心に喪章を。

― 八代 亜紀さんも、死んじゃったわね……。

すれ違いざま、家人が、ふと口にするものだから、

― 僕なぞ、ここ一週間、心に喪章を巻いているんですよ。

と言いかけて、その言葉を飲み込んでしまった。

八代 亜紀 (1950年~2023年12月30日)。

個人的にご一緒したこともないから、本当のところはわかりませぬが、

伴侶にするにはチト濃すぎるけれど、あんな姉貴がいたら面白い、といった感じを上手く演出していたように思う。

ここ10年、へぇ、この人ジャズにチャレンジしているんだ、とは知っていた。

You’d Be So Nice To Come Home To はヘレン メリル (1930~ ) の、ねちっこい歌唱が、大定番の曲。

亜紀さんが、それを採りあげているのを聴いたことがあって、これもいいけど、もっとサラリとやれば?、とか思ったりしたが、

タイトルの You’d は、You would の略で、〈あなたがわたしの処に来てくれたら〉と、

仮定の助動詞を使って、切望、哀願ともいえる伴侶への思ひを吐露するから、サラリと歌うのは、チト違うか。

ヘレンよりも、(少なくとも) 20歳若くして逝った彼女を、セロニアス・モンク作のバラッド〈Round Midnight〉で送ろう。

ご冥福をお祈りします。

では。

人がらで聴く歌 (Mr.Bojangles)

なにかにつけて、

お気に入りのものに囲まれて暮らせ、とまるで強制するような風潮を、いたるところに感じている。

趣味性も、それにあまりにこだわると、窒息してしまわないか?

いい意味で、物心に執着せず、いつでも死ねる、それが最高かなぁ。

でも、たまには、そこでゆっくりできる曲でも聴きたい、とも思う。

『ミスタ ボージャングルス』(Mr. Bojangles、1968年発表)は、

ジェリー ジェフ ウオーカー(1942~2020,米) の作詞作曲による。

……僕(ジェリー)は、公然酩酊罪で、ニューオーリンズの刑務所に収監された。

まいってた時期、1965年の頃。

この時、本名は伏せ、ボージャングルス(往年の名タップダンサー) と名乗る白人の大道芸人を知った。

監房の囚人たちの、人生なんかの会話が続いて、

ボージャングルスが、20年前昔に、15年間一緒に旅した愛犬を亡くしたことを語ると、空気が暗くなった。

すると、誰かが、場を明るくしようとして、言ったんだ、

ボージャングルス、踊れよ!

ボージャングルス、踊れ。

白髪、ボロのようなシャツ、だぶついたズボン、そして、擦り切れたシューズ。

それをまとって、ボージャングルスは、それは高く跳んで、タップを踏んだんだ……。

ざっと、こういった歌詞。

これを、飾り気もなく、衒いもなく、ギターひとつ抱え、作者自身が歌う。

哀切なワルツ……。

もう、これ以上、言葉は要らないや。

では。

国民的大歌手を,おとしめる?

僕の助手席に座った者は、否応なく、CDを聴き続けるハメになる。

マイルス デイビスの『’Round About Midnight』(アルバム,1956年発表)を流しておいたら、

隣の小学一年生が、曲のいわれを訊くので、

ジャズの美しさ、即興演奏の緊張感や、自在性、などについて話をすると、

その子、曲想から思いついたか、『お祭りマンボ』(1952年発表) の一節を、突然口ずさむ。

運動会の演目で、この曲に乗せてダンスをやって以来、お気に入りのご様子。

曲名の前には、必ず〈美空ひばりさんの〉とつけるところが、面白い。

この子にとっては、その存在がおぼろであるからこそ、さん付けで呼ぶんだろうか。

君と同じくらいで、歌手としてはじめて(9歳)、

子どもらしくない上手さだったこと、この曲は 15歳の時のもので、

30年くらい前に亡くなった、などと話す。

……たしか、死後、国民栄誉賞が授与されたんだった?

だから、史上、国民的な人気を誇っていたんだろうが、

僕は、世代的になのか、あまりこの人の歌唱に、こころを揺さぶられた記憶がない。

そもそも、一緒に時代を生きた、といった感覚がまるでない。

早熟な上手さは認めるが、年齢を重ねた〈深み〉は身につけないまま逝った歌い手のように思う。

僕の世代感だと、ココロに訴えるにおいては、藤 圭子が格別に良い。

で、日頃、その子が、けっこう助手席に居ることが多いから、

今は、心静逸にと願い、

ジャックジョンソンのアルバム『In Between Dreams』(2005年発表)をかけて、

オアフ島(ノースショア) に住んでいれば、こういう曲が生まれるのかなぁ?、と会話しています。

では。

ウインストン氏を偲び、ふたたび。

いままでも、当ブログで採り上げた、

ジョージ ウインストン(1949~2023.6.4)。

アルバム『December』(1982年発表) 中の曲、

〈カノン(パッヘルベル)、ひとつの変奏〉は、

原曲に、リズム&ブルースの、上品な味付け(アレンジ)を加えているため、

僕の耳には、かなり親しく好ましく入ってくる。

で、今回は、その原曲(通称 Canon in D) を、

作曲者ヨハン パッヘルベル(1653~1706) が活躍した、バロック中期に近いとおもわれる様式で。

3つのバイオリンによる追っかけ演奏と、繰り返される低音。

そんな形式が、とてもわかりやすい演奏。

彼が亡くなった年、それも、ディッセンバアにじっくり聴くのは、もってこい。

去年は、ジャズ畑のピアニスト、ビージー アデル (1937~2022.1.23) が逝き、

今年は、ウインストンが……。

時が経つ、というのは、訃報が、周りにどんどん降り積もることなんだな。

では。

そういえば,そうだった。

定年で退職となったが、

今だけ、繁忙期のアルバイトで勤めているカサイ氏。

彼と、雑談していたら、

― 昔は、傘のことを、こうもり、と言ってたよね。
小学校の頃、非常用として学校に備えてあったのは、番傘(唐傘)だったっけ。

古い古い記憶が、忽然と蘇えるような気がして、なんとも不思議な心持ち。

こうもり……、か。

そのカサイ氏の口から、

『けんかえれじい』(1966年公開、鈴木 清順監督、脚本新藤 兼人)が出た時には、もっと、驚愕してしまった。

― 高橋 英樹の出世作だよね、それまでは任侠物が多かったけど。

この作品、ロマンティックな青春物だが、強引でデタラメな筋(北 一輝が登場したりする)が破天荒で、

日本では、カルト(=熱狂的な支持を得ている)映画のひとつだろうが、

僕は、劇中、主人公(高橋)に、喧嘩の極意を伝授する役の、川津 祐介(1935~2022年)を推します。

その僕は、いたって軟派ではあるけれど、

直球勝負の、剛直で、痛快さの迫力、といったもの。

時には、そんな心情に身を置きたくなります。

歌唱でいえば、レイニーウッド(バンド名)の解散コンサート(1981.12.19)における、

柳ジョージのそれが、ピッタリくるだろうか。

歌詞にある、〈PX〉は、ご幼少の僕には、けっこう馴染み深い言葉だったこともあって……。

では。