今が勝負, の日々。

樹上、無数についた無花果(いちじく)の実。

それらが数日前から、一斉に熟しはじめた。

みどり一色だった実は、赤みを帯びて、

おしり(枝についていない方) の部分に穴が開き始めたら、そろそろ食べごろ、と収穫の心づもりをしよう(これも経験してわかるようになった)。

その穴はすこし大きくなり、そこからコバエが入って集っている。

中には、穴から、甘い液がしたたり落ちているのもある。

熟れたやつをつかみ、枝からもぎると、ゆっくりふたつに割る。

すると、中のコバエが飛び立つので、いなくなったのを確かめから、

口に含む……その美味よ。

そんなことを、日に2個、3個。

今の僕の日課……。

(量と熟すスピードで)フレッシュではとても食べきれないから、

10個くらいまとめて採ってくると、家人に頼んでジャムにしつらえてもらい、冷蔵、または、冷凍保存しておく。

気が向いたら、冷蔵庫から出して(あるいは解凍して)、

クリームチーズと一緒にブレッドに載せて、そして……。

あなたがツ〇ヤの棚を探しても、決して見つけられない希少種〈無花果のジャム〉。

しかも、レモン汁とシュガーのみでさらりと煮込んだ絶品。

こんな贅沢は、そうそうない。

と、ヘレン メリルのヴォーカルと一緒に楽しんでしまうのです。

と言ったところで、僕の口に入るのは、我が家の、無花果の実全体の、

おそらくは、10パーセント内外だろう。

あとは、野鳥と蜂ら昆虫の糧になるのだから。

〈You’d be So Nice to Come Home to〉(ヘレンは1955年にカヴァー発表)

家に帰って、あなたの傍にいられたら、それは、もう天国。

暖炉の火のかたわら、
冬の木枯らしを聴きながら、
8月の寝苦しい月を眺めながら……それだけが わたしの望み。

こういう歌唱に出逢えば、青江 三奈さんや、八代 亜紀さんが歌いたくなるのもうなづける。

でも、僕はやっぱり、ヘレンのほうがいい、今は。

では。

コピーは要らない『Many Rivers to Cross』

ジミー クリフ(1948~ ) による作詞作曲。

自身の歌唱で、1969年に発表した。

……矜持でなんとかここまでやって来た、渡るべき河は多いが、いまだ針路を見いだせないでいる。

……そんな歌詞。

荘重なオルガンの前奏で始まると、しばらくして、

ジミーのいかつい容姿(失礼!)からはとても想像できない、張り詰めた高音が、ポン! とかぶさってきて始まる。

良き楽曲だから、多くの歌い手がカヴァーしてきたが、

基本、高い声を張り上げ(全開で)、伸ばしまくって歌う。

つまりは、オリジナルを、自分の声でコピーしているので、それならば、原曲を聴いているほうがいい、となってしまう。

たとえば、日本だと、オフコースの曲を、オリジナルそっくりなテノールで歌って、どうだ聴け、って感じか。

……ところが、自分式に、新しい息吹をこの曲に与えたカヴァーをたまたま見つけ、その豊かな才能には感嘆していて、

それが、これで、なかなかのすぐれもの。

ライ クーダ―を聴き慣れると、ひとつの曲を、新鮮な解釈でよみがえらせることを喜ぶようになる。(by 萬年) 

では。

Who’ll Stop the Rain ?

― そりゃあ、岐阜にしてみたら、前節あれだけ大勝してますからね。
その勢いに水を差したくもないだろうから、ゲームは予定どおり催行したいでしょうね、とソネさん。

対し、山雅は、むしろ間を置きたいんでしょうか?

雨が降らないと、日照りだ、不作だ、と不満を言い、

降れば降ったで、冠水が心配だと、騒ぐ……。

ひとの身勝手さには、ウンザリもする。

ところで。

アサガオが、いま盛んに花をつけていて、

はて?  8月も終わろうとしているこの時季に、いちばん美しく咲く花だったっけ。

では。

とにかく得点。(富山戦プレビュウ❷)

カターレ富山。

そのチームで現役を引退したプレイヤー(小田切氏) が、ユース畑で指導歴を積んで十余年。

その後、トップチームの監督を、ここまで 足かけ 3年務めている……。

……僕が、いつかは山雅で観てみたい光景だから、

やはり富山さんは、そういう意味でも先輩格だろう。

このチーム、レンタル選手(有望な若手)を上手く出し入れしながら戦う、といった趣きがいままであったが、

今季は、活きの良い大卒ルーキーの活躍が、特に目立つ。

一芸に秀でた感はあまりない(地味)が、勤勉に前後動する、隙の無いサッカーという印象。

そう、〈勤勉で手を抜かない〉がピッタリくる。

言いかえると、総合点で優位を保つから、僕の世代用語で、国立進学コース系サッカーと呼んでしまえ。

キビキビしたパスワークを、相手を引きつけるように使い、

機をみると前線へロングなボールを投入して、一気にスペースを獲る、そんな感じを受けます。

こんな相手とやるには、高く保つ守備ラインの後方スペースを狙われることは必至でしょうが、 (ホーム戦でもそこやられましたから)

それに怖気づくこと無く、

ムラと隙を慎んで、ひたすら当方得意な方策を繰り出す、これでしょうね。

今季リーグ戦では、山雅は 3得点すれば負けはない。

だから、3点は獲ろうよ。(簡単に言いますが)

で、そろそろ滝 裕太のゴールを見たく、彼のゲーフラ持参しますが、

その滝は、2020季富山で(レンタル)戦ってもいて、気持ちが入るだろうから、期待します。

たとえ、清水で同僚だった河井 陽介が、今節は出場停止によってピッチで対峙することができなくとも。

せいぜい、息抜きながら、Across The Border、とまいりますか。

では。

ロミオとジュリエットを聴く 『Incident on 57th Street』(1973年)

ブルース スプリングスティーン(1949~ ) というロックンローラーの名が、

一躍、世に知れることになったは、

アルバム『Born to Run』(1975年) が契機だったのは間違いない。

が、ブルースは、それ以前に、2枚のアルバムを 1973年にたて続け発表していて、

リリカルな詩を、積もった感情を吐き出すようなヴォーカルで綴る、これら2作のほうに、より魅力を感じるのは、僕だけじゃあないだろう。

そういう御方は、おそらく、このシンガーソングライターとは、長いつきあいで、いつもじゃあないが、時に触れて聴く、みたいな感じではあるまいか。

僕の場合、彼の音楽と出逢った(友人から紹介された) のは、夏休みだったので、

この時季に、思い入れは深い。

さて、楽曲のこと。

57th street、とあるから、マンハッタン島の、セントラルパークの南を横切るように走る通り。

そこで、incident (出来事)が、スパニッシュ ジョニーと、プエルトリカン ジェインの カップル(恋人)を軸にして語られる。

……とくれば。

古い!! 映画ファンには、下流階級の白人と、プエルトリコ移民の、ふたつの不良グループが反目、抗争する『ウエストサイドストーリー』(1961年)が想い出されるわけでして。

これは、

〈ロミオとジュリエット〉 (by シェイクスピア,1597年初演)を、現代ニューヨークを舞台に、翻案した作品。

で、ブルースのこの曲にも、ロミオとジュリエットという名が登場する。

……てな、お題目はもういいや。

ブルースが、ピアノ独演で唄っている動画を聴きましょうか。

あぁ、シェイクスピアとは偉大なり。

400年を超えて、そのラブストーリーが、語り継がれる。

では。