948~)は、

〈ザ シュガーランド エキスプレス〉(1974年 スピルバーグ監督)で、

監獄破りの若い夫婦の、人質となって連れ回される巡査役で出ていましたね。

では。

エレンバースティン 三部作とは。

久しぶりに、

『夕陽のギャングたち』(1971年 伊西米合作映画) を観返した。(令和キネマ座ベストテンのひとつ)

ま、ロッド スタイガーの、良さ(=巧さ) を再確認するだけで儲けもの。

この作品は、当初。

セルジオ レオネは脚本などの裏方にまわり、みづからがメガホンを取るつもりはなかったらしいが、

主演のロッド スタイガーと、ジェイムズ コバーンが、

レオネが監督をしなければ役を降りると主張して譲らなかったために、

仕方なくデレクトしたんだそうな。

予定で、監督候補にあがっていたひとりが、

ピーター ボグダノビッチ。

1971年には、

その監督作品『ザ ラストピクチャショー』が公開されていて、当時売り出し中。

☞ もしも、ボぐダノビッチが監督したら、どんな夕陽のギャングたちが出来上がったのか、まことに興味深々ではあるけれど。

で。

この『ラストショー』(邦題) に出ていたのが、

エレン バースティン (1932~ )。

この作品では、

オスカー(助演女優賞)を、クロリス リーチマン(1926~2021年)が獲っているから、劇中の迫力では、リーチマンのほうにどうしたって分があるが、

エレンも、オスカーとゴールデングローブとにノミネートされたようだ。

その後。

『エクソシスト』(1973年公開)、『アリスの恋』(1974年公開) と、

順調にキャリアをつくった時代の作品を、

『ラストショー』とあわせて、

エレンバースティンの三部作、と呼んでおこう。(異議があってもかまわない)

そのアリスの恋を、これまた、最近に観た。

原題は、Alice Doesn’t Live Here Anymore (アリスはもうここには住んでない)

これが、なぜに、アリスの恋となるのか、とは思うが、

案外、名訳かも知れない。(実際に、映画をご覧になるとわかります)

クセの強い役者も配されていて、面白く観た。

劇中歌に、エルトン ジョン作『Daniel』が使われている。

この曲は、1973年の発表だから、

主人公が運転する車中、ラジオから流れ来る〈新譜〉という設定なのだ。

エルトン作、とは言うが、歌詞はバーナードトーピンが書いてるので、ふたりの共作と呼ぶべき。(だいたいが、そう)

スペインに旅立つ兄ダニエルをうたう内容。

トーピンの後日談によれば、ベトナムからの帰還兵について語りたかったらしい。

……以上、70年代初頭の、クラシカルムービーたちの話。

では。

Think !!

順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。(『伝道の書』第7章14節)

ただし。

問題を解決しようとばかり考えても無益なことも多い。

Don’t Think Twice、ともいうね。

どうやったって解決しない問題など、ザラにある。

ならば、自分にできる、と思うことだけやって、問題が残ろうとも、

平気でいられるように、自分を図太く変えるのが上策。

 

経済的な国際的締め付け、という逆境を破ろうとして打った手が、

1941年12月8日の、日本帝国海軍による、米オアフ島パールハーバー基地への奇襲作戦だった。

これが、我が帝国に残された打開策。

……と確信した。

というよりも、信じたかったんでしょうね、その後の軍事行動をみる限り。

皆で教会へ行くべき、キリスト教徒のならわし(安息日)を狙った、という点はまぁまぁ練ってあるが、

戦果そのものは、それほど上等ではなかった。

米国側からみた、そこらへんのムードは、

映画『地上(ここ)より永遠に』(1953年)や、『1941』(1979年)に、深刻に、あるいは荒唐無稽のコメディで、描かれる。

僕は、スピルバーグ(監督)の 1941を、戦争と軍隊を

古風なスラプティック(追っかけなどのドタバタ喜劇)風に、あっけらかんと描いているから好む。

彼が戦争をマジメに描くと、20年後に撮られた『兵士ライアンの救出』(1998年)みたくになる。

さて。

1941では、ジョン ベル―シが、P-40 カーティス(戦闘機) のパイロット役で怪演を魅せた。

翌1980年、ベル―シは、『ブルース ブラザーズ』に主演し、ヒットを飛ばすも、

1982年、33歳で世を去ってしまう。

 

ブルースブラザーズ中から、

アレサフランクリンの歌唱『Think』を聴いて、

12月8日における米軍の犠牲者と、ベル―シを悼もう。

では。

惰弱を演ずる力。

惰弱(だじゃく)。

辞書をひくと、

〈意気地がないこと〉〈決心がつかず意思が弱いこと〉〈体力が弱いこと〉。

ま、好印象の文脈中では、決して使われないけれど、

一般的に流通している価値や評価について、うじうじと

まづは疑ってかかる僕にとっては、それほど嫌な言葉でもない。

80数年前、日本人全体が惰弱であったならば、あのように大風呂敷をひろげた戦いには没入しなかったろう。

その民に、敵への投降を禁じ、死ぬ決意を強要するような国家は、百害あって一利なしであるから、

いっそ滅びてしまうほうがよい。

事実、1945年8月15日に、それまでの日本は、ある部分で滅びた。

けれど、その滅び方が、他者、すなわち、主に米国都合だったがゆえに、

その滅亡をキチンと評価できず、いまもその後遺症で悩んでいる。

いや、その悩みを感じていないことのほうが、たちが悪い。

……横道に逸れた。

ジョー氏に、ポール ニューマンの出演作で、お薦めはある?、と訊かれた。

彼、〈ハスラー〉を観て、この男優に開眼したらしい。

― そうねぇ、〈評決〉〈明日に向かって撃て〉あたりかな、と応えたが、

翌日になって、〈スラップショット〉を追加した。

ほんらいならば、〈スティング〉を推すべきだったか。

どれを観ても、それほどハズレはないだろう。

彼は、逞しさ、と同時に、〈惰弱〉を、いとも自然に、スマートに演じられる役者なので、僕は好きだ。

秋(あるいは冬?)の陽光が差し込む法廷で、

陪審員に向かっておこなう、弁護士としての最終弁論の場面は、秀逸。(評決)

そうだ。

あの作品は、やはり、この季節に観ないといけない。

と、我ながら、わけのわからんことを言っている。

では。