『春のからっ風』(1973年)

もはや、半世紀前に発表された曲。

まぁ、そんなのは、めづらしくもないが、

アベちゃんに、知ってるかい?、と訊ねたら、

返事は、No。

二十歳そこそこの日本人が知っているほうが、きっとおかしいのです。

泉谷 しげる作詞作曲。

へぇ~、曲のプロデュースは、加藤 和彦がやったのか。

リフレインの部分の歌詞……、

 誰が呼ぶ声に答えるものか
 望む気持ちとうらはら
 今はただ すきま風を手でおさえて
 今日の生き恥をかく

……なかなか秀逸な詩だと思います。

僕の中では、この歌い手のベストかな。

では。

アベちゃんと衝突する。

彼が、ハウルの動く城(2004年)、をえらい高く評価する。

なので、

宮崎作品は、新しい〈神話化〉を追求しているように思える。

だとすれば、風の谷のナウシカ(1984年発表)で、既にその最高点に達しているから、

それ以降は、同工異曲の焼き直しに過ぎず、

いまさら、採りあげるものがないよ、とか感想を述べると、

いやいや、あのカテゴリーは、

その作画(美術的な)が、重要な要素を占めるし、その点、ハウルの~は素晴らしい、という。

そうかなぁ。

もともと日本のアニメーション動画は、安価な制作方式(それ自体は否定しない)で作られていて、

発信(制作者)、受信(観客)の双方が、そういう技法的な枠組みを了解した中での、画仕事。

人物の動きを、解剖学的に捉えて再現してみせるディズニー作品群には及ばないのでは?

……親子ほどに年齢の隔たったふたりに、こんな会話が成立すること自体、

この80年間、日本のアニメーション界隈には、制作システムにおける断絶がないのだろうか。

では。

たんたんとやれ チャント (竹原ピストル再論)

アベちゃん(職場の同僚) が、ぞっこん(らしい)の、サカナクション。

有能で、上手いバンド。

だとは思うが、僕からすると、曲、作り込み過ぎかなぁ、チョッと。

……年齢を加えるにつれて、より〈坦々〉かつ〈淡々〉とした音づくりを好むようになった気がする。

そういう僕の偏愛からすると、

歌作りにあって、歌詞が先か、旋律が先なのかは知らんが、

昨今の、耳に入ってくる(邦楽の)メロディラインは、急激な音の高低を繰り返し、そこに裏声も多用されるから、

歌詞が、この爺の耳では、日本語として追いきれず、

さらに、英語が混ざったりすると、それこそお手上げ。

さらにさらに、変にしゃくりあげるような舌の巻き方、と来た日には、

そこでもう、つき合うのをやめてしまう。

こういうの、流行りなのかねぇ。

バッハの、G線上のアリアが、現代人にあれだけ人気があるのは、

原曲を、使う楽器を少なくし、G線だけの使用へと、シンプルにしたためではないか。

そんな中、竹原 ピストルは、

高齢者に優しく、しかも、価値観の押し付けがましさのない洒落た歌詞で、走る。

その発声は、あえて言うと、北島 三郎にも似て聴きやすく、クラシカル音楽寄り。

どうも、彼、ギター1本で歌っている感じがするけれど、

おおかたの批判を覚悟で言うと、

この歌唱、レッドホットチリペッパーズなんか遙か足下におくほどの出来であるのだから、

ジャズのトリオ編成をバックにして、演ったら?、とますます誘惑が湧いてくる。

……なんだよ。

高齢者(おもにファースト及びセカンドベビーブーマー世代)は、竹原 ピストルを聴け、といった今回の結論で。

念のため、『お前、もういい大人だろ?』はオリジナルで、

〈いい加減、諦めんなよ〉」と、応援している。

では。

竹原ピストルとは,チャントである 『なごり雪』

 

森田 童子(1952~2018)と、鮫島 有美子(1952~ )は、

1950年代初頭生まれ世代の歌手の、双璧に違いない !! (もちろん、ただ僕の中で)。

その森田の、『たとえばぼくが死んだら』(1980年発表)を、

竹原 ピストルがカヴァーしているのを聴いて、えらく感心してしまった。

実直に、美しくのびやかに、情に流されず、かといって、情を棄てもせず、品の良い日本語で歌っている。

で、次に。

『なごり雪』(1974年発表、by かぐや姫)もカヴァーしているので、これも聴いてみて、いやぁ、大したものです。

歴代カヴァーのなかで、出色でしょうね。

そこには、あの名残り雪を歌う(姿勢)、ではなく、竹原自身の名残り雪が厳として在るからだ。

つまり、歌詞中の、

電車が行ってしまって、踵を返してホームから去る主人公の、

新たな出発が、深い決意で感ぜられる、そこが良い。

竹原 ピストルについては、近々にでも、また。

では。

なぜ,映画『Let It Be』(1970年公開)を評価しないのか?

その理由(わけ)を、ふたつ。

❶映画『A Hard Day’s Night』(1964年公開)は、
多忙な日々(Hard Days)を送るビートルズが、実録風に、彼ら自身を演じて魅せた、洒落たコメディだった。

当時の売れっ子アイドルがドタバタと画面を動き回る、とは言え、

白黒ということもあって、

『Saturday Night And Sunday Morning』(土曜の夜と日曜の朝、1960年英映画)に一脈通ずるような、シニカルな風刺が効いている良品。

僕の中では、これとの比較がどうしても頭をもたげる。

いくら、スタジオセッション(曲の作り込み)や、手短に演ってみせた公開演奏を描くにしてもですよ、

この後、名作アルバム『Abbey Road』(1969年秋発表)を創る力がある彼らなのだから、

見え透いたヤラセ、たわいもない会話やギャグ、そういったもので、音楽制作の仕事ぶりをうすめて見せるのは悪手だろう。

❷セッションに参加したビリー プレストン(1946~2006年) の、作品中における扱いが、あまりにも軽い。

ビリーのキーボード演奏の素晴らしさが、どれほど楽曲に寄与していることかは、一聴瞭然なのに、

映画を観るのは、ビートルズマニアだ、といった決めつけがあるから、こうなってしまうんだろうが、

なんとも敬意に欠ける、とはこのこと。

その腹いせにと、

ビリーの作った『You Are So Beautiful』(1974発表)を、ケニー ランキンがカヴァーでしているやつを聴いている。

では。