スモーキー ロビンソンの貢献(その2)に泣く。

先回、友人k君の葉書から引用したが、実は、後段には、

―ダニー ボイル監督『イエスタディ』観ましたか?
ビートルズへのオマージュたっぷりの感涙ものの映画でした。
改めて彼らの楽曲の良さに痺れ、パラレルワールドのジョンの姿に涙しました。

……、とあった。

萬年にとってロックンロールへの導き手となったK君の感動には敬意を表しつつ、そして、もちろん、このグループの価値については異論などないものの、今の萬年の涙はそこには落ちない、というのがホンネ。

聴いて泣きが入るといったら、こういう動画なんだな。

実は、旧ブログでも紹介したけれど、データが消し飛んだので再度ブログにピンナップしてしまおう。

『The Tracks of My Tears』(1965年発表) 。

スモーキー ロビンソン&ミラクルズがヒットさせてから10年後、
リンダ ロンシュタットが、スタジオで録音している風景を撮ったものだ。

リンダのカヴァー版は、『ひとすじの涙』という邦訳。

何度も流した涙なんで、複数形になっているんでしょうか、きっと。
ならば、ひとすじ、ではなくて、いくたびの涙、とかどうでしょう?

―外見は楽しくやってるようにみせてるけれど、心はブルー。
あなたが去ってからずっと。
まったく、悲しいピエロなの。
よくみてごらん わたしの頬を。
涙の痕が残ってる。あなたがいなくちゃお終いのこの私。

逆に、こう言わせた側からしたら、本望、ってことか。

当時、時代の歌姫のような存在だったリンダ。

近年パーキンソン病によって引退を余儀なくされてしまったこともあり、よけいに胸に来る歌唱です。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (10/2 10:04)
男の涙に嘘はない。
別れに際して男は女々しく、女は潔いと言われるが、多分女性の場合、より良い遺伝子を求め種の存続を図ると言う、いたって生物学的本能のため、過去の男にいつまでもこだわってなどいられないのだろう。

私の経験した幾つかの別れでも、女性は確かに潔く凛々しかった。
しかし、それも当たり前で、そんな場合女性の関心は既により良い遺伝子を持った男に向いている場合が多いのだから。
別れた後も自分を思ってくれる女性がいるのは、男冥利に尽きるが、別れた女性にいつまでも未練を残しながらも、さらにその女性が幸せになるのを願う。もちろん心の中でだ。
それはそれで良いのではないだろうか。
では、また。
☞萬年 より   (18:40)
なるほど。
となると、嘘の涙を流すのは、女類の生物学的なマトモな行為、ということになるのか。
倫理や善悪を超えた部分での。

何をやっても,叱られる日。

ご幼少の頃は、そんな日もあったっけ。

案内をもらっていた美術展に行ってみたら、別の展覧会の盛況による長蛇の行列。
駐車場にさえ、とても入れない。
そこで次の日に出直したら、休館日。
たしかめてみると、なんと前日で会期は終わっていた……。

……、かと思うと、その日の朝。
気づくと、携帯に着信履歴あり。
発信元は、07〇〇 – 〇〇 – 0110。
おや、この末尾4ケタは、警察署ではないか。
棄ておくわけにもいかずに架電してみると、ずいぶん手間取った挙句、アチラの間違い電話だったというご返事。

さらに、トドメとして夜は、スコア1 – 6 の惨憺につきあわされる。

何をやってもうまくいかない日がある。

セ ラ ヴィ! (これが、人生さ!)、とかいって、フランス人みたいに首をすくめてみる気にもなれない。

で、こんな曲に逃げ込んでしまうのだ。

Wonderful World は、サム クック(1931~1964) が 1960年に発表した。

山雅クラブがいまだ存在しなかった、60年前だ。

―高校の教科はどうもわからないけれど、言えることはただひとつ。
僕が 君を好きってこと。
君が振り向いてくれるなら  勉強もがんばっちゃうんだけどな。―

どうも、彼の素晴らしき日の訪れは、恋人の心ひとつにかかっているんですな。

その翌々日、招待してくれた親友から葉書が来た。


葉書の、ピエル ボナール『化粧台』1908年作

―展示会にはお越しいただけたでしょうか?
今回は 200号の大作を描き切って気分爽快です。
昨年はブログで私の作品を紹介していただきまことにありがとうございました。山雅ファンの同僚が見かけたそうで、教えてもらいました、云々。

さて、どうやって観そびれてしまったのかをエクスキューズしようか?
、と頭を抱えている日。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より    (9/28 7:47)
覗かずに見上げよう。
とんでもない日が人生には幾日かあるものだ。
肉親が亡くなった日、ペットが亡くなった日、病で倒れた日、彼女に振られた日、仕事で失敗した日、数え上げたら切りがない。
それらが、平板な人生に深い谷を刻み付ける。
しかし、谷ばかりではない。美しい丘を形作ることもある。
その一つが、恋の成就だろ。我が人生でも何度かあったが、やはり一番美しい思い出だ。
しかしその丘もすぐに、激しい風雨で深い谷が刻まれるのが常ではあったが。
あの、美しく明るい女優竹内結子さん、深い谷を覗き過ぎたのか…冥福をお祈りします。
では、また。

噂はいやでも伝わって I Heard It Through The Grapevine

秋の味覚に、と葡萄を贈ったところ、先様から同じ物があいついで二つも届いた、との連絡をもらう。
調べてみると、発送を依頼した農園が間違えて重複して送ってしまいました、とのこと。
生ものであるから、なんなりと召し上がって下さい、となった。

その旨を贈り先に伝えると、
―いやぁ、こういう間違いならば何度でもけっこう、とのことで一件は落着。

葡萄かぁ、いざとなったら書けない漢字のひとつだよな、と思ううちに、曲のひとつを想い出す。

『I Heard It Through The Grapevine』

そのまま訳すと、〈僕はそれを葡萄のつるをつたって聞いた〉、となるが、これは決まり文句で、
〈僕はそれを噂で聞いた〉と訳さなくてはいけない。

葡萄のつるが、その先端をゆらゆらと中空に伸ばし、触れたものを選ばずに絡みついて枝を伸ばすように、噂が何気なく、けれど、確実に人の心をとらえていくことから生み出された慣用句なのだ。

日本人の僕ならば、水がじわじわと布に滲み広がっていく、などと譬えたい。

で、業界による邦訳は、『悲しいうわさ』

歌詞が、恋人が他の男に恋慕していることを噂に聞いた男の、切ない胸の内を綴るからだ。

スモーキーロビンソン&ミラクルズが 1966年に最初に録音して以来、多くの歌手がカヴァーしている。
こういうところでも、スモーキーの貢献度は、とても高い。

特にマービン ゲイのヴァージョン(1968年)は、この曲のスタンダード化を決定づけた。

そのソウルフルな熱情を、ロックンロール調に乗っけてる、ダリル ホールらの演奏で、今回は聴こう。

男の未練も、これだけ一本気で歌ってもらうと、ジメジメしていなくていい。

ついついドラマーのユニフォームに眼がいってしまうのは、萬年の悲しい習性、ということで。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より  (9/26 5:42)
よくよく考え取捨選択しよう。
噂の拡がりを葡萄のつるの拡がりに例える、面白いですね。
昔、赤穂浪士が吉良を打ったそうだ、なんて話が口伝に伝わり、江戸の人々の溜飲を下げたが(本当かどうかは知らない)昔の人は噂を楽しむ粋さがあった。
ところが今は、噂はネットを通して拡がり、内容と言ったら人の悪口ばかり、誰それが我が町コロナ感染1号だとか、煽り運転でスマホをかざしたのはあいつだ等、つまらない話ばかりだ。
あの山本リンダ先生も言っている。噂を信じちゃいけないと、噂はどうにも止まらないと…
悪口ばかりが噂ではない。どうせ流すなら粋な噂、楽しい噂を流してほしいものだ。
では、また。

☞萬年より (9/26 18:13)
赤穂藩浪士が吉良邸に討ちいったのが、午前4時。
義央の首級を上げてテロ(徒党による押し込み) を終えたのにほぼ2時間を要す。
午前6時頃から、主君の墓が在る泉岳寺に向かった……、払暁の行進を実際に目撃した者がいたかどうかは不明ですが、その後二日以内には、この事件は江戸市中に知られていたようですね。

白い家 やたらと悩む 好い男

―映画の最後で、ハンフリー ボガードが、ポケットの拳銃をそのままぶっ放して台無しにした、あのトレンチコートね。
あれ、アキュアスキュータムのはずです、 バーバリーじゃなくて。

すると、ルノワール氏すかさず、
―バーバリーといったら、やはりステンカラ―でしょう……。

長年服飾の業界でやってきた御方らしいご意見だな、と思った。

その映画とは、『カサブランカ』(1942年 米)。
※カサブランカとは白い家という意味。

その前年に第二次世界大戦に参戦した米国による製作だけあって、枢軸国側のドイツとドイツ軍人は一貫して悪役として描かれている。

要は、ロマンス映画の体裁を採りながら、本質は反ドイツを煽るプロパガンダ映画だったのだが、時が経つにつれ、時代の虚飾が剥げ落ちて、ラブの部分が残ったような塩梅。

でも、自分を捨てた女性に久しぶりに逢ってしまい、動揺し葛藤する主人公(ボガード)の弱さに比べれば、元カノ(イングリット バーグマン) のやけに年増じみた余裕、あれは一体何なんだ。

(当時ボガードは、当時、41か2歳。かなり老けてみえます)

要は、愛されている女の自信なのか、ここらの心理描写がガサツで、妙に鼻もちならない萬年ではあります。

だから、恋の成就を諦める主人公による決意のラストにも、あまりココロ揺さぶられない。

―もともとプロパガンダ映画は、そんなところには照準を合わせていないわけだ。

こういう情宣的な語り口による進行は、後年スピルバーグがインディ ジョーンズ物に多用していて、さすが米国映画の伝統、って思います。

で、最後に、主題歌級扱いの、As Time Goes By(1931発表) など採りあげてやるもんか、というわけで、『Sea Of Love』(1959年発表) を聴いてしまおう。

同名タイトルの映画(1989年 アル パチーノ主演) については、別の機会にでも語りましょう。

では。

〈コメント〉
☞つー さんより (9/23 10:19)
ビビアン リーに会いたい。
映画「カサブランカ」ピアノ曲を聞きながら、ちびりちびりブランデーを煽り「よりによって、なんで俺の酒場に」なんて嘆くシーンに、なんと女々しい男だろうと思ったものだが、ハットを被り襟を経てたトレンチコート姿は似合っていた。

日本でもトレンチコートが流行った時代があったが体格か顔つきの問題か、格好良く着こなせる人は少なかった。
ベルトを後ろで縛り尻尾のように垂らし、前をだらしなく開けて着ている人が結構いて見苦しいものだった。
映画「サムライ」のアランドロン、「ティファニーで朝食を」のオードリーヘップバーン「シェルブールの雨傘」のカトリーヌドヌーブなんかのトレンチ姿、とにかく格好良かった。が、映画「哀愁」のなかでロバートテーラーが軍服の上にトレンチコートを着ている姿が、まさに格好良さナンバーワンだ。
では、また。
☞萬年より  (9/23 11:42)
Tomorrow is another day!
世界に星の数ほどある酒場のなかで~、か。

愚痴りかたも、格好いいや。
これで、トレンチコート着こなし俳優のベスト5の出来上がり。
最後は来ている本人次第、というとそれまでですけれどね。

こうなったら、次回はダッフルコートなんかどうでしょう?
その中には、かならずトレヴァー ハワード(第三の男、英国軍将校役)を入れないと話が始まりません。
いかがでしょうか?
☞つー さん より(9/23 12:36)
学生はより学生らしく、軍人はより軍人らしく見せるダッフルコート、憧れました。第三の男では、オーソンウェルズ、アリタバリも味のあるコートを着てました。
是非取り上げて下さい。
では、また。

 

雨に追想する秋。September in the Rain

〈秋の長雨〉とは短い雨季のこと、と思っている。

梅雨と一対の、日本の雨季。

雨の日と月曜日にはいつだって、私の心は沈む……、と書いたのはポール  ウイリアムズ。

となれば、雨の月曜日なんかは、最悪の気分なんだろうかね。

でも、〈誰かに愛されてるってのは,素敵なもの〉という一節は光っていて、歌詞には希望も宿る。

とは言え、雨の日であるからこそ、甘い追想に浸りたい。

September in the Rain は、1937年発表の曲。

身は春にあるけれど、失った恋を、過ぎた九月にさかのぼって追想する曲。

ただし、動画の和訳は、ほとんどオリジナルです。

聴くに心地よい。

自然な日本語にこんなにもホッとするとは、ふだん不自然な日本語があまりに多過ぎる、ということだろうか。

そういえば先日、TVで気象予報士が、雨脚(あまあし)を、あめあし、と発音していたっけ……。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/19 7:19)
9月の雨は涙雨。
昨夜は病室のベッドの上で、9月の雨音を聴いたような気がします
「9月の雨」と言うとやはり、太田裕美の曲を思い出します。
ルノワール氏それにちなんだ話しを寄稿してくれないかな。
スマホのイヤホーン無くて曲が聴けないのが残念です。
体調の崩れは、突然訪れます。
萬年さんも、くれぐれも無理しないように。
では、また。

☞萬年より (9/19 11:11)
病院のベッドでお目覚め、とはなんとも……。
くれぐれもお大事にしてください。
ところで、詐欺のひとつとして、アンケート詐欺という手口があるんですね。
留守電の録音再生したら、アンケートのご協力ください、で始まるメッセージ。
どうも太陽光発電に関する商談に引き込もうとの狙い、らしい。今更です。
アンケートは、某有名酒造会社が、大量資金を投下してサプリメントで現在展開中。
こんなのが横行して
良いのでしょうか?